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香山リカー常識を疑え! 「命の選別」を安易に許してはならない理由

2020年06月30日 | 健康・病気

 香山リカ(精神科医・立教大学現代心理学部教授)

imidas連載コラム 2020/06/30

 新型コロナウイルスの流行が世界規模で続いている。6月18日には1日当たりで過去最多となる15万人以上の新規感染者が確認され、19日、世界保健機関(WHO)のテドロス・アダノム事務局長は「世界は危険な新局面に入った」と警鐘を鳴らした。

 現在の流行の中心は中南米と見られているが、日本でもここにきて感染者数が増えつつある。私は週に1度、コロナ感染が疑われる患者専用の外来がある病院で診療をしているが、5月はじめには日にゼロかせいぜい1人だった検査対象者が、5月末あたりから「日に数人」レベルに増えてきた印象がある。

 そういう中で、6月19日から国内の移動制限は解除され、旅行やイベントも条件つきとはいえ“解禁”になった。通学、通勤で電車や駅にも通常の混雑が戻りつつある。感染者が減る要素はどこにもない、とも言える。幸いにしていまは重症者の数はそれほど多くないが、まったく油断はできないのである。

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 3月から4月にかけてコロナウイルスの感染者が爆発的に増えたヨーロッパでは、事態はより悲惨であった。人工呼吸器や集中治療室のベッドが足りなくなり、重症の患者にも十分な治療ができない、いわゆる「医療崩壊」が起きていることが連日のように報道された。さらにその中で、限られた台数の人工呼吸器を誰につけるか、という「命の選別」を行わざるをえない場面もあったようだ。

 たとえば4月5日の朝日新聞(電子版)では、「父の人工呼吸器、電話で『若者に回す』 命の選別に絶望」というスペインの衝撃的な事例が紹介された。記事によると、感染が判明して入院した80歳の父親の主治医から47歳の息子に電話がかかってきて、「死なせることを許してほしい。75歳以上の高齢者は治療できない。人工呼吸器はつけられない。若い患者に回さないといけないから」と告げられたのだそうだ。主治医は涙声だったという。父親はそのまま亡くなった。息子は朝日新聞からの取材に、「『国が父を死なせた。日本はスペインの経験から学んでほしい』と憤」ったとある。

 その後、日本でも一時はコロナ感染での入院が増え、現場の緊張も高まった。安倍晋三総理は4月半ば、人工呼吸器1万5000台の確保を表明し、国内メーカーに「さらなる増産を」と求めたという。その後、国内では4月末から患者数が減少に転じたため、実際には「呼吸器が足りなくなり『命の選別』をしなければならない」という事態には至らずにすんだ。

 ただ、冒頭でも述べたように、ここにきてまた感染者数は増えてきており、この先、重症者が再び病院のベッドを占有する日がこないとも限らない。いや、夏場にかけては重症化は抑えられても、秋から冬にかけては確実にこの春と同じかそれ以上の流行が国内でも起きるはず、という意見が専門家の間でも出ている。日本では人工呼吸器が不足することはない、などと言い切れる人は誰もいないのである。

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 『週刊新潮』に連載されている医療コラム「医の中の蛙」で、著者の里見清一氏は職場である日本赤十字社医療センターで新型コロナウイルス感染症の治療に奮闘する日常を連続して綴っている。同誌5月28日号では、この感染症での死亡がいかに苛酷なものであるかを記して、「つくづく、長生きは不幸だと感じる」と言う。苛酷さが年齢によって違いがあるとも思えないが、里見医師はおそらく、長生きしたのに感染の危険から家族に看取られることもなくこの世を去らねばならない高齢者を目にして、このように感じたのであろう。

 そして里見医師は、「ピッツバーグ大学が、重症者治療での人工呼吸器やICU使用の優先順位ガイドラインを出している」と紹介し、「その一つに『若者優先』がある」とする。

 里見医師が指すのは、ピッツバーグ大学の救急救命科のダグラス・ホワイト教授らが作成し、4月15日に発表した「緊急事態において限られた医療資源をどう配分するか」の評価基準のことであろう(原文は英語、筆者訳、以下同)。ネットに公開されている実際の評価基準を見ると、たしかに「退院した場合の予測寿命」は項目のひとつになっているものの、ほかにもいくつもの条件を考慮した上で判断が下される仕組みになっており、単純に「若者優先」で人工呼吸器を使用してもらう、といったものではないことがわかる。

 里見医師はコラムをこう締めくくる。「もうすぐこういう『年齢トリアージ』は日本でも喫緊の課題になるだろう。いつまで『生命は平等で、地球より重い』の一つ覚えが通用するのだろうか。」トリアージとは、「患者の重症度をその場で評価して、治療の優先度を決定すること」を意味する災害医療や救急医療で使われる用語だが、『「人生百年」という不幸』(新潮新書)という著書もある里見医師は、はっきりと言ってはいないが、新型コロナでもそうでなくても、医療現場では年齢や残りの予測寿命を確認、評価して、「若者優先」で医療を行ってもよいはずだ、と「年齢による選別」を容認したいのではないだろうか。

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 もちろん、「選別」じたいは医療現場では日常的に行われている。たとえば私の勤務する診療所の待合室にも、「患者さまの状況によって診察の順番が番号通りではないことがありますがご理解ください」というお知らせが貼られている。受付で「とても具合が悪い」と訴える患者さんがいる場合、診察室に連絡が来て、受付番号に関係なく先に診察することはよくある。あるいは、インフルエンザワクチンの接種を希望する親子が来て、ワクチンの残りが1本の場合、「じゃお子さんに先に打って、お母さんは次回にしましょうか」と提案することもある。救急医療や臓器移植医療に携わっている人は、もっとハードな選別をする場面もあるだろう。とはいえ、新型コロナウイルス感染症の場合、いざ感染爆発が起きてしまうと、その選別の機会も爆発的に増えることになる。

 先に紹介したスペインのケースでは、80歳の父親に人工呼吸器は使えない、と医者から告げられた47歳の息子は「憤っていた」と伝えられる。里見医師が考えるように、「つくづく、長生きは不幸」だから「若者優先」でどうぞ、などとは言わなかったのだ。

 もし、日本でも人工呼吸器が不足するような事態が起きた場合はどうなるのだろう。スペインでのケースのように、「親を死なせるなんて許せない」と憤る人が続出するのだろうか。あるいは、高齢者も「もし私がコロナになったらちゃんと人工呼吸器を使ってくれ」と言うだろうか。

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 どうもそうではなさそう、ということが、あるカードの提案により示された。そのカードとは、大阪の医師が高齢者向けに「集中治療を譲る意志」を表示するもの、として作成した通称「譲(ゆずる)カード」だ。このカードは、発電型健康用具の普及を目的として作られた「日本原始力発電所協会」という一般社団法人のホームページで4月8日に公表された。カードの説明の一部を引用しよう。

「イタリアでは回復見込みの少ない高齢者の人工呼吸器を取り外して若い人に使用すると言う『命の選択』が始まっています。ただでさえ忙しい医療関係者に『命の選択』まで迫るのは酷な話です。では医療関係者がそのような苦渋の判断をする苦労を少なくするにはどうすれば良いでしょうか?

 それは我々高齢者が『高度医療を万が一の時に若者に譲ると言う意思』を示せば良いのではないでしょうか?」

 考案した石蔵文信氏は、64歳の現役循環器内科医である。ただ、インタビューでは自身も前立腺がんを患っており、「助かる可能性が高い若い人の治療を優先してほしい」とこのカードに署名して保持していると語っているので、「選ぶ側」としてだけではなくて「譲る側」の一員としても作ったのかもしれない。

 石蔵医師がこのカードを公表するとサイトへのアクセスが増え、テレビの情報番組からもコメントを求められるなど、次第に注目が集まっていく。

 『週刊ポスト』(5月22・29日号)では「「若者にコロナ治療譲ります」あなたはこのカードに署名できますか?」としてこのカードを取り上げ、評論家の呉智英氏が「今こそ『トリアージ』の問題を本格的に議論していくべき」「現役医師(石蔵氏)が提唱したこのカードは意義のあることだと思います」と高く評価した。

 この流れだけを見ると、日本では「年齢によって『命の選別』をするなんてとんでもない」と憤るどころか、高齢の当事者が自ら「医療資源を若い人に譲ります」と申告しようとしているように思える。

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 しかし、本当にこれは高齢者の自発的な意思と言えるのだろうか。

 たしかに、かなり前から「人生の最終段階(終末期)を迎えたときの医療の選択について事前に文書などで意思表示しておく」、つまりリビング・ウィルの動きが広まり、現在は高齢者の入院に際して、医師が家族に「もしもの場合の延命措置はどうしますか」と確認するのも一般的となった。また、リビング・ウィルを含め「最期をすごす場所」などについて、患者の意思決定がはっきりしているうちに家族らと話しあっておく「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」を、いま厚労省も勧めている。

 とはいえ、このリビング・ウィルやACPに関しても、「それは本当に自分の意思なのか」という問題がつきまとうことは事実だ。私も、かつて入院中の何人もの高齢の患者さんたちから、「本当はもっと生きたい」「家族に迷惑はかけたくないが死にたくない」という言葉を聞いた。家族にしても同様で、入院時には「延命措置はいりません」と申告したが、いざとなったら「見殺しにしないで!」と叫んだ人もいた。それは当然だと思う。自分あるいは親の死という、ある意味、人生でいちばん大きなできごとの前で、冷静でいられる人などいるわけはない。ホスピス医として患者さんたちに「死は怖くありませんよ」などと伝えてきた人が、自分ががんになったとたん「最新の治療を受けたい。なんとしても助かりたい」と言い出した、という話も聴いたことがある。それもまた驚くことではない。仕事として第三者に接するのと、「当事者」として直接、体験するのとでは、できごとの意味が決定的に変わるのは自然のことだ。

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 ここで私が言いたいのは、「考えがぶれるのはあたりまえ」ということだけではない。本人が「自分の意思」としたことでさえ、立場や状況によってこれほど変わるのだ。まして、そこに周囲からの圧力や世間の意思が介入したらどうなるだろう。「いま『譲カード』というのが流行ってるらしいよ」と家族から聞かされたり見せられたりした高齢者が、自分の意思かどうかもさだかではないのに、「自分も所持しなければならないのか」と感じて署名することもあるのではないだろうか。あるいは、一度は「それはいいね」と署名し、その後、考えが変わったとしても「もうやめる」と言い出しにくい、ということもあるはずだ。

 石蔵医師は、このカードは「命の選別」を行う医療関係者に負担をかけないため、と目的を語っていた。もしこれが普及し、コロナ感染症の第二波で人工呼吸器が不足したとき、カードを持った高齢者が搬送されてきたら医師は本当に呼吸器を装着しないのだろうか。助かる可能性がきわめて低い進行性の病の末期にある患者に延命措置をしないことと、コロナによる肺炎など急性の疾患の患者に必要な手当てをしないことでは、その重みはまったく違う。このカード一枚程度で、医師が「若い人に呼吸器を使おう」と決断するのはあまりに安易ではないか。「命の選別」というのはあくまでも、前半で紹介したスペインのケースのように、行う医者は涙声で家族に伝え、その家族は「国に殺された」と憤りをぶちまける、というようなものなのだ。いや、そうでなくてはならない。どんな意思表示の手段ができたとしても、「命の選別」が機械的なものになったり、行うものが自分がしたことの重大さに痛みを感じずにすんだりすべきではない、と私は思う。

 そうでないと、「命の選別」はあっという間にその範囲を広げていくかもしれない。たとえば、「退院できた場合の予測寿命」が選別の基準のひとつになるのであれば、「年齢は若いが、がんで余命が限られている」という子どもの治療はどうする? 身体に重い障害があって寝たきりの場合は「予測寿命」を健常な人と同じと考えてよいの?といった具合だ。

 さらに、「予測寿命」だけではなく「その間にどれくらい生産性を上げて社会に貢献できるか」といった要素も折り込んではどうか、という議論は出ないだろうか。そんなことは考えすぎだと思う人もいるかもしれないが、それは違う。

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 今回の新型コロナウイルス対策として、国はひとり一律10万円の特別定額給付金を支給することを決めた。しかし、それが生活保護世帯の人たちにも支給され、収入として認定されない(つまり生活保護の給付金は減額されない)ことをめぐり、一部で「生活保護バッシング」が起きたのだ。それを伝える6月16日の西日本新聞の記事(「『10万円給付金もらうな』生活保護バッシングなぜ起きる」)によると、同社の読者投稿コーナーにも「働かざる者、10万円もらうべからず」という趣旨のコメントが相次いだという。

