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自然の中に身を置いてみませんか?

安倍政権の7年8カ月

2020年08月31日 | 社会・経済

有機食品に農薬排出効果、研究報告相次ぐ

2020年08月30日 | 食・レシピ

猪瀬聖 | ジャーナリスト

  YAHOO!ニュース(個人)8/25(火) 

    有機食品を食べると体内に残留する農薬の量が大幅に減ることが、最新の研究で改めて明らかになった。農薬は、政府の決めた使用量が守られていても、日常的に摂取すると内臓機能や胎児・子どもの発育に予期せぬ影響を及ぼす恐れがあると指摘する専門家は少なくない。そのため、農薬の摂取や蓄積をどうすれば防げるか世界的に関心が高まっている。

グリホサートを調査

    研究は、国際環境保護団体の「地球の友」に所属する米国の科学者らが行い、今月11日、学術誌『Environmental Research』に掲載された。

    米国内の各地から4家族を選び、4歳から15歳までの子ども9人を含めた計16人に、まず普段通りの食事を5日間続けてもらい、6日目からは朝昼晩とも、農薬や化学肥料を使わずに生産した有機農産物のみを使った食事に切り替え、6日間、継続してもらった。その間、毎日、尿を採取し、分析した。

    分析した農薬は、除草剤のグリホサート。グリホサートが体内で変化し生成されるアミノメチルリン酸(AMPA)も同時に分析した。グリホサートは日本を含む世界各国で大量に使用され、世界で最も人気の除草剤だ。しかし、その一方で、発がん性の疑いが浮上し、フランスやドイツ、メキシコなど各国が続々と使用禁止に動いている。

    米国内でも、自治体レベルで規制強化の動きが広がっているほか、グリホサートが原因でがんを発症したと主張するがん患者らによる、開発元の独バイエルを相手取った巨額訴訟が起きている。

    日本でも最近、学校給食用のパンや国産大豆など様々な農産物からグリホサートが検出されている。ただ、欧米のような具体的な規制強化の動きは今のところない。

2日で7割以上減少

    地球の友らの研究では、16人から採取した合計158の尿サンプルを分析した結果、全サンプルの93.7%からグリホサートが、96.9%からAMPAが検出された。グリホサートやAMPAが検出されなかった参加者は1人もいなかった。

    6日目から食事を有機食品に切り替えると、グリホサートとAMPAの尿中濃度が、平均してそれぞれ70.93%、76.71%減少した。大人と子どもで減少幅に大きな違いはなかった。ただし、濃度自体は、切り替え前も切り替え後も、子どものほうが大人よりグリホサートで約5倍、AMPAで約2.5~4.5倍高かった。

    また、大人も子どもも、食事を有機に切り替えた2日後に濃度が大きく低下したが、その後はほとんど変化がなかった。

    調査チームは、グリホサートを対象としたこの種の調査は「初めて」と強調した上で、「今回の研究からわかることは、(農業従事者などを除く)一般の市民にとっては、グリホサートに曝露する最大の原因は普段の食事であり、このため、グリホサートの影響を減らすには食事を有機に切り替えることが最も確実な方法だ」と指摘した。

    食事を有機に切り替えると体内の農薬を劇的に減らすことができることを示した研究は、日本でも最近、報告されている。

ネオニコチノイドも

    NPO法人・福島県有機農業ネットワークは、北海道大学の研究者らと協力し、殺虫剤ネオニコチノイドを食事によって体内から減らせるかどうか実験し、その結果を昨年、発表した。

    ネオニコチノイドは、グリホサート同様、世界各国で使用され、日本でも各地で米や野菜、果物の栽培などに使われている。しかし、子どもの発達障害や、自然の生態系の崩壊との関連が指摘されており、やはりグリホサート同様、禁止や規制強化する国が相次いでいる。

    日本では、獨協医科大学と北海道大学などの研究チームが、極低出生体重児を対象に行った調査で、新生児の尿から検出されたネオニコチノイドの濃度と新生児の体重との間に相関関係があると指摘した論文を昨年、発表。また、産業技術総合研究所と東京大学などの研究チームは、島根県の宍道湖でウナギやワカサギの漁獲高が激減したのは周辺の水田に散布されたネオニコチノイドが原因の可能性が高いとした論文を、やはり昨年、発表している。

    政府もこうした研究結果は把握していると見られるが、日本ではむしろ、ネオニコチノイド系農薬の新規登録が目立っている。

    福島の実験では、参加した家族に、有機栽培の米や野菜、有機飼料で育てた豚の肉などを一定期間食べ続けてもらい、尿サンプルを分析。すると、有機食品を食べ始めて約1週間後にはネオニコチノイドの尿中濃度が半分以下になり、1カ月後には当初比で94%減少した。

    有機食品は世界的に需要が伸びており、とりわけ新型コロナウイルスの感染拡大以降は、消費者の健康意識や食に対する安全志向の高まりで、先進国を中心に人気が急速に高まっている。ただ、日本ではまだ認知度が低く供給も限られているため、他の先進国と比べると消費者は手に入れにくいのが現状だ。


8/24の関連記事も参照ください

有機食品、コロナで人気に拍車

2020年08月24日 | 食・レシピ猪瀬聖 | ジャーナリスト

 久しぶりにいい雨が降りました。今日のお昼に確認したところ私設雨量計で100mmにたっしています。16.2℃―12.4℃最低気温はまだ下がる可能性があります。寒くて長袖の服を出してきました。

 先日のスイカドロ。人間様の可能性が高くなってきました。獣の足跡がないこと、獣特有のにおいがないこと、株が抜けてなく果実だけを切り取っていって持ち帰った様子(周りに食べた形跡がない)。防犯カメラとまでいかずとも防犯ライトでも設置したほうが良いかな?

首相退陣表明 「安倍政治」の転換こそ

2020年08月29日 | 社会・経済

「東京新聞」社説2020年8月29日 

 安倍晋三首相(自民党総裁)が辞意を表明した。持病の潰瘍性大腸炎の再発が理由だという。健康悪化が理由ならやむを得ない。憲法を軽んじる「安倍政治」を転換する機会でもある。自民党は速やかに後継総裁を選び、山積する課題への対応に万全を期すべきだ。

 首相はきのう午後五時からの記者会見で「八月上旬に潰瘍性大腸炎の再発が確認された。国民の負託に自信を持って応えられる状態でなくなった以上、首相の地位にあり続けるべきではないと判断した」と述べた。

◆任期途中2度目の辞任

 二〇一二年十二月に政権復帰した首相は昨年十一月、第一次内閣と合わせた「通算」在職日数が憲政史上最長となり、今月二十四日には、第二次内閣以降の「連続」在職日数も大叔父の佐藤栄作首相の二千七百九十八日を超え、史上最長を更新したばかりだった。

 党総裁としての任期は来年九月まであり、首相としては新型コロナウイルス対策に取り組み、来年に延期された東京五輪・パラリンピック開催を花道に、退く道筋を描いていたに違いない。

 首相自ら「アベノミクス」と呼んだ経済再生策は新型コロナの影響もあって国民の実感に乏しい。「戦後外交の総決算」とした北方領土返還や北朝鮮による拉致問題も前進がない。第一次内閣に続く道半ばでの病気退陣に首相は「痛恨の極み」と述べた。

 とはいえ首相交代は第二次内閣以降の「安倍政治」を転換する機会でもある。

 首相はこの七年八カ月間に特定秘密保護法やカジノ解禁法、「共謀罪」の趣旨を含む改正組織犯罪処罰法など、国論を二分する法律を、野党や国民の反対を押し切って次々と成立させてきた。

 歴代内閣が違憲としてきた「集団的自衛権の行使」を、一内閣の判断で一転容認し、他国同士の戦争への参加を可能にする安全保障関連法の成立も強行した。

◆憲法軽視の「一強政権」

 さらに憲法五三条に基づく臨時国会の召集要求も拒否してきた。一五年は召集せず、一七年は要求を三カ月以上放置し、召集日に衆院を解散した。新型コロナや豪雨への国会対応が求められる今年も召集を拒否している。

 憲法を尊重し、擁護すべき立場にありながら改憲を主張し、現行憲法と誠実に向き合わない姿勢を見過ごすわけにはいかない。

 また、長期政権は「安倍一強」とも呼ばれる政治状況を生み、与党議員や官僚らの間に、首相ら政権中枢に過度に配慮する忖度(そんたく)をはびこらせた。

 格安での国有地売却が問題視された森友学園を巡る問題では、官僚機構のトップとして君臨してきた財務官僚が、公文書偽造に手を染めるにまで至った。

 首相と親密な関係にある加計学園の大学の獣医学部新設を巡る疑惑や、公的行事である「桜を見る会」の私物化問題も、一強に起因する弊害と言えるだろう。

 法務官僚の違法な賭けマージャンや、財務次官の女性記者セクハラ行為など「統治機構の根腐れ」ともいえる深刻な状況も生んだ。

 後継首相は、こうした憲法を軽んじ、統治機構の根腐れを生んだ「安倍政治」を、どう転換するのかも問われることになるだろう。

 安倍氏の辞意表明を受けて自民党は後継総裁選びに入る。

 「ポスト安倍」を選ぶ総裁選には、自民党の岸田文雄政調会長や石破茂元幹事長らが立候補に意欲を示しているほか、安倍政権を支え続けてきた菅義偉官房長官を推す声もある。

 総裁選は任期満了の場合、一般党員を含めた選挙となるのが通例だが、任期途中の辞任など緊急を要するときは、国会議員と地方代表による両院議員総会で決めることができる。この場合、国会議員票の比重が重く「永田町の論理」による総裁選びとなりかねない。

 国政に空白は許されないのは当然だが、政権の連続性を理由に、安倍首相の意向が強く反映されたり、国民の思いと懸け離れた総裁選びにすべきではない。

 可能な限り、国民により近い党員の意思が反映されるような総裁選となることが望ましい。党内有力者の話し合いによる選出など断じてあってはならない。

◆速やかに国民の信問え

 自民党総裁選は、一政党の党首選びではあるが、首相候補を選ぶ選挙でもある。国民に開かれた論戦にすべきは当然だろう。各候補は新型コロナ対策など緊急を要する課題にどう取り組むか、自らの理念や政策を丁寧に語るべきだ。

 誰が党総裁になろうとも、首相就任後、速やかに衆院を解散し、主権者たる国民に信を問う必要もある。立憲民主、国民民主両党の合流話が進む野党側も、選挙準備を急ぐべきだ。次の衆院選は政権選択にふさわしい選挙となることを望みたい。


 国民の声を聴く体制などみじんもない。二階氏を中心に「三密」政治がなお健在である。

今日の気温24℃―18.7℃であるが、最低気温はまだ下がる可能性が強い。待ちに待った雨である。

 昨日術前の検査がすべて終わった。9/1入院、手術の予定。石だけを取るのではなく、臓器(胆のう)自体を取ってしまうという。ブログもしばらく休みます。


外国人から回避されつつある日本。“現代の奴隷“が生み出されてしまう原因とは?

2020年08月28日 | 社会・経済

 

ハフポストNEWS 2020年08月28日 

 欧州や他のアジア諸国の人気が高まる中、働く場所としての日本が選ばれなくなる未来が近くまで来ている。

 世界的な新型コロナウイルス危機の中、サプライチェーンの分断や機能不全が危惧されている。多国籍企業はその影響を踏まえ、取引先(以下、サプライヤー)との取引の保証や、事業継続に向けた対策をとりはじめた。とくに影響を受けやすい脆弱な人々の存在を把握し、保護するといった責任ある行動が、企業の事業継続、ひいてはそこで働き、また製品を購入する私たちの生活にとっても重要だ。

 国内に目を向けると、外国人労働者がまさにその影響を受けやすい人々だ。厚生労働省によると、日本の外国人労働者数は2019年10月時点で166万人と過去最高を記録した。一方で、2019年4月に新たな在留資格である「特定技能」が創設されて1年が経つが、受け入れ数は当初想定された10分の1にとどまっている。特に人手不足に陥る繊維産業や建設産業、食品産業など人手を多く要する産業における外国人に対する不当な扱いは現代奴隷や強制労働にあたるとして国内外で問題視されている。

 企業の持続可能なサプライチェーン推進の観点からみると、外国人労働者の受け入れを適正なプロセスで行うとともに、自社および取引先(以下、サプライチェーン)でいかに生きがいを感じて働いてもらえる環境を構築できるかが重要となる。

サプライチェーンにおける外国人労働者の問題とその原因

 外国人労働者が強制労働のリスクに晒されやすいのはなぜだろうか。まず、外国人であるがゆえに社会的・経済的差別を職場で受けやすいこと。そして、国境をまたがる移民経路(コリドー)が複雑であり、それ故に関与する機関が多岐にわたること。求職者(労働者)の立場が弱く情報へのアクセスも限られていることが理由として考えられる。

 一つ目の社会的・経済的差別は、外国人労働者に対する不当な扱いを引き起こす。長時間労働や法外な低賃金での就労については、企業がサプライチェーン上でこうした問題が発生しないよう、労働環境のモニタリングに取り組むのが一般的だ。外国人労働者については、パスポートの没収や来日のために背負わざるを得ない多額の借金や保証金の徴収がないかなどにも注意する必要がある。

 外国人労働者に関わる問題の解決を難しくしているのは、残り二つの原因からである。特に移民経路での問題を解決しようと考えたときに問題となるのが、「仲介機関の不正行為」。外国人労働者を受け入れる際に企業は、「同業他社から紹介された」「労働力不足を補えると直接営業に来たから」などの理由で、受入監理団体などの仲介機関を適切に選定、精査せずに契約することが多く、仲介機関の不正行為が発覚せずに野放しになることがままある。仲介機関は、労働者から過剰な手数料や保証金を徴収するなど、直接的に問題を引き起こす場合がある。また、海外の送出機関から国内の仲介機関へ支払われる営業接待費が、労働者の手数料に転嫁されるといった間接的な問題も関わっている。

