「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

小春日に佇つ雲水ののどぼとけ 遠藤玲子

2020-01-20 05:19:30 | 日記
「雲水」は悟りを開くために諸国を修行して歩く僧をいう。小春日の穏やかな日。「のどぼとけ」が、網代笠に手をやって空に目をやる僧の佇まいを描写している。過日の寒さや悪天候を思わせ、これから先の長い修行の道が思われる句。思わず手を合わせたくなった。(博子)

※特に過酷とされている修行が、天台宗の「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」と日蓮宗の「大荒行」です。 これは「世界三大荒行」に数えられるほど厳しいことで知られています。 千日回峰行とは、白装束(しろしょうぞく)に草鞋、死出紐(しでひも)を肩にかけ、宝剣を腰に差し、約7年の間に1000日かけて延べ4万km(地球1周分)もの距離を歩きます。 一旦修行に入ると、何があろうとも絶対に中断は出来なく、挫折したら自害しなくてはならないそうです・・。 あまりに過酷なので、記録が残る約400年間で完遂出来たのは、50人かいないそうです・・。 大荒行は毎年11月1日から2月10日までの100日間、千葉県の寺院で行われています。 午前2:50に起床し、3時から23時までの長時間に渡って、1日7回の水行や10時間に及ぶ読経、写経などに取り組みます。 その間に朝夕2回の食事があるが、梅干しと白粥しかとることが出来ず、しかもわずか5分で済まさないといけないそうです・・。




秋出水書籍は貝となりにけり 鈴木三山

2020-01-18 06:05:59 | 日記
 この秋、台風19号で河川があふれ、又は決壊して、家や田畑に甚大な被害が出た。「書籍」は大切な物の象徴として詠まれ、浸水深をも語って、水が引いた後の惨状が見えるようだ。「貝となりにけり」は言うまでもなく、口を閉ざしてものを言わないという意味。本来を失っているということだろう。疲弊感さえ感じさせる雄弁な句だと思った。作者も被害に遭っており、頂いた年賀状に「お互いに台風被害大変でしたね。負けずに頑張りましょう!」と書き添えてあった。忙しさに負けて返事を出していないが『ありがとう。三山さんは私より大変だろうに、どんな時も優しいなぁ。』と思ったことであった。(博子)

折鶴の翔び立つかたち初時雨 小林邦子

2020-01-16 05:01:19 | 日記
 「初時雨」は、立冬を迎えて、今年最初に出会う「時雨」のことだが、単に時期を思わせるのではなく、「初」の一字の華やぎのようなものに「時雨」の閑寂を纏う季語。「折鶴の翔び立つかたち」に、静かな躍動感のようなものが巧みに呼応を成している。外の景を詠まれることの多い季語だが、少し寒いと感じて暖かな飲み物が欲しくなりコーヒーの沸くのを待ちながら、一人、自室に手慰みに鶴を折る。嘴を作り、翼を広げて、何だか華やぐテーブル、そして心、寒さに向かう元気も出てきて出掛けてみようかと思ったところにザーと音をさせて初時雨。誰かを思い、何かを願って折った鶴だとしても、暗く侘しい感じのしない前向が思われる句だった。(博子)

浸水の臭の消えぬ冬初め 梨子田トミ子

2020-01-14 04:44:42 | 日記
「だよね~」と作者の実感がそのまま私の実感。秋に被災して季節が進み冬になっても、臭いばかりでなく、まだ終わらない片付けの、見た目から推測される物の重さを裏切られる重さに手を焼いたり、敷居が水を含んで未だに明かない障子や襖があったり。家の汚さにもう目が慣れてしまっている感は否めない。徒労の溜息が聞こえそうな句だった。(博子)

くさめして鎧兜の似合ひけり 冨沢栄子

2020-01-12 02:58:47 | 日記
唐突なくしゃみが武具の物々しさ故に笑いを誘います。そして「くさめ」と「鎧兜」と、時代考証されている感じがまたいいですね。戦国武将になったつもりの凛々しさに現身の嚏。カッコよさ半減ではありますが、「似合いけり」と言い切って、ご主人様でしょうか。まんざらでもない「御台所(みだいどころ)」が作者。楽しい句でした。(博子)