 つまり、ここには「より困窮している人が支援を受けられるべき」どころか、コロナの被害は全国民に等しく及んだのだから、みな同じく支援を受けられるべき」という考えすらなく、「働いていない人は除外した方がよい」という明らかな選別の意識があるのだ。ここから人工呼吸器などの使用に関して「仕事をしている人と生活保護の人、どちらを優先すべきか」という議論に発展したとしても、おかしくはないだろう。

 日本には、小説家の深沢七郎(1914~87年)が『楢山節考』(56年)で描いたような「姥捨て」の伝説がある。それがどこまで事実であったかは別として、現在も「誰にも迷惑をかけずに死にたい」との願いを叶えるという通称ぽっくり寺が全国にあって参拝客でにぎわうなど、「命の選別」に対して、それをする側もされる側も意外に抵抗がない土壌があるように思う。さらにそこに経済至上主義、ネオリベラリズムの考えが加わり、「稼げる人が社会に役立つ人」と同時に「稼げない人は不要な人」という価値観も若い人を中心に強まりつつある。その中では、「誰の命も平等」という意識を繰り返し確認し続けないと、あっという間に「命の重みには軽重や傾斜がある」といった考えが広まり、気づいたら「年齢トリアージ」にとどまらず「健康トリアージ」「収入トリアージ」「才能トリアージ」などがあたりまえに、という悪夢が訪れないとも限らないのだ。

 さらに、もし第三者によって行われるトリアージではなく、「譲カード」のように自己申告制であれば、そこで選ばれる死は本当に「自己決定による死」なのか、という問題もある。医療社会学を専門とする市野川容孝氏は、『ナチズムの安楽死をどう〈理解〉すべきか」(「imago」96年9月号所収)という論文の中で、ナチスのプロパガンダ映画において神経難病の患者が安楽死を望み、夫によって実行されるというシナリオをあげながら、「自己決定」の名のもとに、身体障害者や精神障害者が無意識のうちに抑圧されてそうせざるをえなかった可能性に言及している。『楢山節考』のおりんも、安楽死につながる「楢山参り」を渋る息子・辰平を叱咤激励するようにして山に入る。一見、これも「自己決定による死」に見えるが、本当にそうなのだろうか。たとえ本人はそう思っていても、長年の風習、村の雰囲気などさまざまな要素が幾重にも重なり合い、無意識のうちにおりんにそれを“選ばせている”という可能性はないだろうか。何をもってして「(本当の)自己決定」とすべきかは、それほど単純に定義することはできないのである。

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 「譲カード」には、もちろんそんな悪意や思惑などはないだろう。あくまで「若い人に生きてもらいたい、現場の医者たちを困らせたくない」という善意で考案されたもののはずだ。善意であるだけに批判がむずかしく、それが内包している問題は見えづらいが、だからこそ、ここまで述べてきたようにいっそう深刻なのだ。

 きれいごとは言っていられない。それはたしかにそうだろう。

それでも、「誰の命も平等」。この原則はいくら新型コロナウイルス感染症が猛威をふるい、医療現場が逼迫してもすべての人が忘れてはならないことだ、と私は思うのだ。


 医療現場では様々な「選択」がなされるのかもしれない。しかし、十分な医療体制が整っていれば、その選択は極めて小さいものになっていくはず。限られた医療体制の中ではなく、平時にこそすべての「命」に向き合える体制をとる必要があると思う。

今日の散歩道

こちらもサクランボの木です。手が届きません。


生活保護費減額に「最低」と言われる判決を下した名古屋地裁の論理

2020年06月29日 | 社会・経済

みわよしこ:フリーランス・ライター

  DIAMONDonline  2020.6.29 4:40

“自民党ヨイショ判決”では?

名古屋地裁に響く「不当だ」の叫び

 2013年に行われた生活保護費減額の取り消しを求める訴訟が、生活保護で暮らす1000人以上の原告と約300人の弁護団によって、全国29地裁で行われてきている。

 6月25日、最初の地裁判決が名古屋地裁で言い渡された。緊張感が漂う法廷に入ってきた角谷昌毅裁判長は、「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」という判決を述べると、足早に法廷から去った。傍聴席からは「不当判決だ」という叫び声が上がった。原告の完全な敗訴である。

 2013年の生活保護費減額については、正当化することのできる合理的な理由はない。理由らしい理由がないのに引き下げが実施され、生活保護のもとでの暮らしは締め付けられている。いわば、国が堂々と「生活費を充分に渡さない」という経済的DVを行っているようなものであり、“情状酌量”の余地はない。法廷での厚労省側の主張には、時に「もっともらしさ」を取り繕うことさえ放棄しかけているような節もあった。

 しかし、この経済的DVは、家庭内での出来事ではない。国家によって、200万人以上を対象として行われている。減額された保護費の総額は、数千億円に達する。原告が勝訴するということは、国が2013年から2018年までの5年間の減額分の保護費を原告に支払うということである。実行するためには、自民党が与党となっている国会で予算措置を行い、可決する必要がある。必要であっても、実現は困難であろう。

 以上の理由から、この種の訴訟の判決の定番の1つは、「生活保護法第8条によれば、厚労大臣が決定することになっている。それが違法であるわけがない」という「裁量論」である。さらに「それにしても、これはひどい」または「そこまでひどくはないでしょう」という「程度論」がセットになる場合もある。

 今回の名古屋地裁判決も、「生活保護法第8条に基づいて厚労大臣が決めました。そこまでひどくはないでしょう」という「裁量論」「程度論」の組み合わせであった。そこには、特に新規性はない。

しかし、今回の名古屋地裁判決には、「生活保護費は自民党が決める」「生活保護費に国民感情や財政事情が反映されるのは当然」という、驚くべき内容がセットになっていたのである。原告たちとともに訴訟に臨んできた弁護士たちからは、「最悪」「最低」という怒りの声が漏れた。

 筆者自身は「あまりにもあんまり」「これはひどい」といった感慨しか湧かず、数時間にわたって呆然としていた。単純な「不当判決」ではない。その、はるか斜め上だ。

生活保護費を決めるのは自民党?

平均6.5%が引き下げられた経緯

 2013年1月、厚労省は生活保護費の生活費分を平均6.5%引き下げる方針を発表した。2012年末の衆議院選挙で圧勝して与党となった自民党は、生活保護費の生活費分を10%引き下げることをアピールしていた。厚労省はそれに呼応し、しかし若干の緩和を行った形である。

 とはいえ、厚労省の資料のどこにも、「自民党が10%引き下げと言ったから引き下げました」という記述はない。もしかすると、「そんな事実、恥ずかしくて書けない」ということなのかもしれない。しかしそれ以上に、法をはじめとする数々の規範によって「決めるのは厚労省であって政権与党ではない」と定められている以上、厚労省は「決めたのは自民党です」とは言えないのだ。

 生活保護法第8条には、生活保護基準は「厚生労働大臣の定める基準により測定した要保護者の需要を基とし」「(健康で文化的な)最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、且つ、これをこえない」ものであると定められている。

 この文言だけを読むと、「時の厚労大臣が、内容も基準も方法も勝手に決めてよい」という解釈もできる。しかし、この部分の意味は、「確実なデータを根拠として、貧困や生活や健康の専門家たちに科学的方法で検討してもらって、さらに厚労省の官僚たちが検討して、厚労大臣の責任において『これが今年の生活保護基準です』と示す」ということだ。

そのとき、世論や財務省(大蔵省)の意向は参照されない。厚労省(厚生省)は、国民の健康を守るという使命を遂行する組織であり、政権からも他省庁からも独立して判断を行うのが原則だ。以上は、1950年に生活保護法が成立して以来、厚労省(厚生省)の文書や多数の判決などによって確認されてきている。今回の名古屋地裁判決も、判決文によれば、これらの法や文書や判決類を判断枠組みとしている。

 ところが判決理由には、以下のように示されているのだ。

「生活保護費の削減などを内容とする自民党の政策は、国民感情や国の財政事情を踏まえたものであって、厚生労働大臣が、生活扶助基準を改定するに当たり、これらの事情を考慮することができることは(略)明らかである」

 日常的な用語で言い換えると、以下のようになる。

「生活保護費は自民党が決める。自民党が国民感情や財政事情を反映したければ、そういう路線に沿って生活保護費が決まる。それでいいのだ」

司法が自ら司法の役割を放棄

逆の意味で“画期的”な判決

 背後で自民党が何を考えていようが、行政の厚労省が誤った判断をしているのなら、「それは誤っている」と示すのが司法の役割である。しかし今回の判決内容は、厚労省の誤りを指摘しないだけではなく、さらに「厚労大臣が自民党だし、自民党が生活保護叩きの国民感情を盛り上げていたし、財政的には社会保障削減方針で一貫しているわけだから、厚労省がそうするのは当然」と言わんばかりなのだ。

 司法が自ら、司法の役割を放棄しているのか。三権分立ではなく三権同一を、司法が積極的に目指そうとしているのか。この名古屋地裁判決の“画期的”な意義は、「司法自身による司法の無効化」に見出すことが可能かもしれない。

 生活保護費を政権与党が決めてもいいことにするためには、国会の審議と法改正が必要だ。それは司法の役割ではない。しかし本判決は、立法と司法の境界線を軽々と踏み越えてしまっている。俗に言う「謝って済むなら警察は要らない」を、はるかに超越した判決だ。

厚労省も認めない

政権与党と国民感情の優越

 厚労省にとっては、本判決は勝利である。しかし、内容にも納得しているのだろうか。

 判決の翌日である6月26日、本訴訟に関わった弁護士ら、支援団体関係者、もちろん生活保護で暮らす当事者らが、厚労省に申し入れと交渉を行った。問題は、判決だけではない。コロナ禍下で生活保護を必要とする人々が急増しているため、「必要で、経済的に困っていればすぐ使える」という本来の原則どおりに、生活保護を利用できるようにする必要があるからだ。

 このとき、元厚生官僚でもある弁護士の尾藤廣喜氏が「憲法や生活保護法に示されていない、自民党や財務省の意向、国民感情などによって、生活保護費を決定するのですか」と尋ねたところ、厚労省保護課職員からは「法に従って、公平に適正に行います」という当然の回答があったということだ。

 名古屋地裁判決に盛り込まれた「生活保護費は自民党が決める」という内容は、厚労省も認めていないのである。国会での立法や審議を経ずに、自らの役割や存在を司法に変えられてしまうのでは、たまったものではないだろう。

 今回の裁判官は、なぜ、このような「斜め上」の判決を下したのであろうか。

 名古屋地裁判決の背景として考えられることは、数多い。たとえばコロナ禍で、生活保護をはじめとする社会保障を必要とする人が増えている。総額をコントロールするために最も効果的なのは、生活保護費を減らすことだ。

 生活保護費は、他の社会保障制度や最低賃金など、約60にもおよぶ制度の参照基準となっている。生活保護費を減らせば、社会保障費総額は自動的に減らせることとなる。しかし本判決文は、3月末よりも前の時点で完成していたと見られる。コロナ禍を考慮して大胆な変更が加えられた可能性は、あまり考えられない。

次に考えられるのは、全国の28地裁で今後も続く訴訟、そして全国の8高裁で闘われる控訴審、さらに最高裁判決へと至る道筋の中における国側の戦略である。合計で約40のポイントが存在する訴訟を将棋に例えると、最初の地裁判決は、「歩」の最初の1個の進め方のようなものである。相手の立場からは、「ここで、理由はなんでもいいからボロボロに負かしておこう」という戦略は「アリ」なのかもしれない。しかし、行政訴訟に取り組んでいるO弁護士に聞くと、「戦略的に酷い判決を」ということは考えにくいという。

「あくまでも、判決は各裁判体(今回の名古屋地裁では裁判官3名)が作ります。裁判所間で情報共有をしていることはありません。事件によっては、司法研修所での勉強会を通じて情報の共有が行われることもあると聞いています。原発については、裁判官の会合が開かれて方針が共有されたような話もあります。今回の生活保護の訴訟で、そのような情報共有が行われていたかどうかは、わかりません。もしかすると、情報開示請求などで出てくるかもしれませんが」(O弁護士)

 O弁護士が「聞いています」「話もあります」「かもしれません」としか言えないのは、そのような勉強会や会合の存在は公表されていないからだ。稀に、裁判資料で存在が判明する事例もあるが、総数や全体像は全く不明だ。

裁判所の人事が忖度ならば

公正な裁判を期待できるのか

 そして、今回の名古屋地裁の裁判体は裁判官3名から成っていたが、うち1名は判決前に、最高裁の調査官として異動し、裁判官のエリートコースを歩んでいる。

「最高裁は露骨な介入はしませんが、人事でコントロールしているのだと思います。名古屋地裁の裁判官は、そういう意味で“踏み外さない”判決を書いたのだと思います」(O弁護士)

 つまり、“忖度”なのである。

 裁判官は、選挙で選ばれるわけではない。最高裁裁判官の国民審査は、衆議院選挙と同時に行われるが、不信任となった裁判官はいない。“忖度マシン”と言うべき裁判所の人事システムに対して、現在のところ、市民にできることはない。そして、もしも紛争や事件に巻き込まれ、原告や被告となる時、私たちを裁くのはこのような司法なのだ。

(フリーランス・ライター みわよしこ)


「裁判官は自分の良心と憲法にのみ拘束される」ではありませんでしたか?

