古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

群馬県前橋市・内堀M-1号墳

2018-05-30 05:30:25 | Weblog
群馬県前橋市西大室町の大室公園内にあります。
大室公園・北口駐車場のすぐ近くです。



「荒砥村57号墳」と呼ばれることもあります。
大室公園は、日本の歴史公園100選にも選定されています。

全長35.2m、 後円部径26.4m・高さ3.1m、 前方部先端幅17.8m・高さ?m  二段構築の帆立貝形前方後円墳です。

















墳丘の周りには周濠があります。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・家形埴輪・男子埴輪・女子埴輪・武人埴輪・農夫埴輪・馬形埴輪・鳥形埴輪・鞆形埴輪・靫形埴輪・鉾形埴輪・盾形埴輪・大刀形埴輪・矛形埴輪 などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部中央にある埋葬施設は、両袖型横穴式石室です。
羨道の長さ18m・幅1.6m、玄室の長さ約4m・奥壁幅2.5mあります。
小刀、鞘口金具、鍔、耳環、鉄鏃、長頸鎌、斧、鉗子、刀子、ガラス製小玉、須恵器堤瓶などが出土しています。

昭和63年度に公園整備に伴う発掘調査が行われていて、その結果に基づき平成5年度になってから現状に復元されました。
後円部上段墳丘は耕作地として利用されていたため、削平されていました。
石室も破壊されていました。

古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。

群馬県前橋市・桂萱(かいがや)大塚古墳

2018-05-26 05:50:42 | Weblog
群馬県前橋市東片貝町1460ほか にあります。
片貝神社の裏です。
「片貝神社古墳」とか「桂萱村9号墳」と呼ばれることもあります。















全長57m、 後円部径?m・高さ7m、 前方部先端幅25m・高さ2.5m  の前方後円墳です。
後円部墳頂には、「月山大神」や「湯殿山大神」「出羽大神」などど記した石碑が立っていて、削平を受けています。







墳丘の周りには盾形をした周濠があります。
墳丘には河原石による葺石が施されていたようです。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部中央にある埋葬施設は、両袖型横穴式石室で南西方向に開口しています。
後円部に上る階段脇の石垣の中に、小さく排水口のようにして開口しているとのことでしたが、残念ながら見逃してしまいました。



古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。

群馬県前橋市・金冠塚古墳

2018-05-26 05:13:42 | Weblog
群馬県前橋市山王町1-13-3のつばさ公園にあります。
「山王二子塚古墳」とか「山王二子山古墳」「上陽村14号墳」とも呼ばれています。
大正4年(1915年)に金銅製の冠が出土したことにより、古墳の名称を「金冠塚古墳」と統一したそうです。
ちなみに冠は、朝鮮半島・新羅や伽耶でつくられていた「出の字」型の冠に似ているそうです。



全長52.5m、後円部径32.3m・高さ?m、 前方部先端幅42m・高さ?m  二段構築の前方後円墳です。



(後円部)




(前方部)










墳丘の周りには盾形をした周濠があります。
墳丘には河原石による葺石が施されています。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・盾形埴輪・靱形埴輪・家形埴輪・馬形埴輪・男女像埴輪・大刀形埴輪などが出土していて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部中央にある埋葬施設は、両袖型横穴式石室です。
石室は昭和56年(1981年)に発掘調査が行われ、入り口は破壊されていたそうですが全長5.2m以上・奥壁幅2.5mありました。
榛名山二ツ岳産の角閃石安山岩を加工し、積み上げて造られていたそうです。
金銅製冠のほか瑪瑙製管玉、碧玉製管玉、冑1、槍身5、金環5、銀環4、雲珠1、辻金具1、鉄鏃、銅地金貼半球形金具、鉄製挂甲札100枚余 などが出土しています。

古墳時代後期・6世紀末頃の築造と推定されています。

昭和61年6月6日、前橋市の史跡に指定されています。

群馬県前橋市・天神山古墳

2018-05-23 05:41:21 | Weblog
群馬県前橋市広瀬町1-27-7にあります。
「後閑天神山古墳」とか「上川淵村71号墳」とも呼ばれています。



全長129m、 後円部径75m・高さ9m、 前方部先端幅68m・高さ7m  三段構築の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。

