◇『ヘッドライン』
著者:今野 敏 2013.4 集英社 刊(集英社文庫)
今野敏「スクープシリーズ」第2弾。
警視庁刑事部捜査第一課特命捜査第二係所属の巡査部長黒田裕介が主役の一人。
捜査第二係は未解決事件継続捜査が仕事である。
東都放送 (TBN)夜11時のニュース番組『ニュースイレブン』のデスク鳩村昭夫。
メインキャスターの鳥飼行雄、女性キャスターの加山恵理子、社会部の遊軍記者で
現在はこのニュース番組の専属記者として動いている布施京一。これが主要登場人
物であり、ここにサブとして東都新聞記者持田豊、黒田の相棒谷口などがいるが、
主役と言えばTBN遊軍記者の布施とその上司である鳩村、そして警視庁の黒田刑事
である。
スクープシリーズとあるようにTV局でも新聞でも抜きつ抜かれつの争いがあり、
これが小説の種になる。
どこかに抜かれないように常に如何に独自性のあるニースを打ち出すかが競争で
あり、不思議と布施は独特のひらめきや独自の交友関係から新鮮なニュースを掘り
出してくる。
一方黒田は未解決事件の一つ、美容学院生惨殺事件の手掛かり難からTBNの布施
が何かつかんでいるらしいとの聞き込みから飲み屋「たち吉」で危うい取引ながら
も互いに情報を交換し合う約束をする。
布施の情報源であるディスコや危うい感じの外人クラブなどにも連れていかれ、
米国CIA エージェントに紹介されたりもしたが、何となく薬物売買、カルト教団と
の関わりが濃厚となってきて、証拠固めも見えてくる。
TV ニュースでは映像が命とばかりに布施は家庭用ビデオを活用したりして独自
のニュース種で番組を盛り上げる。立場上鳩村は布施を指導しなければと思いなが
らも布施の独自路線の貴重さを認めざるを得ず、結局スクープ番組を成功させる。
今野敏の新しい視線による作品群を切り開いた作品である。(だがこのシリーズは
5作と短命に終わった)
(以上この項終わり)
◇『心淋し川』
著者:西條 奈加 2020.9 集英社 刊
時代小説、現代小説なんでもいござれという話題の女性小説家の一人
西條奈加の作品。第164回直木賞受賞作で、小説すばる連載の作品を単
行本化した連作短編集。
はじめてお目にかかったが、筋の運びといい人物造形といい堂に入っ
ているし何よりも人情の機微を巧みに映し出している。
江戸は根津権現近くの窪地に長屋風に固まったその日暮らしの貧乏所
帯が屯する六兵衛長屋。心町と書いてうらまちと呼ぶ。そこを流れるど
ぶのような川が「心淋し川(うらさびしがわ)」である。
ここで生まれここで育ったちほ。早くこの薄汚れたどぶ川沿いの長屋
から逃れたい。付き合っている紋染職人の元七に二人の行く末を問いた
だしたら親方に京都の職人に弟子入りし腕を上げて帰って来いとわれた
と…。本人も修行してきたいということでまたも夢は潰えた(心淋し川)。
醜女ばかりが4人も寄り集まっている。いずれも六兵衛旦那の妾であ
る。醜女が好みという六兵衛も変わっているが、同じ家に住まわせると
いうのは質が良くない。しかし4人は喧嘩はしてもなんとか助け合って
暮らしている。
そんなある日最年長のりきが旦那の風呂敷包みから見つけた張形。い
たずら心から小刀で仏像を彫ってみる。後で旦那は行きつけのヤッチャ
場の世話役衆にうっかり見つかったが趣向の意外性を面白がり、人気を
博したという。りきは亡くなった祖母の面影を映しただけだったのだが
…。
旦那の六兵衛が亡くなった。路頭に迷うはずの4人の女はりきの仏像
のおかげでこの長屋に居続けることができた(閨仏)。
料理人だった余吾蔵は兄貴分の稲八が病を得て亡くなり四文屋という
飯屋を引き継いだ。六兵衛長屋の連中が辞めないで続けてくれというか
らだ。
食材の仕入れに立ち寄る根津権現の境内で「はじめましょ」という尻
とり歌を口ずさむ女児ゆかに出逢う。余吾蔵は昔身ごもったからといっ
て女を捨てたことがある。るいと言った。そのるいが良く歌っていた
