仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

武士の一分

2019年01月18日 | ムービー
『武士の一分』(2006年/山田洋次監督)を見た。
物語は、「幕末、海坂藩。藩主の毒見役を務める三村新之丞(木村拓哉)は祿高三十石の貧乏侍ながら、妻・加世(檀れい)と慎ましく暮らしていた。早く隠居して道場を開きたいと考える新之丞は毒見役という役目に関心がなく、ため息ばかりついていると加世から言われるほど。ある日、いつも通り毒見を終えた新之丞は身体の異常を訴え・・・」という内容。
藩主の命を狙った一大事とも思われたが、赤つぶ貝の毒による食中毒というのが真相のようで、調理人たちは一切の咎めを受けることはなかった。しかし、この時期に選ぶ食材ではないとの老中の意見があり、広式番の樋口作之助(小林稔侍)が切腹して責任をとることで事件は終息をみる。
職務中に居眠りばかりしている隠居間近の樋口だったが、部下の失態により切腹する羽目になってしまうだなんて、武士の世界とは何て厳しく、不条理なものだったのだろう。
役目とはいえ、貝毒で失明してしまった新之丞も可哀想だ。
家祿の三十石はそのままなのか?
家を出ていかなければならないのか?
今後の処遇についての正式な沙汰があるまで、夫婦はもちろん、使用人の徳平(笹野高史)も不安だったことだろう。
そして、そこにつけこむ海坂藩番頭の島田藤弥(坂東三津五郎)。
こういう最低な人間はいつの時代にもいるのだろう。
さて、これは藤沢周平原作の小説『盲目剣谺返し』が原作で、『たそがれ清兵衛』(2002年)、『隠し剣 鬼の爪』(2004年)に続く山田洋次監督作品。
三作品の中では『たそがれ清兵衛』が一番評価が高いようだが、興行的には本作のほうが成功を納めたようだ。
やはり、海坂藩が舞台の物語は面白い。

隠し剣 鬼の爪

2018年11月20日 | ムービー
『隠し剣 鬼の爪』(2004年/山田洋次監督)を見た。
物語は、「東北の小藩・海坂藩の平侍・片桐宗蔵(永瀬正敏)は、母・吟(倍賞千恵子)、妹・志乃(田畑智子)と貧しくはあるが笑顔の絶えない日々を送っていた。しかし、母が亡くなり、志乃は親友・島田左門(吉岡秀隆)のところへ嫁いでいった。16歳の時から妹のように可愛がっていた女中のきえ(松たか子)も商家に嫁ぎ、家の中は火が消えたように静かになった。三年後、降りしきる雪の中、町で偶然見掛けたきえに声を掛けた片桐は、まるで病人のように痩せた様子が気になった。"きえは幸せだか?旦那さんは大事にしてくれているか?"と聞くと、きえは涙を流したのだ。母の三回忌の法事を執り行った日、きえが嫁ぎ先の伊勢屋で酷い扱いを受けて寝込んでいることを知った片桐は・・・」という内容。
島田と一緒にきえの嫁ぎ先・油問屋の伊勢屋を訪ねた片桐は、陽の当たらない階段下の板の間に寝かされているきえを見て愕然とし、亭主に離縁状を書いておけと言って、きえを連れて帰った。
「寝てばかりいて何の役にも立たない嫁だ」と言い捨てるこの伊勢屋の姑(光本幸子)がただ者じゃない。
ちゃんと出入りの医者にみせていると言ってはいたが、島田家の取引先の番頭の話では、二ヶ月寝込んでいるがお金惜しさから医者にはみせてなく、実家の父親が見舞いに行っても我が家の嫁だからと門前払いだったとのことらしい。
奉公人に対して厳しい言葉で話しているようにも聞こえていたが、外面は立派でもその人間性は最悪のようだった。
この時代は幕末で、海坂藩には江戸から砲術の教官(松田洋治)が赴任してきていたが、海坂藩が主力としている火縄銃はすでに時代遅れ。
最新式のアームストロング砲一門と火縄銃500丁が同等の値段らしいが、時代遅れなのは武器だけではなくて、考え方も時代に着いて行けてない様子だった。
文久元(1861)年、海坂藩江戸屋敷で謀反が発覚し、幕府に知られるのを恐れた藩は関係者を隠密裏に処分したのだが、この藩の指揮を取った家老・堀将監(緒形拳)が、これまた酷い奴。
大目付・甲田(小林稔侍)と一緒に、謀反人の一人、狭間弥市郎(小澤征悦)と親交が深かった藩士の氏名を明かすように迫り、「仲間を密告するなんてことは侍のすることではない」と断ると、「平侍のくせに生意気な口をきくな。わしを一体誰だと思ってるんだ」と、殴る蹴るだ。
ただ、片桐と狭間は藩の剣術指南役・戸田寛斎(田中泯)の門下生ではあったものの、それほど気が合う関係には見えなかったから、氏名を明かすなど無理だったのではないだろうと思えた。
藤沢周平作原作の"海坂藩もの"の映像作品は、切ない物語がほとんどだが、映し出される風景は綺麗だし、時代考証もしっかりしている気がして面白い。

