「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

傾城の森の通い路ほととぎす 鈴木幸子

2020-08-24 06:19:16 | 日記
傾いた城のある森?、何処?。と、我が無知に笑ってしまった。傾城森(けいせいもり)と山伏森が並んであるそうで、悲恋物語が伝わっている。およそ300年前、楼主に抱えられて自由のない芸妓と、厳しい掟に縛られた山伏との恋は、世間に認められるはずもなく、二人は手を取って京都へ逃げ出し長旅の末、この地にたどりつき、人目を忍びながらも楽しい日々を送ったそうなのです。しかし、それもつかの間のこと、女性は重い病気にかかりました。男性は、回復するように一心に祈り、薬を求め、一生懸命看病した甲斐があって、病は少しずつ快方に向かいましたが、所持金が乏しくなってきて、生活に困るようになり、将来を危ぶみ自ら命を絶ってしまいます。そして、後を追って女性も死んでしまいました。だいぶ省略しましたが、そんな物語のある場所が通い路。激情的なほととぎすの声に思い出した物語だったかも知れませんね。(博子)

どくだみの根や地下鉄の路線地図 堀籠政彦

2020-08-22 04:11:32 | 日記
共通イメージとしての二物衝撃の句。すぐさま東京の地下鉄路線地図を思った。頭が痛くなるが乗ったことがある。長男の次女が産まれた病院は地下鉄に乗らなければなかった。「お母さん、駅員さんに聞いて乗せてもらうんだよ」と言われた。どくだみと地下鉄の地中の存在感に納得してしまう。(博子)

声きけば愛しさつのる蛍の夜 鈴木弘子

2020-08-20 02:58:19 | 日記
コロナ禍でなければ、艶っぽい句として読めたかもしれないが、今は大切な人を大切に思えばこそ「離れてつながる」を実践しなければならない。お孫さんからの電話だったろうか。私の父方の祖母は、毎年、仕立てた浴衣を着せて蛍を見に連れて行ってくれたのを思い出した。「愛しさつのる」の実感は、私にもよくわかる。東京で暮らす息子家族に会えるのは何か月先になるのだろう。終息願うばかりだ。(博子)

差し水にポンプの応ふ旱寺 及川源作

2020-08-18 04:36:02 | 日記
懐かしい景ですね。お寺にあるところが又いいですね。住職さんが慣れた手つきでやっているのを見ていたのでしょうか。手押しポンプを思いました。ガチャポンプとも呼ばれる手でハンドルを押し下げて水を吸い上げるポンプでその時の音がそのまま商品名になっています。「差し水」は「呼び水」のことかと思います。水によって隙間を埋めて配管内の気密性を高めるために行います。これによって、配管内部からの空気を抜き取り、必要な真空状態をつくりだします。水を呼ぶための水です。「旱寺」とありますので、作者はそもそも井戸に水があるのかと心配していたのでしょうね。「応ふ」と勢いよく出たことに感動してのお作でしょう。(最初に懐かしいと書きましたが手押しポンプは今も使われていて農家の方が使っていたりします。部品も手に入りますし、製品も出ています。)博子

防空壕の少女の記憶  服部きみ子

2020-08-16 05:05:48 | 日記
八月号だからか、他にも、
「桑の実を含めば焼夷弾の空 池添怜子」
「疎開の記憶は車窓の白ハンカチ 遠藤玲子」
があった。ゆるぎない恐さを放って詠まれた戦争体験者の実録である。第二次世界大戦の終戦は昭和20年。そのたった8年後に私は生まれ、物心がついた頃には平和であった。その年月を不思議に思うことがある。伝え聞く戦争は、もっともっと遠い昔のような感覚がいつもある。そして思う。直接、伝え聞くことが出来る世代であることの責任のようなものを・・・。「防空壕」「焼夷弾」「疎開」。知らなければならない戦争。もう未来永劫あってはならない戦争なのである。(博子)