 注意しなければならないのは、こうした問題が、各企業の人権侵害のリスクだけにとどまらないことである。労働力の確保の悪化という形で日本全体に長期的な影響を与える可能性があるからだ。

 実際、われわれの調査では、あるベトナムの送出機関は日本への送出しの近況について「特に縫製業界と建設業界については人気がなくなってきており、応募が少なくなっている」と述べている。働き先として日本を嫌厭する傾向が高まりつつある。さらに、賃金だけでなく「手続きに関するサポートの手厚さや商習慣、社会インフラや社会保障、福利厚生の手厚さ」といった理由で渡航先を選ぶ外国人が増えているため、欧州や他のアジア諸国の人気も高まっているという。このままでは、働く場所として日本という国が選ばれなくなってしまう。そんな未来が近くまで来ているのである。

課題解決に向けたイニシアチブ

 この問題に対し、筆者の所属するNGO一般社団法人ザ・グローバル・アライアンス・フォー・サステイナブル・サプライチェーン(以下、ASSC)は、「外国人労働者協議会(ラウンドテーブル)」(以下、協議会)を2018年10月に創設した。本協議会は、日本における外国人労働者の受入れに関わる特有の問題に対応しつつ、日本企業の取り組みを世界に誇れる水準まで引き上げることを目指す日本発のイニシアチブとして、①国際的な基準と日本の制度のずれ(ギャップ)を整理すること、②企業が国際的な基準を遵守するための指針を明らかにすること、そして③当指針に基づく共通の理解と目標を関係する諸団体と設定し、これらと協力しながら企業の実践を後押しすることに取り組んできた。

 

協議会では、日本の大企業を中心に、政府関係者、NPO/NGO、研究機関、学生など多様な関係者が参加。顔を突き合わせて、上述した問題を共有しつつ、それぞれの立場での見解や解決に向けたアクションの必要性を議論してきた。

 また、2019年5月に実施したベトナムとミャンマーでの現地視察ツアーでは、外国人の送出機関で日本語を学ぶ外国人の様子を見たり、現地政府や送出機関経営者にこの問題に対する考えを聞いた(詳細は報告書を参照)。

外国人から回避されつつある日本。“現代の奴隷“が生み出されてしまう原因とは?

サステナブルブランド・ジャパン

 私が見た、現地で日本への渡航を待つ外国人の方々は、皆一生懸命に机に向かって日本語を学び、日本への渡航、そして働くことを夢見ていた。彼らが数ヶ月後にたどり着く“日本”は、彼らの目にどのように映るだろうか――。こうした海外の若者が、日本で夢を満足に追うことのできる環境をつくることは、受け入れ国の社会の一個人として、大切なことだと改めて感じた。

 2019年7月には、活動を加速させるべく企業分科会を発足し、参加した約10社の企業とともに、大手企業が自社のサプライチェーン上の企業にどのようにしてポジティブな影響を生み出すことができるか、具体的なアクションについて検討を重ねた。議論の中では、サプライヤーの協力をどのように得られるか、国際基準と国内の制度とのギャップをどのように表現するかといった、現場でいかにして活用するかという現実的な視点で何度も話し合った。

「外国人労働者の責任ある受入れに関する東京宣言2020」

 目指すべき外国人労働者の受け入れのあり方を示すため、ASSCは4月1日、日本における「外国人労働者の責任ある受入れに関する東京宣言2020」(通称「ASSC東京宣言2020」)を発表した。本宣言は、日本で働く外国人労働者がいきいきと働ける環境を整備するための13要件をまとめたものである。法的な拘束力もなければ、これに賛同した組織に対して課される条件などもないが、企業は、これをサプライチェーン上の外国人労働者への配慮に対する姿勢を示し、現状をより良く変えて行くための指針として活用することができる。宣言には「外国人労働者に採用手数料および関連する費用を負担させないこと」「身分証明書等がいかなる場合も労働者本人が管理可能であること」「外国人労働者の自由意思による転職、退職が尊重されること」などが含まれている。

 本宣言は「責任ある移民労働者の雇用」に関する国際的な規範とされる、ダッカ原則や国際移住機関、国際労働機関等の提唱する各種ガイドラインを参照した。日本における外国人労働者の受け入れに関する諸制度を踏まえつつ、国際基準に最大限準拠するよう考慮している。

 本宣言に沿った取り組みを推進する上でのポイントになるのは、①ビジョンの共有、②影響力の創出、③各組織へのエンパワーメントである。

 ASSCは外国人労働者ラウンドテーブルと東京宣言の発表を「ビジョンの共有」と位置付け、今後は目標を共有する企業や政府機関、NPO/NGOと協力して、社会的な影響力を高めると同時に、本宣言に取り組む企業を後押しするためのアクションを起こしていこうと考えている。具体的には、外国人労働者ラウンドテーブルの一環として、日本国内の仲介機関(受入監理団体など)を対象としたイニシアチブの発足や、企業のサプライチェーン上の労働者の声を拾い上げ、よりよい労働環境の創出につなげるための「ASSCワーカーズ・ボイス」の展開を予定している。宣言には、すでにトヨタ自動車やアシックス、ミキハウスといった企業のほか、海外の送出機関からも賛同表明がある。

 外国人労働者のより良い受け入れ環境をいかにして整備するかというテーマは、国際社会の目指す持続可能な開発目標(SDGs)の達成に向けた重要な取り組みである。労働力不足が叫ばれて久しい日本は、移民の受け入れこそ公に認めていないものの、実際には私たちの生活は多くの外国人の働きに支えられている。コンビニやそこで売られる食品、その原材料が作られる農家や漁場、あるいは日本製の衣服を作る工場、すでに生活の中で共存しているのである。受け入れ環境の整備は、日本が「世界の働く人々から選ばれる国」になるために欠かせないものである。そのためには多様な角度からより良い解を導き出し、実行していくことが求められる。企業だけでなく、日本社会全体で考えていく必要がある。


 このような現象はアベの差別的ヘイト的姿勢に裏打ちされたものだろう。アベ退任を受け、弱者に寄り添う多様性のある社会、連帯する社会が構築されることを望む。

 32.2℃ー21.6℃。
ハウス内の最後の大きなスイカが何者かに持ち去られた。すでにトウキビの収穫も終わり、ハウス内までは来ないだろうとの油断があった。ラジオも点けていなかった。不思議な点が多い。まず、侵入は裾ビニールの上を越えて侵入。そこに植えていた唐辛子の枝が折れていた。そして取られたスイカの周りには足跡が全然ない。結構大きなスイカなのでたいていはその場で食べてしまうはず。でもそのままくわえて後ろの開けてあるドアに運んでいる。途中のパブリカが倒され、枝が折られている。ドアは開けてあるが網は張ってあった。今年は珍しく獣害もなく油断していた。


大坂なおみさん、試合のボイコットを表明 警察官の黒人銃撃事件に抗議

2020年08月27日 | 社会・経済

大坂なおみ決勝進出 棄権急転出場22位2-0撃破

 こうなれば優勝して、一時は棄権した真意をさらに伝え、訴えるのも大坂選手の役目かもしれない。人種差別はあってはならない。
写真はUPできませんでした。

「Black Lives Matter」と書かれたTシャツを着て女子シングルス準決勝の会場に入る大坂なおみ(AP)

<テニス:ウエスタン・アンド・サザン・オープン>◇28日(日本時間29日)◇女子シングルス準決勝 【写真】女子シングルス準決勝で力強くリターンを放つ大坂なおみ(AP) 2度の4大大会優勝を誇る世界ランキング10位の大坂なおみ(22=日清食品)が、同22位のメルテンス(ベルギー)に6-2、7-6で勝ち、19年10月の中国オープン(北京)以来、ツアー通算8度目の決勝に進んだ。29日(日本時間30日)の決勝では、同59位のビクトリア・アザレンカベラルーシ)と対戦し、ツアー通算6度目の優勝に挑む。大坂は、黒人男性銃撃事件への抗議で、いったんは準決勝を棄権すると表明。しかし大会と協議し撤回した。    ◇   ◇   ◇ 強烈なメッセージとともに、大坂がコートに入場した。ウエアの上に着ていたのは「Black Lives Matter(黒人の命も大切だ)」と胸に大きく書かれた真っ黒なTシャツだ。1度は棄権で示した抗議を、試合に出場しても、しっかりと意思表示をした。 棄権を決め「試合をやらない覚悟はしていた」。大会は大坂に賛同し、抗議行動として、前日の27日、全試合を中止した。1度、気持ちは終戦し、1日の空白もあった。しかし、全く気持ちは切れていなかった。左手を何度も握りしめ、ガッツポーズで自分を奮い立たせた。 第1セットのスタートから3-0とリードし、流れをつかんだ。昨年、生まれ故郷の大阪で開かれ、優勝した東レ・パンパシフィック準決勝でストレートで破った相手だ。第2セットは少し手こずったが、その時と同じようにストレートで下した。 26日の準々決勝後、めまぐるしい展開を見せた。自身のSNSに抗議の声明文を掲載し、棄権を明かしたのが、同日の午後8時半過ぎ。その深夜に、大会が動いた。ツアーを管轄する男子のプロテニス協会(ATP)、女子テニス協会(WTA)、主催の米国テニス協会(USTA)が、翌日27日の全試合中止を決めた。 3団体は共同で声明を出した。「テニス界は一致団結して人種差別に抗議する」と、黒人男性銃撃事件への抗議の意思だった。その行動に、大坂は心を動かされた。「大会は、すべての試合を一時休止することを決断してくれました。それが、この抗議に多くの注目を集めることになります。WTAと大会のサポートに感謝します」。 そして、大坂は棄権を撤回。準決勝を戦った。大坂の抗議行動は、世界のスポーツ界に大きな影響を及ぼした。今度は、自身のテニスで優勝を手に、大舞台の全米に乗り込むつもりだ。

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大会棄権表明の大坂なおみ、一転して準決勝出場と発表

 スポーツ報知8/28(金)

 26日に人種差別に対する抗議の意志を表す形で棄権を表明。しかしその後、大会側が27日の試合を全て1日延期する措置をとったことで翻意した。「大会側の求めを受け入れて金曜日(28日の準決勝)でプレーすることにした」との声明を出した。延期が「抗議活動へもっと注目を集めることになった」と考えたとみられる。女子ツアーを統括するWTAと大会主催者に対し「感謝したい」としている。

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ハフポストWORLD 2020年08月27日 

  生田綾

「私はアスリートである前に、黒人女性です。そして、私がテニスをするのを見てもらうより、もっと大事なことがあると思っています」

 テニスの大坂なおみ選手が8月27日、ニューヨークで行われているウエスタン・アンド・サザン・オープンの準決勝を棄権することを表明した。ウィスコンシン州ケノーシャでは、警察官が背後から黒人男性を銃撃した事件をきっかけに抗議デモが起きており、ボイコットすることにより、警察官の暴力に抗議を示したとみられる。

大坂選手は、Twitterに英語と日本語でメモを投稿。

 「私は明日の準決勝の試合をする予定でした。しかし、私はアスリートである前に、黒人女性です。そして、黒人女性としては、私がテニスをするのを見てもらうより、もっと大事なことがあると思っています」とコメントした。

 さらに、「私がプレーをしないことで何かが起きるとは思いませんが、大多数の白人スポーツの中で会話を始めることができれば、正しい方向へ進む一歩になるのではないかと思っています」とつづり、試合を棄権する意向を示した。

 メモの最後には、警察官による暴行被害を受けた黒人たちの名前(ジェイコブ・ブレイク氏、ブリアンナ・テイラー氏、エライジャ・マクレーン氏、ジョージ・フロイド氏)を記し、「私は、数日おきに新しいハッシュタグが生まれることに疲れ果て、何度も何度も同じ会話をすることにうんざりしています。いったい、いつになったら十分になるんでしょう」と、憤りをつづった。

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大坂なおみ選手の言葉「これは人権の問題です」を憲法から考える

志田陽子 | 武蔵野美術大学教授(憲法、芸術関連法)、日本ペンクラブ会員。

YAHOO!(個人)8/27(木) 16:21

 棄権という「表現」と、「表現の場を退場しない」という選択

大坂なおみ選手の試合準決勝棄権が話題になっている。

大坂なおみが準決勝棄権、黒人銃撃に抗議(8月27日、共同通信、Yahoo!トピックス)

 このこと自体のメッセージ性、「シンボリックな言論」としての性質も、「言論の自由」のひとつのテーマになりうるのだが、今回は、よりオーソドックスな「表現の自由」の話として、それ以前の6月に話題となった、この選手のツイートに着目したい。

 ツイートは英語で書かれているが、日本でも読める。また大坂なおみ選手は日本国籍を持つ日本人である(筆者自身は日本で人権が保障されるべき人について国籍絶対主義をととってはいない、念のため)。本人のツイッター公表では、「私はアスリートである前に黒人女性です」と書いてあるので日本人として抗議しているわけではない、だからこれは「海外の問題」だ、と見ることは誤っている。日本人の中にも黒人女性は当然に存在する。

 これは日本の「表現の自由」の領域に影響を与えうる、最良の教材になりうる言葉である。筆者自身、この言葉を憲法の授業の中で取り上げたいと思っている(発信者本人が公開を続ける限り、論評の対象となることは許諾されると考えている)。そこで、この言葉が、憲法とくに「表現の自由」の観点から、どう読めるか、考えてみたい。

次のツイートは、大坂選手本人の6月のツイートである。

訳すと、

私は、不特定の人たちから「アスリートは政治にかかわるべきではない、楽しませてくれればよい」と言われることが嫌いです。第一に、これは人権問題だからです。第二に、あなたが私以上に発言の権利を持っているとなぜ言えるのでしょうか。あなたの考え方でいくと、もしもあなたがIKEA(家具メーカー)で働いていたら、その会社の商品家具の話しかしてはいけないことになりますよ?