「はじめましょ」の尻取り歌。もしや、と思って母親に会ってみたら案
の定自分が捨てたるいだった。ではゆかは二人の子なのか。昔のことは
謝って、三人で出直せないかと思ったのだが、るいが言うには二人の子
は生まれてすぐに亡くなり、ゆかは寺に捨てられていた子だという(は
じめましょ)。
大店薬種商「高鶴屋」の内儀だった吉は落魄の身で今は六兵衛長屋の
住人である。一緒に住む一人息子の富士之助は半身不随、意のままにな
らない不満を母親にぶつけ喚いてばかりの毎日である。
富士之助は我儘に育てられたため辛抱がきかない。油問屋山崎屋の娘
江季を見染め結婚する。吉はこれまで通り身支度から食事まで世話を焼
こうとするが嫁の江季はこれを嫌い別居。吉は生き甲斐を奪われる。
ほどなく高鶴屋は主人が亡くなる。富士之助は遊び癖がおさまらない。
盛り場で侍と諍いを起こした富士之助は半身不随の大怪我をしてしまっ
た。
店の凋落が始まる。まだ若い身だからと江季を離縁し実家に帰した吉
はやっと息子を独り占めにできた。息子の我儘に振り回される哀れな母
親ではなく、憑かれたように我が子に執着する姿があった(冬虫夏草)。
人の一生は生まれ落ちたその時から決まっている。ようはそう思って
いる。
根津遊郭の葛葉という元娼妓のようは見目が良くない上に気性が荒く、
口が悪いため人気は良くなかった。しかしこうした、裏表のない威勢の
良さを買ってくれるひいき筋の旦那もいて、出雲屋の隠居は葛葉を落籍
し六兵衛長屋を世話してくれた上に、「好きな人がいたら」と言ってく
れて瓦職人の稲八と一緒になることができた 。
ある日外出したようは、つわりのせいで立ち眩みせいで道端にうずく
まっていたところやさしい見目のいい女がいたわってくれた。かつての
同僚で廓で一番の明里姐さんだった。観音と言われるほどやさしい人気
者だった。明里は近くの小料理屋にようを誘い昔話に興じた。その折り
二人が妊娠していることが明らかになり、明里の腹の子の父親は旦那で
はなく旦那の札差の手代だという。隠れて会っていたのだった。
その後しばらくたったある日差配の茂十が読売の話として明里の心中
事件を伝えた。客と虚構の時間を過ごす廓で、自分を偽って生きてきた
明里が最後にほんとの自分を世間に訴えたのだと思った(明けぬ里)。
差配の茂十はかつて息子の修之進が夜盗の地虫と出会い捕り物紛いの
争いになった時に地虫の手下の一人に斬り殺された。その折りに首領の
地虫の顔を見た。その地虫が六兵衛長屋近くに住んでいることを確かめ、
友人の錦介発案で六兵衛長屋の差配に滑り込み、地虫を監視し続けた。
それから18年になる。優しい差配とみられるよう根津権現わきの小屋
に住まわせ食事の面倒も見てきた。四文屋の稲次が手下らしいというこ
とも分かった。周囲に楡爺と呼ばれ、なんの懸念も持たれず過ごしてい
る楡爺に対して茂十は次第許すような気持になる。悪行を尽くし燃え尽
きた男の残骸の姿を見る思いで楡爺を見る。
ある雪の朝、楡爺は発作を起こし逝く。いまわの際に「斎助」と叫ん
だ。あの時修之進と切り結んで死んだのは楡爺の息子だったのか。息子
を失った哀れな二人の男が互いに胸を重ねて泣いていた(灰の男)。
(以上この項終わり)
◇『琥珀の夏』
著者:辻村深月 2021.6 文芸春秋社 刊
本書の主人公近藤法子は41歳弁護士、学生結婚で同業の夫瑛士と3歳の娘藍子がいる。
法子が小5のころから3年間「ミライの学校」という任意団体主宰の「学び舎」というところに体験
合宿したことがある。この期間親から離れ合宿し、子供主体で生活と学びをすすめ、主体性と創
造性を身につけるというのである。法子は同級生のユイの母親の誘いで静岡の学び舎の体験合
宿に参加した。そこで法子はミカやヒサ、チトセ、エリカ、アミなど多くの子供と知り合った。
本書の第5章までは法子の合宿体験の記憶の回想であり、本筋の伏線でもある。
「ミライの学校」という宗教法人まがいの団体の運営する「学び舎」は、その後副業として天然水
