むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

小牧山城(愛知県)

2018年12月15日 | 続百名城
小牧山城こまきやまじょう
別名― 
構造山城
築城者織田信長
築城年代1563年(永禄6年)  
指定史跡国指定史跡
場所小牧市堀の内 地図
スタンプ設置場所小牧市歴史館
城郭検定出題あり

小牧山城は、1563年(永禄6年)織田信長によって小牧山に築城されました。
信長は美濃攻略のため清洲から移り、小牧山南麓に城下町を形成し4年後には稲葉山城を攻略。
岐阜と改称し小牧山から居城を移すしたことで、小牧山城は廃城となり小牧城下町は衰退していきました。
その後、小牧・長久手の戦いで徳川家康は、小牧山城跡を改修し、陣城を築きましたが
戦の収束に伴い再び廃城となりました。


大手道

小牧市役所を横断する大手道を記された線。
役所の内外にこのラインを見ることが出来ます。


小牧市役所

小牧市役所内にも大手道のラインが引かれています。
平日職員に声を掛けると見せて頂けます。
こちらの職員さんはもとより、守衛さんまでも小牧城の歴史に詳しい。
さすが地元をあげて小牧山に力を入れているのが伝わります。


大手曲輪

以前訪れた時よりあちこち整備された様子が伺えます。
そしてまだまだ整備は続いています。


大手道

信長の最後に築いた安土城の大手道を想像させる、真直ぐ延びる大手道。


横堀と土塁

奇麗に整備された堀と土塁。
以前はここに市役所がありました。
市役所建設の際に、破壊されたものを市役所の移設に伴い再び整備して造り直しました。


尾張徳川家九代藩主徳川宗睦源明公墓碑

尾張藩中興の祖と言われた尾張徳川家第九代藩主徳川宗睦源明の墓碑を、
徳川家の菩提寺である建中寺(名古屋市東区)から小牧山に移設したものです。


曲輪

堀と土塁を上から見下すのに調度いい平場の曲輪です。


曲輪

ここを抜けて桜の馬場を見に行きたいと思います。


案内看板

桜の馬場前にある案内看板。
桜の馬場を過ぎて、再び大手道を進み小牧市歴史館の方へ向かいたいと思います!


桜の馬場

桜の馬場は公園に整備された際、「遊園地」とされ、遊具やトイレが設置されています。
現在は春のお花見シーズンには特例で火器の使用が許可されている場所で
桜を見ながら大変賑わう場所となっているようです。


小牧山稲荷神社

小牧には多くの狐の伝説がのこっており、その中でもここ小牧山のに住んでいたという「吉五郎伝説」が
寛永年間に創られ吉五郎親分とその仲間たちをめぐる物語が傑作だととか。


鳥居

吉五郎伝説によると、 徳川の世の小牧山は人の入れぬ山となり鬱蒼と茂る原生林の森と化しました。
狐狸の棲家となり、小牧山の狐と正眼寺の狸が化け比べをしたそうです。
天気雨の日は狐の嫁入りだとか、芝居見物に狐が現われたとか噂が広がりました。
その小牧山に住む狐の『伝説・老狐小牧山吉五郎』を小説風にまとめたものが、吉五郎伝説として残されています。
そして伝説の狐吉五郎が、この神社に祀られているそうです。



道は真直ぐ続いていますが、ここから大手道は右に折れて
屈曲した道を抜けて主郭を目指します。


虎口

虎口の、かつて土橋であったところから見ています。
以前訪れた時は、この辺りは木がうっそうとしていて暗くてじめっとした
イメージでしたが随分さっぱりしています。
とても見通しが良くなったのですが、この辺りが例の伐採して植樹したという問題になった場所ですね^^;

ちなみに城域内にはちゃんとこんな看板もたっているのですがね。


石垣

主郭下の石垣が見えて来ました。
ここもよく見えるようになってます。



随分すっきりしています。
転落石がごろごろと浮き彫りになってます。
しかも、小さな石ではなく大きいものが多いです。


転落石

主郭では、石垣から転落した石があちこちに見えます。
織田信長が小牧山城を築城した当時のまま残る石垣と、石垣から転落した石と区別できるように
プレートで表示されています。





主郭虎口

小牧市歴史館は、名古屋市在住の実業家である平松茂氏が
私財を投じて建設して小牧市に寄贈した模擬天守です。


入館案内

JAFの会員証を提示すると入館料金がお得になります。(団体料金で入れます)


小牧城(小牧市歴史館)

小牧城の外観は、京都にある西本願寺の「飛雲閣」がモデルとなって造られています。



以前訪れた時は、この場所に木製のテーブルとベンチがあり、休憩してお茶を飲んでまったりした
覚えがあります。
こちらも少し様子が変わったように思えます。


眺望

目の前の木が伐採されて名古屋方面の眺望だけでなく、真下の様子も見えるようになっていました。


御野立聖蹟

昭和天皇が昭和2年の陸軍特別大演習の視察に訪れた祭、休息されたのを記念して建立されました。


裏込石の仮置き場

発掘調査で出た裏込石が積まれています。
以前訪れた時は無造作に置いてあったのがきれいに積んであります。


主郭地区(曲輪003)

天守のある曲輪から少し下がった場所にある曲輪です。
ここには明治時代一時期県立公園になった祭、「創垂館」が建設され迎賓館として使用されていました。
土塁は削られ、残土は曲輪内に敷均され堀もこれにより当初より浅いものとなりました。


虎口

信長の時代にあった大手道からの虎口です。
天正期の小牧・長久手の戦いの際には土橋が封鎖されました。


西側曲輪地区

ここから搦手口方面に向かって幾つもの曲輪が段をなして形成しています。
しかし、時間がないのでこのまま搦手口へ向かわず、ここで大手道へ繋がる道へ折れます。


さくらの園

さくらの園と空堀の間の道を下って行きます。
こちらもわりと多めの曲輪です。



この道を抜けると真直ぐな大手道に出ることが出来ます。
時間が無いのでこの道を走って下山しました。



小牧市役所へと続く大手道の線を眺めて今回の城さんぽは終了です。


攻城団の団員総会前に続100名城のスタンプをゲットしに寄りました。
集合時間までにあまり時間がないので駆け足で登って行き、前回も入っていない小牧市歴史館に
入ろうとしたのですが、間に合いそうになかったので今回も断念。
名古屋城集合時間にピッタリに到着だったので小牧市歴史館に寄っていたら完全にアウトでした。
今回も城さんぽならぬ城ランニングになってしまいました^^;


平成27年5月5日登城
平成30年12月2日再登城



続日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ特別編集)
公益財団法人 日本城郭協会
学研プラス

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