墳丘の周りには周濠が、その外側には堤があります。
墳丘には葺石が施されています。
墳丘には埴輪の配列がなされていました。
後円部中央にある埋葬施設には、粘土槨(全長7.8m・幅1.2m)に割竹形木棺が埋葬されていました。
墳頂部には粘土槨を囲むように、赤く塗られた底部穿孔壺型土器が四角く並べられていました。







鏡5面(変形四獣鏡、二禽二獣鏡、半円方格帯三段式神仙鏡、三角縁獣文帯四神四獣鏡、三角縁獣文帯五神四獣鏡)、素環頭太刀、鉄斧、ヤリガンナ、鑿、刀子、鉄刀、剣、銅鏃、碧玉製紡錘車、釣針状金具、坩など15種・165点もの副葬品が出土しています。
これら粘土槨出土品は、国の重要文化財として東京国立博物館に所蔵保管されています。

古墳時代前期・4世紀前半頃の築造と推定されています。

昭和45年12月22日、群馬県の史跡に指定されています。

現在墳丘は、昭和43年7月から昭和44年8月にかけての区画整理事業に伴う発掘調査後、前方部を中心に削平され後円部の一角が四角の丘として保存されています。










群馬県前橋市・亀塚山古墳

2018-05-19 06:02:53 | Weblog
群馬県前橋市山王町1-28-3の平地にあります。



全長60m、 後円部径40m・高さ6.5m、 前方部先端幅15m・高さ1.5m  二段構築の帆立貝形前方後円墳です。
前方部が極端に低くなっています。



(前方部)








(後円部)






墳丘の周りには周濠がありました(昭和10年の調査時ころまで)が、いまは住宅開発で消滅しています。
墳丘には葺石が施されていたようです。
種類ははっきりしていませんが、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。
学術的調査は行われていませんが、竪穴式と推定される埋葬施設は盗掘を受けています。
副葬品等の有無は不明です。

5世紀後半から6世紀初頭にかけての築造と推定されています。

昭和54年3月26日、前橋市の史跡に指定されています。

群馬県前橋市・下川淵浅間神社古墳

2018-05-19 05:43:36 | Weblog
群馬県前橋市横手町561の台地縁辺にあります。
「下川淵村1号墳」とも呼ばれています。

全長42.5m、 後円部径?m・高さ6m、 前方部先端幅?m・高さ1.8m  帆立貝形の前方後円墳です。
前方部は県道で削平されていて、後円部のみが私有地の中に残っています。
墳丘上には、浅間神社の小さな祠が祀ってあります。







お家の方の了解を得て、墳丘に上ることができました。









墳丘の周りには周濠があります。
円筒埴輪や人物埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部中央にある埋葬施設は、横穴式石室です。
石槨が露出しています。



古墳時代後期の築造と推定されています。

群馬県藤岡市・七輿山古墳

2018-05-16 05:46:50 | Weblog
群馬県藤岡市上落合七輿831-1ほか、鏑川と鮎川の間にあります。
宗永寺裏西塚古墳の前方部と後円部が向き合う形です。
「美土里村1号墳」とも呼ばれています。
藤岡八景の一つで、桜の名所でもあるそうです。

全長146m、 後円部径87m・高さ16m、 前方部先端幅106m・高さ16m  三段構築の前方後円墳です。
全国で73番目の大型古墳です。


                 (右側が後円部)


                 (右側が前方部)

後円部のテラス状に抉られたところには、首を落とされてしまっている五百羅漢像があります。





中堤帯や外堤帯と呼ばれる堤を境にして、内と外に盾形をした二重の周濠があります。
さらに西側(前方部の前面)にはコの字形に巡る三重目の濠があります。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・家形埴輪・馬形埴輪・盾形埴輪・挂甲武人埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
併せて須恵器や土師器なども出土しています。
なかでも円筒埴輪は、全国的にもまれな7条の帯(タガ)が巡る高さ110cm・径50cmもある大型のものです。
埋葬施設は未調査につき不明ですが、横穴式石室とみられています。

(前方部)










(後円部)



                  (奥が後円部)





