これは、幼稚園の近くの空き地に咲いていたクローバー、だと思います。賢治が、「ポラーノの広場」に書いていた、「つめ草のあかり」を思わせる写真ですね。
本当に、不思議なともし火のようだ。
暮れも押し詰まってまいりました。今年は不調ゆえに、御節作りも大掃除もお休みです。おもちだけは買って、なんとかお雑煮くらいは作ってみますが、大晦日は、おそばのかわりにうどんすきでごまかしましょう。
この一年は、心身の不調との戦いでした。家事はしたくてもできなかった。それでも、最初はなんとか無理にでもと、やっていましたが、無理して作った晩御飯を、子供は食べてくれません。無言で、「やめてくれ」と言っていたようです。だから、冷蔵庫に自分で作って食べられるものを買っておいておくと、いつの間にか食べている。そんな暮らしでした。
末っ子は三男と協力しあいながら、たくましくやっていました。自分でケチャップチャーハンをつくれるようになり、わたしにご馳走してくれるようにまでなってきました。犬の散歩も、お風呂掃除も、言わないのに、いつの間にか自分たちでやってくれるようになりました。
みんな大きくなりました。子供たちは本当に大変だったと思う。何も言わないけれど、辛いことはたくさんあったでしょう。
直ったら、やってあげたいことがたくさんある。でも子供たちは、かえって迷惑がるでしょうね。母親はつらいな。子供にしてあげるのが幸せなのに、子供は迷惑がる。やめてって言われても、やるんだなって顔で、あっちへ行ってしまう。あ~あって、ため息をつきながら、やっぱり、子供のセーターを編んだりしてます。
クローバーは、どこにでも咲いているけれど、写真に撮ってみると、とても強いものを感じます。内部で、鋭いものが燃えていて、こちらを刺してくるようです。美しいのに、苦しい。それは、痛いものは痛いと、主張しながら、強烈な意思で痛いものを刺しにくる。そんなものを感じます。
わたしは、口でいうだけじゃないのよ。やるわよ。そういう花。強い。
それでいて、かわいいミツバチがきたりすると、だまって甘いものをくれたりする。花はどんな花も、やさしい。それぞれに個性はあるけれど、どれもみな、愛のために咲いているから、美しい。
けれども、愛は、つらい。それが愛だと気づかれるのが、痛い。愛してるから咲いてるのだとわかってしまったら、みながくるしい。だから花は、気づかれない間に、散ってしまう。花は隠れるのが上手。
愛するのが、とても上手。
わたしも、花を隠して、上手に、愛してみたいです。