福岡県古賀市谷山1167の丘陵上にあります。
馬見塚古墳とも呼ばれています。
かっては3基の古墳があったそうですが、今はこの3号墳が残るだけです。
全長40m、 後円部径24m・高さ3.5m、 前方部先端幅18m・高さ2m 二段構築の前方後円墳です。
造り出しはありません。
墳丘の北から東側にのみ周濠があります。
墳丘には葺石が施されていたとみられています。
どんな種類かはっきりしていませんが、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部中央にある埋葬施設は、全長12mの巨石を用いた複室の両袖型横穴式石室です。
石材の表面はベンガラで赤く着色されていたそうです。
倭製変形五獣形鏡や金銅製単龍環頭太刀・刀剣・槍・鏃・馬具・玉類・砥石・須恵器 などが出土しています。
ちなみにこの古墳は、古墳時代後期(6世紀末~7世紀初頭)の径20mの「円墳」だとも言われています。
この古墳が一躍注目されることになる発表がありました。
2013年4月18日、古賀市教育委員会が「この古墳に隣接した埋納坑から、古墳時代後期の金銅製馬具一式がそろって見つかった。」と発表しました。
圃場整備事業の折、この船原3号墳の墓道入口から5m離れた場所で見つかったそうです。
上記写真のテントが張ってある付近です。
埋納坑は 長さ5.2m、幅0.8m、深さ0.7m ほどの細長いものだそうです。
鉄製壺鐙・輪鐙・金銅張の鞍・辻金具・金銅製轡引手・雲珠・杏葉・馬鈴・馬冑・馬甲・蛇行鉄器・鉄製の鋤先や鎌などの農具・馬具の下に敷き詰められていた漆塗りの弓6点以上 などが出土しました。
馬具は少なくとも4組以上埋納されているそうです。
付近からは鉄鏃60点が埋められていた穴も見つかっています。
馬冑(馬用の冑)は和歌山市の「大谷古墳」と埼玉県行田市の「将軍山古墳」出土に次ぐ3例目の大変貴重なものです。
また「金銅製轡引手」は、国宝に指定されている奈良県斑鳩町にある「藤の木古墳」出土のものなど4例しかないそうです。
いづれの出土品も国宝級のものだそうです。
発掘に当たっては、船原方式といわれる方法で行われたそうです。
従来の遺物だけを掘り出す方法ではなく、周りの土ごと掘り出す方法がとられています。
土中に残っているかもしれない残滓をも見つけることを考慮に入れてのことです。
今後この方法は全国の発掘現場に広がりそうだとも言われています。
調査は現在も継続されています。
馬見塚古墳とも呼ばれています。
かっては3基の古墳があったそうですが、今はこの3号墳が残るだけです。
全長40m、 後円部径24m・高さ3.5m、 前方部先端幅18m・高さ2m 二段構築の前方後円墳です。
造り出しはありません。
墳丘の北から東側にのみ周濠があります。
墳丘には葺石が施されていたとみられています。
どんな種類かはっきりしていませんが、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部中央にある埋葬施設は、全長12mの巨石を用いた複室の両袖型横穴式石室です。
石材の表面はベンガラで赤く着色されていたそうです。
倭製変形五獣形鏡や金銅製単龍環頭太刀・刀剣・槍・鏃・馬具・玉類・砥石・須恵器 などが出土しています。
ちなみにこの古墳は、古墳時代後期(6世紀末~7世紀初頭)の径20mの「円墳」だとも言われています。
この古墳が一躍注目されることになる発表がありました。
2013年4月18日、古賀市教育委員会が「この古墳に隣接した埋納坑から、古墳時代後期の金銅製馬具一式がそろって見つかった。」と発表しました。
圃場整備事業の折、この船原3号墳の墓道入口から5m離れた場所で見つかったそうです。
上記写真のテントが張ってある付近です。
埋納坑は 長さ5.2m、幅0.8m、深さ0.7m ほどの細長いものだそうです。
鉄製壺鐙・輪鐙・金銅張の鞍・辻金具・金銅製轡引手・雲珠・杏葉・馬鈴・馬冑・馬甲・蛇行鉄器・鉄製の鋤先や鎌などの農具・馬具の下に敷き詰められていた漆塗りの弓6点以上 などが出土しました。
馬具は少なくとも4組以上埋納されているそうです。
付近からは鉄鏃60点が埋められていた穴も見つかっています。
馬冑(馬用の冑)は和歌山市の「大谷古墳」と埼玉県行田市の「将軍山古墳」出土に次ぐ3例目の大変貴重なものです。
また「金銅製轡引手」は、国宝に指定されている奈良県斑鳩町にある「藤の木古墳」出土のものなど4例しかないそうです。
いづれの出土品も国宝級のものだそうです。
発掘に当たっては、船原方式といわれる方法で行われたそうです。
従来の遺物だけを掘り出す方法ではなく、周りの土ごと掘り出す方法がとられています。
土中に残っているかもしれない残滓をも見つけることを考慮に入れてのことです。
今後この方法は全国の発掘現場に広がりそうだとも言われています。
調査は現在も継続されています。