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気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

近田真実子 精神医療の専門性 「治す」とは異なるいくつかの試み 医学書院2024

2024-05-04 16:10:09 | エッセイ オープンダイアローグ
【近田先生と哲学カフェと私】
 近田真美子先生は福井看護大学看護学科の教授であるが、実は私にとって、哲学カフェの師である。さらに実は、東北福祉大学通信課程で精神保健福祉士目指して学ぶ現在、精神保健学の師でもある。昨年、今年と対面のスクーリングがあれば、ぜひ、直接ご指導いただきたかったところだが、残念ながら収録済みのオンデマンドのみであったので、他科目との兼ね合いでレポート、試験のみの受講とした。
 哲学カフェについては、震災後、鷲田清一氏の哲学カフェという取り組みに書物で出会って、これは、私としてぜひやってみたいと思い、仙台で実践しておられる西村高宏先生(当時、東北文化学園大学)と近田先生(当時、東北福祉大)にコンタクトを取り、東北福祉大のキャンパスで待ち合わせて、直接ご指導をいただいた。当時、せんだいメディアテークでの哲学カフェにも繰返し参加させていただいた。
 気仙沼において、”気ままな哲学カフェ“主宰などと名乗って活動しているのは(勝手に名乗っているだけであるが)、近田先生、西村先生との出会いなくしてはなかったことである。(福祉大で、ここまで習得した科目中、先生の「精神保健学」のみ「可」であったということについては触れないでおく。)

【近田先生の、浦河での経験とACTとの出会い】
 経歴を見ると、北海道浦河町生まれで、浦河赤十字病院の精神科病棟で看護師としてのキャリアを始められている。
 浦河赤十字病院、精神科病棟といえば、《べてるの家》、《当事者研究》である。しかし、この書物は、直接、当事者研究についての本ではない。
修士課程は北海道医療大学で看護学を学ばれ、博士課程は、大阪大学大学院人間科学研究科である。修士課程でACTに出会い、恐らく博士課程で、村上靖彦氏の現象学的方法のみならず、鷲田清一の臨床哲学、現象学に触れたということになるのだろう。

「本書には…、一見、医療とは相容れないユニークな実践を展開する専門職が登場する。彼らは、重度の精神障害者の地域生活を24時間365日地域で支えるACT(Assertive Community Treatment:包括型地域生活支援プログラム…)というプログラムに従事する看護師や精神保健福祉士、精神科医であり、国家資格を有する正真正銘の医療専門職である。
 本書は、こうした”医療”と称するには憚られる実践のなかに、精神医療の専門性を炙り出そうと模索した記録である。炙り出すために活用したのが、ACTで働く医療専門職たちの即興的な語りと、近代哲学が生んだ現象学という道具である。」(p.3)

 ここで「”医療”と称するには憚られる実践」とは何か、ということが疑問点として浮かび上がるはずであるが、詳細は書物で見て欲しい。「現象学という道具」についても、ひとこと語りたい思いはあるが、省く。

「私が新人看護師となって初めて就職したのは、北海道の南端部に位置する浦河赤十字病院の精神科開放病棟…であった。」(p.3)

 ここは、著者の故郷、生を受けた病院であり、《べてるの家》の《当事者研究》で高名な病院である。

「その後、医療専門職としての技量を高めるべく浦河赤十字病院を離れた私は、患者の精神症状を薬物療法や行動制限で過剰にコントロールしようとする医療専門職の姿を目にすることで、日本の精神医療が抱える問題を知ることになる。」(p.4)

 そうそう、このあたりは、私がこのところ他の医学書院刊の書物などで読み取っている問題そのものである。
 著者は、北海道医療大学修士課程で、阿保順子教授と出会い、そこでACTの実践の情報に出会う。

【ACT-Kの創始者高木俊介氏】
 この書物は、京都で実践を進める《ACT-K》の看護師3名、精神保健福祉士Ⅰ名、そして、その創始者である精神科医の高木俊介氏へのインタビューで構成される。
 著者は、高木氏の、あるベテラン精神科医を招いた勉強会において「愕然と」し、「ACT-Kでの実践を形づくる基盤」となった経験についての語りを記している(本来は、「現象学的方法」による逐語録として省略なしに引用すべきところであるだろうが、…のところは省略箇所である)。