の販売事業行っていたが、会員が殺菌なしの水を友人に回し食中毒らしい症状が出て摘発され
担当支部の静岡班は閉鎖された。
さらにその15年後、学び舎のあった広場から女児と思われる白骨遺体が発見され俄然改めて
世間の注目を浴びることとなった。
ある日法子は吉住孝信と清子という老夫婦から自分の娘圭織の白骨ではないだろうかと「ミライ
の学校」相手に調べてほしいとの依頼を受ける。娘は会いたくないと言っているがせめて孫を探し
会いたいという。
合宿体験の形ながら、係わりがある法子は忸怩たる気持ちを抱えながら「ミライの学校」東京事
務局置訪れる。そこに現れた事務局長田中由佳は幼いころの記憶とは異なった無表情だが、か
つての友達ユカだった。
そのユカは、木で鼻をくくったような応対ながら圭織を探してみることは約束した。
その後白骨の主は法子の合宿当時意地悪な存在として記憶されている井川久乃と判明した。
会の代表は事故死で会の集荷所広場に埋葬したと認めた。一方当時と諍いをしていたという田
中由佳には責任はないと言っているが、当人は「自分が殺した」と言っ張っているという。
当時学び舎の会員の子供であったシゲル君が訪ねてきた。田中由佳の弁護を頼むという。
今は会を抜けているというシゲルは由佳と結婚し子供が二人いるという。かつて法子が憧れて
いたシゲルの今は法子にはショックだったが、結局夫瑛士の勧めもあって悩んだ末に弁護を引
き受けることにする。
最終章。ミカ(田中美夏)の回想と法子との対峙。
法子は合宿当時の記憶と感情のはざまで揺れながらも、弁護人の責務として多くの関係者
から聞き取りをした調査結果などで指摘しながらユカに事実を明らかにするよう迫る。当時の優
しかったユカの記憶が脳裏に浮かぶ。琥珀の裡に眠っていた昆虫のように子供の頃の純粋な
友情の記憶が去来し、しばしば涙しながらユカの心を揺り動かす。
事実を明らかにしない限りことは収まらないと真摯に対峙する法子 に対しユカも次第に心を
開き、ことの真相を明かしていく。
美佳はずっと両親の元にいたかった。しかし二人は保育所を経営し働く女性に感謝されて
いた存在だったが「ミライの学校」の理念に感動し、美夏を”学び舎”に入れた。年に一回正月
にだけ親の元に帰れる決まりだった。
井川久乃は学び舎と合宿での活動に常に波風を起こす存在だった。大人の教師たちが研修
で留守になった日も単独行動をし、あまつさえ教師のロッカーをあさり、金銭や卑猥な雑誌など
を抜き出し、みんなに公開するなどと言い張り、真面目で責任感の強い美佳を挑発した。
怒り狂った美佳は無理やり久乃を「」自習室」に閉じ込めた。そして翌日部屋に食事を運んで
行った美夏は久乃の死んだ姿を発見したのである。
美夏校長のところに駆けつけ全てを報告したが、校長は「美佳は悪くない」、「大丈夫私に任せ
なさい」というだけで、結局遺体も集会所広場に埋められて事件は隠蔽されてしまった。
夜中に二人だけで泉に行って心を通わせ友達を誓った夜のひと時が美夏の脳裏に浮かぶ。頑
なだった美夏の心はひび割れて、ついにノリコに真実を告げる。事故なのか自殺なのかは私は
知らない。でも私が久乃ちゃんを殺してしまった。久乃ちゃんに詫びたい、償いたい。これが真実。
だが事実関係からしたら「私は殺していない」。
裁判の結果美夏に係る「殺人に対する損害賠償・慰謝料請求訴訟」は請求を棄却するとの判
決が下った。<未来の学校>に対する「過失致死」と「隠蔽」による損害賠償と慰謝料請求訴訟の
裁判は別途行われる。
この小説は一見20年前にあった「サリン事件」のような宗教団体が引き起こした事件をテーマ
にした小説のようではあるが、実はまだ成長途次にある幼少期の少女たちの心の裡を丁寧になぞ
り、理性優先でもっともらしく物事を決めようとする大人の行動規範を指弾する小説と言ってよい。
最後に、久乃に対する償いの呪縛から解放された美夏が滋と二人の子供と一緒に新たらしい生
