「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

朧月君の良き句に鉄火花 八島 敏

2020-07-24 19:07:45 | 日記
「君」は4月20日に亡くなられた後藤下記さんのことかと思う。俳誌の6月号に訃報が載っていた。「良き句に鉄火花」は
「研磨機に火花とび散る蝉時雨 後藤下記」
かと思う。私が一番に思い出すのは
「鉄橋の音の変り目朴の花 後藤下記」
で、故菅原鬨也主宰が例会で<鉄橋の音と朴の花の静かな佇まいの組合せもさることながら、鉄橋の高さから見ている朴の花への視線が良い>と褒めていらして、ずっと心に置いてあった句。・・・ああ、もう、あの優しい笑顔に会えないのですね。淋しいです。合掌。

星涼し運河をわたる櫂の音 服部きみ子

2020-07-22 04:31:31 | 日記
何処の運河かはあまり重要ではないかもしれないけれど、仙台湾岸には,旧北上川から松島湾を通り阿武隈川まで外洋を通らず舟運が可能な日本一長い運河群があり、この「貞山運河」「北上運河」「東名運河」の三つの運河は現在も治水や利水の機能に加え,歴史,環境,景観などの魅力を有する土木遺産として,多くの人々に愛されています。運河を漕ぐシーカヤックツアーなどもあり、櫂の音が身近にある作者なのでしょうか。「星涼し」と、景は夜ですから、川風に昼の余熱をクーリングダウンさせながら、織姫に会いに行く彦星の櫂の音に耳を澄ましていたのかもしれませんね。(博子)

梅雨の音教科書にある飢饉絵図 芳賀翅子

2020-07-20 03:44:40 | 日記
近年の異常気象や頻発する自然災害、わが国の食糧自給率の低さなどが思われる二物衝撃の句。「梅雨の音」には雨の音ばかりでなく、車が水を跳ねる音とか、防災無線が何かを伝えていたりという、生活音なども含まれると思うが、おおむね静かなイメージである。しかし、雨の降りようが、強く、長く、気がかりの表現として「飢饉絵図」が配されたかと思う。「教科書にある」と記され、「江戸の三大飢饉」が思われたが、習った以外にも、災害は繰り返し起きており、多くの人びとが命を失い,生き伸びた人びとは復興に励み、人口回復や人口増の時代を迎えると次の災害に襲われる。この繰り返しが今の社会に繋がる歴史でもある。「梅雨の音」に澄ます聴覚を「飢饉絵図」の惨状という視覚に落とし込み、災害に身構える作者であり、防災ということを思わないわけにはいかない読者としての私であった。そして、6月4日からの九州地方を中心とした豪雨により、被害に遭われた皆さまに、心よりお見舞い申し上げ、被災地の一日も早い復旧を、お祈り申し上げます。(博子)

悠久の多賀の碑にて昼寝 塗 守

2020-07-18 03:26:10 | 日記
悠久という長い時間と、昼寝という束の間の取合せに国の文化財。俳聖、松尾芭蕉が「おくの細道」で、旅の苦労も忘れて感激の涙が落ちるばかりであったと、その文章を結んだ多賀城の「壺の碑」。「昼寝」という「身体」であじわう季語がユーモラスに働いて、これも俳諧味のひとつ。一読、少しビックリしたが俳人のたくみな計算。「にて」が、自然さえも変化し永遠のものではないけれど、その中に在って、ここには確かに人々が生きた証があることを感じられる詠みになっている。(博子)

袋掛終へて津軽嶺浮かすごと 成田清治

2020-07-16 04:33:35 | 日記
津軽嶺ですから林檎の袋掛け。津軽嶺は、山頂部は岩木山、鳥海山、厳鬼山の3つの峰に分かれていて、稜線がとても美しい「津軽富士」と称される、津軽の人のお国自慢のひとつ。「袋掛」は生活感を背後に負った季語でもあり、この地で育ち、馴染んだ景色として誇らしく写生された句であるように思う。袋掛けが終わった林檎の木から、嶺までの奥行の遠目が、故郷から離れていても描けるほどに、その浮きたった津軽富士の存在を伝えて見事。(博子)