といった内容になる。

 このツイートは多くのユーザーの共感を呼び、2万回以上リツイートないし言及されたことが、記録からわかる。このツイートの言葉はすでにメディアでも紹介・論評されている。

大坂なおみさん、「スポーツに政治を持ち込むな」ツイートに痛快な反論 『これは人権の問題です』 (生田綾・ハフィントンポスト・2020年06月05日)

 この表現は、憲法を専門としている筆者からみても、的を射た名言と思える。沈黙強制といえる言論にたいして、「表現の場を退場しない」という選択を示した言葉として、憲法のカノン(教科書)に入ってもいい言葉ではないだろうか。

「政治の問題でなく、人権の問題」

まず、政治の問題と人権の問題、という分け方である。

 人権をどういう方法で保障するか、どういう政策をとるか、という話は、政治の話といえる。むしろ、政治の話は、ここのところを中心に据えてもらわなくてはならない。人権とは、人間が人間らしく生きていけるための最小限の条件を、人間の側から主張できる「権利」の形に結晶化したもので、国や自治体の仕事(統治)は、この人権を実現することである。

 しかし、それ以前の憲法の要請として、そのような意味をもつ「人権」として掲げられている事柄を、国や自治体が無視すること(今風に言えばスルーすること)は、憲法が認めない。まして、国や自治体がその人権を奪うような間違いをしてはいけない。これは、民主主義の決定よりも優位する、憲法のルールである。そうした憲法の要請のことを「立憲主義」という。憲法に規定された人権を制約することが許されるのは、よほどの差し迫った理由があるときだけである。

 こうした大きな骨組みは、憲法前文や11条、98条、99条といった条文から読み取れる。

整理すると、私たちの暮らしにかかわるたいていのことは、民主主義の中でルールを決めている、政治的課題である。が、人権を保障しなくてよい、という選択肢は、封じられている。そこは「政治でなく人権問題」という言い方が通る部分なのである。

そして、私たちが国から不条理な扱いを受けることがないように定められた「法の適正手続」と、人種や性別や出身地によって不当な差別を受けることがないように定められた「法の下の平等」は、常に人権問題として意識される重要課題だった。これは、日本国憲法では14条「法の下の平等」と31条「法の適正手続」に、アメリカでは憲法修正14条に、明文で保障されている。

大坂選手がいう「人権の問題」は、今回、この二つの人権の問題である。

 どちらの問題も、より確実な保障をするにはどうしたらいいか、という議論としては政治の課題になりうる事柄だが、これが侵害されたとき、それは法の問題である。「その侵害はあってはならない」という話は、政治によって「問題なし」としたり「どっちもどっち」にしたりすることはできない、「人権の問題」なのである。その意味で、大坂選手が、「政治に関わるな」という趣旨の発言に対して「これは人権問題だ」と反論するのは、憲法から見て正しい発想だということになる。

「表現の自由」を享受する資格は平等

 第二の点に移ろう。「あなたが私以上に発言の権利を持っているはずはないのですが?(あるとしたらどういう理由・権限で?)」という指摘である。これは、「表現の自由」の理解として完全に正しい。

 「表現の自由」はもともと、俗世に存在する力関係をいっさい無視したルールである。そこに意義がある。社会的地位の差、貧富の差、性別の差、話者が得ている人気や好感度の差、そしてこれらの現実の資源に応じた発言力の差というものは、存在する。しかし、「表現の自由」は、そこに対してあえて「ブラインドな(見ない、関知しない)」ルールである。

このことは以前に、芸能人やアーティストの発言の自由の問題として論じたことがある。

芸能人・アーティストの「政治的表現の自由」――民主主義は誰のもの? 検察庁法改正問題から考える(志田陽子 Yahoo!個人5月16日)

アーティストが《自由に発言すること》の社会的意味 ― 検察庁法改正問題が起こした市民意識の変容(志田陽子 Yahoo!個人5月18日)

だから、スポーツ選手であれ、芸能人であれ、政治家であれ、企業に所属する勤め人であれ、みな、発言権においては同じである。SNS上でも、拡散される発言とそうでない発言という影響力の差はあるが、これはユーザーが選んだ結果のことであり、その元となる発言者の発言資格のほうは平等だ。

 これに対して、「発言するな」という指弾ないし命令は、発言資格を否定していることになる。「表現の自由」は、その法の下にある人々すべてにたいして平等な「人権」として保障されているので、大坂選手とこの指弾者との間で、発言資格に高低や優劣があるはずはなく、また、そういう優劣関係が作られるべきでもない。賛成できない発言に対して「私はそれには賛成できない」「私はその意見が嫌いだ」と述べること(批判)と、目障りな発言をする発言者に沈黙を命じる発言とでは、質が違うのである。

 相手の表現・発言の内容を見て批評するのではなく、その表現・発言が行えなくなるように足元を撃つタイプの攻撃言論は、昨年の「あいちトリエンナーレ」以降、社会で大きくクロースアップされた。今、日本で議論され続けている「SNS誹謗中傷」の問題にも、この問題が含まれている。

 この場面で毅然とスマッシュを打ち返すことのできた大坂選手は、「表現の自由」のプレイヤーとして、「表現の自由」のコートの上に踏みとどまって、その言論を行った。日本でもアメリカでも、「表現の自由」の理論は、このように打ち返せるプレイヤーであること、「対抗言論」を繰り出せる精神的自由の持ち主であることを、各人に期待している。

 しかし、「表現」のコートの参加者が、それができないほどに心理的に追いつめられることもある。SNS誹謗中傷問題はそういう問題を含んでいる。また、「捏造」のように、その言葉によって研究者が職を失ったり、言論人としての発言の道を絶たれたりする強い作用をもつ言葉もある。これらの言葉が、もしも、たいした根拠もない悪口程度の感覚で発信されたとき、「表現」のコートから退場を余儀なくさせられる者の被害は深刻である。そこには、「自由」に任せるだけでは解決せず、法が出てこざるをえない問題がある。しかし、表現者としてその「場」に踏ん張れる者は、踏ん張って言論で打ち返す。「表現の自由」の論理を可能な限り尊重したいと考えている筆者にとって、こうした姿勢を見せてくれる言論プレイヤーが存在することの意味は大きいと感じる。

「それはあなたの言論の首を絞めることになる」

そして、第三番目の言葉は、憲法にとって、広い射程をもつ警告である。

「あなたがIKEAの社員だったら、あなたはIKEAの商品のことしか口にできなくなる」。

 表現者としての発言資格の平等性、そして論理・ロジックというものの平等性を考えるなら、「その論法はあなたの言論の首を絞めることになる」、という指摘は、「表現の自由」を得意分野とする法学者からみて、正鵠を射ている。

 しかし、このスマッシュが、日本の社会で、スマッシュとして正しく受け止められるだろうか?という一抹の不安が、筆者にはある。「〇〇は〇〇のことだけ述べればよく、政治について発言すべきではない」、という考え方は、すでに日本社会の全体を覆ってはいないだろうか。

 カズオ・イシグロの「日の名残り」という小説がある。映画化もされ、アンソニー・ホプキンスがイギリス名士に使えた執事の役を演じているのだが、ここで執事は、主人の政治的判断には一切関心を持たず、主人を絶対化する姿勢を貫く。じつは国政や財政への関心は十分に持っているのだが、主人やその客人の前では、尋ねられても関心を持っていない演技をする。その演技の中に自分の良心を埋没させる場面も出てくる。

 アメリカのホワイトハウスを描いた「大統領の執事の涙」という映画作品に登場する執事たちも同じである。人種差別が激化し、同胞である黒人が痛めつけられている場面を目の当たりにしても、彼らは雇い主やその来賓の前では、一切、政治には関心がない(そもそも政治に関心をもつ知的能力は持ち合わせていない)という演技に徹する。

 こうした映画は、その状況を反省し捉えなおすために、そのシーンを入れている。当時はそれが職業倫理上、立派で模範的なことだった、しかし今の視点で見たとき、それでよかったのか、というやるせなさ、切なさが伝わるように作られている。カズオ・イシグロの作品では、その切なさは正面からは語られず読者にゆだねられている。「大統領の執事の涙」では、息子に激しい口調ではっきりと言わせている。大坂選手の言葉には、これらの映画に込められた呼びかけが重なっている。

 翻って、日本社会では、いまだに、この執事たちの職業倫理感が主流となってはいないだろうか。たとえば、公務員には、勤務を離れたプライベートな時間でも、政治的言論は許されていない。教育公務員である公立学校の教員は、式典で君が代を歌うことが服務に定められた場合、その規則をスルーする自由、つまり「歌わない自由」は認められない。それっておかしくないですか、というビラを学校の敷地外で撒くことも、認められない(懲戒の対象となる)。

 大坂選手の言葉の第三の部分は、大変論理的で整然とした皮肉なのだが、この反語ないし皮肉が、皮肉としてのパンチを持っているのは、その社会がまだ「個人」の「表現の自由」を認める社会である場合に限られるだろう。

 大坂選手のこのスマッシュが、スマッシュとしての力を持たず、「はい、私たちの社会はそのとおりの社会ですけど、何か?」「まあ、あなたはそれが言えるほどのセレブになったってことなんでしょう」という冷めた笑いに音もなく吸い込まれていく社会があったとしたら、それは、「表現の自由」と「思想良心の自由」にとって末期的な社会だということになる。

 しかし、筆者は、日本はまだまだ「末期症状」ではない、という希望を持っている。大坂選手のこの言葉を含む一連の発言・判断に、日本の多くのネットユーザーや識者・メディアが関心を示しているからだ。その中にはもちろん、Yahoo!の本日8月27日付の「トピックス」(本稿の冒頭に挙げたもの)も含まれる。

 大坂選手の打ったボールが、《海外のスポーツ選手の話題》としてだけでなく、《日本の現状にも一石を投じる言論の自由の話》として、議論の活性化につながることを願う。

志田陽子

武蔵野美術大学教授(憲法、芸術関連法)、日本ペンクラブ会員。

東京生まれ。専門は憲法。博士(法学・論文・早稲田大学)。2000年より武蔵野美術大学で 表現者のための法学および憲法を担当。「表現の自由」を中心とした法ルール、 文化芸術に関連する法律分野、人格権、文化的衝突が民主過程や人権保障に影響を及ぼす「文化戦争」問題を研究対象にしている。著書に『文化戦争と憲法理論』(博士号取得論文・2006年)、『映画で学ぶ憲法』(編著・2014年)、『表現者のための憲法入門』(2015年)、『合格水準 教職のための憲法』(共著・2017年)、『「表現の自由」の明日へ』(2018年)。


もう盆を過ぎたというのに30℃超えが続く。

ススキと萩。


障害者手帳をもつ私は「死んでもいい命」?「働かざる者、食うべからず」の日本は生きにくい。

2020年08月26日 | 野菜・花・植物

ハフポスト2020年08月26日 

 

 他者との意思疎通が難しいとされている人、働けずにいる人は本当に不要な存在なのだろうか?不安な日本を襲う、「優生思想」について少し考えていこうと思う。

小林エリコ文筆家・漫画家

 ここ数年、「優生思想」の言説をSNSで見かけるようになった。4年前に起こった県立知的障害者施設「津久井やまゆり園」での障害者連続殺傷事件、先日起きたALS(筋萎縮性側索硬化症)患者への医師による嘱託殺人事件。他者との意思疎通が難しいとされている人、働けずにいる人は本当に不要な存在なのだろうか?

不安な日本を襲う、この思想について少し考えていこうと思う。

日本は「障害者のいらない」国なのか

日本に存在していた旧優生保護法という法律をご存知だろうか?