活に向かっていく姿が描かれ、救われた思いがするのである。
(以上この項終わり)
◇『闇の処刑人』
著者:森村誠一 2006.7 中央公論新社 刊 (中公文庫)
江戸時代後期、処刑請負人あるいは必殺仕事人の事件控である。TV化もされた
らしいが私は観ていない。
主人公は主君に理不尽にも切腹を命じられ、上使を斬り脱藩した浪人松葉刑部。
腕を見込まれて仕官を勧められたりするが、掟にがんじがらめの武士より自由気
ままに仕事を選べるいまの刺客
仕事は賭場の主徳松の仲介で回ってくる。必ずしも依頼人の素性や依頼の事情
を聞いて請け負うか否かを決めているわけではない。警察用語でいうところのマ
ル対の素性を聞いて不審事情を推測することもあるが、処刑相手が必ずしも罪び
ととは限らない。善悪が逆の場合もあるのである。そこが小説の素材になるので
ある。
<闇の意地>
極端な例は依頼人と処刑対象者双方から処刑依頼が出た事案。奇妙な事例なの
で背景を調べざるを得なくなった。世嗣を巡る藩内の権力争いと分かった。国元
家老と江戸家老の争いである。
徳松と刑部は二人の請負仕事をコケにされた仕返しに国元家老に身代金五百両を
払わせる。
<無念腹異聞>
切腹の介錯を依頼されることもある。
某藩から切腹介錯人の依頼があった。謝礼は二十両。悪くない仕事で刑部はこ
れを受ける。
しかし切腹の段に至り切腹人の藤崎長十郎から「この切腹は無念腹(処刑人似
たする不服の表明)でござる」と告げられる。見事十字腹を切った藤崎の介錯は
終えたものの釈然としない刑部は徳松に藤崎の切腹の裏事情を探らせる。
徳松の調べによると、どうやら家老の酒井右京が家臣の藤崎の許婚者に横恋慕
し、主君の命を騙り藩主の側女として上がるよう命じたが、藤崎はこれを拒み上
意をもって切腹を命じられたのが真相らしい。兵部は謝礼の二十両をもって香典
として藤崎長十郎の妹を訪ねる。妹はこれに三十両を加えて、兄の仇を打っても
らいたいという。
刑部は妾宅に通う右京を襲い切腹を強いる。金や仕官をもって命乞いをする右
京の首を刎ね「ご介錯、滞りなく終えてござる」と嘯く。
<未熟な葬列>
子供がマル対というのはあまりない。今度の徳松の口入れした対象は幸之助と
いう子供。原因は子供のいじめである。
子供相手は気が進まないが、依頼人料は手付十両、成功報酬が二十両である。
いじめの極めが葬式ごっこだった。頭の良い平太という子を悪ガキの大将幸之
助が手下を使って「即身成仏」だなどと言って平太を生き埋めにする。さすがに
途中で止めたが埋められっ子は父に訴えて迷惑をかけるわけにはいかないという
気持ちと屈辱のため首を縊って死んだ。
平太の父親喜八は土地の地上げ屋の脅しに遭っており、その一味に幸之助の親
の金兵衛がいて、後ろには小田切道場という用心棒集団がいることが分かった。
喜八の土地を狙っているのは若狭屋という豪商。小商人の喜八は金を工面し幸之
助の仕置きを依頼してきたのである。
刑部と徳松は一計を案じ若狭屋の傭兵小田切道場の主をおびき出す。
<外道の債務>
またもが子供を切って欲しいという依頼が入った。しかも依頼人は幕府大御番
頭矢島治太夫でターゲットは将軍家宣のお部屋様お清の方が産んだ第二子鍋松君
という。
当代将軍家宣の正室は近衛関白太政大臣の姫であるが子がない。家宣が甲府宰
相だったころ奉公に上がったお清が見染められ男子を出産した。これが第一子の
竹松君。第二子の鍋松君は将来のお家騒動を恐れるお側用人真部詮房の進言でお
清の兄勝田帯刀の養子に出された。
依頼料は刑部に300両。徳松の斡旋料を入れたら500両になる。これまで
にない始末料である。
それにしても鍋松君をお清の方の養父である矢島治太夫がなぜ殺そうとするの
か。
そんな中徳松が「また新たな頼みが入りやした」と言ってきた。しかも大奥が
らみで今度も矢島治太夫が依頼人ということでさっぱり分からない。基本女と子