ミニトマト



散歩道、わきに食べごろのサクランボ。いただきます。





内田樹「地方移住の流れは加速する」 コロナ後、資本主義経済の終焉近づく

2020年06月28日 | 社会・経済

   AERAdot 2020.6.28

内田樹(うちだ・たつる)/ 1950年、東京都生まれ。神戸女学院大学名誉教授。神戸市内で武道と哲学のための私塾「凱風館」を主宰。主著に『ためらいの倫理学』『ローカリズム宣言』など。 

 

 新型コロナウイルスの感染拡大から、いままでの価値観が変わりつつある。思想家・内田樹さんは、地方移住の流れが加速すると見る。

*  *  *

 コロナ・パンデミックは「火急の事情でもない限り、人口稠密(ちゅうみつ)都市に住むことに必然性はない」という見方を日本社会に広げました。

 きっかけとなったのが、リモートワーク(在宅勤務)です。パソコンを使えば、仕事や会議ができる。通勤で疲労する必要がない。在宅勤務を通じて、都心部に住んでいた何十万もの人々がそのことに気がつきました。それなら高い家賃を払って東京に住み続ける意味がない。オフィスにたまに顔を出して、あとは自宅で仕事ができるなら、家賃が安くて環境のよいところに住むほうがいい。そんな発想に至った人も多いと思います。

 都市部ではすでに多くの企業が倒産や廃業に追い込まれました。まず職を失うのは非正規雇用の労働者です。収入を失い、再雇用も見通しが立たないという人が生活費のかさむ都市から、職を求めて地方に移住するという動きも出てくるでしょう。

 都市から地方への移住志向は今に始まった現象ではありません。2011年に東日本大震災が起きた後、多くの人たちが東京から西へ避難しました。それ以後も地方移住の流れは続いてきましたが、今回のコロナ禍でそれが加速すると思います。

 僕は神戸市内で「凱風館」という私塾を主宰しているんですが、ここ数年で門下生から5人が帰農したり、地方に職を求めたりしてゆきました。理論的指導者や運動体がいたわけではありません。自然発生的で同時多発的な流れでした。

 地方移住を志向する人々が増えたのは資本主義経済の終焉(しゅうえん)が近づいていることを人々が感じているからだと思います。

 資本主義は右肩上がりの成長を前提としていますが、実体経済には人間の身体というリミッターがあります。衣食住の需要には限度がある。一度に着られる服は1着だけだし、1日に食べられる食事も3食が限度ですし、家を何軒も持っても使い道がない。カネでモノを買う限り経済活動には限界がある。だから、資本主義は「カネでカネを買う」活動に軸足を移した。

 コロナ禍で人々は「ほんとうに必要なもの」が何かということ、「ほんとうに必要なもの」がカネで買うことができないこともあるという事実に気づいたと思います。

 感染症はこれからも繰り返し到来します。そして、そのつど都市住民は感染リスクにさらされ、雇用が失われる。都市でなければできない職業に就く人以外は、しだいに地方離散シナリオを選択する人がこれから増えてゆくだろうと思います。

※週刊朝日  2020年7月3日号


それに、最近では「地震」が氣になるところです。

今夜のサラダ

下の方にチラ見できるのはチマサンチェ、スベリヒユ、ピーマン、スイスチャド(ゆでたもの)、アスパラ(ゆでたもの)、パクチー、イチゴすべてうちの畑産。
いつの間にかバラの花が咲いていました。

畑の作物

大玉トマト、ルネッサンス。

乙女スイカ

食用ホーズキ

スベリヒユ


「現金触りたくない」キャッシュレス化、コロナで進む?

2020年06月27日 | 社会・経済

  鈴木友里子 ローマ=河原田慎一 ベルリン=野島淳

朝日デジタル 2020年6月27日 

 

 新型コロナウイルスの感染拡大を機に、キャッシュレス決済が新たな光を浴びている。便利でお得といったこれまでの利点に加え、接触を減らす点からも注目が集まる。日本やドイツ、イタリアなどで根強い現金志向を変えることになるのか。

「現金もコストかかる」

 東京都世田谷区の「本多美容室」はこの1年弱で、キャッシュレス決済の比率が急上昇した。最初のきっかけは、昨年10月の消費増税で政府が始めたポイント還元事業。登録店で使えば税込み価格の5%(大手のフランチャイズ店は2%)分戻るため、比率は従来の3割から5割ほどに上昇。次のきっかけが、コロナ禍だ。緊急事態宣言が出た約2カ月間で、利用比率はさらに7割ほどへと伸びた。

 同店はかざすだけで払える非接触型を含めたクレジットカードや米アップルの電子決済サービスアップルペイを使える。ネットで買い物する人が増えてクレジット利用が広がり、実店舗でも使う人が増えた、と本多文明代表はみる。さらに「現金を触りたくないという人が増えた」と感じるという。

 今月で終わるポイント還元事業に代わり、キャッシュレス普及の新たな推進力となる可能性もあるのが現金に対する意識の変化だ。

 家計簿アプリなどを手がけるベンチャー企業マネーフォワードの5月中旬のネット調査では、約8千人の回答者の4割ほどが新型コロナの影響でキャッシュレスを以前より使うようになったと回答。主な理由は「支払いを素早く済ませる」(約4割)、「現金に触れることによるコロナ感染を防ぐ」(約3割)、「ネットショップでの購入が増えた」(約2割)だった。

 クレジットカードの申し込みは伸びている。三井住友カードは2~4月の新規申込数が各月ともに前年比3~4割ほど増加。「関東や近畿に比べ、それ以外の地域の伸び率が1・5~2・5倍高く、年代別では30~50代の伸び率が大きい。地方部や年齢層のやや高い現金派の世代もコロナを機にクレジットカード利用を始めたのではないか」(広報)という。

コロナ禍で人気のスマホ決済 アプリ絞って利用把握を

 小規模店などにキャッシュレス決済システムを提供する「スクエア」が全国約3千の加盟店のデータを分析したところ、キャッシュレス決済件数が現金利用を上回る店は3月下旬まで20%台前半。ゴールデンウィーク直後に27%へ伸びた。

 「コロナを機に一気に完全キャッシュレスをめざすことにした」。同社のシステムを使う文具店「カキモリ」(東京都台東区)の広瀬琢磨代表はそう話す。緊急事態宣言解除後の6月2日からの営業再開にあたって決意したという。半年ほどかけて顧客へ知らせ、現金の扱いをやめる考えだ。「銀行へ入金するための人件費やおつり用の小銭の両替手数料など現金もコストがかかる。決済手数料を払ってもキャッシュレスを導入する一番のメリットは業務効率化。併用だと効率化も費用削減も中途半端で負担が大きい」という。(鈴木友里子)


わたしは現金主義者なのだが、どうしたものか?

 昨日は3か月ぶりに札幌の皮膚科へ行ってきた。とにかく「札幌には来ないでください」などと言われたら、もともと行きたくはないのだからついご無沙汰になってしまった。それでも薬が底をついてきたし、症状もよくない。友人を呼びだして久々の会食。
 なるべく公共交通機関を使おうと思って行ったのだが、半数近くが減便となっていて、大幅に待ち時間を食らってしまった。帰りも最終便ではないはずだったのが、減便されて最終便で帰る羽目になってしまい、ブログの更新も出来なくなってしまいました。

 今日も霧雨のようなしょぼい雨が降り続いています。明日も同じような予報です。

圃場のようす。

ボッタン

ジャガイモの花が・・・

ズッキーニ(もう食べてます)

絹さや、もう少しです。


新型コロナからの復興

2020年06月25日 | 社会・経済

カナダやヨーロッパで進む「グリーン・リカバリー」 環境やサステナビリティに重点を置いた新型コロナからの復興

新型コロナウイルス危機の教訓を生かすには、地球規模の連帯が求められる。

  サステナブル・ブランド ジャパン

      2020年06月17日

 カナダやEU(欧州連合)では、環境や社会の持続可能性に重点を置いた復興計画「グリーン・リカバリー」が進んでいる。カナダは大企業緊急融資制度(LEEFF)を設立し、融資の条件として、気候関連財務情報を開示することを義務化した。EUも持続可能性を前面に出したポストコロナの復興計画を発表している。新型コロナウイルスからの経済再建で、グリーン・リカバリーは一段と重要な施策になりつつある。

カナダ、緊急融資申し込みに気候関連財務情報の開示義務付け

 カナダでは5月11日、ジャスティン・トルドー首相が新型コロナウイルスによって影響を受け、救済資金を求める国内企業に対し、気候変動に及ぼす影響に関する情報開示と環境の持続可能性の実現に継続的に努めることを求めると発表した。政府は、大企業や中堅企業で働く数百万人の中流階級の雇用を守るために、同国の企業が不況を乗り切り、さらに将来性のある企業の倒産を可能な限り回避できるよう支援する目的で大企業緊急融資制度(LEEFF)を創設。同20日から申請の受付が始まった。

 カナダ政府は当初、救済措置を受ける条件の一つとして、年間売上高が3億カナダドル(約234億円)以上の企業は金融安定理事会の「気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)」に沿った気候関連の情報を開示する報告書を毎年発行することを挙げていた。しかし20日に発表された内容によると、企業は融資を受ける間、コーポレート・ガバナンスや戦略、方針、実務が気候変動に伴うリスク・機会の管理にどのように役立っているかに重点を置いた気候関連の財務情報を開示する年次報告書を発行し、パリ協定の下でカナダが掲げる公約に加え、2050年までに温室効果ガスの排出量を実質ゼロにするという目標の達成に貢献する必要があるという。

 ビル・モルノー財務大臣はCBCニュースに対し「救済措置を受ける条件には、自社株買いや配当、過剰な役員報酬がないことを確認するだけでなく、企業が気候への影響に関する財務情報を開示し、それが国の長期的なサステナビリティ目標の一環であることを確認することも含まれている」と語っている。

 しかしE&Eニュースが指摘する通り、この制度では、航空会社や石油会社といった気候変動リスクの高い産業の一部企業も、原則に従う限り、6000万カナダドル(約46億円)以上の融資を申請することができる。

 多くの国と同じく、エネルギー政策はカナダの国論の大部分を占める。気候変動対策の必要性が指摘されているにも関わらず、「トルドー政権は産業界のロビイストに屈している」とNGOから批判されている。

 トルドー首相は5月11日、オタワで行われた記者会見で「人々は今後、企業に投資する際、パンデミック・リスクを低減するためにどのような戦略をとっているかを問うだろう。しかし、企業が抱えるリスクはそれだけにとどまらない。われわれは気候変動が企業の収益に重大なリスクをもたらすことも認識している」と語った。

EU、気候変動対策を促進する89兆円の復興基金案を発表

 27日、欧州委員会のウルスラ・フォンデアライエン委員長は欧州議会の演説で、7年間で1兆1000億ユーロ(約130兆円)に上る長期予算案と7500億ユーロ(約89兆円)の復興基金案「ネクスト・ジェネレーションEU(次世代EU)」を発表した。この復興計画は、新型コロナウイルスによる壊滅的被害からの復興だけでなく、欧州のレジリエントな未来を構築する道筋として、持続可能性とデジタルへの移行に重点を置く。EUは、経済を立て直すということは危機以前の状態に戻るということではなく、より前進することだとし、危機によって生じた短期的ダメージを修復しながらも長期的な未来への投資を行っていかなければならないと表明している。

