むらいむらいとです。 

「らいむらいと」「CARO」所属 お嬢の 日々反省日記。

8月10日 五反田 ロッキー

2019年09月16日 23時08分37秒 | 舞台日記
8月10日、いつもの五反田で恒例のCAROとうたおう!でした。
暑い中お越しいただきました皆さま どうもありがとうございます。

この日も我々 お昼から渋谷のスタジオでレコーディング続行してからの会場入りとなった。
全部で11曲、長かったレコーディングがこの日で一旦終了した。気になる部分いくつか修正したり、重ねるコーラスパート少し増やしたり。ちょくちょくその後スタジオに入ったりもしたが。とにかくこの日 我々2人の音がほぼ出揃った。
「ようやく形になった」という喜びで、いくらかリラックスした気持ちで五反田へと向かう事ができたような気がします。


<一部>
1. 一人で行くさ
2. 時の魔法
3. 蝶が飛ぶ日
4. たんぽぽ
5. 鳥のように
6. 君の肖像
7. ロマンス
8. 木馬
9. 愛のない世界
10. 散歩

<二部>
1. 蒼いハイウェイ
2. 君の誕生日
3. 恋はもうたくさん
4. 水車は唄うけど
5. 地球はメリー・ゴーランド
6. ロージー
7. GOOD VIBRATION
8. 風にのって
9. 吟遊詩人
10. 暗い部屋

本番数日前、モッキーから「8月10日は山口冨士夫さんのお誕生日みたいですよ。何か関連する曲やりませんか?」と連絡があり。
この日 ザ・ダイナマイツの 恋はもうたくさん を急遽演奏しました。
マークさんもGS好きで、本編から脱線して たまに3人でGSメドレーやり始める事もあったくらいだから。そう言えば 賀句さんもピーコック・ベイビーズで 恋はもうたくさん よく演奏されていた。今回モッキーと2人 心込めてうたいました。
しかし自分にとって山口冨士夫の存在というと、やはり村八分が大きい。
20代前半の頃、日本の本物の不良ロックグループといったら。みたいな感じで村八分の存在をひとから教えられた時。また雑誌等で村八分に関する記事や写真を目にした時。心臓がばくばくと速くなり、いてもたってもいられず。もう、、その衝撃たるや!!
いまでこそ 街に一歩出たら 色とりどりの髪の色の若い男性、長い髪の男性そこらじゅうに歩いていて それがおかしくもないし 特に煙たがられたりする事も まずないけど。
ビートルズのマッシュルームカットを なんだあの長髪?あれは不良だ!などと大人達から罵られた時代の わずか数年後ですよ。日本において 腰まで髪を伸ばし、眉を全部剃り落とし、女物のブラウス着て 紅塗ってバンドしてる人たちが存在したという事実に もう何とも言えぬ衝撃を受けた。
当時VIVIDから出ていた村八分のライブ盤、山口冨士夫のひまつぶし。あと1971年のスタジオ録音盤の草臥れて を早速購入し、その音にもまた更なる衝撃を受けるのだった。
GAROと村八分、実は結成された時期というのがちょうど近くて。GAROに関して言えば、一般には 学生街の喫茶店 で一躍有名になった 所謂当時大流行したフォークソング・グループのひとつ と捉えられる事が多いと思うが。

↑ GAROがロック・フェスティバルに参加し、村八分と共演する事もしばしばあったようだ。
GARO 3人の人前での初演奏、フラワー・トラべリン・バンドのカナダ進出壮行コンサートにおける休憩時間 会場のロビーにおいて突発的によるものだった。というのは有名な話ですし。
自分の中で 村八分の くたびれて、GAROの たんぽぽ というのは 何か共通する部分があって。洋楽に影響を受けたひとたちによるメロディ、そこに非常に美しい響きの日本語が被さった とてつもなくオリジナリティ溢れる 日本人ならではのとんでもなく素晴らしい曲だと・・つまり思うのです。
今回、山口冨士夫さんのお誕生日に こういった事思い巡らせた。


モッキーがこの猛暑の中 づら被って帽子のっけてGAROリスペクト部分凄くがんばってくれているので、あたしもまた懐かしいブラウスをクローゼットから引っ張り出して 着た。
らいむらいとではバンドのイメージに合わせ 衣装もどす黒い感じにしているので もう奥にしまい込んでしまっていたのだが、こうしてCAROの時に着てあげる機会ができてよかった。
そして今回。あたくしが頑に長い髪を切らないのは、GAROや村八分。あの時代の日本の音楽に衝撃を受けたのが 自分の人生においてあまりに大きな出来事だったからなのだ。と 改めて思いました。
時代遅れと言われようが、不潔と言われようが、こうなったらもう 髪切らないでいよう。
コメント
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