古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

兵庫県尼崎市・園田大塚山古墳

2014-07-26 07:56:13 | Weblog






兵庫県尼崎市南清水稲荷の台地上にあります。
JR宝塚線・猪名寺駅の東約250m、園田北小学校の東隣りです。
天狗塚古墳とも呼ばれています。
大塚山公園内に復元整備されています。


全長45m、 後円部径24m・高さ3.6m、 前方部先端幅16.4m・高さ4.8m の前方後円墳です。
前方部を南に向けています。

墳丘の周りには周濠があります。
後円部から前方部の東西は約10mの幅がありますが、前方部北側は3~6mの弓状をしています。


墳丘には葺石が施されていました。
円筒埴輪や蓋形埴輪・靭形埴輪・盾形埴輪・家型埴輪(高床式)・馬形埴輪・鳥形埴輪 などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

主体部が二つ確認されています。
後円部中央にある埋葬施設は、粘土槨に舟形木棺で埋葬されていました。
倭製変形神獣文五鈴鏡、碧玉製管玉、ガラス製蜻蛉玉、鉄刀 などが出土しています。
後円部頂中央南寄りにある埋葬施設は、木炭層をもつ竪穴式土壙に箱型木棺で埋葬されていました。
鉄刀、鉄槍、鉄鏃、刀子、鋸、鞍金具、鎧金具、轡、杏葉、雲珠、カコ、須恵器 などが出土しています。

古墳は昭和初期の土取り作業で、墳丘の封土がその大半を失い破壊されました。
現在公園内にある古墳は、実物の約二分の一の大きさに復元されたものです。
墳丘には芝生が、周濠部には玉石が敷かれています。


6世紀前半頃の築造と推定されています。

兵庫県伊丹市・御願塚(ごがづか)古墳

2014-07-19 08:00:51 | Weblog
兵庫県伊丹市御願塚4丁目大阪国際空港(伊丹空港)の西、阪急・伊丹線「稲野駅」北西約200mのところです。
国道336号線の南側です。



全長52m、 後円部径39m・高さ7m、 前方部先端幅19m・高さ2m  二段構築の帆立貝式前方後円墳です。





後円部墳頂には「第36代孝徳天皇」を祀った南神社が建立されています。





墳丘の周りには幅4~5mと幅8~11mの馬蹄形をした二重の周濠があります。
平成10年に行われた第8次の調査で、くびれ部から幅5.8m・高さ1.4m・長さ5.2m の造り出しが発見されています。



墳丘には葺石が施されています。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・蓋形埴輪・家形埴輪 などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
埋葬施設の内部構造は不明です。
明治8年地元の人々により一部発掘調査が行われ、石室の一部らしき石組みが出てきたそうですが、それ以上の調査は許可されなかったそうです。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

昭和41年3月22日、兵庫県の史跡に指定されています。
平成11年7月、古墳の保全工事と史跡公園化工事が完成しています。

かってこの古墳の周囲には、「温塚(ぬくめつか)」・「掛塚(かかりつか)」・「破塚(やぶれつか)」・「満塚(みちつか)」と呼ばれる円墳があり、「五ケ塚」と呼ばれていたそうです。
現在はこの御願塚古墳が残るだけです。

兵庫県姫路市・壇場山古墳

2014-07-12 08:07:04 | Weblog

                   (奥が後円部です)


     (前方部から後円部をみています)

兵庫県姫路市御国野町国分寺林堂の平地にあります。
JR山陽本線・御着駅の北約500m、徒歩約10分の住宅地に囲まれたところです。

全長140m、 後円部径81.9m・高さ10m、 前方部先端幅85.3m・高さ?m 三段構築の前方後円墳です。
兵庫県内2番目(西播磨地方では最大)の大きさです。
大阪府藤井寺市にある「仲津山古墳」の約2分の1の相似形として知られています。
前方部にはかって「天満神社」が建っていたそうで(現在は残っていません)、そのため削平を受けています。


墳丘の周りには、幅12~20mの盾形をした周濠があります。


西側の一部には周庭帯も残っています。

東西のくびれ部には造り出しがあります。

                    (墳丘東側の造り出し)

円筒埴輪や盾形埴輪・短甲形埴輪・靭形埴輪・蓋形埴輪・家型埴輪 などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

1987年(昭和62年)に発掘調査が行われています。
後円部中央には竜山石製の長持形石棺が直接埋葬されています。
現在 蓋石部分が露出しています。
石棺は長さが3m・幅が1.4mあり、四隅に縄掛突起がついています。


古墳時代中期・5世紀中葉ころの築造と推定されています。

大正10年3月3日、国の史跡に指定されています。

この古墳は、播磨別の祖「稲背入彦命(いなせのいりひこのみこと)」ー景行天皇の皇子」の陵墓ではないかとも言われているそうです。
壇場山の名は、神功皇后が西討の途中にこの山に檀を設けて戦勝祈願を行ったとの言い伝えに由来しているのだそうです。

周囲にはかって数基の陪塚があったそうですが、現在は後円部そばに「林堂東塚古墳」と「櫛之堂古墳」の2基の円墳が残るのみです。
また前方部すぐ近くには、一辺約50mの兵庫県下最大の方墳「山之越古墳ー墳丘上に竜山石製の長持形石棺が露出しています。」も残っています。

兵庫県姫路市・見野長塚古墳

2014-07-05 07:57:36 | Weblog


兵庫県姫路市四郷町見野の平地にあります。
見野集落の東、田圃の中にこじんまりとした佇まいを見せています。







全長34m、 後円部径22m・高さ?m、 前方部幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
前方部を南に向けています。
墳丘はかなり削平を受けています。





墳丘の周りには幅5~7mの周濠があります。
円筒埴輪や盾形埴輪・水鳥形埴輪・人物埴輪 などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

前方部と後円部に埋葬施設があります。
1995年(平成7年)、姫路市教育委員会による後円部の埋葬施設の発掘調査が行われています。
埋葬施設は、東側に開口する右片袖型横穴式石室です。
倭製銅鏡・碧玉製管玉・ガラス製小玉・金環・鉄鏃・刀子・馬具・砥石・紡錘車・土師器・須恵器 などが出土しています。
そのほか玄室内から歯や遺骨の一部が出土しています。
歯には朱が付着していたそうです。
遺体は木棺に納められていたようです。
大正時代に調査された前方部の埋葬施設は、後円部同様東側に開口する横穴式石室ですが、いまは破壊され消滅しています。
鉄剣・鉄鏃・鉄斧・ガラス製小玉・馬具・須恵器 などが出土しています。

古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。

平成7年3月28日、兵庫県の史跡に指定されています。

見野古墳群(古墳時代後期の横穴式石室を持つ20基の古墳が残る)を構成しています。