 旧優生保護法とは1948〜1996年にかけて国で施行されていた政策であり、優生学上の見地から、不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命・健康を保護することを目的として障害者の強制不妊手術を行なっていたものである。

 当時、精神科に通院していた私にとって障害者の問題は他人事ではなかった。しかし、当時はネットもなく、情報をあまり見つけることができないし、文献も何を読んでいいかわからない。ただ自分の中に「自分は子供を産むべきではない存在、または生まれてこない方がいい人間」という意識だけが植え付けられた。

 成人してから引きこもりになり、障害者手帳を取得してからは、一層その気持ちが強くなった。現在、旧優生保護法自体は無くなっているけれど、自分の住んでいる国が「障害者はいらない者」として、堂々と障害者の不妊手術を行うことができたという事実はあまりにも衝撃的だった。ナチス・ドイツでもされていたような行いががつい最近まで、この国で行われていたことが怖かった。

 旧優生保護法に基づく強制不妊手術が行われた件数はわかっているだけでも、およそ1万6500件に上り、その対象は遺伝性疾患だけでなく、ハンセン病や、精神疾患、精神薄弱とされた。本人の同意を得て行われた手術もあるけれど、同意を得ていないものもある。

働きたくても働けない現実

 障害者や治らない重い病気を持っている人は、この社会ではいらない人間なのだろうか。私はこの問いを長いこと持ち続けている。

なぜなら、20代を精神科のデイケアで過ごし、入退院を繰り返していた私は、「生産性」がなく、社会から見たら「お荷物」だった。自分でお金を稼ぐことができず、実家で母と暮らし、障害者年金を受給し、そのお金でフラフラと買い物をし、遊びに行っているだけの存在だった。側から見れば「楽そうでいいね」などと言われそうだが、就職活動をしても受からず、バイトの面接を受けても落ち続けていて、働きたくても働けないというのが現実だった。

 思い出すと、90年代終わり頃から、日本は急激に変化していった。高度経済成長が終わり、派遣労働者が増え、昔のような安定した雇用から多くの人が弾き出されていった。

 正社員のイスに座れたものはいいが、座れなかったものは憎しみと悲しみを腹の底に貯めるしかない。自分の置かれた環境は彼らのせいではないのだが、自分たちの月収よりも高い年金で暮らしているお年寄りに嫉妬し、生活保護を憎む人もいる。差別という感情は、自分の内面が危うくなっているときに起こるものだ。「自分は生きる価値がないのではないか?」という考えをなくすため、自分より劣っていると感じられるものを見つけて差別することにより精神の安定を保つのだ。

 しかし、自分を守るために社会的弱者である高齢者や生活保護、障害者などに怒りが向くということは、この国では健康で働ける世代でありながら、彼らよりも生活水準が低い人たちが多いという証なのだろう。そういった人たちがネットで怒りを吐き出すのだと思う。

「ナマポ(生活保護)は俺たちの税金で飯を食うな!」「在日特権を廃止せよ!」

 生活保護を受けている人も在日韓国・朝鮮人も、恵まれた環境で生きているわけではない。彼らが本当に怒りを向けるべき相手は国であると私は思うが、彼らはそうは考えない。なぜなのだろうか。

私は「死んでもいい命」だと思われる側の人間

相模原市の津久井やまゆり園で起きた障害者連続殺傷事件の植松聖死刑囚は「障害者は周りに迷惑をかける存在だから」という理由で殺した。障害者や福祉にかかる税金が多額で、日本はたくさんの借金を抱えている。そのためには障害者を殺した方がいい、というのが彼の言い分のひとつだった。彼の中には「死んでもいい命」と「死ななくていい命」があり、前者が障害者にあたる。

 4年前の2016年、私はこのニュースを知った時、とんでもない事件が起こったと恐怖したが、もっと怖かったのは、それに賛同する人がネット上にいたことだ。

 そして、私は精神疾患をもつ自分が、植松に「死んでもいい命」だと思われる側の人間だということが恐ろしかったし、自分自身、仕事をせず引きこもっている時、自分のことを「死んでもいい命」だと思っていた。社会に出ることができず、お金を稼ぐことができない自分は生きていても仕方がないと考えていた。そして、私は何度か自分で自分の命を断とうとした。

 植松の考えと、国が行った旧優生保護法と、私が自殺を試みたことは、一本の糸でつながっている。それは「生産性」というものだ。社会の役に立つ、お金を生み出す、それがないものはこの世界に存在してはいけないという考えだ。

 しかし、お金を生み出せない障害者本人が悪いのだろうか?私はそうは思わない。この社会が障害者にとって生きづらい社会なのが問題なのだと思う。問題は社会の側にあるのだ。

 街中でもっと障害者の姿を

 今、多くの駅にはエレベーターが設置されていて、ベビーカーの人やお年寄り、普通のサラリーマンや若い人も利用している。しかし、昔は駅に設置されていなかった。設置された経緯は車椅子を使う障害者たちが抗議活動を続けた結果、ようやく設置されたのだ。同じようにさまざまな活動の結果、2016年に障害者差別解消法も施行されてバリアフリーの環境も整備され、車椅子の人たちがやっと街に出て移動しやすくなった。そして、障害者らの努力によって設置されたエレベーターを健常者たちが使用しているのを見ると、障害者が生きやすい社会は健常者も生きやすい社会なのだと感じる。弱いものに歩幅を合わせた社会こそがすべての人間にとって生きやすい社会なのではないだろうか。

 街中にエレベーターやスロープが設置されるようになり、歩道には視覚障害者用のブロックがあるけれど、街中で障害者を見かける頻度は少ないと感じる。それを思うと、いまだにこの日本の社会は障害者が生きにくい社会なのだと感じる。

 私は街中でもっと障害者の姿を見かけても良いと思っている。学校、職場、コンビニ、デパート。障害を持っている人が街中で生き生きと暮らしている姿をたくさんの人が目にすれば、「障害者は死んだ方がいい」という考えは生まれないと思う。

 仕事をしていない人間に対する風当たりが強い

 植松は障害者施設で働いていても、彼らに対して「生き生きと生きている」という感覚を持つことができなかったのだろう。今回の事件についての本を何冊か読んだのだが、植松は控訴を取り下げて死刑が確定してしまい裁判が終わってしまったので、この事件の真相究明はこれ以上行われなくなってしまった。彼の目に社会がどう写っていたのかはとても気になる。         

 障害や重度の病気を持っている人にとって、この社会は生きにくい。日本には「働かざるもの食うべからず」ということわざがあるくらいで、仕事をしていない人間に対する風当たりはいまだに強い。            

 それでは、はるか昔の時代、障害者はどうやって生きていたのか。『母よ、殺すな!』の著者で、脳性マヒ者で障害者運動を牽引した故・横塚晃一氏によると、祭りなどに登場する「ひょっとこ」は脳性麻痺者を表すそうだ。かつて古代人が、火を守るという大切な仕事を、身体を自由に動かせない身体障害者や高齢者に任せていたことに由来するという。彼らの名前は最初「火を守る男」だったが「火男」となり「ひょっとこ」と呼ばれるようになった。ひょっとこは今ではお祭りのお面として親しまれている。昔の人たちは誰がどこで働くのが一番良いのかということを知っていたのだ。

障害当事者にとっては迷惑で、耐えられない

 仕事のことばかり書いてしまったが、全ての人間が働かなければいけないとは思わない。働けないもの、働かないものを包摂するのが社会である。

 そもそも、命は生きているというそれだけで意味があるのだ。それは誰にも脅かされないものでなければならない。他者が誰かの命を選別するということはあまりにも傲慢である。

 1970年、横浜で障害児二人を育てる母親が2歳の女児をエプロンの紐で締め殺すという事件が起こった。それに対して、減刑せよという運動が起こったことがある。「母親の苦労もわかるから、多めにみて欲しい」という言い分なのだが、それでは殺される当人の言い分はどうなるのか。当人は殺して欲しいと願うわけはなく、社会や家庭環境によって母親に勝手に「この子の将来は不幸」だと決めつけられたのだと私は思う。

 横塚氏も関わった「青い芝の会」という脳性麻痺の当事者団体があり、彼らのスローガンは「われらは愛と正義を否定する」である。植松の正義の思想も、子を殺す親の愛も、当事者である彼らは否定しなければならない。彼らの正義や愛は、彼らにとってのもので、障害当事者からすれば迷惑なものであり、耐えられないものとも考えられるからだ。

社会に殺される人々

 そして、もし、障害や重い病気を持っていて、自分は死んだ方がいいと考えている人がいるならば、それは社会によってそう考えさせられているのだと知って欲しい。死を望んだALS患者の彼女は社会の重圧に殺されたのだと私は思っているし、もし彼女がもう少し生きていたら、違った未来が見えていたと思いたい。

 そして、私たちは想像力を身につけなければならない。明日、交通事故に遭い、片足を失うかもしれない。突然、難病にかかるかもしれない。その時に自分が「死んだほうがマシだ」と思う社会より「生きていてよかった」と思える社会であって欲しい。何より、私たちは歳を取り、最終的に高齢者という弱者になる。安心して障害者になることができ、安心して難病と共に生き、安心して車椅子になれる社会であって欲しい。

 弱者にとって生きやすい社会こそが、すべての人間にとって生きやすい社会なのだ。   (編集:榊原すずみ)


 『労働は価値を生む』それが資本主義の大前提だ。だから人は労働によって評価される。「それは仕方のないこと」とあきらめれば明るい未来社会は見えてこない。人が人として「評価」される社会はどのように築かれれていくのか、コロナ禍後の「世界」を見据えながら今、考えなければならない重大課題である。

MRI検査を受けてきた。

 

 


「AVA血管を冷やすべし」 専門家がすすめる熱中症対策の新常識

2020年08月25日 | 健康・病気

2020.8.25  AERA 井上有紀子

    水分補給以外にも、手軽にできる意外な熱中症対策がある。それは「手のひらなど体の末端を冷やす」ことだという。AERA 2020年8月31日号から。

*  *  *

 連日、熱中症による救急搬送や死亡が相次いでいる。8月に入り35度を超える猛暑が各地で報告され、40度を超えるケースまである。全国では10~16日の1週間、約1万3千人が搬送され、死者は30人に上る。

 今年は新型コロナウイルス感染対策のため、例年より熱中症リスクが高い。マスク着用で汗が蒸発しにくい。外出を控えて室内で過ごす時間が増え、体が暑さに慣れていない。

 熱中症での救急搬送は例年、屋内が最も多い。気づかぬうちに室温が上がっていたり、エアコンを止めて寝ている間に熱中症になったりするケースもある。

 まめな水分補給が呼びかけられているが、現代の熱中症対策は水分補給だけでは不十分だという。神戸女子大学の平田耕造教授(被服環境生理学)は言う。

「暑いと皮膚から出た汗が蒸発し、体温を下げる働きをするため、水分補給の重要性が訴えられてきました。ですが、今の日本は湿度が高いまま気温が上昇し、昔より暑く感じるようになりました」

 多湿のため汗をかいても蒸発せず、大粒の汗を顔からポトポト落とすことになる。

「熱を放散できないまま、汗と一緒にミネラルを失ってしまいます」

 そこで活用したいのが、体を効率よく冷やす方法だ。暑いとき、脇や首筋、そけい部を冷やすと気持ちいい。だが、より速く体を冷やすとの研究結果があるのは、意外にも手のひらや足の裏、頬など体の末端だ。手のひらなど体の末端を走る「AVA(動静脈吻合・どうじょうみゃくふんごう)血管」が、体の内部を効率よく冷やすという。

 AVA血管は、動脈と静脈をつなぐバイパスで、体温を調節する。手のひら、足の裏、指、頬、まぶた、鼻、唇に流れている。血流量は、毛細血管の1万倍もある。AVA血管は普段は閉じているが、体温が高くなると大量の血液を流して熱を放出する。そのため、体の末端を冷やすと、冷えた血液が大量に全身をめぐり、体温上昇を抑えることができるのだ。

「特に手のひらは容積の割に表面積が大きいため、AVA血管が多い。しかも服に覆われていないので、冷やしやすいというメリットがあります」(平田教授)

 注意すべきなのは、冷やす温度だ。冷たすぎると血管が収縮して、かえって血流が悪くなる。

「体に当てて痛いのならば冷たすぎます。気持ちいいと感じるくらいが適温で、概ね15~20度くらいとされています」(同)

 平田教授のおすすめは、暑いと感じたら流水に手をつけること。出勤時なら手洗いがてら水道水で涼をとるのでもいい。

 冷やした水入りペットボトルを握る方法もある。昨夏の甲子園では、選手がベンチで手のひらで転がすなどして、体を冷やした。冷凍した保冷材をタオルで巻き、握るのもいいという。

 ペットボトルや保冷材は、時間が経てばぬるくなるが、今年に入り続々と、炎天下でも数十分~数時間、冷えた温度を保つ「蓄冷材」が発売されている。

 大阪市の松浦工業は今年、「アイスバッテリー」を発売。スポーツメーカー「デサント」とシャープも、「適温蓄冷材」を入れたグローブ型の「コアクーラー」を共同開発した。触れたり、握ったりして、体を冷やす。運動や散歩のとき、寝苦しい夜にも効果が期待できるという。

 スーパーラグビーの日本チーム「サンウルブズ」のチームドクターとして、熱中症の予防に取り組んできた坂根正孝医師(筑波学園病院)は、「手のひら冷却は、米国ではプロフットボールNFLや大学バスケットボールチームが採用しています。適温で冷やすだけなら、一般の人も『ながら』で熱中症対策ができる」と歓迎する。

 暑さを感じたら手のひらを冷やす。それが熱中症対策の新常識だ。(ライター・井上有紀子)        ※AERA 2020年8月31日号

 


有機食品、コロナで人気に拍車

2020年08月24日 | 食・レシピ

猪瀬聖 | ジャーナリスト

YAHOO!ニュース(個人)8/22(土) 

 新型コロナウイルスの感染が拡大した今春以降、有機(オーガニック)食品の売り上げが世界各国で急増している。新型コロナに感染した患者が重症化する一因として肥満や高血圧など生活習慣病の影響が指摘されていることから、健康的な食生活を心掛ける人が増えているのが背景だ。有機食品の人気は世界的に高まっているが、新型コロナの影響で人気に拍車が掛かっている。

前年同期比25%の伸び

 新型コロナによる死者数が世界最悪の17万人超となった米国では、各州が外出禁止令を発した3月以降、有機食品の売れ行きが一気に伸びた。

 経済専門メディアのブルームバーグは、有機食品と有機飲料を合わせた売上高が、3月から6月まで4カ月間で前年同期比25%増加したと、調査会社ニールセンのデータを引用し、報じた。同期間は、外出禁止令や在宅勤務の影響で家で食事をする人が増えたため、食品全体の売れ行きも伸びている。たが、有機食品の伸びは全体の伸びを上回ったという。

 また、有機食品の普及団体オーガニック・プロデュース・ネットワーク(OPN)によると、4~6月の有機野菜・果物類の売れ行きは、数量ベースで前年同期比18.2%増となり、有機以外の野菜・果物類の同12.9%増を大きく引き離した。金額ベースでも同17.0%増となり、有機以外の野菜・果物類の同16.1%増を上回った。OPNもニールセンのデータを元にしたと述べている。