 フォンデアライエン委員長は「このたびの復興計画は、われわれが直面している非常に大きな課題をチャンスに変えるものであり、復興を支援するだけではなく未来への投資でもある」とし、「サステナビリティを推進する欧州グリーン・ディールとデジタル化は、雇用や成長、社会のレジリエンス(回復力)、環境の健全性を高めるものだ。いまこそ欧州が立ち上がる時。われわれにはすべての人が直面している課題に応えるために動く意志がある。『ネクスト・ジェネレーションEU』はその課題への野心的解決策だ」と述べた。

 この財政支出は持続可能な金融分類システム(EUタクソノミー)に基づいており、事前に定義されている6つの環境目標のうち少なくとも1つに貢献する技術やソリューションに民間投資を促すことを目的にしている。6つの目標は「気候変動の緩和」「気候変動への適応」「水と海洋資源の持続可能な利用と保全」「循環型経済への移行」「汚染防止規制」「生物多様性と生態系の保全・回復」で構成されている。

 EUタクソノミーでは、6つの環境目標のうちの1つに実質的に貢献していることや、「他の環境目的に重大な害を及ぼさない」(DNSH:do no significant harm)など、経済活動のしきい値が設定されており、理論上、石炭やその他の汚染度の高い化石燃料を使用した電源への投資を防ぐことができる。承認された投資は、「OECD多国籍企業行動指針」や国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」など最低限のセーフガードも満たさなければならない。

 マロシュ・シェフチョビッチ副委員長は「復興には強力な政策の方向性が必要。新たな現実を反映した今回の計画は、われわれが危機を克服し、経済を活性化させ、EUをレジリエントで持続可能、そして公正な回復の道にしっかり乗せていくことにすべての行動を集中させるもの。これは、われわれがより強く立ち直るのに役立つだろう」と話している。

 長期的視点に立ちどのような具体策を実行できるかが、各国のみならず世界の人々の明暗を分けることになるだろう。今回のウイルスのような危機はボーダレスに地球規模で発生する。一部の地域や国が最善の策を打ったとしても、他国が短期的視点で経済・社会の復興を遂げようとすれば歪みが生じ、新たな危機の回避は困難となる。37万人(6月1日時点)の死者を出した新型コロナウイルス危機の教訓を生かすには、地球規模の連帯が求められる。


日本での「新しい生活様式」に欠けている視点は?

ちょっぴり色づき始めた。

スイレンも


雨宮処凛がゆく! 第525回:都知事選、始まる。の巻

2020年06月24日 | 社会・経済
マガジン9 
 
https://maga9.jp/200624-1/

 都知事選が始まった。

 そんな中、小池百合子都知事について書かれた『女帝 小池百合子』が話題だ。

 私も読んだが、非常に興味深い一冊だった。小池氏の容姿(主にあざ)やその親の「ヤバさ」などの記述については「赤の他人がこういう書き方をしてしまっていいのだろうか……」とひっかかる部分はあったものの、「男社会の中でのし上がってきた上昇志向全開の女性」のストーリーとしてはあまりに出来すぎていて、読みながら「これが小説だったらどんなにいいだろう……」と何度も思った。そう、フィクションではなく、現在の東京都知事の物語であるというところが、問題なのだ。

 本書では、社会的弱者に冷淡な小池都知事の姿が繰り返し描かれるのだが、その経歴を合わせて考えると、「弱者に冷淡になるのは当然だろうな」とも思う。ある意味、究極の、崖っぷちの「自己責任」でのし上がってきた人だ。そして今、権力を持つ立場にある人には、そんな「のし上がり系」か、「生まれながらに恵まれた二世、三世」くらいしかいないのが、この国の最大の不幸である。前者は社会的弱者に「自分はこんなに頑張ってきたのだ」という思いがあるからこそ冷淡で、後者はそのような人々とのかかわりが絶無であるがゆえに、ナチュラルに冷淡だ。

 さて、18日に始まった東京都知事選には、小池都知事とは対象的な「弱者の味方」と言われる人が出ている。しかも2人もだ。

 一人は元日弁連会長で弁護士の宇都宮健児氏。もう一人は前参議院議員で「れいわ新選組」党首の山本太郎氏だ。

 毎日のように、「どっちを応援してるの?」と聞かれる。日々、引き裂かれるような思いの中にいるのも事実だ。が、両氏は私にとって心からリスペクトする2人でもある。そして2人とも、今、正々堂々と戦っている。決して相手のことを悪く言ったりなどせず、最大限の敬意を示しながら。そんな姿勢を見習い、私から見た両氏について、書きたい。

 まずは宇都宮健児氏

 2007年、「反貧困ネットワーク」を結成した頃からともに運動を続けてきた仲である。

 結成当初、宇都宮氏は「代表」で、私は長らく「副代表」をつとめてきた。現在は体制が代わり、宇都宮氏は「代表世話人」、私は「世話人」となっている。他にも「公正な税制を求める市民連絡会」でも、ともに共同代表をつとめている。

 そんな宇都宮氏は言わずと知れた「弱者の味方」。サラ金、闇金などの問題に取り組み、長年闘ってきた人である。いつもニコニコしている優しげな雰囲気からは想像もつかないが、「社会の巨悪」とは徹底して闘うという、「弱きを助け、強きをくじく」を地でいく人だ。

 宇都宮氏と私はもう13年の付き合いになるわけだが、私はこの人がイライラしたり、ハラスメント的な言動をしているところを一度も見たことがない。これってなかなかすごいことだと思う。宇都宮氏は現在73歳。その世代の男性と長年接していると、どうしたってそういう部分が垣間見えるものなのに、それが一切ない。しかも私は相手にとって「年下の女性」だというのに。

 ちなみにこれまで、宇都宮氏と同世代の元活動家男性なんかにはもろもろ「被害」を受けてきた。例えばものすごい「反天皇」なのに無茶苦茶に家父長制的な価値観で男尊女卑なんて人はよくいるし、パワハラ、セクハラ的な言動も当たり前に見聞きする。そのたびに「あーあ」と思って距離をとってきたのだが、私が反貧困運動をこれほど長く続けていられる背景には、間違いなく「宇都宮さんのゼロ・ハラスメント体質」があると思うのだ。そうして運動のトップがそのような人であれば、そのコミュニティにはハラスメントが入る余地がなくなる。逆にトップがハラスメント体質だと、暴力が連鎖するような形でハラスメントは蔓延するだろう。

 それにしても、宇都宮氏はそんな時代を先取りした感覚をどこで体得したのだろう? ハラスメントのなんたるかをわかろうともしない年配の国会議員や経営者たちは、宇都宮氏に弟子入りしてほしいくらいだ。

 宇都宮氏は会議や打ち合わせなどで持参した「アンパンと牛乳」を食べていることが多いので、宇都宮氏が初めて選挙に出た際にはそんなエピソードも披露したのだが、最近見たテレビでは、定番が「アンパンと牛乳」から「鮭のおにぎりと牛乳」に変わっていることを知った。おにぎりと牛乳、合うのかな……? しかし、宇都宮氏の「足腰の強さ」は、毎日の牛乳からくるのかもしれない。

 さて、次は山本太郎氏

 出会ったのは、12年頃。当時は「原発反対」一直線、ど直球で常に前のめりな人だった。

 あの頃の太郎氏と今の太郎氏が、なんだか同一人物だとはとても思えない。とにかく、この数年で激変した。参議院の6年間で、死ぬほど勉強した。そこで培った勉強のコツを生かし、今も最新情報を日々更新している。

 そんな山本太郎氏のエピソードもたくさんあるが、特筆したいのは太郎氏は15年から毎年、年末に都内の炊き出し現場を回っていることだ。渋谷、池袋、山谷、そして横浜寿町。炊き出しとは、ホームレス状態などの人に食事を提供する場のことだ。生活相談や医療相談もやっている。この4年間、太郎氏は年末の年越しそばを山谷の路上でおじさんたちと立ったまま食べている。

 そんな現場に毎年行くようになったのは、最初に行った15年の経験が大きいと私は見ている。池袋の炊き出しに並んでいた30代と40代の男性の支援に同行したのだ。両者とも、それぞれひと月ほど前に野宿生活となっていた。地方で失業し、東京に職探しに出てきた果てに所持金が尽きたというパターンだった。途方に暮れてそれぞれがやってきた炊き出し。そんな2人を支援者はその日のうちに個室シェルターに案内し、公的な支援につなげた。ついさっきまで所持金もなく真冬の東京で凍えていた二人は、魔法のように救われ、なんだかぽかんとしていた。そんな様子を見て、太郎氏は心からシビれた様子だった。炊き出しに、そして支援者に出会えなければ大晦日の路上で凍死していたかもしれない2人。そういう現実が本当にあることに衝撃を受け、以来、年末は必ず手伝いに行っている。

 そんな経験は、コロナ禍でも生かされている。例えばコロナ不況の中、東京では目に見えてホームレス状態の人が増えているが、太郎氏はそのような人に声をかけ、相談会や支援団体の情報を伝えたりしている。また、5月なかばには、突然「ある駅で、行き場がない様子の男性に声をかけたら家も所持金もないということでどうすればいいか」と電話がかかって来た。コロナ災害を受け、多くの支援者が、メールなどでSOSを受けたら行き場も所持金もない人のもとに駆けつけ、緊急宿泊費などを渡し、後日、公的な制度に繋げている。そんな活動をよく知っていた太郎氏はまず私に電話をくれたのだ。

 すぐに支援者仲間に連絡し、緊急宿泊費などを出す許可をもらって太郎氏に近隣のホテルをとってもらい、その男性を案内してもらった。翌日、支援者が聞き取りをし、その男性は無事に生活保護を受けることになり、すでに住まいも決まったようである。おそらく、太郎氏が声をかけていなければ今も東京の片隅で途方に暮れていただろう。ちなみにその男性をホテルに案内した直後、またもや太郎氏から電話がきた。さっき男性に声をかけた同じ場所に、今度は別の、やはり行き場がなさそうな、ホームレスになったばかりの様子の男性がいるのだという。

 それらしき人を見るたびに声をかけ、ホテルに案内していたのでは太郎氏は一生、家に帰れなくなる……。そう思った私は心を鬼にして、「とりあえず今日は家に辿り着くことを最優先にしてほしい」と提案した次第である。もう深夜だったし。

 さて、そうして始まった都知事選。宇都宮氏の街宣にはまだ行けていないが、20日、太郎氏の秋葉原街宣に行くと、これまでずっと太郎氏一人がスピーチしてきた街宣に、初めてゲストがやって来た。それは、数日前に立憲民主党に離党届を出した須藤元気氏。かねてより消費税減税を訴える山本太郎氏を都知事選で応援すると表明したところ、党からダメ出しを受け、離党届を出したという、太郎氏なみに「空気読まない系」の人である。

 須藤氏はマイクを握ると、「ロスジェネ問題」について熱い訴えを始めた。42歳の須藤氏も45歳の山本太郎氏も、ちなみに私もロスジェネである。20年以上、不安定雇用や貧困に苦しみ続けてきた世代だ。須藤氏の周りにも、40代でアルバイト、日雇いなどがいるという。お金がなくて結婚もできない、子どもなんて作れない、そんなロスジェネが「政治の被害者」と訴える彼は、太郎氏の都知事選の政策に「ロスジェネ対策」があることに触れた。ちなみに太郎氏の「緊急政策」には以下のようにある。

 「都の職員を3000人、雇用します 誤った政治の犠牲となったロストジェネレーション、コロナ不況で職を失った方々に安定した職に就いていただきます。何度でも人生をやり直せる東京を」

 昨年、ロスジェネが「人生再設計第一世代」と名付けられ、3年以内に30万人を正社員に、という目標が掲げられた。昨年夏、宝塚市がロスジェネに限って正職員を募集したところ、たった3人の枠に1800人が殺到したことを覚えている人も多いだろう。以降、各自治体でのロスジェネ採用は進められてはいるが、ひとつの市でわずか一人や二人という世界だ。

