世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

うさぎ竜

2012-05-29 07:01:06 | 薔薇のオルゴール

ある、西の方の海の彼方にある、小さな島に、うさぎ竜は住んでいた。うさぎ竜は、一応竜の仲間だったけれど、友達のように、火を吹いたり、川の水をあふれさせたりして、人間をいじめるのが苦手で、というより、とてもできなかったので、いつもひとりで、仲間とは離れて、小さな島でひとり暮らしていた。

うさぎ竜は、ちょうど、うさぎと竜の真ん中のような姿をしていて、全身は真っ白な毛皮に覆われていた。もちろん、耳はうさぎのように長くて、目は紅玉のように赤かった。背を流れるたて髪は炎のような金色で、背には鳩のような白い翼があった。うさぎ竜はときどき、その翼を広げて、月のよい夜などには空に飛び出し、風と一緒に笛のような歌を歌いながら、夜空をただひとりでゆったりと飛んだりするのが、好きだった。

うさぎ竜は、竜のくせに、うさぎみたいに臆病だったから、竜の友達も、人間も、苦手だった。大昔、まだ人間が竜といっしょに暮らしていたころは、うさぎ竜も人間の村に住んでいたことがあったけれど、やがて人間が、竜を怪物と言って退治し始めたとき、大急ぎで逃げていった。友達の竜の中には、人間に殺されてしまったものもいっぱいいた。うさぎ竜にも、それはとても悲しかった。けれど、たいていの竜は、悲しい顔をして、人間の世界から逃げて行った。竜というものは、人間が、それなりにやさしくして、そっとしておけば、乱暴などしないのに、人間は、竜の姿が大きくて、とても恐ろしくて強そうなのが、とてもいやだったらしい。だから、もう、竜は人間の仲間ではなくなってしまったのだ。うさぎ竜はそれが悲しかった。人間が求めさえすれば、竜はなんでも、人間のためにいいことができたからだ。

今では、友達の竜の中には、時々、人間に意地悪をするものもいる。昔、人間に意地悪をされたことがあって、それの仕返しをしているのだ。目に見えない姿になって、火山を動かしたり、雨を降らして大水を起こしたりしている。それで、人間は時々、とても困ったことになる。でも人間は、それが大昔に、自分たちが竜をいじめたことが原因だとは、わかっていない。ただの自然現象だと思っている。竜をいじめることは、ほんとうは、とても、愚かなことなのだ。人間は決して、やってはいけなかったのだ。うさぎ竜は、まだ人間といっしょにいたとき、それを村の子供たちに教えてあげていた。

「竜はね、大きくて怖い顔をしているけれど、人間の世界で大事な仕事をしているんだよ。竜とともだちになれば、人間にはとてもよいことがあるんだ。それはまだ、君たちにはわからないんだけどね、ほんとうにいいことになるから、竜を見ても、そんなに驚かないで、仲良くしておくれね」

子供たちは賢く、うさぎ竜の話を聞いてくれた。うさぎ竜は普通の竜よりよほどかわいい姿をしていて、やさしかったので、子供たちはどの竜より、うさぎ竜が好きだった。でも、人間たちはやがて、うさぎ竜が教えたことなどみんな忘れて、竜を怖がって近寄らなくなってきた。竜は恐ろしくて怖いものだと言って、時々、鎧を着けた勇ましい格好をした男たちが、槍や剣を振りまわして、竜をやっつけに来るようになった。うさぎ竜は悲しかった。人間にはどうして、目に見えるものしか見えないのだろう。目で見えることだけで、全てを決めつけてしまうんだろう。

うさぎ竜は、もう、人間の世界から離れて、何千年と、この島で孤独に暮らしている。島には、薄紅色の、一重の薔薇の咲く森があって、それが季節ともなると甘やかな香りをふりまいて、島じゅうを美しい夢の衣で覆ってくれる。さみしいけれど、さみしくなんかない。ひとりでいることは、もともと好きだったし、森の木々や、薔薇はとてもやさしくて、うさぎ竜のやわらかい心に、やさしく歌いかけてくれるからだ。

いつまでも、ここにいたいなあ。うさぎ竜は、島の真ん中にある小さな山の、小さな洞窟の中に寝そべり、ため息をつきながらそう思う。ひとりでいれば、誰ともけんかせずにすむし、誰にもいじめられることもない。いじめられるのは、悲しい。昔一緒に遊んだ子供たちが、おとなになって、自分に石を投げつけてきたときは、それは悲しかった。胸が破れて、洪水のように涙があふれ出した。怖くて、つらくて、うさぎ竜はあわてて村から逃げて行った。もう二度とは、あの村には帰れない。人間とはいっしょに住めない。もうあれからよほど時がたって、人間も、竜のことなどすっかり忘れて、そんなものはこの世に存在しないものだと思っているそうだし…。