農薬や化学肥料など不使用

 有機食品の売り上げが伸びているのは、農薬や化学肥料、抗生物質、遺伝子組み換え技術などを使わない有機農産物から作られた有機食品は健康によいとのイメージが広がっているためだ。米国の有機業界団体オーガニック・トレード・アソシエーション(OTA)が以前実施したアンケート調査では、有機食品の購入動機で最も多かった答えは、「自分や家族の健康のため」だった。

 新型コロナの感染拡大以降、有機食品を買い求める消費者が増えているのは、単なる健康イメージ以上の理由もあるようだ。

 米国では、新型コロナの重症患者に肥満や糖尿病、高血圧など基礎疾患を持つ人が多いことが患者のデータからわかっているが、基礎疾患と重症化との因果関係については、基礎疾患による免疫力の低下を指摘する専門家が多い。有機農産物の摂取が免疫力アップに貢献する可能性を示唆した動物実験や疫学調査は多く、免疫力の向上を期待して有機食品を選ぶ消費者も増えているとみられる。実際、経済誌フォーブスによると、インターネットで食品関連の検索をする際に、「食品」「免疫系」という検索ワードをセットで打ち込む件数が、春先に急増したという。

欧州、アジアでも

 有機食品の売り上げが伸びているのは米国だけではない。リサーチ・コンサルティング会社の英エコヴィア・インテリジェンスによると、有機食品の宅配事業を展開する英アベル&コールでは、注文が25%増加。フランスでは、有機食品専門店の売上高が40%増えたという。インドのオンライン小売店ナリシュ・オーガニックスでは、3月の売上高が30%伸びた。いずれも、新型コロナによる死者数が3万人を超えている国だ。

 新型コロナの感染拡大に伴う有機食品の需要増は、各国で、有機食品がそれ以前からある程度普及していたことも大きな要因だ。

 米国では以前から有機食品市場が拡大を続けており、OTAによると、市場規模は昨年、初めて500億ドル(約5兆3000億円)を突破した。市場の拡大に伴い成長率はかつての年率二桁台から一桁台に低下しているものの、それでも昨年の成長率は前年比4.6%で、食品市場全体の同2.3%の2倍だ。食品全体に占める有機のシェアは現在6%弱だが、野菜・果物類に限れば約15%が有機に切り替わっている。

健康や自然環境への悪影響を懸念

 欧州も同様だ。有機農業研究所(FiBL、本部スイス)によれば、2018年の有機農産品の小売・売上高は、欧州連合(EU)全体で374億ユーロ(約4.7兆円)に達し、市場規模はこの10年で2.3倍に膨らんだ。デンマークでは小売市場に占める有機のシェアが1割を超え、オーストリアでは全農地面積の4分の1近くが有機用の農地に転換したか、あるいは転換中だ。

 欧米では、がんや生殖異常、発達障害など農薬が残留した農産物を日常的に摂取した場合の人体への影響を心配したり、野生生物の減少など農薬が引き起こす自然環境破壊に関心を持ったりする消費者が増えており、有機食品市場の拡大を後押ししている。有機食品の価格は一般の商品に比べれば依然高いが、市場が拡大したことで、かつてに比べると手頃になりつつある。

ニッチからメインストリームへ

 日本でも有機食品の需要は徐々に伸びているが、海外に比べると消費者の認知度が低いのが現状だ。農林水産省の資料によれば、2017年の市場規模は約1750億円で、一人当たりの年間消費額も、スイスの4%、米国・ドイツの9%、英国の31%にとどまるなど、他の主要先進国との差が際立っている。

    有機市場はこれまで、一部の富裕層や健康オタクを相手としたニッチ(隙間)市場と言われてきた。しかし、欧米では、ニッチを卒業しメインストリーム(主流派)に成長しつつある。このため、かりに新型コロナが収束しても、有機市場は引き続き拡大し続けると見る向きが多い。

 

猪瀬聖 ジャーナリスト

 慶應義塾大学卒。米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、働き方、マイノリティ、米国の社会問題を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

 


憲法を尊重してますか

2020年08月23日 | 社会・経済

「東京新聞」社説 2020年8月23日 

 第二次内閣発足以降の安倍晋三首相の連続在職日数があす大叔父の佐藤栄作首相の二千七百九十八日を超え、史上最長となります。

 ほぼ一年おきに首相が交代していた第二次安倍内閣前と比べ、政治の安定は一般的には望ましいのでしょう。しかし、安倍首相の場合、有権者にはあまり歓迎されていないようです。そのことは、世論調査からもうかがえます。

 二〇一二年の第二次安倍内閣発足後、内閣支持率はおおむね40%以上を維持してきました。

 しかし、共同通信が行った七月の全国世論調査によると、内閣支持率は38・8%にとどまり、不支持率は48・5%に上ります。

◆連続在職日数が最長に

 なぜでしょう。その原因は新型コロナウイルス対応や経済政策に対する厳しい見方に加えて、首相自身の政治姿勢にあるようです。共同の調査では、支持しない人のうち四割を超える人が「首相が信頼できない」と答えています。

 支持理由でも半数近くが「ほかに適当な人がいない」との答えです。仕方なく安倍首相を支持する構図が浮かび上がります。

 振り返れば、安倍首相は「憲法を尊重し擁護する義務を負う」立場でありながら、改憲を率先して主張する一方で、現行憲法をないがしろにする政治を続けてきました。

 最たるものが「集団的自衛権の行使」容認への転換です。

 おさらいになりますが、集団的自衛権とは自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力で阻止する権利です。国連憲章でも認められています。

 しかし、憲法九条は戦争放棄と戦力不保持を定めています。ですから歴代内閣は、日本は集団的自衛権を有しているものの、その行使は九条が認める「専守防衛」の範囲を超え、許されない、との見解を堅持してきました。

◆臨時国会の召集も拒否

 その憲法解釈を、一内閣の判断で変えたのが安倍内閣です。

 憲法は国の最高法規であり、主権者たる国民が政治権力を律するためにあります。政府が解釈を勝手に変更し、憲法の趣旨を実質的に変えることなど許されません。

 さらに、安倍内閣は「敵基地攻撃能力の保有」にも踏み込もうとしています。地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」(地上イージス)の配備計画の撤回によって生じるミサイル防衛の「空白」を、敵のミサイル発射基地を直接攻撃する能力を持つことで埋めようというのです。

 敵基地への攻撃について、歴代内閣は「座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とは考えられない」と憲法が認める自衛の範囲内とする一方、実際に攻撃できる装備を持つことは「憲法の趣旨ではない」としてきました。

 集団的自衛権と同様、憲法解釈を変更して敵基地攻撃能力の保有に転じれば、戦後日本の専守防衛政策から大きく逸脱します。

 臨時国会召集要求の拒否も憲法をないがしろにする行為です。

 憲法五三条は、臨時国会について「(衆参)いずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」と定めますが、安倍内閣は過去二回、憲法に基づく召集要求を無視しています。

 一五年は召集せず、一七年は要求を三カ月以上放置し、召集日に衆院を解散しました。今年も野党が憲法に基づいて召集を求めていますが、与党は応じていません。

 新型コロナや豪雨災害への対応など、議論すべき課題は山積しています。にもかかわらず、国会を開こうとしないのは「桜を見る会」や森友・加計学園を巡る問題など数々の政権疑惑も厳しく追及されるため、それを避けたいのでしょう。

 首相の健康状態は気掛かりですが、だからといって、国会を開かなくていいわけではありません。

 かつては「安倍一強」とされた首相の勢いにも陰りが見え始めていますが、この七年八カ月の間、与党議員や官僚の間に首相ら政権中枢の意向に過度に配慮する忖度(そんたく)がはびこり、財務官僚が公文書偽造に手を染めるに至りました。

◆統治機構が「根腐れ」を

 法務官僚が違法な賭けマージャンをする、財務次官が女性記者にセクハラ行為をする、「統治機構の根腐れ」とも言える事態も続きます。これらは緊張感を失った長期政権の弊害にほかなりません。

 現職衆院議員の任期は来年十月ですが、早ければ今秋にも解散・総選挙の可能性があります。

 次の選挙は、憲法を大切にする政治への転機としなければなりません。一気に変わらなくても、選挙結果によっては政治に緊張感が生まれます。当たり前のことですが、それこそが長期政権の行き着く先を目の当たりにした私たち有権者が、胸に刻むべき教訓です。


過ごしやすい気候になりました。
本日の最高気温27.3℃。
最低気温12.5℃。
快晴。
ハウス内での仕事もさわやかな風が入り、こぼれ落ちるような汗にはなりません。

また熊が出たと市の担当者が来ました。
今度は1番近い場所、1㎞圏内です。


国民はソッポ この猛暑でも「来年五輪をやる」という妄想

2020年08月22日 | 社会・経済

日刊ゲンダイ2020/08/22

    この危険な暑さはもうたくさんだ。21日も各地で猛暑日が続出。名古屋と大阪は8日連続となり、大阪市の最高気温38度6分は観測史上2番目の暑さ。東京都心も36度に達し、熱中症で救急搬送される患者も急増。都内の熱中症死亡者数は今月だけで100人を突破した。

 文字通り殺人的な酷暑の中、本来なら25日には東京パラリンピックが開幕を迎えていたのだ。改めて無謀な大会だと思い知らされる。

 五輪のマラソンは猛暑対策として札幌に会場を移したが、パラリンピックは車いすや視覚障害の選手が行うマラソンを東京で行う。障害を抱える選手の猛暑リスクは苛烈だ。例えば車いすの選手は体の位置が地面と近いので強い日差しの照り返しを多く受ける。日本パラ陸連によると、一般選手と比べ体感温度が3度ほど上昇。炎天下で30分ほど練習すると、「深部体温」が40度を超えることもあるという。

それこそ選手に命の危険を冒しながら、1年後には延期された大会を押しつける狂気。ましてや新型コロナウイルスの収束は全く見通せない。パラ選手は五輪選手より平均年齢が高く、生活習慣病などの基礎疾患を抱えている人もいる。猛暑に加え、感染・重症化リスクにも注意が必要だ。

 それでも選手の「自衛」任せでオリパラを強行する気なら、大会関係者たちは二度と「アスリートファースト」などと口にすべきではない。

■「招致も開催も自分」への異常な妄執

 国民だって来年の五輪開催はさすがに「もう無理だ」とわかってきたのではないか。延期が決まった3月末段階の各種世論調査では「開催すべき」「できれば開催してほしい」と答えた人は合わせて7割を超えていた。しかし直近の調査だと「中止すべき」「再延期すべき」は計7割近くに達し、「開催すべき」は2割程度。あきらめムードに傾斜しつつある。

「年内に(開催決定の)判断がつかないなら、やめた方がいい」と語っていたのは、五輪・女子マラソン2大会連続メダリストの有森裕子氏だ。

 選手たちの精神面や肉体的負担を考えての発言だが、こうした「正論」に安倍政権や小池都政、大会組織委員会とその専任代理店・電通も、一向に耳を貸そうとしない。

 特に安倍首相は五輪開催に異様な執念を燃やしている。従来の「復興五輪」をちゃっかりリセット。「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとして必ずや成功させたい」と説き、「コロナ五輪」に看板をすり替え。1年延期の際に公言した「完全な形」もあっさり投げ捨て、無観客開催や大会簡素化に方針転換。「不完全な形」でも、あくまで開催強行を目指している。

 この猛暑で「来年、五輪をやる」という理由も、ムチャクチャだ。週刊文春(8月13・20日合併号)によれば、安倍は常々周囲に「私は五輪を招致したときの首相であり、開催したときの首相になる」と語っているという。前回の東京五輪を招致した首相は祖父・岸信介だったが、開催決定の翌年に無念の退陣。開催当時の首相は池田勇人だった。つまり祖父も果たせなかった「招致も開催も私」に執着しているようだ。もう、こうなると「妄想」を飛び越え、「妄執」のレベルである。

自身の野望に国民を従わせる政治の私物化

 もちろん、安倍の「まだやろう」という執念は「タラレバ」の話。本人は「1年後にはワクチンも開発されている」との楽観論で、組織委会長の森元首相の「2年延期」の進言を押し切ったそうだが、まだ来夏までの開発成功は見通せない。

 よしんば成功しても、世界中の人々にワクチンが行き渡る保証はない。多くの専門家らは、来夏までにパンデミックが収束するのは難しいと考えるようになっている。そんな状況で選手や観客を迎えるため、海外からの入国制限を解けば、どんな災禍が待ち受けているか分からない。

 多くの国民が開催に猛反対しても、平気で「世界の皆さん、安心して東京に来て下さい」と言い切りそうなのが、安倍の怖さだ。

 高千穂大教授の五野井郁夫氏(国際政治学)が言う。

「コロナ禍で世界中の人々は仕事ができず、外出も許されず、スポーツの祭典どころではない。特に深刻なのは、世界で最も五輪に投資している米国の現状です。最近も感染拡大が止まらず1日7万人を超える新規感染者が報告され、死者数は17万人超と世界で群を抜いています。米国抜きの五輪開催は考えにくい。実はIOCも中止に備えているようで、最古参委員のディック・パウンド氏(カナダ)は先月24日の英BBCで、『恐らく日本が中止を提案し、IOCは受け入れることになる』と語っています」

その米国に盲従するのが、森だ。先月「IOCの意向で、開会式の簡素化はできないことになった」との発言が波紋を呼んだ。「米テレビ局が放送時間枠を既に用意している。五輪最大のスポンサーである米テレビ局の意向にIOCは背くことができない」と説明したが、まさに「語るに落ちる」だ。

