【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

都知事のスキャンダル

2016-10-05 07:12:34 | Weblog

 小池都知事が豊洲やオリンピックの問題をどこまでやる気なのかはわかりませんが(たぶん“適当なところ”で手を打つでしょうね。政治家ですから)、それで追及される側は「どこまで(誰まで)やるんだろう?」と戦々恐々かもしれません。もしも私が追及される側の人間だったら、何か手を打ちたくなるでしょう。手っ取り早いのが「都知事のスキャンダル(による失脚)」です。持ちネタをいつ使うか、タイミングをはかることになるでしょうし、もし持ちネタが弱いのだったらでっち上げ工作を今からやっておく必要があります。で、それに対して都知事がどんな対抗策を用意しているのか……って、政治家がどんどん人相が悪くなるわけがわかりますね。

【ただいま読書中】『金日成と亡命パイロット』ブレイン・ハーデン 著、 高里ひろ 訳、 白水社、2016年、2400円(税別)

 1948年、金日成は北朝鮮をまとめようと精力的に動き回っていました。その演説を近くで聞いた高校生の1人に盧今錫(ノ・クムソク)がいました。彼は「反動勢力」(父は上流階級で親日親米)の出身でしたがそれを上手く誤魔化し海軍兵学校に入校、朝鮮戦争では両軍を通じて最年少のジェット戦闘機パイロットになりました。
 1910年「日韓併合」に伴い、多くの朝鮮人が満州に移住しました。金の家族は1920年(金日成が7歳の時)に満州に移りました。父が死に日本が満州支配を始めると、金日成は中国共産党に入党します。回顧録では「朝鮮人民軍」を組織してマルクス主義を兵士に指導しながら日本軍と戦ったことになっていますが、著者は「中学を中退してマルクスも読んでいなかった(朝鮮語や中国語の翻訳は入手不能だった)少年が、マルクス主義をきちんと理解していたはずはない。朝鮮人独自の共産主義パルチザンは存在せず、中国の指揮下でパルチザン組織の一員として戦っていた」と断じています。ただし彼の軍事功績は、その若さにしては大したものだったそうです。それをそのまま強調すれば良いのに、ホラ話のレベルまで話を膨らませるから、すべてが信用できなくなってしまうのです。
 満州で中国共産党は朝鮮人を(日本のスパイだと)信用せず弾圧をしていました。のちに金日成が中国に病的なまでの警戒感を持ったのは、この時に日本だけではなくて中国にも殺されかけた経験に因ります。1930年代半ばに中国共産党は朝鮮人の粛正をやめる方向に方針を変更、指導者で生き残っていた金日成が台頭します。41年に日本軍に追われて満州からソ連領に逃げたところでソ連に逮捕。そこでこんどはソ連の思想教育をうけることになります。
 戦後北朝鮮に侵攻したソ連軍兵士は、略奪・暴行・強姦で日々を過ごしました。無法状態が沈静化したのは45年の10月ですが、北朝鮮人に「ロシアがいかなるものか」をたたき込むには十分な時間でした。
 45年9月に金日成はソ連軍大尉の制服を着てひっそりと帰国します。スターリンは「植民地支配を終わらせた英雄」の役どころを金日成に与える気はありませんでした。しかし後日「革命闘士たちを率いて華々しく帰国。国民は狂喜乱舞して偉大な将軍と一行を迎えた」という“建国神話”が北朝鮮には流布されます。
 金日成は南への侵攻を熱望しますが、スターリンは世界情勢を理由になかなか許可しませんでした。しかし“使い捨てのポーン”として金日成を使うことをついに決心。しかし自分は巻き込まれないように、軍事援助は行うが戦争そのもののバックアップは中国に丸投げします。毛沢東は激怒します。台湾侵攻のために人民解放軍を南東に集結させていたのに、ここで朝鮮に戦争が起きたらすべてが無駄になってしまいます。
