「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

晴れきってイーハトーブの蕎麦の花 佐々木博子 「滝」10月号<瀑声集>

2015-10-25 05:25:02 | 日記
 イーハトーブとは、宮沢賢治がふるさとの岩手県の風土を
もとに、心の中にまざまざと思いえがいていた夢の世界「ド
リームランド」のことである。
 そのイーハトーブに旅した作者、その日は空が高くすみわ
たり、これ以上ないと思うほどの好天気の秋の一日である。
「まあ、どこまでも晴れていること」と思わずつぶやいた言
葉が、そのまま句となったのである。てらいのないこの「晴
れきって」が眼目でリズムを生み出している。一読して景が
よく伝わり作者の顔も見える。気分の良い作品となっている。
 晴れきった青い天空と地上の白いそばの花。イーハトーブ
のそばの花は、ことに美しいのである。(庄子紀子)

鐘楼の鐘は戻らず敗戦忌 梨子田トミ子 「滝」10月号<滝集>

2015-10-24 04:07:33 | 日記
 戦時中、あらゆる金属が軍に供出させられた。それこそ鍋
や釜までも、だったと聞いている。
 掲句の鐘もその一例と見た。全国の鐘楼から鐘が消えた。
供出した後のがらんとした鐘楼。なんとさびしい風景だろう
か。鐘楼の鐘を突いたり聞いたりすることは、日本人の心の
習慣であった。
 戦争が終わって徐々に村や町の人々の努力であらたに鐘が
作られた。しかしいまだに鐘が作られない鐘楼もあるのだ。
戦後七〇年の節目を迎えた。鐘が戻っていない鐘楼を見ると
戦後は終わっていないとおもう。(鎌形清司)

北斎のしぶきあびたき酷暑かな 日野紀恵子 「滝」10月号<滝集>

2015-10-23 04:05:57 | 日記
 今年の夏は、この東北でも暑い日が続き、連日クーラーの
音が絶えなかった。不思議な夏の前半であった。
 暑い、暑い、暑いね・・の言葉が挨拶となる日々、部屋に
かざってある葛飾北斎の版画の波を見るにつけせめてこの波
のしぶきだけでも浴びてみたいものよ・・と作者の一人ごと
である。やっと子供たちから手が離れたと思ったのも束の間、
日常の雑事からは抜け出せない作者なのである。せめてお風
呂でシャワーだけでも、とシャワーを利用しているのである。
「浴びたき」に暑さを出した一句。(庄子紀子)

仏壇のらふそくの減り蟬時雨 高森久典 「滝」10月号<滝集>

2015-10-22 04:28:44 | 日記
 盂蘭盆は、ご先祖様や亡くなった人を家に迎えてまつる。
遠くにいる子供たちも帰って来て先ずは線香をあげなければ
その先の全てが進まないと言っても過言ではない。親戚や縁
者がその家の先祖にお参りをしてくれる風習は、全国的に普
遍である。この家も沢山の人々がお参りに来てくれている。
そのために仏壇の蝋燭は火を付けたままにしてある。久しぶ
りの親戚・縁者との再会でもある。積もる話しで時間が過ぎ
て行く。外は蝉しぐれである。中七の「らふそくの減り」が、
すべてを語っている。しみじみとした日本のよき習慣の景で
ある。(鎌形清司)

かなかなやわが晩年の並木道 鈴木要一 「滝」10月号<滝集>

2015-10-21 04:28:54 | 日記
 かなかなは私たちの身近で夏から秋に掛けていつも鳴いて
いる。鎮守の森、寺の境内、学校の裏山など。
晩年を迎えて郷里え帰った作者。久しぶりに歩き慣れた並
木道を歩いた。
 この句の「かなかな」という呼び方は少年時代からの思い
出に通じる呼び方だと感じる。その少年時代の思い出がいっ
ぱい詰まっている並木道を歩けばかなかなが鳴いている。少
年時代からの幾星霜が走馬灯のように蘇ってくる。かなかな
の鳴く声がBGMとなって・・・。(鎌形清司)