「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

宇宙へとみちびく筆や鶴のこゑ 石母田星人

2019-12-31 04:19:48 | 日記
 なぜ胸が苦しくなるんだろう。と、心を鎮める時間が必要な句でした。私には、鶴のこゑが心の中にとても淋しく響いて来たからです。季語の「鶴」は「めでたい鳥」として説明されており、皆が幸せになる前兆としての「鶴のこゑ」として有る本来なのでしょう。しかし、読まれた筆は「宇宙の理」を説いたものとされる写経をしていると思われ、おそらく天変地異により予期せず奪われた命へ向けて書き写しているのでしょう。古来より「鶴は千年」といわれ「長寿を象徴する吉祥の鳥」として、また夫婦仲が大変良く一生を連れ添うことから「夫婦鶴=めおとづる」といわれて「仲良きことの象徴」の鳥として、鳴き声が共鳴して遠方まで届くことから「天に届く=天上界に通ずる鳥」といわれるなど、尊ばれてきました。でも私は、長寿を象徴する鶴が上五・中七の長寿を絶たれた方々への鎮魂と結びついてしまったようです。(博子)

🐗良い年をお迎えください。🐭

歳晩の厨房に飛ぶタガログ語 成田一子

2019-12-30 05:33:19 | 日記
 忘年会の会場だろうか。年の暮れの厨房の忙しそうな気配が詠まれて、「タガログ語」と、あるのでフィリピン料理店かもしれない。詠まれたのは「動」。そして作者の傍観の「静」。感情の言葉を入れない写実的な俳句なればこそ、作者に巡る思いに想像が向く。フィリピンは人口が増えすぎて仕事量が人工の増加に追いついていなく、大学を卒業しても就職出来ず、日本で働いている人も多いそうだから、フィリピン料理店に限らないとも思う。お正月には祖国に帰れるのだろうか。と、日本で働く様々な国の人にも思いは飛んでいるのだろう。前月号の
「月光や工場へ向ふハングル語 畑中伴子」
を思い出した。私と同じ町に暮らしている方の句で、田舎の働き手としても外国人労働者は居て力となっていることを改めて思った。(博子)

賽の河原に寝て流星の痛きほど 加藤信子

2019-12-20 04:09:25 | 日記
 賽の河原は三途の川の手前にある河原。そんなところに行ったの?、寝たの?。「恐山賽の河原」の写生?。石積、繰り返される獄卒の鬼の非情。と、「非情」を思った時、繰り返し起こる自然災害に連想が繋がった。台風19号の被害に作者の心があるのではないか。まだ、東日本大震災の復旧復興のさ中だというのに又惨事。「流星」は秋の季語で、すぐに消えてしまう儚い光に、願い事を三回唱えれば願いが叶うといわれ、メルヘンチックな顔を持つが、「痛きほど」と、天変の異常を書いている。「寝て」は「暮らす日々・人々」ということになりはしないかと思った。毎日、朝から晩まで汗水たらして働いて、それぞれの生活や仕事の目標に向かって頑張って積み上げたものが破壊され、それでも又、幸せな暮らしに向ってコツコツ積み上げる生活。詠まれたのは「天変地異」という「鬼」なのではないでしょうか。十七音に、ギュッと、作者はお見舞いと、めげずに頑張って、の気持ちを込めて下さったのでしょう。その俳句力に感服です。(博子)

むささびの昼を飛びたつ八幡宮 庄子紀子

2019-12-18 03:13:44 | 日記
 何と貴重な場面に遭遇したことか。八幡宮を背景に映像のしっかりした句。「むささび」は冬の季語だが、なぜ冬の季語なのか歳時記の解説を読んでもさっぱり分からない。知識として夜行性であることは知っていたので、昼の目撃に作者と同じように驚いている。少し調べて見ると、冬はムササビの繁殖期で、まだ明るいうちからメスの巣穴の周辺にオスたちが集まるそうで、恋に狂ったムササビは、観察している人間のライトも、カメラのストロボも、ほとんど気にしないそうです。目撃率が高いので冬の季語なのでしょうか。八幡宮は宇佐新宮を総本社とし、全国に約44,000社あるそうですから、読み手それぞれに思い描く八幡宮に親しみがあり良いですね。(博子)

鈴虫の声を秘めたる書体かな 谷口加代

2019-12-16 04:50:03 | 日記
「書体」は草書体なのでしょう。流れるような書体に感じたのは秋の涼風だったかもしれません。鈴虫の澄んだ声が聞こえて来そうと、草書体の「草」の字と、心が調和したのでしょう。「鈴を転がすような声」と女性の澄んだ美しい声の形容する言葉があります。作者は草書体を「鈴虫の声を秘めたる」と形容し、その、書に通じていないと読み解くことは困難と思われる書体の美しさを感覚でとらえて賛美したのでしょう。「かな」の詠嘆が効いていますね。(博子)