「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

秋うらら嬰が手を振る乳母車 遠藤玲子

2020-12-25 05:01:56 | 日記
さわやかで穏やかな秋晴れの散歩日和と、赤ちゃんの組合せ。コロナ禍なので駆け寄って、乳母車にしゃがんで、赤ちゃんを見られなかったかもしれないけれど、少し距離を取って振った手に赤ちゃんも覚えたてのバイバイをしてくれたのかもしれない。とても幸せな気持ちになる句。ママの会釈も見えるようですね。(博子)


竜淵に潜む魁夷の濤の絵図 芳賀翅子

2020-12-23 05:45:49 | 日記
古代より中国では、龍は霖旱を支配する神と考えられてきた。『霖』は長雨、『旱』は日照りのこと。龍は、「春分に天に昇り、秋分に淵に潜む」と。そして、東山 魁夷(ひがしやま かいい)は風景画の分野で昭和を代表する日本画家の一人、その中から句に切り取ったのは、山口県の青海島の瀬叢 (せむら) と呼ばれる岩礁をモチーフにしたとされる《満ち来る潮(岩にしぶきを上げる波の動き)》と《朝明けの潮(穏やかなゆったりした波の動き)》ではないだろうか。竜という水の神は一年の糧である稲が十分に育ち、収穫が間もなく終わる頃、淵に沈んで来春を待つ。作者の連想の独自性にいつも魅かれる。(博子)

鯉の口どれもまんまる暮の秋 齋藤善則

2020-12-21 04:45:16 | 日記
「どれもまんまる」という俳人らしい発見の描写が楽しくて可愛い。我が家の池にも鯉がいて、見ていたはずなのに餌の食べっぷりばかりに目がいっていた。「暮の秋」は、越冬に向けての荒食いの時期で、鯉の世話をしている父がいつもの粒々の餌に加えて釣り用の練り餌をやったりする。そうです、まんまるな口が父の手から練り餌を食べます。鯉は足音で父と分かるようで、私が池に行っても逃げないけれど寄ってこないし、知らない人が池を見に来ると逃げます。作者はもっと広い景色の中に池を見ていて、散紅葉の浮かぶ中を寄ってくる鯉を親しく感じたのでしょう。目の効いた、とても好きな句でした。(博子)

竜田姫夫婦茶碗の菱結び 今野紀美子

2020-12-19 05:11:43 | 日記
錦秋の女神「竜田姫」。紅葉の美しさに感激の声を上げるようなプレゼントです。桐箱に入れられ、水引の菱結びで飾られた箱に入っていたのは夫婦茶碗。結婚記念日のプレゼントでしょうか。ご夫婦が嬉しさに見つめ合う顔が見えるようです。作者は私より少しお姉さんなので、金婚式でしょうか。おめでとうございます。(博子)

かまつかや十一日の日暮雨 小林邦子

2020-12-17 03:54:49 | 日記
「かまつか」は葉鶏頭の別名で秋。さて十一日は何の日。日暮れの雨は淋しい。そんな連想の中に去年の台風19号が思われて、葉鶏頭の赤は、気象庁の警報・注意報の天気図の配色表示かと思いました。台風が接近しつつあった十月十一日、気象庁は記者会見を開いて注意を呼びかけました。その日と同じように日暮れに雨が降って、あの台風を振り返っている。そんな感じ?。何だかしっくりこないと思っていたら、作者へメールした「お誕生日おめでとうございます。」に返信あって、十一日は東日本大震災の月命日であることが記されていた。それでやっと「ああ」と思い、私に起きていた記憶の風化を知ることになった。台風で床上浸水した我が家の記憶が上塗りされてしまっていたことを反省した。「かまつか」の殊更の赤い色に血の色(命)が思われたのかもしれない。日暮の雨に、あの日の夕方、無情にも雪が降ったことが思い出されたのかもしれない・・・。(博子)