あまりにも有名な伊達騒動。その悲劇(?)の中の一人原
田甲斐は、現在の宮城県柴田町船岡の地に四千三百石を拝領
していた。また、仙台市片平町に原田邸があった。山本周五
郎の小説『樅の木は残った』によって、原田甲斐の評価が一
転した。つまり逆賊から忠臣に蘇ったのである。ともあれ、
事件当時の処置としては、逆賊ということで船岡の領地の建
造物はもとよりその地の三尺(約一m)は取り払われたとい
う。
原田甲斐のそのような歴史をたどると、元、甲斐邸があっ
た地に、残る石垣、その近くに咲いている合歓の花が時代の
栄枯盛衰を見ているようで、もの悲しい。(鎌形清司)
田甲斐は、現在の宮城県柴田町船岡の地に四千三百石を拝領
していた。また、仙台市片平町に原田邸があった。山本周五
郎の小説『樅の木は残った』によって、原田甲斐の評価が一
転した。つまり逆賊から忠臣に蘇ったのである。ともあれ、
事件当時の処置としては、逆賊ということで船岡の領地の建
造物はもとよりその地の三尺(約一m)は取り払われたとい
う。
原田甲斐のそのような歴史をたどると、元、甲斐邸があっ
た地に、残る石垣、その近くに咲いている合歓の花が時代の
栄枯盛衰を見ているようで、もの悲しい。(鎌形清司)