 一方、現在のコロナ禍で、全国の役所には生活保護や失業給付、各種給付金や貸付などの手続きで人が殺到し、圧倒的な人手不足状態が続いている。コロナ不況が始まってから、生活保護申請の同行などで役所に行く機会は増えたが、素晴らしい対応をしてくれる職員もいれば、困窮者を馬鹿にしたような態度をとるひどい職員もいる。困り果てて訪れる人が多い窓口には、最低限、人の痛みがわかる人が配置されていてほしい。コロナで失業した人やロスジェネ世代を都の職員に、というのは、名案ではないだろうか。

 ちなみに付け加えておきたいのは、コロナ不況の中、ホームレス化に晒されSOSメールをしてくる中には圧倒的にロスジェネが多いということだ。不安定雇用が多いのだから当然と言えば当然なのだが、20年以上、非正規などを転々としてきてとうとうコロナで路上に出るなんて、本当に踏んだり蹴ったりだ。とにかく、どんな形でもいいからロスジェネに光を当てて欲しいと、この問題を日本で一番くらいにしつこく書き続けてきた私は心底思う。じゃないと、本当に、「どんなに頑張っても報われない人は報われない」ことがこの国の「常識」になってしまう。それは人々から、政治や社会への信頼を根こそぎ奪っていくだろう。

 ということで、宇都宮氏、太郎氏の戦いを見つつ、現都知事の小池氏がこの選挙で掲げている政策はどのようなものなのだろう、とサイトを見てみた。

 そこに並んでいたのは「スタートアップ」「サステナブル・リカバリー」「ソーシャルファーム」「ワイズ・スペンディング」「グレーター東京」などの、さっぱりわからない横文字言葉の羅列。日本語でも「空中回廊」とか出てきて、さらにわからない。そんな中、一番大きく打ち出されているのが「稼ぐ東京」という言葉で、私には、小池都知事が都政でやりたいことがなんなのかそのイメージの欠片もわからなかった。ちなみに前回の選挙の際に掲げた「満員電車ゼロ」「残業ゼロ」などはまったく達成されていないわけだが、当然それに関する言及もない。ただ、横文字で「圧倒される」ような威圧感はありすぎるほどある。こういうハッタリでのし上がって来たんだな……。

 『女帝』を読んでいればわかる小池都知事の「やり方」に、思わず吹き出してしまいそうになったのだった。


 今日は1日曇りという予報であったが、日差しもあり過ごしやすい1日だった。しかし、明日からは毎日☂マークがついている。エゾ梅雨か?

湧き水を汲みに行ってきた。

 落ちている枝木を拾い、この水を沸かし、周りの動植物を眺め、鳥のさえずりを聞きながら飲むコーヒーは格別。ご馳走しましょう!


沖縄「慰霊の日」

2020年06月23日 | 社会・経済

ハフポストNEWS 2020年06月23日 

【沖縄 慰霊の日】玉城デニー知事の「平和宣言」の内容は? 政府批判色は弱まり、コロナやSDGsにも言及

辺野古沿岸部の埋め立て計画を進める政府への抗議色を強く打ち出した2019年の宣言と比べると、新型コロナウイルスや2019年12月にアフガニスタンで銃撃されて亡くなったペシャワール会の中村哲医師について言及するなど、平和や共生へのメッセージを強めた内容となりました。

6月23日、沖縄は「慰霊の日」を迎えた。

太平洋戦争において、旧日本軍による組織的戦闘が終わったとされる1945年6月23日から75年。

最後の激戦地になった沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園では、「沖縄全戦没者追悼式」が行われた。

<平和宣言> 新型コロナや中村哲医師にも言及

「忌まわしい戦争の記憶を風化させない、再び同じ過を繰り返さない、繰り返させないため、沖縄戦で得た教訓を正しく次世代に伝え、平和を希求する『沖縄のこころ・チムグクル』を世界に発信し、共有することを呼びける」

玉城デニー知事の決意から始まった2020年の「平和宣言」。

 名護市辺野古沿岸部の埋め立て計画を進める政府への抗議色を強く打ち出した前年の宣言と比べると、新型コロナウイルスや2019年12月にアフガニスタンで銃撃されて亡くなったペシャワール会の中村哲医師について言及するなど、平和や共生へのメッセージを強めた。

 玉城知事は、世界中で猛威を振るっている新型コロナウイルスについて「この感染症は、病気への恐れが不安を呼び、その不安が差別や偏見を生み出し、社会を分断させるという怖さを秘めています」と言及。

「だからこそ、世界中の人々がそれぞれの立場や違いを認め合い、協力し、信頼し合うことにより、心穏やかで真に豊かな生活を送ることができるよう、国連が提唱するSDGsの推進をはじめとした人間の安全保障の実現に向け、国際社会が一体となって取り組んでいくことが今こそ重要ではないでしょうか」と呼びかけた。

また、中村医師についても「『非暴力と無私の奉仕』に共鳴し、その姿から人々が平和に生きることとは何かを学ばせていただいた」と悼んだ。

 一方、新基地建設の場所である辺野古・大浦湾周辺の海の生物多様性については「私たちウチナーンチュのかけがえのない財産」と強調し、「この自然豊かな海や森を次の世代、またその次の世代に残していくために、今を生きる我々世代が未来を見据え、責任を持って考えることが重要です」と訴えた。

沖縄全戦没者追悼式で、自作の詩を朗読する首里高校3年の高良朱香音さん=同県糸満市の平和祈念公園 時事通信社 沖縄全戦没者追悼式で、自作の詩を朗読する首里高校3年の高良朱香音さん=同県糸満市の平和祈念公園

<平和の詩>「あなた」に感謝

 毎年恒例の沖縄の子どもたちによる「平和の詩」は、今年は県立首里高校3年の高良朱香音(たから・あかね)さんが朗読した。

 高良さんは「あなた」と繰り返し戦争体験者に呼びかけ、戦争を生きた「あなた」がいるから現在があることに感謝し、「私は忘れない」と結んだ。

 

平和の詩「あなたがあの時」の全文は以下の通り。

あなたがあの時

 沖縄県立首里高校3年 高良朱香音

 

「懐中電灯を消してください」

一つ、また一つ光が消えていく

真っ暗になったその場所は

まだ昼間だというのに

あまりにも暗い

少し湿った空気を感じながら

私はあの時を想像する

 

あなたがまだ一人で歩けなかったあの時

あなたの兄は人を殺すことを習った

あなたの姉は学校へ行けなくなった

 

あなたが走れるようになったあの時

あなたが駆け回るはずだった野原は

真っ赤っか 友だちなんて誰もいない

 

あなたが青春を奪われたあの時

あなたはもうボロボロ

家族もいない 食べ物もない

ただ真っ暗なこの壕の中で

あなたの見た光は、幻となって消えた

 

「はい、ではつけていいですよ」

一つ、また一つ光が増えていく

照らされたその場所は

もう真っ暗ではないというのに

あまりにも暗い

体中にじんわりとかく汗を感じながら

私はあの時を想像する

 

あなたが声を上げて泣かなかったあの時

あなたの母はあなたを殺さずに済んだ

あなたは生き延びた

 

あなたが少女に白旗を持たせたあの時

彼女は真っ直ぐに旗を掲げた

少女は助かった

 

ありがとう

 

あなたがあの時

あの人を助けてくれたおかげで

私は今 ここにいる

 

あなたがあの時

前を見続けてくれたおかげで

この島は今 ここにある

 

 あなたがあの時

勇気を振り絞って語ってくれたおかげで

私たちは知った

永遠に解かれることのない戦争の呪いを

決して失われてはいけない平和の尊さを

 

ありがとう

 

「頭、気をつけてね」

外の光が私を包む

真っ暗闇のあの中で

あなたが見つめた希望の光

私は消さない

消させない

梅雨晴れの午後の光を感じながら

私は平和な世界を創造する

 

あなたがあの時

私を見つめたまっすぐな視線

未来に向けた穏やかな横顔を

私は忘れない

平和を求める仲間として

 

 

安倍晋三首相はビデオメッセージを寄せた。

基地負担軽減に「全力を尽くす」と語るなど内容は2019年とほぼ同じ。「首里城の復元についても、政府一丸となって全力で取り組む」とも述べた。

 


なんと、まぁ!
「全力、全力」て、どれだけの力なのでしょう?

高校1年のころ、平和学習で入った激戦地の壕(ごう)。真っ暗闇での経験から、当時を生きた人々に思いをはせた。迫り来る悲劇を知らなかった幼子や、独りぼっちになった少年、少女。敵から隠れるため母親が泣いた赤ん坊の殺害を強いられる中、声を上げずに助かった子。捕虜になるなとの教えに背き、少女に投降を促して命を救った人…。

 「ありがとう」。命がつながれて自分が今ここにいること、生き残った人たちが今の沖縄を築いてくれたことに、感謝の思いが込み上げた。(「東京新聞」)

 戦後75年の節目に、朝日新聞が沖縄タイムスと共同で行ったアンケートでは、戦争体験が次世代に「あまり伝わっていない」「まったく伝わっていない」と答えた人が62・5%にのぼっている。

【平和の詩】沖縄慰霊の日「あなたがあの時」2020年


難民であることは罪ですか?

2020年06月22日 | 社会・経済

森まさこ法相に問う―トランプ政権以下の難民ヘイトの見直しこそ必要

  志葉玲 | フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)

YAHOO!ニュース(個人)6/20(土)

東京入管前で被収容者の難民男性の解放を求める人々 筆者撮影

今日(6/20)は国連の定める「世界難民の日」。難民の保護と援助に対する世界的な関心を高め、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)をはじめとする国連機関やNGOによる活動に理解と支援を深める日だ。そんな日だからこそ、日本の法務省及び出入国在留管理庁(入管)の難民に対する差別と迫害は、今、ますます悪化していることを強調したい。

 祖国での迫害を恐れ、帰国できない難民達を、入管がその収容施設に長期拘束(収容)している上、入管職員による虐待やセクハラ等が相次いでいる―こうした状況は、国内外のメディアから批判され続けてきた。だが、法務省は難民達を救済し、収容ありきの政策を見直すどころか、「難民として日本にいる事自体が罪」とも言うべき罰則案を、有識者懇談会「収容・送還に関する専門部会」に今月15日に提言させたのだ。この提言に基づき入管法を「改悪」するのか。森まさこ法務大臣の姿勢が問われる。

◯「難民であることが罪」なのか?条約にも違反

 法務大臣の私的懇談会の一つである「収容・送還に関する専門部会」が今回まとめた提言は、「強制退去違反罪」を新設するべきだとしている。つまり、入管によって「不法滞在」であるとして、退去処分に従わない外国人に刑罰を科すというものだ。だが、入管が「退去を拒んでいる」として、その収容施設に長期収容している外国人の多くが、迫害や紛争から命からがら逃れてきた難民だ。昨年10月1日の法務大臣会見では、入管の収容施設に収容されている被収容者の約7割が、難民認定の申請者、あるいは難民認定を申請をしたことがある者だとしている。つまり、今回提言された「強制退去違反罪」は事実上、難民を追い出すためのものだ

 

「オリンピックのため」難民を苦しめる日本ー過去最悪の長期拘束、7割近くが難民申請者、衰弱し自殺未遂もhttps://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20191029-00148618/ …#世界難民の日

 

 だが、1981年に難民条約に加入した日本は、難民を受け入れ庇護する義務がある。また、難民条約の第31条は、「不法に入国しまたは不法にいることを理由として(難民に対し難民条約加盟国は)刑罰を科してはならない」としている。また、難民条約第33条は「難民をその生命または自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放しまたは送還してはならない」としている。つまり、「収容・送還に関する専門部会」が提言した「強制退去違反罪」は、難民条約に反しているのだ

◯トランプ政権の米国以下!日本の難民認定審査

 法務省及び入管側の言い分としては、難民認定申請者のほとんどが「誤用・濫用的に難民認定申請している」というものがある。つまり、「真の難民」ではなく、「偽装難民」であるから、収容したり強制退去させたりしても問題ない、という理屈である。だが、法務省及び入管が、公正かつ適切な難民認定審査をしているとは、到底言い難い。象徴的なのが、トルコ出身のクルド難民の扱いだ。トルコでは、少数民族であるクルド人はその民族としての権利を認められず、苛烈な迫害を受け続けてきた。現在もトルコでは、クルド人へのヘイトクライムが横行している。そのため、多くの先進国でトルコ出身のクルド人が難民として認定され、庇護の対象となる確率は高い。「収容・送還問題を考える弁護士の会」のまとめによれば、クルド人含むトルコ出身の難民認定率は、カナダで約89.4%、トランプ政権下の米国ですら約74.5%、やや低めなフランスで約26.1%という割合だという(いずれも2018年の国連統計)。これに対し、日本では友好国であるトルコに配慮してなのか、1981年に難民条約に加入して以降、トルコ出身のクルド人が難民として認定されたことは、ただの一人もない。 