ある星空の夜のことだった。寒い季節で、シリウスが東の空に氷のように光っていた。うさぎ竜は、葉を落とした木々の森の中をそっと歩きながら、冬風の中で眠っている薔薇の木を見に行った。春になるにはまだ間があるけれど、薔薇はもう花芽の準備をしようと、枝の中に水をためて、それがかすかに、ころころと音をたてていた。うさぎ竜は、鈴のような声で歌い、厳しい冬風を少しおとなしくさせて、薔薇のために、ひととき、温かい見えない歌の衣を着せてあげた。薔薇は、寒さに凍えていた枝先を少し揺らして、うさぎ竜に、聞こえない声で、ありがとう、と言い、微笑んでくれた。うさぎ竜もうれしかった。冬の間はそうやって、うさぎ竜は薔薇の世話をするのが常だった。薔薇は真実の花だから、決して嘘はつかない。薔薇の言うことは、みんなほんとうのことなのだ。だからうさぎ竜は薔薇が大好きだった。ほんとうのことほど、心にうれしいことはなかったから。

人間は今、どうしているだろうなあ? 薔薇の世話をしながら、うさぎ竜は時々思う。竜をやっつけるようになってから、人間は嘘をつくのがひどくなった。あっさりとばれるような嘘を平気でついて、それを本当にするために、あらゆる変な理屈を組み立てるようになって、その理屈で、本当に嘘の世界を作り始めた。もう人間と住まなくなってよほどたっているから、あれからどうなったのか、うさぎ竜は知らない。でも、あのまま、嘘ばっかりついて、嘘の理屈で町を作り続けているとしたら、今はどうなっているのだろう? それは大変なことになっているだろうなあ。だれかが、本当のことに気づいて、ちゃんと人間に、正しいことを教えてあげてくれていたら、いいんだけど。

春になった。風がやさしくなり、快い季節の歌を歌い始めた。森の木々も、若い緑の芽を吹き始め、薔薇も枝を伸ばして、小さなつぼみをつけ始めた。薔薇は喜びを歌いながら、こつこつと、花を咲かせる準備をしていた。うさぎ竜は、薔薇のために歌を歌った。薔薇が、身も心も美しくて、本当のことしか言えぬ清い魂であるということを、まごころのことばで歌った。すると薔薇は本当に喜んで、たとえようもない美しい真実のことばで、うさぎ竜に答えてくれるのだ。

かわいいうさぎ竜。臆病で、弱くて、やさしいうさぎ竜。知っているわ。あなたが竜なのに、うさぎなのは、決して誰もいじめることができないから。傷つくことより、傷つけることのほうが、怖いから。やさしくて、悲しい、うさぎ竜。ひとりでいることが、みんなのためだと思っている、うさぎ竜。あなたが好き。あなたが、あなただから、あなたが好き。

うさぎ竜は、それを聞くと、少し照れたような、困ったような顔をした。薔薇はやさしいけれど、本当のことしか言わない。本当のことを言われてしまうと、うさぎ竜もときどき、恥ずかしくなる。そして、ふと、思う。ひとりでいることは、あまりいいことじゃないかもしれない。友達の竜のように、姿を消して、少しは人間たちと、何か関わった方がいいのかもしれない。傷つくことも、傷つけることも、あるだろうな。自分は竜だから、吐こうと思えば火も吐ける。けれど、火傷をしたら、それは痛いだろう…。うさぎ竜は、ため息をつく。自分の吐いた火で、人間が火傷を負ったことを想像すると、それだけでもう、自分の手がひりひりするような気がするからだ。

やがて、薔薇は、薄紅の一重の花を、一斉に咲かせた。森に星空が舞い降りたような花野ができた。薄紅の薔薇は笑って、ころころと生きる喜びを歌ってくれた。太陽が降り注いで、薔薇の薄紅を一層輝かせてくれた。風が大喜びで踊った。うさぎ竜はうれしかった。季節の盛りは、まるで森と空と風がみんな集まってオーケストラを奏でているようだ。森の緑は華やかに輝き、枝々では小鳥や栗鼠が光の玉のように踊っていた。ところどころ木の根元にすみれやたんぽぽや名も知らぬ花々も咲いていた。うさぎ竜は、新しい花を見つけるたびに、声をかけて挨拶した。それはこんなふうに。