 仮にIOCがそんなナメた態度を示せば「日本を危険にさらすわけにはいかない」と五輪返上を通告するのがスジ。森の言い分は「日本国民の命よりも、米テレビ局の意向の方が重い」と語っているに等しい。安倍も森も一体、どこを向いて五輪を開催しようとしているのか。

■中止こそレガシーづくりの最後のチャンス

 森は「ここで中止したら倍も3倍も費用がかかる。誰が賠償するのか」とも言い張った。中止なら、さも経済的損失が膨大になるとの言説である。しかし、森は倍も3倍も、の根拠を問われると「今まで投資した分が無駄になる、という意味で」「言葉のあやだ」と言い訳していた。

「開催強行派の経済損失論は万事この調子。徹底検証が必要です」と言うのは、経済評論家の斎藤満氏だ。こう続けた。

「総経費3兆円とも言われる五輪につぎ込んだ大金が『もったいない』から開催したい。早い話が根拠はないのです。むしろ延期で膨らむ国民負担、企業負担にこれ以上、ムダなコストをかけて欲しくない。延期に伴う都と国内スポンサー企業の追加費用は数千億円。既にコロナ対策で都の貯金『財政調整基金』はカツカツで、スポンサーとの契約延長交渉も難航中。1社当たりの追加負担は数十億円規模とされ、開催がズルズルと不透明のままなら、株主代表訴訟リスクも避けられない。最終的に追加費用の不足分は国庫負担、つまり国民にツケを回されかねません。しかしコロナ禍で拡大した財政赤字の副作用が懸念される中、五輪に巨額を投じる余裕はない。傷が浅いうちにサッサと中止を政治決断し、選手村や関連施設の民間転用を図るべきです」

そもそもJALとANAの売り上げが8割近く激減。英ヴァージン航空が破産に追い込まれるなど飛行機すら飛ばない世界のコロナ感染状況で、五輪に期待した経済効果など望むべくもない。よほどのバカじゃない限り、そんなことは大会関係者の誰もが百も承知だ。

「安倍首相の五輪への固執はやはり『レガシー』が欲しいだけ。24日に連続在任記録を塗り替えても何ひとつ功績のない首相にとって、五輪開催のみが頼り。個人の思惑で無謀な五輪に突き進むのは政治の私物化の極みです。それこそ五輪は中止、予算や関連施設をコロナ対策に回せば、名宰相として歴史に名を残すチャンス。しかし健康不安説もあり、その上、五輪も中止なら死に体との懸念が邪魔をし、最後の好機をみすみす逃すのが、この政権の限界です。そこにコロナ禍で苦しむ国民の姿はありません」(五野井郁夫氏=前出)

 国民も安倍の妄想にこれ以上、付き合う必要はない。五輪へのはかない期待はもう捨てた方がいい。


 来年が通常の気候に戻る保証はどこにもない。むしろ、今年よりひどくなる可能性のほうが大きいのではないか? 常軌を逸している!

稲も色づき始める。

バラも秋咲き。


日本船座礁事故 国の対応が甘くないか

2020年08月21日 | 自然・農業・環境問題

「東京新聞」社説 2020年8月21日 

 

 インド洋の島国モーリシャス沖で座礁した日本の貨物船から油の流出が続いている。除去作業は難航し、環境や地元経済への影響も深刻だ。政府はより強い姿勢で支援に取り組む必要がある。

 座礁したのは商船三井がチャーターしたパナマ船籍の大型貨物船「WAKASHIO」で、岡山県笠岡市の長鋪汽船が所有・管理している。WAKASHIOは荷を積まずに中国からシンガポール経由でブラジルに向かっていた。

 七月二十五日、WAKASHIOはサンゴ礁に乗り上げた後、漂流状態となった。八月六日に船体に入った亀裂から燃料である重油約千トンが流れ出た。現地では油の回収を続けているが、サンゴ礁に悪影響が及ぶ処理剤が使えず人々が手作業で油をすくっている状態だ。

 さまざまな海洋生物が生息し「命のゆりかご」といわれるマングローブ林にはすでに大量の油が付着。現場近くには湿地の環境保全を定めたラムサール条約の指定地域もあり、被害が及びつつある。地元の暮らしを支える漁場も含め、事故による環境への影響は十年以上続くとの指摘もあり状況は「極めて深刻」だ。

 政府は現地に油除去の専門家らを派遣し対応にあたっている。コロナ禍の影響もあり派遣規模に限界があることは理解できる。ただ首相や関係閣僚によるこの問題についての言及は多いとはいえず、関心の低さが目立つ。

 さらに事故発生から一カ月近くたっている。環境破壊だけでなく地元の人々の暮らしへの打撃を考慮すれば、政府の対応は消極的で遅いと指摘せざるを得ない。

 支援にはフランスやインドも乗り出している。当事者である日本は、積極的に情報発信をし、支援のけん引役となるべきだ。

 今後、モーリシャス政府は国際条約に基づき船主企業に賠償を求める方針を示している。ただ賠償だけでなく、原因究明や再発防止などについても関係企業は誠実に対応する必要がある。

 事故が起きた海域や近くの沿岸部は、その美しさから観光地としても世界的に有名だ。事故への国際的な注目度は予想以上に高いとみなければならない。

 今回のような海洋汚染事故に対し、当事者国としてどう対応するかは、国の品格が問われる問題でもある。現地の状況やモーリシャス側の具体的な要望を把握する上でも、特使の派遣を真剣に検討すべきである。


ストーブ点火。

 昨日なんか胃の調子が悪い。日付が変わったころから痛み出した。寝れば治ると床に就いたが、ますます痛くなる。3時ころ、我慢の限界。深川市立病院に駆け込む。とりあえず痛み止めの点滴。おかげで痛みはほぼなくなった。あとは診療時間に再診。帰りはすでに明るくなっていたが、非常に寒い。フロントガラスの内側もびっしょりと濡れている。調べてみると居住地域の最低気温8.9℃、ちなみに江部乙は12.7℃だった。家に入るやストーブに点火した。
 午前中の再診。一通りの検査を終え、胆石の疑いが。再度26日精密検査ということになりました。


三浦瑠麗CM出演でアマプラの解約運動が……DaiGoは批判も的外れ

2020年08月20日 | 社会・経済

三浦瑠麗CM出演でアマゾンプライムの解約運動が……DaiGoらは運動を批判も、問題は政権にコミットする学者のCM出演だ

リテラ 2020.08.18

 国際政治学者の三浦瑠麗氏のアマゾンプライムのCM出演をめぐって、ネット上で批判の声が高まり、アマプラ解約運動が巻き起こっている。

 問題となっているのは、8月あたまから放送されているアマゾンプライムビデオのCM。以前から同CMに出演している松本人志の「プライムビデオ使う人、増えてるみたいやね」「いろんな人がテレビやスマホでめっちゃ楽しんでるやん!」というセリフに乗せて、リリー・フランキーや清野菜名が、夜の自宅や屋外などそれぞれの場所で、タブレットやスマホなどのデバイスを使って、プライムビデオを視聴する様子が流れるのだが、そんななか三浦氏も学者の仕事場風の場所で仕事の合間、テレビに目をやりプライムビデオを楽しむ演技を披露している。

この三浦氏のCM出演に対して、三浦氏の過去の徴兵制発言や「スリーパーセル発言」、あるいは安倍応援団ぶりを問題にする形で批判の声が高まり、ネット上では、16日夜くらいから〈#Amazonプライム解約運動〉というハッシュタグができた。そう、三浦氏のCM出演に抗議してアマゾンプライムを解約しようという動きが広がったのだ。そして、昨日17日午前には〈#Amazonプライム解約運動〉〈三浦瑠麗〉などのワードがトレンドに入っている。なかには、〈#松本人志も三浦瑠麗も見たくない〉というハッシュタグもあり、三浦氏とともに松本人志の出演にも抗議する声もある。

 一方、この解約運動に対しては、否定的な意見も出てきている。ふだん電凸に勤しんでいる安倍応援団やネトウヨが「パヨクの言論弾圧」などとダブスタ丸出しでわめいているのはもちろん、中立的な人たちも〈嫌いな人がCMに出てるから解約? 実にくだらない〉〈三浦瑠麗さんが出てるから気に食わないとか、気に入らないとすぐ怒る子どもかよ〉などという批判を投げかけている。

 メンタリストのDaiGoも昨日17日早朝7時前にツイッターで、「#Amazonプライム解約運動」というハッシュタグとともに、解約運動をこう批判した。

〈そもそも、サービス内容ではなく、CM起用タレントで購入判断をしている時点で終わっている。

自分の人生もそうやって他人頼りで、自分の頭で考えないから何やっても中途半端なんだよ。

CMに向ける批判的思考を、少しは自分の人生に向けてみたらどうですか?〉(8月17日6時49分)

 このDaiGoのツイートには1万7千件以上(18日7時現在)のいいね!が付き、同様の意見は多数見られる。

 しかし、「子ども」のような無知と認識不足をさらけ出しているのは、解約運動をやっている側ではなく、それを批判している人たちのほうだろう。

報道番組に携わり政府の有識者会議メンバーでもある三浦瑠麗がCM出演する重大な弊害

 かれらはそもそも、この問題の背景にジャーナリズムとCMの線引きの問題があることがわかっていない。

 近年、芸能人が報道番組にキャスターやコメンテーターとして多数進出したことで有耶無耶になっているが、本来、報道番組に携わる者が特定企業のCMに出演するというのは報道の公正性を損なう行為だ。実際、かつてはテレビの報道番組などに出演するキャスター、コメンテータはCMに出ないというのが不文律となっており、いまも有働由美子や羽鳥慎一はあれだけ好感度があってもCMをやっていない。

 ましてや三浦瑠麗氏はタレントではなく、国際政治学者を名乗り、数多くの報道番組や情報番組に出演し、アクチュアルな政治問題や社会問題についてコメント・解説している立場だ。CM出演などは厳につつしむべきだろう。

 しかし、三浦氏にはそんな倫理観はないようだ。9日に出演した『ワイドナショー』(フジテレビ)で、自身初のCM出演について問われ、「いままでは全部断ってたんですよ。(特定の)会社を宣伝するのもどうかな」などと語りながら、最後は「調査結果を無償でお出ししてるので、ビジネスモデルとして私がお金を稼がないと」とこともなげに言い放っていた。

 たしかにCMに出演すればがっぽり稼げるのだろうが、しかし、それはイコール紐付きになるということである。たとえば、アマゾンプライムのCMに出て高額ギャラをもらえば、同社のブラック労働や独占禁止法違反疑惑などについて、厳しいコメントができなくなるのは自明だ。

 しかも、三浦氏の場合は、ジャーナリズムのなかで発言しているだけでなく、安倍政権の政策立案にもコミットしている。本サイトでも指摘してきたとおり、2018年には安倍政権の有識者会議「安全保障と防衛力に関する懇談会」メンバーになり、つい先日も安倍首相の諮問会議「未来投資会議」の追加メンバーに選ばれているのだ。

 国の政策に影響を行使するような立場にありながら、一方で「金を稼ぎたい」と特定企業のCMに出演したら、その企業を優遇するような政策を推し進めかねない。批判されるのは当たり前ではないか。

大坂なおみ、りゅうちぇる、伊藤詩織…CM出演者の人選は企業の思想の反映

 もちろん、その批判は三浦氏だけでなく三浦氏をCMに起用したアマゾンにも向けられて当然だろう。メンタリストのDaiGoらは前述したように、解約運動を「CM起用タレントで購入判断をしている時点で終わっている」などと攻撃しているが、その考え方こそ「終わっている」。

 むしろ、いまは「エシカル消費」という言葉に象徴されるように、企業の社会貢献や社会問題に対する意思表示が、人々の消費行動において、商品そのものと同様に重視されている時代なのだ。

 CM出演者の人選やCM内容、出稿先の選定にも、その企業の思想が反映されているとして注目を集めるようになっている。

 たとえば、P&GがパンテーンのCMに、有村架純や今田美桜という定番の若い女性とともに、黒柳徹子やりゅうちぇるを起用したのは、年齢やジェンダーにとらわれないというブランドイメージを打ち出すためだろう。あるいは、カルバン・クラインが伊藤詩織氏を起用したことがあるが、それは抑圧と沈黙を強いられがちな性暴力被害に声を上げ続けた伊藤氏の姿勢を通じて、女性のエンパワーメントや声を上げることを後押ししていくというメッセージだし、渡辺直美が海外のファッションブランドに起用されるのはルッキズムへのアンチテーゼの意思表示だし、大坂なおみや八村塁が多くの世界的ブランドに起用されるのは多様性のアピールのためだ。

逆に、アマゾンが安倍政権の有識者会議にも参加する国際政治学者の三浦氏をCMに起用したということは、「アベノマスク」を手放しで賞賛し、「スリーパセル」発言で民族差別を扇動するようなそのスタンスを肯定したということでもある。

 だとしたら、三浦氏の政権べったりの姿勢や差別性に否定的な人たちが一斉に批判の声を上げるのは、当然だろう。そして、その表現の手段として不買運動や解約運動という方法をとることも極めて真っ当だ。不買運動は選挙やデモ、ストライキと同様に、民主主義社会における重要な意思表示なのである。

 アメリカでは、多くの企業がBlack Lives Matter運動を支持し反差別のメッセージを打ち出したが、これは消費者がそうした運動を積み重ねてきた結果だ。

 そういう意味では、日本でもこうした企業の姿勢を問う運動をこれからもっと盛り上げていくべきだろう。それは弱者が強者の専横と差別に抵抗するための最後に残された有効な手段になるかもしれない。(酒井まど)


