むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

前橋城大手門見学会

2021年02月16日 | イベント・行事
前橋城 大手門の石垣



江戸末期の1867年に再築されるより以前の遺構が見つかったという一報をSNSで知りました。
その後上毛新聞に記事が掲載され、見学会が行われると知ると、
居ても立っても居られず、再開発ビルの工事現場へやって来ました。
場所は前橋本町一郵便局の裏手になります。



見学会は2月15日の午前10時~正午と午後1時~3時まで希望者は現地へ直接来場
ということで10時丁度にやって来ました。
すると、既に見学可能な状態になっていて、大勢の見学者がいました。



う~ん、思ったより混んでます。
平日だし、雨降ってるし、人が少なくてチャンスなので✨はと思っていたのですが
次から次へと見学者がやって来ます。



ようやく最前列に出られました!
傘を持ちながらの撮影は辛い。
手ブレでうまく撮れていないものが多い。
意図しない場所にピントが合ってしまっている😖


絵図

酒井家に伝わる絵図にある大手門。
前橋城は、1500年代~1600年頃の厩橋城と呼ばれた時期の城と
酒井氏によって整備された1660年前後の頃の近世の城と
江戸後期の松平氏によって整備された再築前橋城の3つに分けられます。


大手門石垣

地表から約1.5m下で見つかった石垣。
現在目にすることが出来る遺構のほとんどが、
一番新しい時期の再築前橋城のもですが、
今回見つかったこの石垣は二番目の酒井氏の時代のものと考えられています。


車橋門跡

ちなみ、こちらは地上に残る車橋門跡の石垣です。
こちらの石の方が小ぶりで、今回出土した大手門の石が車橋門の石より
大きいことがわかります。
今回大手門の石垣を見られなかった方は
ぜひ車橋門跡の石垣を間近で見て想像してみてください。
場所は前橋市大手町2丁目5−14 地図


水堀跡

この水溜まりは、雨水が溜まったものではなく、
ここにあった水堀で、今でも水が湧いているそうです。
また、堀跡からは「右三つ巴紋」が描かれた軒丸瓦など瓦も大量に出土し、
破却された際に投げ込まれたと思われる建造物の一部が
見つかったそうです。
ということは、再築前橋城では櫓門が再建されていないので
酒井氏の頃の門の跡と推定出来ます。


切込接

隙間なくきれいな形で積まれています。



この角の合わせ目を見てください。
こんなにきれいに石と石が接しています。



この下にまだ1段は石垣の部分が埋まっていると考えられています。
しかし、この後掘り進めるかどうかは工事の工期や
この水堀の状態など課題があるため検討中とのことでしたが
おそらくこのまま埋め戻しということになりそうです。



現地では、短いですが絵図で場所の説明と状況のお話がありました。
もう少し詳しい話を聞きたかったなあ。
それでも現場公開してくれただけでもありがたいことです。



報道のカメラもいて、インタビューされている人も居ました。
NHKのニュースでは、自分にしか判別できないところに映り込んでいました😅



石垣側から上部を除いてみました。
石垣の上にはかつてレンガ造りの建物があったそうで、
建物を造る際に石垣の上部一段を削り取られているとのことです。



石垣側の上から見下ろしてみました。



この水堀跡はヘドロ状で緑色の液状のものも出ているそうです。(臭いも有るらしい)
ポンプが置いてあるので、水を吸い上げながら調査を行っているのでしょう。



コロナ禍なので短時間での見学となりました。
名残惜しいですが、これにて退散致します。


見学会と言えば、いくつか参加していますが発掘中の現場での見学会は今回がはじめてです。
なかなかリアルタイムで平日参加できることが無いので今回は時間が作れてラッキーでした。
今後このようなチャンスは、私にはあまりないと思うので貴重な時間を過ごせました。
そのうち、ここには建物(ビル)が建つこととなりますが
敷地内で出土品の展示を検討していただいているようなので、
公開されたら、ゆっくり見学に来たいです。
その頃にはコロナも落ち着いていると良いな。。。


令和3年2月15日登城






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