【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

木が含む二酸化炭素

2017-11-13 07:01:34 | Weblog

 木質ペレットストーブの宣伝ビラに「木を燃やして発生する二酸化炭素は、木が大気から吸着したものを大気に戻すだけだから、環境に悪影響はない」と書いてありました。たしかに足し算引き算での「リクツ」はそれで合っているのかもしれませんが、大まかに帳尻が合うのは「その木を切った跡にまた苗木を植えて、それが育って放出された二酸化炭素を吸収した場合」に限りません? 薪を見ただけで「この木が切られた後がはげ山になったり宅地造成をせずに森林が維持されている」ことが保証されているのがわかるのでしょうか? 「新しい木」が吸収してくれないと、結局放出された二酸化炭素は大気中で「増加分」になっちゃうんですけど。

【ただいま読書中】『中世の遊女 ──生業と身分』辻浩和 著、 京都大学学術出版会、2017年、3800円(税別)

 「遊女」は売春婦のこと、が私の国語辞典的理解ですが、中世には「和歌や歌謡などの芸能で宴席に侍し、売春にも従事」「今様の歌い手」「淀川・瀬戸内などで小舟に乗って旅人の船に近寄る者」などの違いが同じ言葉に与えられました。11世紀ころには「傀儡子(くぐつ)」が「遊女」から分化しましたが、今様の曲調の違いで区別され、特に東海道の宿に居住して旅人に一夜の宿を提供していたそうです。13世紀に傀儡子はまた遊女に吸収されましたが、これは今様が廃れたからかもしれません。
 現代の眼からは「売春」に注目が集まりますが、中世には「売春」は「芸能」の「宿泊」の付帯サービスのような扱いだったのかもしれません。また「遊女」は「家長」の「生業」だった、という重要な指摘が本書にあります。
 遊女の社会的地位はそれほど低いものではなかったようです。平安時代に貴族(たとえば藤原道長)が遊女と関係を持った記録が残っていますし、12世紀ころから貴族・武士・社僧、さらには天皇や上皇(後白河や後鳥羽)と遊女の間にできた子供が出世していく記録も多くなります。これは「遊女の社会的地位が高かった」からではなくて「身分の区別があまりにはっきりしていたので、ことさらに差別や蔑視をする必要がなかった」からではないか、と私は想像します。ただ研究者によってこの辺の解釈は実に様々です。
 奈良時代の「遊行女婦」(宴会に侍った歌人)が「遊女」の素だそうです。そこに売春の要素が加わって10世紀には「遊女」(または夜になると売春する「夜発(やほち)」という言葉が使われるようになります。そのため、10世紀前半の「遊女」はしきりに和歌を詠んでいます。しかし10世紀以降、「遊女」は「和歌を詠む」ではなくて「歌謡を謡う」ようになります。庶民や下級貴族で流行し始めた今様を遊女が取り込んだ、と考えられます。11世紀前半に遊女は「遊女」と「傀儡子」に分けられ、それぞれ違う旋律を謡います。また、貴族や皇族の招待を受けて出張してくるようになります。12世紀中頃からは白拍子女が出現。それまでなかったリズム主体の白拍子に貴族たちが熱狂したブームに乗っています。
 セックスワーカーは古今東西どこでも珍しい存在ではありませんが、それと芸能が結び付き、さらに堂々と社会の上層と交流していた、というのはなかなか世界的には珍しいのではないでしょうか。昔の日本はやはり「異世界」のようです。