古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。

昭和2年6月14日、国の史跡に指定されています。
平成8年9月26日、追加指定されています。

平成30年4月18日、藤岡市教育委員会と群馬県立歴史博物館、それに早稲田大学の合同調査隊が実施していた、地中レーダー探査の結果が発表されています。
調査は2月26日から3月25日にかけて行われたそうです。
その結果、後円部の南側で約10mの横穴式石室の通路(羨道?)が確認されたそうです。
玄室はレーダーが届かず確認されなかったそうですが、中央にあるとすれば通路の全長は15m以上になると推定されています。
また墳長も調査の結果150mほどになるとみられています。、

群馬県藤岡市・宗永寺裏西塚古墳

2018-05-12 06:11:50 | Weblog
群馬県藤岡市上落合七奈輿の宗永寺境内にあります。
「美土里村4号墳」とも呼ばれています。
宗永寺裏東塚古墳と後円部が向き合う形です。

全長48m、 後円部径30m・高さ4.8m、 前方部先端幅29m・高さ4.8m  の前方後円墳です。
墳丘上は、零式艦上戦闘機の設計者として知られる「堀越二郎」氏ら堀越家一族の墓地になっていて、一部削平を受けています。







墳丘の周りには周濠があります。
円筒埴輪などが出土していて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部中央にある埋葬施設は、両袖型横穴式石室です。

資料が少なく、築造時期をはじめ詳細は不明です。

(前方部)







                  (右が前方部)

(後円部)



                  (手前が後円部)

群馬県藤岡市・宗永寺裏東塚古墳

2018-05-12 05:48:17 | Weblog
群馬県藤岡市上落合七奈輿本郷原甲352の宗永寺境内にあります。
「宗永寺東裏古墳」とか「美土里村6号墳」とも呼ばれています。

全長53m、 後円部径13.5m・高さ4.3m、 前方部先端幅14m・高さ2m  の前方後円墳です。

(後円部)






(前方部)




保育園で墳丘の一部が削平を受けています。
墳丘上は墓地になっています。







墳丘の周りには周濠があります。
円筒埴輪などが出土していて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部中央にある埋葬施設は、横穴式石室に凝灰岩を刳り抜いて造られた舟形石棺が収められていました。
石棺は長さ2.4m、幅0.93m、高さ0.62mあり、宗永寺の敷地内に保存されています。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

群馬県藤岡市・白石稲荷山古墳

2018-05-05 06:10:52 | Weblog
群馬県藤岡市白石稲荷原1365ほか、鮎川左岸の猿田川を東に見下ろす河岸段丘上にあります。
「平井村576号墳」とも呼ばれています。

全長175m、 後円部径92m・高さ13.5m、 前方部先端幅148m・高さ6m  三段構築の前方後円墳です。
自然地形を利用して造られています。
前方部を西に向けています。
全国でも48番目の大きさを誇る巨大古墳です。





(後円部)








(前方部)




墳丘の周りには周濠があります。
ただ東側は崖になっているため途切れています。
墳丘には葺石が施されています。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・短甲形埴輪・高坏形埴輪・家形埴輪(豪族の館を彷彿させる)などが出土していて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

昭和8年の発掘調査で、主体部が二つ確認されています。
後円部中央にある埋葬施設は、竪穴式礫槨に舟形石棺が埋葬されていました。

                (碑の下が埋葬施設)
礫槨は全長5.3m、幅0.4m、高さ1.5mあります。
倭製四獣鏡、碧玉製勾玉・管玉、ガラス製小玉、石製模造品(釧・下駄・勾玉・臼玉・刀子・剣・案・杵・坩など)、石枕、鉄刀 などが出土しています。
後円部東寄りにある埋葬施設も竪穴式礫槨です。
全長8.2m、幅0.9m、高さ3mあります。
倭製内行花文鏡、碧玉製管玉・勾玉・算盤玉、ガラス製切子玉、鎌、刀子、剣、案、杵、坩 などが出土しています。

古墳時代中期・5世紀前半頃の築造と推定されています。

平成5年11月30日、国の史跡に指定されています。
平成21年7月23日、すぐ北側にある陪塚の十二天塚古墳(長方形墳)と十二天塚北古墳(方墳)が追加指定されています。