「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

嚏してぷるんと魚に戻りけり 成田一子

2018-12-31 04:37:11 | 日記
物凄く感覚的な句。嚏が出たと思ったら、どうやら風邪をひいたらしい。熱が出て、体に芯のない感じが「ぷるん」であり「魚に戻りけり」は浮遊感なのだろう。「思ったことを思った通り言った」と言うことで言えば「観念句」という事になり、「観念」は俳句の叱り言葉としてしばしば使われるが、それは、観念の世界が「類型」に取り巻かれ「類型」の罠にかかりやすいからだろうと思う。掲句は、心理の層で深化を止めず、熱の体の感覚を直情して、誰でも思いつく言葉の範囲を超えて、不思議な感覚を読み手に残すフレーズとして詠みあげた。「戻りけり」と言われたら、「人間の前は魚だったの」と突っ込みたくなるが、これは前世ではく、人間の受精後5週目頃のヒトの胚が尻尾を持ち、首の周辺には鰓ひだがあり、ヒトが魚にそっくりな時期の図を思い出しはしないだろうか。十月十日とされる妊娠期間。「ぷるん」が不完全な形を思わせるように、風邪が癒える期間と、微妙に、かつ確かに働いている気がする。医師に処方された薬の残りはあと何日分だろう。日数(ひかず)を待つ今の仕方無さがこの言葉として変換さたとき、風邪も退散を考えたのではないだろうか。作者の作句力にも驚くが、俳句という文芸の底知れない魅力を改めて思った句だった。(博子)

良いお年をお迎えください。

稲雀星に帰つてしまひけり 齋藤善則

2018-12-21 04:29:07 | 日記
 雀が星に帰ったなんて、とても童話的だか、星の見えない昼の空を仰ぎ見ている感じがして何故か淋しい。目に見えているのは嘗ての稲雀ではないだろうか。田圃に稲が実っているから稲雀が来る。農家にとっては迷惑な稲雀だが、雀は人間社会の近くに生息し、人間や人工物の恩恵を受けて共生する野生の生き物だから、人の暮らしのないところにはいないのだ。東日本大震災で発生した東京電力福島第一原子力発電所事故によりいまだ帰還困難区域になっている所もある。事故以来、手入することの出来ない田圃を思わないではいられない。雀は行き場を失ったけれど、以前暮らした星に帰ったのだ。そう思えば少し救われる気がするし、
「稲雀茶の木畠や逃げどころ 松尾芭蕉」
のように、雀おどしに追われて一旦逃げたのが星で、又来る稲雀であって欲しが「帰つてしまひけり」なのだ。(博子)

天高し浮子は流れて雲に入る 栗田昌子

2018-12-19 04:41:52 | 日記
 釣りのことはよく知らないが「流れ」があるので、秋の空を映した川で釣りをしているのでしょう。浮子は水流の方向や速度を知るために水面に浮かべるもので、目印の役目もあり色彩が美しい。それがスーと流れて白い雲に入ったという色のコントラストに魅かれるし、鰯雲を思ったら鰯が釣れるのかと楽しい句。「天」と言う縦線と「川」と言う横線に、流れに浮子の引っ張られる釣り糸の斜線が一次関数のグラフのようでもあり、秋という季節のキリっとした空気感も感じられるような気がした。(博子)

鮮やかに廂の影を十三夜 鎌形清司

2018-12-17 04:36:09 | 日記
「鮮やかな影」に、晴れて見事な十三夜の月を思う。「廂」に「家」を思えば、ベースに樋口一葉の小説「十三夜」が置かれたかと、明治の男尊女卑の時代の結婚の悲しい空気感が冬に向かっていく十三夜の纏う陰性とよく合っているように思う。小説のあらすじを書くと長くなるが、かいつまんで言うと、主人公のお関は懇願されて上級官史の妻となったが、息子を置いて実家に帰り、そして戻ってくる物語だ。物語を知らない人でも実家に帰るまでの我慢の限界は想像できるでしょう。そして息子のために嫁ぎ先に戻るのです。戻るために乗った人力車の車夫が、偶然にもお互い口には出さなかったが惹かれあう仲だったことが一層物語に哀感を漂わせます。妻ではなく母として生きようと嫁ぎ先に戻ってきたお関の決意の後ろ姿が見えるような句だと思いました。(博子)