冬の山には一歩も足を入れてはならない。それは先祖から伝わる教えだった。だがアシメックは一足でも中に入りたかった。入って、オラブを探したい。だが彼はその気持ちを抑えた。冬の山の厳しさは、当然のごと、馬鹿な過ちをした人間の伝説をともなって、身に染みてわかっていた。
一歩でも入れば、どんどん中に入ってしまうだろう。そうすれば雪の魔にとらわれて、魂を吸われてしまうのだ。そしてアルカラではないところに連れていかれてしまう。そんなことになればもう、人間に戻れなくなるのだと言われていた。
アシメックは山の入り口に立ち、山を見上げた。冬の山は暗く、激しく怒っているかに見えた。オラブはこの山のどこにいるのだろう。どこに住んでいるのだろう。このまま村の者たちを裏切ってひとりだけで暮らしていれば、きっとアルカラに帰れなくなるにちがいない。そう思うと、いつしかアシメックは叫んでいた。
「オラブ!!」
すると、木立に風が吹き、かすかにざわめきが起こった。オラブが答えたような気がして、アシメックは続けた。
「オラブ! かえってこい!! おれがなんとかしてやる!! もう馬鹿な暮らしはやめろ!!」
アシメックの声に、かすかな木霊が帰って来た。山が、動いたような気がした。何かがいる、とアシメックは思った。オラブだろうか。
「泥棒なんぞやめて、まっとうな暮らしに戻るんだ! おれが仕事をなんとかしてやる! みんなに謝って、村に帰れ!!」
アシメックはそう叫ぶと、しばし答えを待つかのように沈黙した。耳を澄ませてみたが、鳥の声すら聞こえなかった。今は鹿も冬眠に近い状態なのだ。
アシメックはそのまま山の前でしばらく待った。オラブが身を縮めながらアシメックの前に現れるのを。だが、当然、そんな様子は微塵もなかった。
春になって、歌垣が終わった頃、人を集めて山狩りをするしかあるまい。それまでに、何度かここにきて呼び掛けてみよう。アシメックはそう思った。そして、息をつくと、山に頭を下げ、踵を返して村に帰っていった。
山に静けさが訪れた。すると、入り口から少し奥のところにある木の影で、何かの気配が動いた。アシメックは知らなかった。オラブは普段は山の奥の洞窟で暮らしていたが、冬の寒さが厳しいころは、山のふもとにおりてきて、木陰に鹿皮をしいて暮らしていることを。