【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

宇宙での神

2017-05-13 14:02:20 | Weblog

 イスラム教徒が宇宙飛行士になったら、祈りの時刻やメッカの方向をどう決定したら良いのでしょう? ラマダーン月の始まりは「新月」で決定されるはずですが、宇宙に出たら「新月」は見えるのかな? 異教徒だから、こういった些末なことだけが気になります。

【ただいま読書中】『スマホが神になる』島田裕巳 著、 角川新書K-106、2016年、800円(税別)

 「ポケモンGO」は、日本の神社の多くでは「聖域を犯す」と嫌われました(例外もあります)。キリスト教の社会では教会に受け入れられました。ポケストップの多くが教会に設定されていましたが、目的がゲームでも祈りでも、教会に集まる人が減っているので「人が集まるのはOK」だったのです。イスラム社会では厳しい「ポケモン禁止令」が出されました。では、ユダヤ教ではどんな扱いだってでしょう? 本書にはなかなか刺激的な見解が紹介されています、というか、「ポケモンGO」というゲームを世界中の宗教者が取り上げていること自体に著者は驚いています(私も驚きます)。
 宗教には「人を孤独から救う」機能がありました。ところがネット時代、人はスマホにその機能を求めることができる、と著者は考えています。
 キリスト教では「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」と、聖俗の分離が明確です。そして宗教は「組織」によって管理・運営されます。対してイスラムでは、組織は重視されません。イスラム法はありますが、個人個人が信仰を深めることが求められます(組織がないから、礼拝をサボったりラマダーンの断食をしなくても、公的な罰則はありません。罰する主体が存在しませんから)。
 『募集』という本には、「コレクター第一号」として「(「ノアの方舟」の)ノア」が挙げられているそうです。ノアは「世界中の動物の番い」の「完全コレクター」となりましたが、その目的は「save(救う、蓄える)」でした。蓄えることがそのまま救うことに直結していたわけです。資本主義もまた「募集」が重要です。つまり、現代の地球では「資本主義」と「宗教」は同じ「本質」を共有しているのです。そして「ポケモン」も。(資本主義と宗教は相性が悪いと思っていましたが、実はその本質は共通、というのは面白い指摘でした。すると現代社会の人間は「金」という「神」を信仰しているのかもしれません)
 スマホの「自撮り」も「募集」です。その写真は「募集」の対象ですが、その写真は「自分を中心にした世界」を示しています。それは、ネットにつながることで得られる「自意識の拡張の感覚」や「全能感」を物として示しているのかもしれません。
 ということで、現在の世界でスマホは「神」になろうとしているようです。
 面白いことに、「スマホという神」には「救済」能力までついています。大災害の時にツイッターの投稿によって命が救われた、というのはいくつも話を聞きます。神道やイスラムには「救済」は準備されていないので、その点ではスマホの方が優位に立つかもしれません。また、スマホには「畏怖」がない、と本書にはありますが、これはたとえば「炎上」とか「サイバー攻撃」とかで“荒ぶる神の代用”が効くかもしれません。