「収容・送還問題を考える弁護士の会」のまとめ 同会の勉強会で筆者撮影

◯法務省・入管の権限を問い直すことこそ必要

 そもそも、法務省及び入管が収容長期化を問題視するようになったのは、昨年6月に大村入管(長崎県)で、長期収容に抗議してハンガーストライキを行っていたナイジェリア人男性が餓死し、国会やメディアで取り上げられたように、入管施設での人権侵害が次々と明らかになり、批判が高まっているからだろう。昨年11月には、女性収容者の着替えやトイレをビデオカメラで監視していたことが発覚、国会で森法務大臣も追及された。

【news23】入管施設の実態、「トイレも監視」強制収容の女性が証言https://www.youtube.com/watch?v=zKb42seJR7U …#世界難民の日

 さらに今年4月には東京入管で、男性職員含む警備官による女性収容者達への組織な虐待及びセクハラ事案が発生、有志の国会議員による法務省ヒアリングでの追及が続いている。

 難民認定審査のあり方や、必要性の有無にかかわらず、とにかく収容施設に拘束するという「全件収容主義」の抜本的な見直し、収容中の処遇改善など、法務省及び入管が山積する問題に手をつけないまま、「強制退去違反罪」を新設するというのであれば、日本に逃げてきている難民達をさらに追い詰めるだけだ。今、必要とされているのは、度重なる不祥事にも自浄能力の全くない法務省及び入管が難民認定審査を行う資格があるのか、難民を収容施設に拘束する資格があるのかを問い直すことであろう。

(了)


一日曇りの予報がほぼ一日雨になってしまった。
明日は気温は上がるらしいが、予報は一日曇り。週間天気予報にもすっきり晴れる日はない。

 


染みついた奴隷制の跡 強まる「歴史見直し」の叫び<米大統領選 再燃・人種差別(上)> 

2020年06月21日 | 社会・経済

  「東京新聞」2020年6月20日 

    「ドイツ人がベルリンの中心にヒトラーの銅像など建てないだろう。こうして美化しているから、私たちは抑圧され続けている」

 米南部バージニア州の州都リッチモンドに十三日、数千人のデモ隊が集まった。十九世紀の南北戦争で奴隷制を支持した南部連合の首都。市中心部にそびえる南軍司令官リー将軍の銅像撤去を求め、黒人の投資家ビスマルク・アグベンブレさん(40)は訴えた。

 中西部ミネソタ州で黒人男性ジョージ・フロイドさんが白人警官に首を圧迫され死亡した事件は、米社会の根深い差別と格差の問題を一気に再燃させた。

 十九日は南北戦争に勝った北軍が最後の奴隷を解放した記念日。衰えを見せない抗議デモは今後、大統領選にどう影響するのか。その行方を探った。 

    米国では今、奴隷制にまつわる歴史の根本的な見直しを求める動きが多方面に広がっている。「アント・ジェミマ(ジェミマおばさん)」で有名な老舗のパンケーキ関連会社は、ブランド名と黒人女性のキャラクターが白人家庭の乳母や使用人を思い起こさせるとして廃止を決めた。

 逃亡奴隷の取り締まりが起源の一つとされる警察制度の抜本改革を求める声も強まっている。黒人の警察OBチャールズ・ウィルソンさん(70)は「警察には黒人は貧しいから暴力的だ、という考えが長く植え付けられてきた」と語る。

 染み付いた構造的な差別意識を変えようという抗議活動が、一九六〇年代の公民権運動以来といわれるほど広がったのはなぜか。南部アラバマ州の人権団体「南部貧困法律センター」のレシア・ブルックスさんは「白人を含む多くの人たちが、白人至上主義が存在すると認め、何とかしなければと思うようになった」と分析する。

 リッチモンドの集会では白人の姿が確かに目立った。「黒人の命も大切だ」のプラカードに並び、「白人の沈黙は暴力だ」の標語も見つけた。抗議デモは初参加というソフトウエア技術者のケリー・ヤングさん(28)は「南軍の将軍らは自由、平等の権利を信じなかった反逆者だ。英雄神話があまりに長く続きすぎた」と語気を強めた。

 一方、南軍の子孫らによる歴史研究会に所属するジョニー・ネビルさんは「銅像は南北で多くの家族が引き裂かれた米国史そのものだ」と保存を主張する。

 こうした声を背景に、トランプ大統領は南軍の指導者らにちなんだ米軍基地名の変更を「受け入れられない」と反対。警察改革では警官による首絞めなどの原則禁止を求めたが、根深い差別には言及しなかった。

 十九日は、南北戦争に勝った北軍が南部テキサス州で最後の奴隷を解放した記念日を迎える。トランプ氏は当初、この日に南部オクラホマ州タルサで大統領選に向けた支持者集会を再開する予定だった。一九二一年、白人による黒人虐殺事件が起きた現場。さすがに開催を一日ずらしたが、そこに黒人に寄り添おうという姿勢はみられない。

 抗議デモの分布と動向を調査している東部ペンシルベニア州・ピッツバーグ大歴史学部のララ・パットナム教授によると、ジョージ・フロイドさんの暴行死事件後、約二週間で平和的なデモは全米三千〜四千地域に広がり「米史上前例のない規模」になった。しかし、トランプ氏はデモはあくまでも「無政府主義者による扇動」と強調し、「法と秩序」を訴え、白人の保守層にアピールする。

 ただパットナム氏は、デモの広がりからトランプ氏の戦略はもはや通用しないとみる。特にペンシルベニア州は前回二〇一六年大統領選でトランプ氏がクリントン元国務長官に得票率1ポイント未満の僅差で競り勝った激戦州。「州内で保守的な白人層が多く住む小さな郊外の町にもデモは広がっている。今回勝つのは至難の業ではないか」


 夏至。これからどんどん日が短くなるのかと思うと氣が重い。こちらはまだ寒い。昨日も朝晩ストーブのお世話になった。ハウスの最低気温も10℃を下回っている。

敷地内整備。



これはなんだ?キノコみたいだけど。


総理会見を「総理慰労会」にした官邸記者クラブの常駐組~それは既に情報統制の共犯者だ

2020年06月20日 | 社会・経済

  立岩陽一郎 | 「インファクト」編集長

YAHOO!ニュース6/20(土) 

 

問題は記者の側にある

「終わっている」

    そう感じさせる記者会見だった。6月18日に行われた国会閉幕後の総理会見だ。

「終わっている」のは何か?勿論、国会閉幕という意味ではない。機能していないという意味での「終わっている」だ。それは、何を言っているのかわからない安倍総理か?違う。情報を統制しようとする官邸か?それも違う。

記者だ。終わっているのは官邸記者だ。正確には、官邸記者クラブの常駐組ということになる。具体的に言えば、全国紙、通信社、NHK、東京キー局の民放だ。

    権力は情報を統制しようとする。それは古今東西を問わない。だから、安倍総理の説明が意味不明でも、官邸が情報を統制しようとしても別に不思議ではない。なぜなら、そこに記者が食らいつき、閉ざされた扉をこじ開けて情報を開示させる機能が働くからだ。それが民主主義国とそれ以外の国との大きな差だ。記者会見とは本来、そうした場である筈だ。

    しかしここで、記者が権力の情報統制に加担していたら、その前提は崩れる。そしてまさに、その前提が崩れているのが日本であり、6月18日の総理会見はそれを象徴する出来事だった。

会見前の長い儀式

会見を振り返ってみたい。午後6時に安倍総理が記者会見室に入り、先ずは各社カメラマンによる写真撮影。不思議な光景だ。この明らかに不自然なポーズの写真は、記者会見の写真としては使えない。安倍総理の向こうに記者団さえ入っていないからだ。そして広報官による記者会見の説明。

「1社1問でお願いします」

「質問の有る方は黙って挙手をお願いします」

何度も繰り返されるこの説明は、限られた時間を官邸側が都合よく使っているようにも見える。

そしてこの後もお決まりの安倍総理の演説。これが20分。それも、世界が日本の新型コロナ対策に注目しているといった疑問の多い内容だったが、それについては別の機会に譲りたい。最も大きな問題はその後に行われる記者の質問にあったからだ。

河井議員夫妻の逮捕に触れたのは1度

    最初は幹事社質問。今回はフジテレビと産経新聞。先ずフジテレビが幹事社質問にありがちな質問をする。幹事者質問は、時間の制約が有る中で幹事社が各社と質問を調整して最低限質問しておかねばならない点を問うものだ。これが事前に官邸側に伝えられて、答えが用意されていることは既に安倍総理が国会で明らかにしている。

質問は次の様な内容だ。

    河井夫妻が逮捕されたことについて、責任を痛感していると述べられましたが、総理、総裁として具体的にどういった責任を痛感されているのかということと、自民党から振り込まれた1億5000万円の一部が買収資金に使われたことはないということでいいのか、お伺いします。

 そして、東京五輪についてですが、IOCなどが開催方式の簡素化を検討している中で、総理が述べてきた完全な形での実施ということに関して、考え方は変わりはないでしょうか。併せて、総理は治療薬やワクチンの開発も重要だということをおっしゃっていますけれども、これは五輪開催の前提になるのでしょうか。

 最後に、与野党の中に首相がこの秋に内閣改造をした上で衆議院の解散に踏み切るのではないかという観測が一部ありますけれども、現下のコロナ感染状況に照らして、総選挙の実施は可能と考えますでしょうか

網羅的だが、中身は薄い。これが幹事社質問の典型だ。

    河井議員夫妻が公選法違反で逮捕されて数時間後の会見だが、この日、この「河井議員夫妻」に触れた質問はこの幹事社のもののみだった。しかも質問は「1億5000万円の一部が買収資金に使われたことはないということでいいのか」というものだ。これについての答えは、「大変遺憾であります」「襟を正さなければならない」という精神論であり、核心部分は、「言われているような使途に使うことができないことは当然でありますという説明を行われたというふうに承知をしております」という、何も言っていないに等しい説明で終わっている。そして、以後、この問題を問う記者はいない。

    産経新聞は憲法改正にかこつけて総理の任期延長についての感触を探ろうとした内容とも言えるが、結果的に総理の憲法改正に向けた「所信表明演説」を聞かされるものとなっていた。

記者会見は所信表明演説の場に

    続いて各社の質問に移るわけだが、総じて言えるのは、安倍総理が思いのたけを語る場になっているということだ。要は、所信表明演説だ。

    例えば、NHKは、拉致問題についての対応を質問している。その安倍総理の答えは、「まだ皆さんの願いを実現できない。断腸の思いであります。あらゆる手段を尽くしてチャンスを捉え、果断に行動していきたいと思っております」と、これまた「所信表明演説」となっている。

    拉致問題の解決は「政権の最重要課題」と言い続けてきてわけだが、具体的に動きが見えているのはトランプ大統領などへの協力要請のみだ。北朝鮮に働きかけるどころか、国連で各国に北朝鮮と対話を行わないようにさえ求めている。そうした政策に問題は無かったのか?それを問う質問は当然の様に無い。

    日本テレビのポスト安倍についての質問にいたっては、総理に対するお追従以外のなにものでもない。無視できないのは、安倍総理の回答がエールの交換となっていることだ。安倍総理は答えの中にわざわざ質問した記者の名前を入れている。これは、「あなたは私にとって特別な記者です」というメッセージであり、更にテレビ中継を通じて見ている記者の上司に対し、「私はこの記者を大事にしています」というメッセージでもある。こうやって第二、第三のNHK岩田明子記者は作られていく。

    勿論、会見らしいやり取りもあった。日経記者の質問と、予定外で最後に質問した軍事専門誌ジェーンズの高橋浩祐氏の質問は、確認すべき点を質していた。ただ、それらは全体の中から見れば例外でしかなかった。

情報統制を強める官邸

    新型コロナウイルスへの対策で定期的に行われるようになった安倍総理の記者会見については、その最初となった2月29日の会見以後、新聞労連の南彰委員長らと議論を重ねてきた。そして新聞労連主催のオンラインシンポジウムなどで引き続き議論を続けている。

    朝日新聞の政治部記者として官邸を取材した経験を持つ南委員長は、総理会見を「儀式」と呼んで批判した。そしてまともな記者会見の開催を求めた。私も総理会見を「演説会」と呼んで批判してきた。しかし6月18日の会見にいたっては、そういうレベルでもなかった。これは単なる「総理の慰労会」でしかなかったからだ。

   この記者会見は官邸記者クラブが主催している。その運営に大きな発言力を持つのは前述の常駐組だ。繰り返しになるが、権力は情報を統制しようとする。それに抗って、事実を国民に知らせるのがメディアの役割だが、官邸記者クラブ常駐組は記者会見を「官邸記者クラブ主催の総理慰労会」にすることで、その役割を放棄している。それは、情報統制の「共犯者」と言うほかにない。

    この日の総理会見については各社1記者のみの参加となっていた。これは既に菅官房長の会見で実施されている制限だ。それは緊急事態宣言を受けて3密回避のためとされたが、宣言が解除された後も踏襲されているのみならず、総理会見にも適用されたということだ。

    これについては、官邸記者クラブの非常駐組、つまり常駐社以外の社から異論が出た。当然の話だ。しかし、常駐組と官邸との話し合いの結果、官邸側の主張が通ったと言う。もはや、その話し合いの中身を確認する気にもなれない。主犯と共犯が話し合って、世の中にとって悪いことは止めようといった議論になるわけがない。


みんなのブログ(アピール機能)が変に!