「やあ、美しい方。あなたはほんとうにきれいだ。お会いできてうれしい」

すると花は喜んだり、声をかけられたことにびっくりして、却って恥ずかしがったり、戸惑ったりするのだ。野の花は、ただ黙って密やかに咲きながら、静かに歌っているのが仕事だと思っていたから、わざわざ誰かが自分の元を訪れて、丁寧に挨拶などしてくれると、却って驚いてしまうらしい。でも、うさぎ竜の優しい心は、花にはすぐに見えるから、花はいつも、戸惑いつつも、ほんとうのことばでお礼を言ってくれ、ささやかなお返しをしてくれるのだ。それはかすかな歌で、真実の心が、珠玉の魚のように中で泳いでいる魔法の呪文のようなもので、それを聞くと、うさぎ竜の胸はとても幸せに温もってくるのだ。はあ、とうさぎ竜はため息をつく。本当に花はやさしいな。本当のことほど、美しくて、やさしいものはない。

夜になると、薔薇もそのほかの花たちも、少し休んで、花を閉じたり、香りを控えたりして、眠りにつく。うさぎ竜は山の上に立ち、星空を見上げる。昔の友達の中には、星の向こうに帰ってしまったものもいたっけ。彼らは今、どうしてるだろう? 人間のことなど、とっくに忘れて、ちがうところで、ちがうことをしているんだろうな。ぼくはどうして、星の世界に行かなかったんだろう。あそこなら、人間はいないし、傷つけることを恐れて、こうしてひとりで隠れてなんかいなくてもよかったろうに。

うさぎ竜は思う。ぼくは、本当は、今も、人間のことが、忘れられないのだ。できるなら、人間のために、よいことをしてあげたいのだ。しようと思えば、いくらでもできることを、なんでもしてあげたいのだ。でも、ぼくを見ると、人間は驚いて、やっつけてしまおうとするから、どうしてもできない。だから今も、こんなところでひとり、森や薔薇の世話をしながら、暮らしているのだ。いつか、人間が、竜の本当の心に気づくことができるようになったら、本当にそんな時がきたなら、きっとぼくは、彼らのために、なんでもすることだろう。たくさん、たくさん、愛の歌を歌ってあげることだろう。ぼくは、そのときを、待っているのかもしれない。人間が、ぼくの本当の心をわかってくれて、ぼくを探して、ぼくのところに来てくれるのを、待っているのかも知れない…。

季節はめぐった。薔薇は花を終わらせると、やがて、小さな赤い実をつけ始めた。うさぎ竜は喜んだ。なぜならこの薔薇の実は、本当においしかったから。うさぎ竜は秋になると、薔薇にお願いして、ほんの少し、自分の食べたい分だけ、実を分けてくれるよう頼むのだ。すると薔薇は喜んで、どうぞ好きなだけ持っていって、と言ってくれる。薔薇は、与えることが好きなのだ。自分の持っているものを、与えて喜んでもらえるのがうれしいのだ。実をちぎられるのは痛いけれど、喜びの方がもっと大きいのだ。だってそれは薔薇の本当の心だから。薔薇の本当の心を、うさぎ竜は心深く知っていて、それをとても喜んでくれるから。

「痛いのに、ごめんね」と言いながら、うさぎ竜は、おなかが少しいっぱいになったかな、という分だけ、薔薇の実を食べさせてもらう。薔薇の実は甘くて、少し酸っぱくて、胸にしみてくる。それは少し、悲しみに似ている。生きていると、幸せなことがいっぱいあるけれど、どこか、悲しみがあるね。それはどうしてだろう? うさぎ竜は、薔薇の実を味わいながら、誰に問うこともなく、つぶやいてみる。すると一息の風が、耳ざとくそれを聞きつけて、やさしげに笑いながらいうのだ。

「うさぎ竜、君はやさしすぎるよ。何でもかんでも、自分で背負ってはいけないよ」

するとうさぎ竜は、恥ずかしがって、白い耳を伏せ、しばし薔薇の茂みの中に、隠しようもない自分の大きなすがたを隠そうと、しゃがんでしまうのだ。薔薇は、自分のとげで、うさぎ竜をできるだけ傷つけないように、気をつけるのだけど、どうしても傷つけてしまう。うさぎ竜は少し傷みを感じると、すぐに薔薇の茂みから体を起こす。なぜなら、薔薇のとげで傷ついた自分よりも、傷つけてしまった薔薇の心の方が苦しくなってしまうのを、うさぎ竜は知っているから。