「高木氏 あの、例えばね、やっぱりその、ええっと、…その、いかに退院させるかと。今の精神病院って言うのは、あの、閉じ込めてる長期収容ということ、それを改革しないといけないからいうことから、本気になって…アパート用意して、…だけど、患者が退院をしたがらないということに対して、…だんだん患者をこう、押し出していることになるわけ。…それはもう個人、個人の患者にとってはいじめでしかないっていう。強制でいじめでしかないと。それ、そこで追い込まれている患者のつらさというようなことにね、焦点をあてたカンファレンス。ショック受けた。…」(p.65 下線はママ、二重下線は下線+傍点)

「…高木氏が、…医療専門職側の一方的な価値観で介入することの弊害を知ったからこそ、興味をもって能動的に話を聞いたり、互いの関係性を反転させるといった、双方向的なコミュニケーションを持ち込んでいた。それが結果として、精神症状の出現を回避することに繋がっており、薬物療法の優先度を低下させていた。」(p.85)

 高木氏の実践で、双方向的なコミュニケーションが行われ、精神症状出現の回避、薬物療法の優先度低下に繋がっていったのだという。
 以下の引用は、《医学モデル》から《社会モデル》への転換の文脈に関わるところである。

「精神疾患という病を疾患として位置づけるのか、それとも苦悩の一形態であると位置づけるのか、それにより医療専門職の役割も、展開される実践の様相も大きく異なってくるだろう。医療専門職の“病そのもの”への眼差しが地域生活支援における専門性を形づくるのだ。」(p.85)

【オープンダイアローグが出てこない?】
 あとがきで、博士論文の公聴会で副査を務めたという斎藤環氏が登場する。

「…斎藤環先生に、「結局、あなたが言いたかった精神医療・看護の専門性とは何か」と問われ、…日常のありふれた言葉と良識を兼ね備えた素人性を専門性と呼びたいと必死に答えたことを覚えている。」(p.171)

 日常の良識ある素人性をこそ専門性と呼ぶという、大きな価値の転換が表明されているのだろうか?以下のところも、《医学モデル》から《社会モデル》への転換こそが語られているというべきだろう。ただし、もちろん、専門的な知識、技術が不要であるなどということは言っていない。

「私は、2011年3月11日に発生した東日本大震災において、精神看護の専門家として石巻市や仙台市の避難所で“こころのケアチーム”の一員として活動した経験がある。…被災者の心理・精神状態を的確にアセスメントし次の対応に繋げるという一連の行為のなかに、専門的な知識と思考、技術が必要であることは間違いない。とはいえ、…薬物療法をはじめとした狭義の医学モデルだけでは太刀打ちできないことも感じていた。温かな風呂や食事、安心できる人や空間といった普段の生活の営みを支えること、経済的な基盤を整えること、そして、突如、降りかかった災厄を自分の人生に落とし込んでいくための言葉を共に探していくこと……私が巡回していた避難所でも。狭義の専門性だけでは回収しきれない豊かな支援やケアがたくさんあった。
 …私が言いたかったのは、つまり、そのようなブリコラージュ的な営みのことなのだ。」

 この書物において、精神医療の新たな専門性とはどういうことかについて、著者は語った。
 ところで、私が思うに、ここで語られていることは、オープンダイアローグの考えにとても近い。実は私は、鷲田清一氏の臨床哲学、哲学カフェとオープンダイアローグは非常に相性が良いと常々感じてきた。「ブリコラージュ的な営み」という言葉の使用も、その近さの証拠であろう。
 さらに、オープンダイアローグジャパン(OPJ)の共同代表でもある高木俊介氏の語りが主要な部分として取り上げられ、あとがきでは斎藤環氏の名さえ登場するにもかかわらず、この書物には「オープンダイアローグ」という言葉がまったく出てこない。これこそが、専門的な学者のストイシズムなのだろうか?
 オープンダイアローグの旗をあえて揚げなくとも、精神医療の世界の変革の方向性は必然であると主張しえた、ということになるのだろうか?そういう戦略的な振る舞いとして成功した試みというべきなのかもしれない。





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