 ほぼ毎日更新している。そしてちょっと前まではアピール機能をほぼ毎日使う機会が与えられた。しかしながら、最近はめったにチャンスに恵まれない。ブログの利用はほとんど変わってはいないのにだ。先日は2週間もの間チャンスに恵まれなかった。4日5日は当たり前。ブログの面白みも半減だ。それにチャンスが来て掲載されると20分とか夜中だと1時間超えだ。こんなにもblog利用者が少ないのだろうか?とも勘繰りたくもなる。7、8分にしてもらって、チャンスを増やしてもらった方が楽しいと思うのだが・・・・・


「女帝 小池百合子」の作者が語る衝撃の事実

2020年06月19日 | 社会・経済

「女帝 小池百合子」の作者が語る衝撃の事実

 

都知事選展望 来るのか「女帝」が引きずり降ろされる日

日刊ゲンダイDIGITAL:2020/06/19

 4年前に鳴り響いた「百合子コール」の熱気が嘘のような静かな船出だった。都知事選告示の18日午前10時、現職の小池百合子知事は都庁7階の大広間で「第一声」。約12分間にわたり、「都民の都民による都民のための都政を確立していきたい」などと一方的に語り終えると、「じゃあ、そういうことで」と切り上げ、サッサと会場をあとにした。

 第一声を上げた主要候補のうち、取材に応じなかったのは小池のみ。新型コロナウイルス対策を含む公務を優先。街頭演説はしない方針で「密を避ける」「オンライン選挙にチャレンジ」とカッコつけても、本当は聴衆からの批判の声とそれに伴うイメージ悪化を避けているだけではないのか。

 4年前は「ドン」が支配する自民党都連を利権まみれの悪の組織とみなし、自分を“都民の敵”と闘うヒロインのように印象づけ、大勝。ずうずうしくも「ジャンヌダルク」と自称したが、化けの皮がはがれるのも早かった。

五輪施設整備費に切り込むも、大山鳴動してネズミ一匹。大幅削減には至らなかった。「立ち止まって考え」た築地市場の豊洲移転問題も、3年前の都議選直前に唐突に打ち出した「築地は守る、豊洲は生かす」の方針は言いっ放し。

 方針決定過程をたどれる文書の不存在が判明すると、「AIだから」「人工知能というのは、つまり政策決定者である私が決めた」と意味不明な言葉で開き直った。結局、市場機能を残して「守る」はずだった築地跡地は、今や「カジノ誘致先の有力地」との意見が根強い。

「待機児童ゼロ」「満員電車ゼロ」など「7つのゼロ」の公約も「達成ゼロ」。「都内の空き家を保育士に現物支給」「満員電車は2階建て列車で解消」とも口にしたが、それも実現していない。そもそも本人に本気で実行する気持ちがあったのかさえ、疑わしい。

 つまり、やることなすこと「行き当たりばったり」。その象徴が2017年の衆院解散に合わせて立ち上げた「希望の党」騒動だ。「女性初の総理」の野心を抱いた小池は都知事でありながら党首に就任。旧民進党をたった1日で解党させると、合流議員を高飛車な態度で選り好み。小池は「排除」発言で墓穴を掘り、総選挙で惨敗したが、旧民進党分裂のしこりは今回の知事選でも尾を引いている。

時事芸人のプチ鹿島氏は16日のオンラインイベントで「小さな業績、大きな混乱」と、小池都政の4年間を評していたが、正鵠を射た指摘だ。

「結局、この4年間で何をしたの? 小池知事が街頭に立たないのは、現職候補なら当然の実績評価から逃げているだけだと思います。マトモな感覚の持ち主であれば、とても人前には出られない状況かもしれません」(法大名誉教授・五十嵐仁氏=政治学)

 むろん、都庁の“女帝”がそんな「恥」の概念など持ち合わせていないのは言うまでもない。

片腹痛い代理店丸抱えの引きこもり選挙

 それでも小池が今回の知事選で優位に立っていられるのは、新型コロナの“たまもの”だ。衆院選の惨敗以来、「死んだ目」をしていた小池が急に息を吹き返したのは3月の3連休直後から。東京五輪の1年延期が決まった途端、頻繁に緊急会見。「ロックダウン」「オーバーシュート」「感染爆発 重大局面」と力強い言葉を次々と繰り出し、人々の耳目を集めた。

 ついには小池出演のCMまで民放に流れるようになり、つぎ込んだ都民の血税は約9億円。小池は「自分の出演」を放映の条件にしたとも報じられた。臆面もない電波利用にコロナ利用である。法大名誉教授の須藤春夫氏(メディア論)はこう言った。

「自分がどう振る舞えばマスコミ受けするのか。小池知事は元キャスターだけにメディア戦略にたけています。中身度外視の強烈なフレーズで注目を浴び、露出機会を増やし、感染拡大の陣頭指揮に奮闘する『やっている感』を自己演出。4年間の失政を後景に退け、“ふわっとした民意”を掴むことに成功しました。大手メディアは彼女の選挙の事前運動に手を貸したようなものです」

よみがえった女帝にひれ伏すように、自民党は対立候補の擁立を断念。都連も推薦を準備したが、小池は散々頼りにしてきた二階幹事長をも袖にした。週刊文春の最新号によると、小池は二階の側近を通じて「自民党都連からいじめられたので、推薦のお願いはしません」と伝えたという。

 時の権力者を利用するだけ利用して利用価値がなくなれば即、ポイ捨て。ノンフィクション作家・石井妙子氏の著書「女帝 小池百合子」に幾度も出てくるエピソードだが、この話題の書があぶり出した学歴詐称疑惑や虚言に満ちた過去に小池は戦々恐々だ。

■来夏開催を目指す唯一の主要候補

 18日も都内で41人の陽性反応が確認されるなど、解除した途端に感染者急増の「東京アラート」のパフォーマンスにも批判が広がる。小池の都合だけで、19日から休業要請を全面解除して平気なのか。盤石に見えた選挙戦に綻びが生じていることも、彼女がオンラインの“安全地帯”に逃げ込む要因だろう。

 そんな彼女が頼るのは、やはり印象操作だ。18日、公式ホームページ上に配信した動画はカネと手間をかけた立派な映像。弱者に冷たい女帝のイメージを払拭するように、小池は子供に絵本を読み聞かせ、台所で包丁を握るなど必死で「優しい女性」を演じる。しらじらしい姿が噴飯モノの「代理店丸抱えの引きこもり選挙」である。

「公約に掲げた『東京版CDC(疾病対策予防センター)の創設』も単なる思い付きですよ。宇都宮健児、山本太郎両候補が街頭で訴えるように、小池知事は保健所の数を減らし、都立病院の独立行政法人化の方針を打ち出し、コロナ禍の医療逼迫を招いたのです。CDC創設など、どの口が言えるのでしょうか」(五十嵐仁氏=前出)

空疎なキャッチフレーズで煙に巻く白日夢のような選挙戦。まともな都民であれば「小池だけは絶対ダメ」だが、大メディアが、またまたPR機関に成り下がらないかが心配の種だ。

 大手紙はそろって五輪スポンサーで、主要候補のうち来夏の五輪開催を目指すのは小池のみ。実際、4年前の都知事選を取り上げたテレビ番組の放送時間は約78時間と同時期の参院選の約2倍に及んだのに、今回は鳴りを潜めている。

「五輪の来夏開催でひと儲けを狙う大手メディアにすれば、小池知事に五輪を人質に取られた構図です。『小池の乱』が注目された前回はワイドショーも有力候補を討論会に招いたものですが、今回はその予定すらないようです。報道の量が減り、争点の掘り下げが不足すれば現職が有利となる。メディアはあえて都知事選を取り上げないことで、小池知事をアシストするのでしょうか」(須藤春夫氏=前出)

 東京五輪に関し「ブラックボランティア」の著書がある作家の本間龍氏はこう言う。

「メディアの『公平性の壁』を熟知した小池知事のオンライン選挙です。街頭に立たず論戦を避ければ都知事選の話題を取り上げにくい。それでもSNS上で五輪開催の争点化が盛り上がれば、さすがにメディアも動く。五輪延期に伴う数千億円もの追加費用は、医療の充実や待機児童対策に振り向けるべきです」

 女帝が引きずり降ろされ、断罪される日は来るのか。前回の朝日新聞の出口調査によると、無党派層の約5割、旧民進支持層の約3割、共産支持層でも約2割の票が小池に流れた。彼らが4年前の不明を恥じれば都知事選の行方は変わってくる。女帝再選ならば、多くの都民は虚無を生きるハメになる。


 わたしは「都民」ではないが、首都東京の知事選です。都民のミカタ、都民目線の宇都宮健児氏を応援します。

 しばらく姿を見ていないカモさんたち。今日、ヒヨコちゃんご披露目でした。先日見たのとは全然違いまして、まさにひよこちゃんでした。
オスの後をついていくヒヨコたち(9羽です)。見えませんよね。

スイレンの花も咲き始めました。

 

 


通常国会が閉会 役割を果たさぬ怠慢

2020年06月18日 | 社会・経済

「東京新聞」社説 2020年6月18日 

 通常国会が会期を延長せず、きのう閉会した。新型コロナウイルスの感染拡大で、国民の暮らしや仕事が脅かされ、政治の役割は増しているにもかかわらず、国会はなぜ、国民から負託された役割を果たそうとしないのか。切実な思いが届かないもどかしさを抱いた人も多いのではないか。

 通常国会は一月二十日に召集された。会期は百五十日間だが、当然、延長は可能だ。特に今年は、新型コロナの感染再拡大も想定され、新たな対策や予算の確保が必要になるかもしれない。

 そのとき、国会開会中なら、迅速な審議や対応が可能になる。野党側が会期を年末まで、大幅に延長するよう求めたのは当然だ。

◆与党は政府擁護を優先

 しかし、与党側は野党要求を拒否し、延長なしの閉会を決めた。当面週一回、関係委員会で閉会中審査を行うことで与野党が合意したものの、野党から政権追及の機会を奪いたいと、与党側が考えているとしか思えない。

 憲法は、国会を「国権の最高機関」であって「国の唯一の立法機関」と定める。法律も予算も条約も、国民の代表で構成する国会での議決や承認がなければ効力が生まれず、政府は内政外交にわたり政策を遂行できない仕組み、議会制民主主義である。

 国会には国政を調査し、行政を監視する重要な仕事もある。政府が法律など国会の議決に基づいて仕事をしているか、主権者である国民を欺くようなことをしていないか、調べる仕事だ。

 こうした役割に与野党の別はないはずだが、特に与党議員は、国民から託された仕事を全うしたと胸を張って言えるのだろうか。

 野党の厳しい追及から、安倍晋三首相率いる行政府を守ることを最優先しているのではないか。そう疑われても仕方があるまい。

◆財政民主主義を脅かす

 今年の通常国会は政権疑惑の解明を持ち越して始まった。昨年後半に野党追及が本格化した「桜を見る会」の問題、さかのぼれば森友・加計学園を巡る問題だ。

 共通するのは、首相に近しい関係者への厚遇であり、それが発覚した後、首相に都合の悪い記録を抹消する政権全体の悪弊である。

 これらは国会での議論の前提になる行政の信頼性に関わる問題だが、真相解明には至っていない。野党の力量不足はあるにせよ、それ以上に、与党の問題意識の欠如を指摘せざるを得ない。