 昨日30℃超えしてから少しづつ、少しづつ気温が下がり、今は20℃を下回っている。少し肌寒さを感じている。

まだ小さな栗がたくさん落ちている。

暑い時はこの椅子でお昼寝が1番。

実をつけたまま移植したブルーベリー。実は落ちるだろうと思ったが、ちゃんと食べれるまでになった。
挿し木したバラ(品種はわからないが黄色の花)を植木鉢に移植。


麻生太郎副総理「あなたも147日間休まず働いてみたことあります?」 副総理、それ違法性が高いです

2020年08月18日 | 社会・経済

藤田孝典 | NPO法人ほっとプラス理事 聖学院大学心理福祉学部客員准教授

  YAHOO!News(個人)8/18(火) 

麻生太郎副総理「あなたも147日間休まず働いてみたことあります?」

また麻生太郎副総理の不可解な発言が波紋を呼んでいる。

 以下の記事にもある通り、休暇を取る安倍首相を擁護する流れで「あなたも147日間休まず働いてみたことありますか?ないだろうね。140日働いたこともない人が、働いた人のこと言ったって分かんないわけですよ」と記者団にコメントした。  

安倍総理は17日午前、都内の大学病院を訪れ、7時間以上にわたって検査を受けました。

 健康不安の憶測が出る中、今回の検査について総理周辺は「夏季休暇を利用して休み明けの体調管理に万全を期すため検診を受けた」と説明。安倍総理は、6月に人間ドックを受診していて病院関係者は「6月の追加検査だ」と明らかにしていますが、検査の詳細については分かっていません。

 自民党幹部は“総理は元気”などとして健康不安説を否定しますが、中堅・若手の間からは“総理は本当に大丈夫か”などと不安視する声も上がっています。安倍総理は病院を出た後、都内の私邸に戻り記者団の問いかけに「お疲れさま」とのみ答えました。

 一方、麻生財務大臣は17日夜、報道陣の取材に・・

 「あなたも147日間休まず働いてみたことありますか?ないだろうね、だったら意味分かるじゃない。140日休まないで働いたことないだろう。140日働いたこともない人が、働いた人のこと言ったって分かんないわけですよ」(麻生太郎財務相)

一般的に147日間働き続けることは違法性が高い

 麻生太郎副総理は記者団に対して「あなたも147日間休まず働いてみたことあります?」と質問を投げかけている。

 実はこの質問自体が愚問である。そもそも会社と雇用契約がある記者たちは140日以上も連続で働いてはいけない。

このような事実があれば、労働基準監督署が過労死の発生などを未然に防止するため、是正に動かなければならないだろう。

その上で「140日働いたこともない人が、働いた人のこと言ったって分かんないわけですよ。」と140日以上働いた経験がない記者らの質問を退けようとしている。

記者の中には、長時間労働が常態化し、140日以上働いている人もいるのでは、と思うが、原則として適切な働き方ではない。

各報道機関と雇用契約を交わしている記者たちは140日以上、連続で働いてはいけない。それにも関わらず、麻生太郎副総理は働いていない人間にはわからないだろうと述べる。

140日間連続で働いていれば違法性が高いのだが、その経験がなければ質問する資質がない、とでも言いたいのだろうか。

 麻生太郎副総理の論理が支離滅裂だとお分かりいただけるのではないだろうか。

いうまでもなく、労働者は所定の休暇だけでなく、有給休暇などきちんと取得し、心身をメンテナンスする必要がある。

だから労働基準法など各種労働法は労働者に大きな負荷をかけないように、最低限のルールを規定している。

近年は過労死、いわゆる「ブラック企業」と呼ばれる企業が問題視されており、厚生労働省も是正に動きを見せている。

多くの労働事件、労働相談では、長時間労働、休暇の不足を企業が労働者に強いたり、人事労務管理がおこなわれていない事例が後を絶たない。

だから、職場での精神疾患の発生、離職、過労死、過労自殺が止まらないのである。

 さらに、麻生副総理の問題点は、首相と一般労働者を単純比較して発言することにある。

首相は自分の意思で仕事量を増減する裁量がある人であり、記者は原則として組織や上司の指揮命令を受ける。

当たり前だが首相の働き方と記者の働き方は根本的に違う。

極端に言えば、首相は誰とも労働契約を結んでいないため、いつ何の仕事をどうしようが自由である。

その仕事に対する評価は各市民が選挙などを通じておこなうが、首相はいつ仕事をするのか、休むのか、選択肢が無数にある。

一方で、記者など一般的な働き方は、労働契約に基づいて、所定労働時間があり、その範囲内で企業や上司の指揮命令のもと働かざるを得ない。

この裁量が少ない働き方は心身に大きな負荷をかけるので、適切な休暇や労務管理がルールに基づいて、強制的に必要となる。

いずれにしても、140日間働き続けることがすべての人にとって良いことではない。

長時間働くことを美談とせず、休みをすべての人が適切に取り、休みやすい機運を高めていくことが大事である。


 どうぞ、内閣総辞職の上ゆっくりとお休みください。刑務所にお部屋をご用意させていただきましょうか?


暗証番号を口頭で… キャッシュレスに挑戦した高齢者の赤っ恥事件簿

2020年08月17日 | 社会・経済

マネーポスト2020/08/16

    昨年10月の消費増税に際して実施された政府のポイント還元事業などで、一気に普及が加速したキャッシュレス決済。「現金主義」を貫いてきた中高年にも広がりを見せた一方、使いこなすのに悪戦苦闘する声も聞こえた。ポイント還元事業は今年6月で終了したが、ここにきて新型コロナ対策での接触低減の観点から、“脱現金”の動きがさらなる広がりをみせている。ただ、それとともに「赤っ恥をかいた」「二度と利用しない」という“現金回帰派”も再び増えているようだ。

 一般社団法人「キャッシュレス推進協議会」が今年6月に公表した調査結果によると、20~60代の約5割以上、70代以上の約4割の消費者が「(政府のポイント還元事業をきっかけに)キャッシュレスを始めた」「支払い手段を増やした」と回答。さらに、新型コロナの流行で、スーパーなどの小売店や飲食の宅配サービスではクレジットカードによる事前決済を推奨する業者が増加している。

 これまで現金払いオンリーだった中高年にも「キャッシュレス化の波に乗り遅れてはならない」という認識が広がりつつあるが、まだまだハードルは高いようだ。新型コロナの流行を機に“キャッシュレス決済デビュー”した70代男性は、「すぐに利用をやめてしまった」という。

「家に寄ってくれた高校生の孫の前でいいところを見せようと、“バーコード決済で支払いが可能”という弁当の宅配サービスを頼んだのですが、支払いの段で何度もエラーが生じ決済ができなかった。若い男性配達員は次第にイラつきはじめ、“次(の配達)があるんで、現金でもいいですよっ!”と言われてしまいました。孫が代わりに操作し、無事に支払いを済ませましたが、面目丸つぶれです」

 別の60代男性もこんな失敗談を明かす。

「期間限定で合計10%のポイント還元があるスマホ決済の存在を知り、娘に頼んでアプリをダウンロードしてもらいました。娘からは“お金もチャージしたからすぐ使える。操作が分からなければ店員さんが教えてくれるから”と言われたのですが……」

 その言葉を鵜呑みにした男性に悲劇は起きた。

「操作もひと通り予習してコンビニに行ったのですが、支払い時に決済画面が開かない。飛沫感染防止シート越しに店員さんにスマホを渡そうとしても“コロナ感染予防のため、操作はご自身でお願いしています”と取り合ってくれない。そうこうしているうちに、レジ待ちの行列ができてしまった。感染予防で間隔を空けて並んでいるから、すぐに列が長くなってしまって凄いプレッシャーです。いたたまれず現金で支払いを済ませました」

 ほかにも「慣れてきたので財布を持たずにスーパーに行き、1万円近い額になるまとめ買いをして、レジで颯爽とスマホを差し出したら、まさかのバッテリー切れ。かごの中身をすべて戻す羽目になった。こういうご時世だから、一度誰かが触った商品にはみんな手をつけたがらない。周囲から白い目で見られて、もの凄く悪いことをしているような気分になった」(70代女性)、「キャッシュカード決済は手書きでサインするものだと思い込んでいたら、店員に暗証番号を求められた。咄嗟に“○○○○です”と数字を口頭で答えたら“お客様、こちらの機械に入力を……”と言われ大恥をかいた」(70代男性)といった失敗談が聞かれた。

 キャッシュレス決済に悪戦苦闘するのは消費者だけではない。都内の個人タクシードライバー(60代)がぼやく。

「組合の方針で一斉にスマホ決済を導入したが、ドライバーは60代後半から70代が中心で、機械の使い方が分からない人が多い。私も配布された機械やステッカーはトランクに積んだままです。ただ、コロナ後はお客さんに“キャッシュレスじゃダメなの?”と聞かれることが増えて……。乗り慣れた人に“あれ? お宅の(タクシー)組合はスマホ決済を導入したはずでは?”と詰め寄られ、しどろもどろになってしまったことがある」

“新しい支払い様式”の広がりは、「便利は不便の始まり」という言葉も想起させる──。


実は・・・
なのだ。
コロナ禍で道の駅のアイスクリーム屋さん自動券売機を導入。
なんか、こういうの嫌なんだよね。
ボタンもたくさんあってさ。
持ち帰り?
なんかめんどくさくてそこへ行くのやめました。
店の人はお金を触らなくていいでしょうけど、我々はお金と券売機のボタンを触らなければならないのだよ。
と、変な言い訳をしながら。
ポイント還元事業も全く無視でした。
だいたいスマホも持っていないのだから。
二つ折り携帯、画面が保護されるからいいのだ・・・・・


香山リカー「常識を疑え!」京都嘱託殺人事件から考えた――誰もが"使命"を手に入れられる社会か、"使命"がなくとも生きられる社会か?

2020年08月16日 | 社会・経済

Imidas連載コラム2020/08/14

  香山リカ

    今年は自分自身もそうである「医者」という職業や、「生と死」について、いつも以上にあれこれ考える年となっている。

 ひとつはもちろん新型コロナウイルス感染症の拡大のためであるが、もうひとつは、神経難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者に対する嘱託殺人容疑で医師が逮捕されるという衝撃的な事件が起きたためだ。

 前者に関しては今回は深く立ち入らないが、医療現場にいる私にとっては苦闘の日々がいまだに続いている。何せ、その病気を疑わせる病歴や症状があっても、確定診断の唯一の決め手であるPCR検査が簡単にできないのだ。一時よりは改善されたとはいえ、検査しにくい状況はいまだに続いている。医者として「必要と思っても患者さんに検査をしてあげられない」という経験ははじめてだ。さらに不思議なのは、医者たちの中からも「検査拡充は不要」と主張する声が上がっていることだ。この人たちはどうやって診断や治療を進めているのだろう。いずれにしてもこの問題はまだ現在進行形なので、いつか総括しなくてはならないと思っている。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 このような状況が続く中で発覚したのが、昨年11月に京都市で起きた嘱託殺人事件だ。マンションで介護を受けながらひとり暮らしをしていたALSの女性患者(事件当時51歳)が、SNSを通じて「安楽死」を医師に依頼し、その結果薬物を投与されて亡くなったと報じられている。このことは今年(2020年)7月23日、嘱託殺人容疑で40代のふたりの医師が逮捕されて明らかになった。

 事実関係が少しずつ判明するにつれ、この事件にはさまざまな問題が絡み合っており、簡単には語れないということがわかってきた。まだ容疑の域を出ないが、現時点で私が整理しているその「さまざまな問題」とは、大きく分けて次の三つだ。

①安楽死、尊厳死など「死の自己決定」について

②生命に直接かかわる仕事に携わる医師が、生や死、また①の「死の自己決定」をどうとらえるか

③「生きる意味」と、それを失うときについて

 事件が発覚した直後、日本維新の会の代表を務める松井一郎・大阪市長は、自身のツイッターでこの事件の報道を引用しながらこう呼びかけた。

「維新の会国会議員のみなさんへ、非常に難しい問題ですが、尊厳死について真正面から受け止め国会で議論しましょう。」[1]

 この事件の根幹にあるのは前述の①、つまり「死の自己決定」という問題だが、それとともに今回は②についても熟考が必要だ。ただ、「医師にとって生と死とは」という一般的な問題に入る前に、まず逮捕された医師について論じてみたい。

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 医師ふたりが実名で報道された直後に、ふたりが共著で『扱いに困った高齢者を「枯らす」技術 誰も教えなかった、病院での枯らし方』というタイトルの電子書籍を出版していたことが報じられた(医師Aは実名、医師Bはアルファベットを連ねたペンネーム)。また、医師Bはペンネームと同じアルファベットをユーザー名やアカウント名として、ツイッターやブログを開設していることもわかった。

 1万人以上のフォロワー(注・事件発覚後に増加して現在は2万人)を持つそのツイッターアカウントの投稿をさかのぼって読んでみて、私は仰天した。医師Bは、高齢者や回復不可能とみなされる病の人たちに対して、それ以上の生には意味がないと言い続けている。事件が起きたとされる2019年11月の前も後もそれは変わらない。

「経済的な生産性でいうとマイナスでしかない認知症老人に人生をからめとられて、退職を余儀なくされるとか、ほんとボケ上がった老人を長生きされることに俺は興味も関心もない。」(2019年8月12日、[2])

「予後不良なのに治療に人生とカネを費やす意味があるんすかね」(2020年3月22日、[3])

「長生きしてもいいことなんかあんのかよ。耐用年数を超えてボケた脳ミソとあちこち痛いだけの体、年金じゃ食えない耐乏生活、子供に介護費用を無心したり、娯楽に使えるカネもなく、テレビで安倍の悪口いうくらいの毎日。」(2020年4月17日、[4])