たそがれ清兵衛

2018年11月15日 | ムービー
『たそがれ清兵衛』(2002年/山田洋次監督)を見た。
物語は、「幕末。東北の庄内地方にある七万石の小藩・海坂藩。御蔵役を務める井口清兵衛(真田広之)は、夕刻の終業の太鼓を聞くと同僚の酒の誘いも断り、真っ直ぐ自宅に帰ることから、影で"たそがれ清兵衛"と呼ばれていた。帰宅後は、認知症を抱える老母・きぬ(草村礼子)と幼い二人の娘・萱野(伊藤未希)、以登(橋口恵莉奈)の世話、そして労咳で死んだ妻の薬代や葬儀などで嵩んだ借金を返済するため、家事と内職にいそしんでいたからだった。日々の暮らしに追われる貧乏生活で身なりが薄汚れていく清兵衛だったが・・・」という内容。
着ている物は綻びや穴だらけで、風呂にも入らず臭いも酷い。
そんな様子を憂いた上司・久坂長兵衛(小林稔侍)に、清兵衛の同僚・矢崎(赤塚真人)が「清兵衛の祿高は五十石だが、お借り米を引かれて手取りは三十石。内職しに嫁に行くような所に後妻など来ない」と説明する。
それでも縁談を勧めようとする本家の井口藤左衛門(丹波哲郎)に、「この暮らしは、考えられているほど惨めだとは考えていない。二人の娘が日々育っていく様子を見るのは実に楽しい」と言う清兵衛。
夜、行灯の明かりと囲炉裏の火を頼りに鳥かごを作る内職をしながら娘達と本音で話す様子は、ほのぼのとして楽しそうに見えた。
いずれ天下が変わると言う飯沼倫之丞(吹越満)に、御所警護の人手が足りないから京都へ行こうと誘われても、天下が変わった時は侍をやめて百姓になると答えた清兵衛。
まるで欲がない男で、それが、飯沼の妹・朋江(宮沢りえ)とのせっかくの話を上手く進めることができなかった理由でもあったのだが、飯沼家は四百石、朋江が嫁いでいた甲田豊太郎(大杉漣)の家は千二百石。
その辺りの一連のエピソードも含め、どうにも切ない物語だった。

