【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

簡易水洗/『水洗トイレの産業史』

2008-09-30 18:44:26 | Weblog
 田舎に住んでいた時に、そこのトイレは当然くみ取りでした。ところがある日、大家さんが「簡易水洗にするから」で便器が西洋式に変わりました。昔の国鉄の列車のトイレのような、水が極端に少なくても流れるタイプのようです。それはそうです。下水道につながっていないのですから、大量に水を流したらすぐにタンクが一杯になってしまいます。
 これでトイレライフはずいぶん快適になったのですが、困ったことも。くみ取りの場合は「そろそろだな」が上から見てわかります。ところが水洗になると、中が見えないのです。メーターなんかもついていません。適当に見当をつけて業者にくみ取りを頼んでいましたが、ずぼらな人だったら大変なことが起きるんじゃないかしら。

【ただいま読書中】
水洗トイレの産業史 ──20世紀日本の見えざるイノベーション』前田裕子 著、 名古屋大学出版会、2008年、4600円(税別)

 近代的な水洗トイレは19世紀後半のイギリスで急速に発達しました。1851年ロンドン万国博には「時代の先端技術」として多数の水洗便所が出品されました。そのキモは「配管」です。欧米では「給排水システム」として水洗トイレは捉えられ、したがって便器は「配管」の末端器具でした(だから初期には便器が金属製、がふつうでした)。日本では便器は衛生陶器として把握されています。
 欧米での水洗トイレはまずイギリスで普及しました。本書では「ピューリタンのイデオロギーのせいかもしれない」と述べています。ただ、同じピューリタンの国だったはずのアメリカは「不潔な国」で、19世紀に「清潔」が発見されてから一挙に国全体が清潔志向となっています。
 日本では屎尿は「資源」でした。日本の衛生状態を改善するのだ、とはりきってやって来た外国人もそれを大きく変えることはしませんでした。変えたのは日本人自身です。化学肥料の普及と都市化によってトイレの改善が必要になったのです。ただし、水洗トイレは下水と一体化したものであり、その普及はなかなか進みませんでした。1930年に「汚物掃除法」によって屎尿処理は自治体の義務となりましたが、1939の東京死でさえ水洗トイレの普及率は20%です(それも下水がある地域で)。他の地方都市でも事情は似ていましたが、理由は金です。くみ取り料金は安いのに、水洗にしたら、改造費がべらぼうにかかる上に水道代と下水使用料とが発生するのです。例外は岐阜市で、1937年に水洗トイレ普及率が98%でした。

 「産業史」とありますから、企業の話もたっぷり出てきます。主な主人公は森村・大倉企業グループ。
 東陶が経営再建を行い、第2号窯の火入れ式の当日に関東大震災が襲ったエピソードは、なんとも、です。経営者は内需の冷え込みを懸念しますが実際には需要が拡大しました。ただし、最初のまとまった注文は骨壺です。それに続いて、食器・衛生陶器の復興特需がやってきます。東京市は罹災した多数の小学校の再建に際して水洗トイレを義務づけます。再建あるいは新築のビルの多くも水洗トイレを設置しました。
 東陶が面白いのは、衛生陶器メーカーだったはずが「付属金具(水回りの金属製品一般)」にも進出したことです。欧米ではそれは「常識」でしたが日本ではこれは「異業種への進出」でした。第二次世界大戦で一時その動きは停滞しますが、戦後には本格的に工場を新設していきます。そして1962年には、東陶の付属金具の売り上げは衛生陶器の売り上げを逆転し、さらに飛躍的に伸びていきます。そのせいか1963年には「付属金具」は「水栓金具」に名称を改められています。

 民間住宅での水洗トイレは、ハード面では「都市のインフラ(上下水道)」と密接に関連し、ソフト面では「住宅での排泄スタイル」と関連しています。企業が「これが良いよ」と言ったらすぐ社会に広がる、と言うものではありません。しかし高度成長期、水洗トイレへの流れは民間住宅へ及びます。動きの鈍かった行政も本腰を入れ始めます。くみ取り事業と下水道との“二重投資”が無駄であることが理解されたからです。……ほとんどの行政を動かすのは、結局「金」ということなのかな? 東陶はその流れの中で、住宅の中の水回り専門メーカーへとなります。伊奈製陶もそれに続き、第2のメーカーINAXとなります。

 日本のトイレのほとんどは和式トイレから洋式トイレに変わりました。しかし、メーカーはきわめて日本的な出自(欧米の「配管→トイレ」ではなくて「すべては一つの便器で始まった」)を持っており、もしも「トイレの哲学」というものがあるとしたら、欧米と日本とでは大きな違いがあるはずです。たかが水洗トイレですが、社会学的にあるいは心理学的に追究したら、まだまだ豊かなテーマがいくらでも出てきそうです。



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