 盧今錫は本心(親日親米)を上手に隠して、優秀な士官候補生(「優秀」の定義は、軍事の成績ではなくて、共産主義の思想教育での成績によって決定される)になっていました。そこに「南朝鮮とアメリカが奇襲をかけてきて、朝鮮人民軍がそれを撃退し、南進を開始した」とのニュースが。
 金日成は焦りのあまり、2個機甲師団分の戦車がソ連から到着する前に1個機甲師団で開戦をしました。補給物資も足りず、近代的な空軍もなく(プロペラ機を使っていました)、アメリカ軍と韓国軍を釜山に押し込めたように見えていましたが、実際には戦局は泥沼化していました。アメリカ軍はまず空爆で反撃を開始します。日本本土と沖縄からB29の編隊が護衛機も連れずに悠々と北朝鮮の都市を次々破壊していきました。どのくらいの民間人が死んだかは不明です(敵も味方もそんなことには興味がなかったのです)。そして仁川上陸作戦。北朝鮮軍は総崩れとなり、南に侵攻した9万8000人のうち、半数が死亡したとみられます。スターリンは第三次世界大戦を恐れ、毛沢東に後始末を依頼します。スターリンはアメリカが“隣国”になっても我慢できましたが、毛沢東はそれが我慢できないことを見透かしていました。しかし、中国軍も近代空軍を持っていませんでした。中国はソ連に空軍の派遣を要求します。
 盧今錫は選抜されて中国にあるソ連の航空学校に入りました。パイロット教育をうける間は戦地に投入される心配はありません。しかも、亡命する手段も手に入る、と盧今錫は希望を持ちます。しかしその希望を誰かに気づかれたら学校から排除される、下手したら殺されます。盧今錫は「愛国者」の仮面をかぶります。そこでロシア人飛行教官からみっちり鍛えられ、ジェット機訓練に合格します。それは卓越した操縦技術の賜物、というよりは、ロシア語ができたことと演技(「模範的な共産主義者」とのアピール)が上手だったことによりました。
 北朝鮮をナパーム弾で焦土にしていたB29は、スターリンが投入したミグ15(とエース級のロシア人飛行士たち)によってばたばたと落とされることになりました。地上では中国軍と国連軍が塹壕戦で膠着状態になっていました。休戦交渉が始まりましたが、それは2年間続くことになります。
 ミグ15は当時の世界では最速で最強のジェット戦闘機でした。ただし欠点も多くありました。それも致命的なものがたっぷりと(たとえば音速に近づくと途端に挙動不審になります)。そして盧今錫は訓練不足の(たとえば射撃訓練は一切受けない)まま実戦に投入されます。敵を殺す以前に、自分が殺されないために盧今錫は必死になります。しかし、成果を上げなければ,無能な反動分子として殺される恐れもあります。
 殺されないために必死なのは、金日成も同じでした。そこで「責任」を政敵に押しつけて粛正することにします。しかし「責任者」をいくら処刑しても戦局は好転しませんでした。しかし休戦が発効すると、「使い捨て」にしようとした贖罪意識からでしょうか、世界中の社会主義国家(主にソ連と中国)が手厚い援助を北朝鮮に与え、それによって「奇跡の復興」が実現しました。
 そして北朝鮮からミグ15が一機、突然行方不明になります。北朝鮮軍だけではなくてアメリカ軍も気づかないうちに、金浦空港に着陸していました。そういえば函館空港にミグ25が亡命したときにも、誰も気づいていませんでしたね。こうしてみると、“奇襲”する気だと案外簡単にできるのかもしれません。
 実はこの着陸以降にまた1冊分くらいのストーリーがあります。たとえば“あの”チャック・イエーガー(初めて音速を超えたパイロット)がこのミグ15をテスト飛行した、とか、ミグにかけられていた褒章金の行方とか。
 今の北朝鮮がどのような国か実相はわかりませんが、“出自”を知ると大体想像できる気がします。