太秦ライムライト

2018年10月06日 | ムービー
『太秦ライムライト』(2014年/落合賢監督)を見た。
物語は、「"日本のハリウッド"と呼ばれていた京都・太秦(うずまさ)。日映撮影所に所属する香美山清一(福本清三)は、斬られ役一筋のベテラン大部屋俳優で、ひたむきに稽古に励むその姿勢は、俳優仲間や撮影所の長沼兼一課長(本田博太郎)らからの厚い信頼を得ていた。しかし近年、時代劇の撮影が減少し、ついには時代劇スター尾上清十郎(松方弘樹)が主演するテレビ時代劇"江戸桜風雲録"まで打ち切られることになってしまった。その後も斬られ役の仕事はどんどんとなくなっていき・・・」という内容。
いくら優れた演技力があったり、殺陣の素晴らしい技術があったとしても、撮影が無いのであれば俳優さん達はどうしようもない。
しかも、かつて時代劇俳優をしていた身ながら、昔ながらの時代劇を毛嫌いしている川島(合田雅吏)のようなプロデューサーが会社の経営にも関わる状況では、事態の好転は見込めない。
質の高い作品作りにこだわっている人のようにはまったく見えなかったが、「それでは、あなたがスポンサーを説得してきてください」などと、よく言ったものだ。
刑事ドラマの仕事が入ったものの、監督の和田(市瀬秀和)との間にトラブルが起き、撮影現場から干されてしまうし、背に腹は代えられぬと、映画パークのチャンバラショーに出演するも、仕事に見切りをつけた後輩・松本雄策(柴田善行)が役者をやめたり、若手が新境地を求めて東京に移籍したりと、香美山にも大部屋俳優達にも明るい未来というものが見えてこない展開はどうにも切ない。
(-_-;)
香美山を殺陣の師匠と慕ってくれる新人女優・伊賀さつき(山本千尋)が、"新感覚時代劇ODANOBU"に主演しているアイドル工藤淳(尚玄)の下心のおかげもあってチャンスを得られたことが唯一といってもよい明るい話題で、自身が先代・尾上清十郎(小林稔侍)から贈られた思い出の木刀を彼女に託すほどだった。
これは、斬られ役俳優福本清三氏が、55年間の俳優人生で初の主演作となった作品だそうで、劇中、香美山が尾上清十郎にかけられた台詞は、自身が実際に俳優・萬屋錦之介(1932年~1997年)にかけられた言葉なのだそうである。
そこそこ面白い物語ではあったのだが、予告編の内容がそのまま100分になってるだけにしか思えなくて、それが少し残念に思えたのだった。

鉄道員(ぽっぽや)

2014年04月11日 | ムービー
『鉄道員(ぽっぽや)』(1999年/降旗康男監督)を見た。
物語は、「美寄駅から分岐して敷設されているローカル線・幌舞線。その終着・幌舞駅で駅長として勤務している佐藤乙松(高倉健)は数ヵ月後に定年退職を控えており、これまで何よりも職務を優先させてきた彼は生後2ヶ月で死んでしまった一人娘や長年連れ添った妻(大竹しのぶ)の最期を看取ることができなかったことを悔いていた。また、すでに再就職先が内定している友人の杉浦仙次(小林稔侍)美寄駅長からこれからも一緒に働こうと誘われているものの、どうにもその気になれずにもいたのだった。そんな時、見慣れない女の子が乙松の前に現れ、"見たことがある人形だ"と不思議な思いをする。そして、JR北海道本社勤務の杉浦秀男(吉岡秀隆)からは幌舞線の廃線の予定が早まったことを告げられるのだが・・・」という内容。
"定年退職"、"ローカル線の廃線"といった身近にありがちな少し寂しい出来事が話の中心になってはいるのだが、"幌舞駅"という舞台も架空だし、物語全体としてもこれは紛れもなく"ファンタジー"である。
(^_^)
それならもっと楽しい物語にしてほしいところではあるのだが、寂れた町の廃止になる鉄道路線の定年退職する男達が、閉山する前の賑やかだった頃に死んでしまった人達のこと等を回想しているのだから、それは無理な話か。
(^_^;)
秀男からの廃線を予告する電話を切ったあと、投げ捨てるように帽子を机に置く乙松だったが、少しして帽子をきちんとかぶり直す。
何か『武士の家計簿』(2010年/森田芳光監督)と通じるような世界で、それは人生のすべてをその職業に捧げてきた男の性(さが)であり、それ故、退職後にリゾートホテルの仕事というまったくの別世界で生きていくことへの抵抗があったのだろう。
大竹しのぶの演技はやはり素晴らしい。
妙にうつむいて相手と目を合わせない、あの感じは見事だ。
たった2ヶ月で死んでしまった娘・雪子(広末涼子)の姿だと気がつき、彼女を何のためらいもなく"ゆっこ"と呼ぶ乙松。
彼のそういう思いがこの数日の不思議な体験を生んだのだろう。