 これらを読むとわかるように、高齢者や予後不良(回復の見通しが少ない状態)の疾患の人たちの生の継続に意味がないと医師Bが思うのは、医療費や介護費用、つまり「カネの無駄」だからということのようだ。今年になってからは、新型コロナウイルス感染症に関しても、医師Bは饒舌に語っている。そこでも問題にされるのは、カネのことだ。

「死ぬべき人がひとしきり死んだら、コロナ騒ぎも終わって経済回るんじゃねえのかな。」(2020年4月4日、[5])

「ワイドショーをみる時間がたんまりあるって時点で、頭の弱い貧乏キャラ確定なのだが、そいつらが『コロナで不安』とかいい始めたら、秒で切ることにしている。」(2020年6月9日、[6])

 こういった考えが根底にある医師Bは、尊厳死や安楽死を肯定するツイートを繰り返し行っている。

「『安楽死コンサルタント』って名刺に書くかな。」(2019年8月25日、[7])

「安楽死外来(仮)やりたいなあ」(2019年11月20日、[8])

「精神疾患の安楽死施設ならすぐ作れそうだけどな。

かかわりたくはないが」(2019年12月19日、[9])

 その理由も高齢者やコロナ感染症の問題と同じ、「カネの無駄」ということのようだ。それがうかがわれる2016年のツイートを紹介しよう。

「議員定数を若干減らすよりも、尊厳死法とか安楽死法を通した方が財政は持ち直すと思うけど。」(2016年2月21日、[10])

 もちろん、ツイッターが人の本当の考えだけを書くツールだ、と言うつもりはない。自分で設定したキャラにあわせて、1万人ものフォロワーの期待にこたえてあえて過激なことや挑発的なことを書いていただけかもしれない。しかし、医師Bはこういったツイートを続ける途中で、ALSの患者からの依頼を受け、その人の胃ろう(栄養を直接、注入するために腹部から胃に開けた穴)から薬物を入れて死に至らしめたのだと報じられている。それを思うと、これらのツイートを「まったく心にもなかった言葉の創作」と考えるのは無理があろう。また、ほかにALSの患者や関係者を揶揄するように「ALSご一行さま」と表現するツイートもあり(2020年3月26日、[11])、医師Bがこの難病を深く理解し、患者たちへの敬意を持っていたとは、とても言いがたい。

 それらを総合して考えると、この医師は「高齢者や回復不可能とみなされる患者を生かしておくのはカネの無駄でしかないから、すみやかに生を中断させる、つまり死に導くべし」という信条の持ち主で、この信条に近いものとして、これまで長いあいだ議論されてきた「安楽死」や「尊厳死」という言葉を用いたのにすぎないのではないだろうか。

 しかし彼の信条は、「本人らしい生き方」や「本人が考える最期」を尊重するという意味の「尊厳死」という言葉とはほど遠い。生や死の問題を、経済効率性や生産性を優先して決める、という意味では、それはむしろ優生思想に近いものといえよう。

 日本医師会の新しい会長に就任したばかりの中川俊男医師も、2020年7月29日の会見で、「患者さんから要請があったとしても、生命を終わらせる行為は、医療ではない」「容疑に問われている医師は、主治医ではなく、診療の事実もなく、(略)決して看過できるものではない」[12]と嘱託殺人を強く非難した。

 さて、ここで最初の問題設定に戻ろう。

 まず①安楽死、尊厳死など「死の自己決定」についてである。もし医師が経済至上主義的な発想から「生の中断」を肯定(というより推奨)する考えだったとして、今回のALS患者の死は安楽死や尊厳死ではなかったのだろうか。それは医師の問題とは切り離して考えるべきだろう。

 先にも述べた通り、安楽死や尊厳死については長いあいだ、多くの議論が行われてきた。そして、それじたいは決して安易に否定されるべきではない、と私も医療従事者のひとりとして思っている。今回の患者もまたブログやツイッターを開設しており、全身が動かない中、視線によるパソコン入力で日々の様子や考えを発信していた。そこから、切実な気持ちから安楽死を強く望んでいたことがうかがえる。本人にとってはそれを実現することが目的であり、容疑者である医師が深い倫理観の持ち主か経済至上主義者なのかなど、あまり関係なかったのではないか。だから、ふたりの医師が、たとえ一部の報道にあるように130万円という謝礼金目当てに薬物注入に及んだのだとしても、それだけで「この人が遂げたのは安楽死や尊厳死ではない」と言うべきではないだろう。

 ただ、まだふたりの医師の特異な印象が強すぎるいまは、最初にあげた松井一郎氏のように「尊厳死について真正面から議論しましょう」などと呼びかけるのは時期尚早と思われる。ではいつならいいのか、と言われても答えに窮してしまうのだが……。

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 そしてもうひとつ、自分への宿題として残しておきたいのは、②の「いまの医師はどういう死生観、生命観を持っているか」という問題だ。今回は事件の容疑者である医師についてのみその考えの一端を紹介したが、実は私自身は、この経済合理性を異様なまでに重んじるというのは、多かれ少なかれ、いまの40代以下の医師に見受けられる特徴なのではないかと思っている。

 そして、そういった医師たちの一部がいま新型コロナウイルス感染症の問題に関しても、「PCR検査は“コスト”がかかりすぎる」と主張して検査抑制論を展開したり、「威力の弱い感染症なので恐れずに“経済”優先を」という楽観論をネットやテレビで述べたりしているように感じられるのだ。

 私はこの傾向をたいへんに憂慮している。たしかに彼らの中には昔の医師に比べ、知識が格段に豊富で、高いスキルを身に着けた医師が多いのも事実だ。しかしすべてを合理的に経済優先で処理しようとする思考パターンが染みついた専門家が、人間にとって避けて通れない、病や障害、老化や死にどう対処するのか。もちろん医療現場ではときにはドライに割り切らなければ正しい診断や良い治療ができないことも多いが、私も医師として経験年数を重ねれば重ねるほど、「人間の生き死には科学や計算だけでは答えが出ない」と思うようになってきた。そこにすべてをコストとベネフィットだけで考えるような“経済至上主義医師”が続々と現れたら、どうなるか……。ちょっと想像するだけでも悲惨な状況がいくつも思い浮かぶ。

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 さて、最後に③の「生きる意味」について少しだけ、いま考えていることを述べておきたい。

 今回の患者の女性はブログやツイッターで自分の考えを発信していたことは先にも触れたが、この人の「安楽死したい」という強い思いの根底にあったものは何だったのだろう。

 本人による2018年6月4日の「死生観と安楽死」というブログには「少なくとも私はこの動かない食べられない話せない、唾液さえ常に吸引しないと生きていけない身体で人間らしい人生を送っているとは思えない」[13]とあり、同年11月24日の「ベッドの中と外の世界」には「どんな楽しいことを計画しても、こんな身体で生きるこの世に未練はないな、、、と思ってしまうのだ」[14]とある。

以前はできたことができない、鏡に映る姿も変わってしまった、今後、治る見通しもない中でただ悪化を待ちたくない、という気持ちがあったことがうかがえる。ツイッターには「7年間一貫して言い続けてきた『早く終わりにしたい』という思い」(2019年6月29日、[15])という言葉もあるので、この疾患だと診断を受けて間もなくからそう考え続けていたのかもしれない。

 しかしその一方で、ブログには「自分という人間の個」「それは人とのコミュニケーションによって守られているに違いない。ブログやツイッターで発信することもそうだ」(2019年3月28日、[16])という記述もあり、その通りに症状や安楽死についてだけではなく、テレビでテニスやサッカーを応援したり友人が訪ねてきたりという日々の様子についてもこまめに発信して、ときには70もの「いいね!」がついたり、フォロワーとのやり取りの中で病気から悲観的になる人を励ましたり、逆に励まされて「本当にありがとう。頑張るよ!」と言ったりもしているのだ。

 ただ、一方でヘルパーたちの心ない態度への不満、緊急時対応会議を「私抜きでする」という主治医やケアマネージャーへの不信が見え隠れする。そして、2019年9月17日のツイートに「手間のかかる面倒臭いもの扱いされ、『してあげてる』『してもらってる』から感謝しなさい 屈辱的で惨めな毎日がずっと続く ひとときも耐えられない #安楽死 させてください」[17]と記している。

 つまり、コミュニケーションを大切にし、他者とのやり取りの中で「自分であること」を確認してきた彼女は、現実の毎日では思い通りには動かせない身体をケアする人たちから「面倒臭いもの扱いされ」ていると感じ、「屈辱的で惨め」だと感じ続けなければならなかった。「尊厳」をまったく自覚することができない状態に置かれたのだ。

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 不登校だった中学生時代、独学で作った小さなロボットが競技会で準優勝したのをきっかけにロボット工学の道に進み、現在は株式会社オリィ研究所代表取締役CEOを務める吉藤オリィ氏という32歳の学者兼実業家がいる。彼は「ロボットで孤独を解消する」をミッションに不登校やひきこもり、病気の若者のかわりに外に出かける“分身ロボット”の開発を行ってきたが、それがALSを始めとする難病などで寝たきりの人たちにも求められていることに気づいた。いまでは難病、高齢者、育児中の人などが自宅で操作してカフェの店員や会社の受付の業務をこなすロボットなども作っており、操作する人が実際に正社員として採用されたケースもある。

 今回の事件が明るみに出た7月23日、吉藤氏はこんな連続ツイートを投稿した。

「研究を通しALSはじめこれまで500人以上の難病、寝たきり生活の人達と出会い、彼らと『生きるとはなんだろう』という話をよくしてきた

 色んな意見はあるが、概して皆『人の役にたつ事だ』と回答する

 ただ延命したいのではなく、命ある限り誰かにとって必要な存在でありたいのが人なのだ」[18]

「この話をすると『生きているだけで価値だよ!』と言ってくれる人もいる。きっと優しい心からの声だろう

 ただ、いくら周りが生きてるだけでいいよと言っても、本人が誰かの為に何かしたいと願うならその気持ちは尊重したいし、されたいのだ

 自分らしく生きていると”実感できる事”が本人にとって大切だ」[19]

 私は、この吉藤氏のツイートを、亡くなった女性が読んでいたらどう思っただろう、と考え込んでしまった。彼女は、パソコンを使ってブログやツイッターでコミュニケーションをとることで「自分であること」をかろうじて保てる、と言っていた。そこには吉藤氏の言う「誰かにとって必要な存在」ということも含まれているだろう。一方でケアする人たちから「面倒臭いもの扱い」されて「屈辱的で惨め」と感じた。まさに「自分らしく生きていると“実感できる事”」がむずかしくなったのだ。

 いま吉藤氏は、寝たきりになってもロボットを使って社会で働ける仕組みなどを、当事者たちと協力しながら次々に作っている。それがどんどん実用化されれば、この先、彼女のような状態になった誰かが、SNSでのコミュニケーションだけではなく、仕事という形で「誰かにとって必要な存在」となり、「自分らしく生きている」と強く実感して生きる意欲を持つことができるようになるのだろうか。

 コロナの感染拡大よる「ステイホーム」の生活により、このところ多くの人たちが「私は誰かの役に立てているのだろうか?」と自分を振り返ったと思う。中には「何もすることがない、家にいるだけで世の中の役にも立てない」と落ち込み、抑うつ状態の域にまで達して、診察室に来る人も出てきた。人間には、自分が社会やそこにいる誰かの役に立っているという思い、すなわち「自己有用感」が必要なのである。吉藤氏の取り組みは、病気や家庭の事情で家にいなければならない人でも、IT技術を使うことで社会でも活躍できる体験を通して、この自己有用感を取り戻す試みだ。その意味で、私は9割がた、吉藤氏の取り組みを心から応援したいと考えている。

 では、残りの1割は何なのか。

 それは、吉藤氏のツイートの中にある「生きているだけで価値だよ!」だけでは本当に足りないのか、ということだ。いや、私たちが目指すべきなのは、やはり「生きているだけで価値だよ!」の方なのではないだろうか。

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 7月31日、ネットメディア『現代ビジネス』は、『群像』2019年10月号に掲載された若い文筆家の文章を転載した。著者の名前は木澤佐登志氏、文章のタイトルは「『生産性』と『役に立つ生』に憑かれた、私たちのグロテスクな社会について――生産性に抗するラディカルな生」だ。[20]

 その文章で著者は、たまたま両親と見ていたテレビに映し出された知的障害者の社会参画を支援する団体の主宰者の言葉に、強い違和感を覚える。その言葉とは次のようなものだ。本文から引用する。

「『とにかく彼らがあきらめる心だけは持たせたくない。あきらめたら、そこで終わってしまう』また、次のようにも語る。『生まれてきた以上は世の中に必要とされている人間だ』『今、命がある限り、必ず君には使命がある』『使命を見出すためにも、自分の人生を力強く歩んでいかないといけない』」

 そのテレビ番組は支援団体の取り組みやそこでがんばる障害者の話を美談風に仕上げていたが、著者はここで言われる「使命」は「生産性」と同義なのではないか、と考えてこう言う。再び引用する。

「『生産性』とは何か。それは理事の言葉では『使命』と言い換えられている。人間個人には必ずその人の『使命』が与えられており、その『使命』をまっとうするために、終わりなき労働に駆り立てられる。だから、『使命』をまっとうする気のない人間は、生きる価値がないのだ。」

 著者のこの論はいささか飛躍しすぎのようにも思う。


暑いですねぇ~!
江部乙の最高気温27.2℃、最低気温19.8℃。
北海道以外の方には信じられないでしょうが…

 

亜麻の花と種。

ブルーベリー。

アロニアとハチの巣。

今日の散歩道。

向こうから狸が来ますねぇ。
レンズを構えて待ちます。

ようやく氣づいたようです。