うさぎ竜は少し悲しくなって、薔薇に、実のお礼を言うと、自分の洞窟の中へ帰っていった。洞窟の中で、悲しみは、きのこのように膨らんできて、涙になってあふれてきた。さみしいんじゃない。ぼくが、ぼくであることは、間違ってはいない。ぼくは、待っていることしかできないのだ。長い時を、人間が、竜の愛を信じてくれるようになるまで、待っていることしかできないのだ。誰も傷つけられない。傷つくより、傷つけることの方が痛い。ぼくが外に飛び出すと、人間は困る。だって誰も、竜がいるなんて信じていないから。竜がいるなんてわかったら、人間は本当に困るだろう。

その夜は月夜だった。うさぎ竜は、山の上に登り、白い鳩のような翼を大きく広げ、空に飛び出した。そして、まるで月でボール遊びをするように、空を飛びまわった。その姿は、まるで白い絹のようなひとひらの雲が、月にまとわりついているようにも見えた。

そこから遠いところの海の上では、一艘の白い豪華客船が海の上を静かにすべっていた。一人の子供が、船の欄干に手をかけて、なんとはなしに月を見上げていた。そして、小さな白い鳥のようなものが、月の周りをぐるぐると回っているのを見つけて、あれ?と首をかしげた。夜に、あんなふうに月の周りを飛ぶ鳥などいるものかな? 図鑑にそんなことが書いてあったっけかなあ? 子供は、だれかを呼ぼうかとも思ったけれど、なんとなくひとりでいたくて、ずっとその、月の周りを飛ぶ白いものを見ていた。子供は、少々変わった子供で、本と、一匹の猫以外に友達がいなかった。だって、嘘をつかないのは、猫だけだったから。

子供は、その白い鳥を見ているうちに、なんとはなしに、胸の中で何か、温かなものが芽生え始めてきているのに気付いた。それは、心臓の中に温かいヒヨコがいるような感じの、幸せなぬくもりだった。子供は、気持ちが優しくなって、早く帰って、親戚に預けてある友達の猫に会いたいと思った。やさしくしてあげたいなあ。誰かに。でも、何となくわかるんだよ、ぼくには。この世界では、人にやさしくすると、それは、お金が欲しいって言う意味になるんだって。だから、本当の心で人にやさしくするのは、とても難しいんだね。友達の猫になら、いつだって、どんなにやさしくしたって、いいんだけど。

ほらね。こんな風に、竜がいると、とてもいいことになるんだ。子供は、うさぎ竜を見ただけで、幸せな本当のことに気付いた。このことは、うさぎ竜も知らない。子供は、うさぎ竜を見ただけで、大切なことがひとつ、わかったのだ。愛することは、ただ、愛するだけでいいんだってことに。

やさしくすることや、愛することが、とても難しい世界に、人間は今、住んでいる。誰も知らない小さな島に住んでいる、うさぎ竜は、そのことをあまり知らない。空を自由に飛べる風が、いろいろと教えてはくれるから、何となく、わかるような気はするんだけれど。

竜のくせに、うさぎのように臆病で、ひとり小さな島に閉じこもってすんでいる、うさぎ竜は、今も、知らない。時々、本当に、奇跡のように、自分の姿を見た人間が、それだけで何かに気づいて、自分の本当の心が開き始め、幸福の星がその心に灯るのだと言うことを。うさぎ竜はただそこにいるだけで、ただその姿を見るだけで、人の心に、真実の種をまくことができるのだということを。

子供は、寒くなってきて、月を見上げるのをやめて、客室に帰っていった。うさぎ竜も、月と遊ぶのをやめ、静かに自分の島へ戻っていった。薔薇が、少し寝ぼけた声で、お帰りなさいと言ってくれた。うさぎ竜はほほえんで、ただいまと答えると、自分の洞窟にもどり、静かに寝そべって、疲れた翼を休めた。

夢を見られるといいなあ、と思いながら、うさぎ竜は翼で身をつつみ、目を閉じた。夜の風が空の高い所で不思議な星の歌を歌った。

優しすぎて、臆病なうさぎの竜よ。君は眠っていていいよ。いつか、人間の方が、君をみつけるだろう。君の心が欲しくて、小さな薔薇の実を分けて欲しくて、やってくることだろう。

ああ、そんなときがきたら、どんなにいいだろうね。心なら、いくらでもわけてあげられる。ぼくは、どんなにかいいことができるだろうね…。

うさぎ竜はまどろみながら思った。そして、夢の中で、空に浮かぶ小さな白い船を見た。船の上から、自分に向かって、誰かが手を振っている。うさぎ竜を呼んでいる。うさぎ竜はそれにこたえようとするのだけど、声が出ない。

眠っているうさぎ竜の目に、小さな、薄青い星のような涙が点った。


(おわり)


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