供はやらない主義の刑部もこの奇怪な依頼案件の背景に興味が出て、徳松に調べ
させる。
大奥では、お清の方と張り合っている側室に、先の側用人柳澤吉保を後ろ盾に
するお須磨の方というお部屋さまがいて、大五郎という男子を産んだ。大五郎は
後嗣の第2順位である。竹松君の次を狙うと鍋松君が邪魔になる。さては矢島の
名を騙って柳澤が依頼を出したのではないか。
大奥ではお清の方と真部はかねてより深い仲で、竹松君は真部の子ではないか
と噂されているという。さては五百両で将軍家を乗っ取ろうとしているのかと刑
部は義憤を憶える。
刑部は西の丸にいる竹松君はともかく鍋松が危ないと踏んで勝田帯刀家を監視
していると案の定鍋松を狙う一味が帯刀を襲った。槍の使い手であった帯刀も手
古摺る相手だったが、刑部の助勢で何とか撃退する。曲者の一人に見覚えがあっ
て松の廊下事件の吉良家再興を願う残うことができた。
当時浅野家の処遇で新井白石と間部は浅野家を許すことにしていたが、荻生徂
徠と柳澤は厳罰を主張した。この間部、柳澤の対立が尾を引いているとなると
刑部らの手に負えない。そこで刑部は浅野家にあって後詰めとして討ち入りから
外れていた毛利小平太、高田軍兵衛に声をかけて応援を頼んだ。
桂昌院墓参の後芝居見物を楽しんだお須磨の方と大五郎は暴漢(吉良家の遺臣)
に襲われる。あらかじめ襲撃を予想していた刑部らは無事に鍋松、大五郎のみを
守ることができた。
しかしこの件で請負料は入らなかった。
事件の後間もなく竹松君と大五郎が相次いではしかで命を落とし、鍋松が西の
丸に移ることになった。
その後在位三年で家宣は亡くなり鍋松君は将軍職を継ぎ名を家継と改めた。
他に<看板守り人>、<妖猫譜>。
<以上この項終わり>
◇ 『怪物』
著者:東山彰良 2022.1 新潮社 刊
2015年直木賞を得た『流』の続編ともいうべき作品。
作者はまえがきともいうべきページでこの物語は私の夢である。夢の中で掴
んだ真実をこの物語に織り込んだ。読者はこれからいわばネタバレ小説を読ま
されるというのである。
前作『流』では作者である自分と従兄(王誠毅)と二叔父さん(王康平)の物語
だった。本書でもその内容が10年前に作者が書いた『怪物』作品の土台として
登場する。当時『流』で語り手であった青年(わたし=薄秋生)は10年後には
47歳の作家大先生(柏山康平)である。
『怪物』が英訳され国際文学賞最終候補に残ったことから、柏山康平先生は台湾
に招かれてサイン会に臨むが、担当編集者の植草に煽られて『怪物』の改訂に取
り掛かろうと意気込む。
柏山康平はサイン会で通訳担当の椎葉リサと妙に共振し合い男女の仲になる。
リサは人妻だった。
『怪物』の主人公二叔父の人生は殆ど彼自身の語りに依存していたが、果たし
て彼の自殺は本当だったのか。真相解明に向けて従兄の王誠毅や二叔父(作中鹿
康平)と一緒に台湾空軍偵察機に乗っていたという藤崎徹治の娘琴里の登場、藤
崎との面談など関係者の証言によって徐々に事の真相が明らかになってくる。こ
うして読者は柏山康平先生の夢の中に引きずり込まれ真実らしい物語に出会うこ
とになる。
作中毛沢東の愚かな大躍進政策下で農作を捨て鉄作りに追い立てられる人民の
悲惨な姿や撃墜された偵察機から九死に一生を得た二叔父の逃避行の過程が圧巻
である。鹿康平はどうやって民兵軍団の首魁蘇大方に取り入ったのか。
二叔父さんは蘇大方の200人爆殺という謀略をぶちこわし蘇も撃ち殺した。
こうして香港経由台湾への帰国を果たすという、二叔父の名誉回復ともいうべき
筋で『怪物』の改訂版、文庫版化がまとまった。
柏山先生はロンドン空港で偶然刑務所から出所したリサの元夫西峰と出会う。
出所後西峰とリサは離婚し、彼女はニュージランドで再婚し子供も生まれたとい
うことだった。
日本への航空機内でリサに夢を見た。彼女は自由を求め空を舞っていた。夢か
ら覚めたとき彼の頬を涙が伝わっていた。
(以上この項終わり)