 加えて、不問に付すわけにいかないのが、黒川弘務前東京高検検事長の定年延長問題である。

 政府は一月、検事の定年に適用しないとしていた国家公務員法の解釈を変え、黒川氏の定年を延長したが、法律の解釈を、政府が勝手に変更していいはずがない。

 しかも、菅義偉官房長官は法解釈変更に関し、「人事制度に関わる事柄については、必ずしも周知の必要はない」と強弁した。

 政府が国民に知らせず、国会で成立した法解釈を勝手に変えるのは「密室政治」そのものだ。三権分立を破壊する安倍内閣の身勝手な振る舞いは許されない。

 さらに予算を巡る問題である。

 未曽有の危機にあって、国民の暮らしや仕事を支えるために、政府の財政支出が一時的に膨張するのはやむを得ないが、予算の使い方が正しいか、質疑を通じて精査することこそ国会の仕事だ。

 しかし二〇二〇年度第一次補正予算に関し、国会は一兆六千七百九十四億円に上る「Go To キャンペーン事業」や中小企業などを救済する持続化給付金の事務委託問題を見過ごし、成立させてしまった。

 事務委託を巡る経済産業省の前田泰宏中小企業庁長官と請負業者との不透明な関係や、下請けの連鎖など業者の適格性が疑われる問題は解明されず、国会が行政監視の役割を果たしたとはとても言い難い。

 二次補正に盛り込まれた予備費も同様だ。憲法で認められているとはいえ十兆円は巨額である。

 政府は、うち五兆円については雇用や医療体制の維持などおおまかな使途を示したが、事前に国会の承諾を経ない巨額の予算支出は「財政民主主義」に反する。

◆緊急事態条項の的外れ

 コロナ禍に乗じて自民党内では一時、憲法を改正し、「緊急事態条項」を設ける議論が浮上した。大規模災害などの発生時に、国会議員の任期を延長したり、法律と同じ効力を有する政令の制定権を内閣に与える内容である。

 緊急事態時の政治空白は避けるべきだが、政府に立法権を事実上委ねるのではなく、事前の法整備に万全を期すことこそが国会の役割ではないのか。立法府の役割を解さないから、緊急事態条項の議論に安易に飛び付くのだろう。

 この国会を振り返り、全国会議員、特に与党議員はいま一度、国権の最高機関としての重い役割を自覚し直すべきである。

*     *     *

安倍晋三内閣の支持率はまさかの「21.6%」――文春オンライン6月調査

「文春オンライン」編集部

2020.06.18

『文春オンライン』では、緊急アンケート「安倍晋三内閣を支持しますか?」「次期首相になってほしいのは誰ですか?」を実施。4日間(6月2日~5日)で投票総数は1018票、10代~90代の幅広い世代の男女から回答が集まった。ここでは、内閣支持率の結果を発表する。(#1で「ポスト安倍」人気アンケートの結果を公開中

 

「安倍晋三内閣を支持しますか?」の結果は、「支持する」(220票/21.6%)、「支持しない」(798票/78.4%)と現政権に辛辣な結果に。

 5月末~6月に発表された各社の支持率は朝日新聞29%(不支持52%)、共同通信39.4%(不支持45.5%)、産経新聞36.4%(不支持52.5%)と軒並み急落していたが、今回の調査ではさらに“辛め”な数字となった。

辺野古反対61% 安倍内閣支持率18%  琉球新報・OTV・JX通信県民調査


私たちはもっとマシな社会を作らなければならない~BLACK LIVES MATTER in OKINAWA(三上智恵)

2020年06月17日 | 社会・経済

マガジン9  https://maga9.jp/200617-2/

 

私たちはもっとマシな人間にならなければならない

私たちはもっとマシな社会を作らなければならない

公衆の面前で、警察が平然と市民を窒息死させた

なんなんだこれは?

人類は後退しているのか?

誰がこんな暴力を許してきたんだ?

これは「肌の色の違い」の問題なのか?

 

いや、もはや本質はそこではない

差別や不平等を追放する社会を目指しても

肥大する「暴力社会」がぶち壊していく

そのさまを

見ぬふりをしてきた私たち

気づかないふりをしてきた私たち

 

使える力を使わずに

社会が病んでいるのは私のせいではないと

声を出し、立ち上がって歩く

そんな簡単なことさえ

やろうとしない自分に理由を与え

誰かが誰かを殺すことを「黙殺」してきた

 

一人ひとりの「黙殺者たち」が ジョージ・フロイドを殺した

 

あの、のっぺりとした白人警官の顔を見ろ

あれは、黙っていたあなたの顔

あれは、大事なことから目を背け続ける「私」が作り出した

怪物の顔

 

 言いたいことはたくさんある。紐解きたい歴史もある。戦中、戦後、そして今に至るまで沖縄の人たちの命が軽んじられてきた歴史を、今世界を嘆かせているアメリカ・ミネソタ州ミネアポリスで5月に起きたジョージ・フロイドさん殺害事件に重ねて語りなおすのも大事だと思う。でも今回はあえてそれはやめて、先週、沖縄で行われた抗議行動の様子をまずは伝えたい。

 コロナ騒動で、住民運動が盛んなこの沖縄でもあらゆる集会が自粛された。新たな感染者が出なくなって45日経った今も、辺野古のゲート前ですら、まだ完全に通常の状態に戻れてはいない。それでも、今回のこの悲劇に沖縄が黙っていていいのか? モヤモヤした気持ちでいたのは当然、私だけではなかった。コロナで東京の大学に帰りそびれていた元山仁士郎さんら数人がSNSで呼びかけてからわずか4日後の12日金曜日の夕方、集会にはプラカードを持つマスク姿の人々250人あまりが集まって来た。場所は沖縄市ゴヤ交差点。1970年、米軍の圧政に抵抗するコザ騒動が起きた場所でもあり、基地の街の象徴でもある。梅雨が明けてギラギラと照り付ける夕日の中、そこにいたのは様々なルーツの人々、幼児からお年寄りまで幅広い新鮮な顔ぶれだった。

 主催者の一人で、沖縄の男性と結婚して県内に住んでいるアメリカ・ミシガン州出身の宮城ケイティさんは言う。

 「私は同じ国で育っても、歩いているだけで命の危険を感じるということはない。優遇されている白人として何をすればいいのか。とにかく当事者の言葉を聞いて思いを共有して、何ができるかみんなで考えたい」

 沖縄に住む外国人に呼びかけを始めて間もなく元山さんと繋がり、実現にこぎつけたという。コロナに配慮してマスクや距離など集会のルールを作り、時間も短めに設定して穏やかな場づくりを目指した。しかし、元山さんによれば、米兵には「基地の外で行われるアクティビティには当面参加するな」という通達が出ていたそうだ。そのためか、しばらく立ち止まっている米兵らしき人々は見かけたが、現役兵士の発言者はいなかった。一方、外国人では恩納村にある大学院大学の研究員など関係者が比較的多かった。その中で、ウガンダ出身のアイヴァンさんはアメリカへの恐怖を語った。

 「ぼくはウガンダで生まれて学位はイギリスでとった。アメリカには一度も行ったことがない。怖い。国際会議とか、アメリカに行くチャンスはあったけど、全部断っている。ぼくみたいな人間が行ったら何をされるのか? 沖縄に来て黒人の兵士とも友達になった。アメリカで仕事をしたらいいよ、と言ってくれるけど、ぼくはまっぴらだね」

 同じ大学院大学の女性、タトさんは留学先のドイツで初めて受けた人種差別の経験を語り、「黒人差別は何もアメリカだけの問題じゃない」と訴えた。肌の色で不当な扱いを受けることは世界中で起きている。彼女たちが安心できる場所は少ないのだ。しかしその中でも黒人として最も行きたくない国がアメリカであること、日本人にとって身近なあの国が、彼らにとっては命の危険を強く感じる、近づきたくもない場所であることを改めて知る。

 4年間海兵隊員として滞在した後、今も沖縄に住んでいるディアンさんは、アメリカに比べれば沖縄の生活はずっといい、アメリカでは人間以下の扱いを受けてきたと訴えた。

 「めっちゃひどい経験ばかりしてきたよ。先生とも、警察とも、行政も、軍の中もね。だから僕はいつも……挑戦的な態度で、いつだって受けて立つぜっていう怒りの形相で過ごしてきたんだ。こことアメリカに一人ずつ子どもがいる。残念なことにどっちも差別を経験している。おれたち親が出て行って改善したこともある。黙っていたら……声を上げなければ、みんなが立ち上がってくれなければ、俺たちの息子が殺され続けることになってしまうんだ。だからお願いだから何人でもいい、隣の人と手を携えて声を出してほしい」

 25歳のある黒人青年は、16歳で車の免許を取った時に母親にこう言われたそうだ。「もし警察に止められて何か言われたとしても、家に帰ることをゴールだと思って」

 警察の職務質問が因縁に過ぎないとしても、理不尽な扱いを受けて腹が立ったとしても、誇りを傷つけられて反論したいと思っても……正義が通る相手じゃないんだからとにかく抵抗せずにうちに帰って来て、と言って息子を守るしかない母親の気持ち。胸がえぐれる思いがするが、その彼女の気持ちを今、彼は追体験している自分に気づいたという。

 「ぼくには2人弟がいるんだけど、バカげた話をしなきゃいけない事がある。夜に出歩くときは絶対にフードをかぶるなよ、特に冬は、とかね。7、8歳の幼い家族に対して、僕は今、何で君たちと同じ容姿の人間が、その容姿のために殺されなきゃいけないのか。その理由を説明しないといけなくなってるんだ」

 メキシコ系アメリカ人と沖縄の女性との間に生まれた男性は、沖縄の学校で「ガイジン」といじめられた経験を持つ。しかしそれにも増して「タイ人?」「フィリピン人?」と聞かれることが嫌だったと話す。そんな自分を振り返ってこう言った。

   「おかしいでしょ? 結局、差別をされている自分の中にも差別する気持ちがあった。差別は誰でもやってしまう。大切なのは、それに気づくことだ」

 わずか1時間の間に大事なテーマがたくさん語られていた。少年もマイクを握ったし、沖縄の10代の若い子たちがたくさん参加して真剣に聞いていたのも、平和運動の集会では見かけない光景だった。私はこの空間を共有できて、心から良かったと思った。沖縄の街角で小一時間プラカード掲げるくらいで何が変わるのか? という後ろ向きな気持ちは、私の中にもあった。しかし少なくとも目の前で語る人の悲しみや怒りを体に刻むことができた。黙ってやり過ごして自分が加害者の仲間になることだけは避けられた。少なくとも今日のところは。もちろん、明日以降沈黙するなら、すぐに黙殺者の列に並ぶことになるのだろうけれども。

 私は幼稚園から小学校の前半をアメリカで過ごした。多くの有色人種が居住するカリフォルニアの学校では、「金髪に白い肌」の子どもは3割ほどで、黒人、ヒスパニック、韓国人、中国人、色とりどりだった。1年生のくせにいつもピアスをしていた黒人少女のリンダは、めちゃくちゃ美人だった。長いまつ毛のジェイムスがかわいくて、ちぢれっ毛を引っ張ってみたら「アウチ!」と言って怒られた。雑多な人種が一つの地域でどうやってうまく生きていくのか。その課題は人生の大事なテーマであることを、アルファベットを覚えるのと同じ時期に知った私としては、人種差別の問題には少しは敏感でいたつもりだった。

 アフリカのクンタ・キンテから始まる黒人の歴史を描いたドラマ『ルーツ』も毎回かぶりつきで見たし、『カラーパープル』も何度も鑑賞した。スパイク・リー監督作品も『ドゥ・ザ・ライト・シング』から全部見てるし、マルコムXは私のヒーローでもある。でも、今回、17歳の女性が撮影したフロイドさんの断末魔の映像を見て、何度も目を背けそうになった。私は関心を持っていると言いつつ、いままで何も具体的な行動もせず、ただの傍観者として今日この映像を見ているに過ぎない自分に煮えくり返るような嫌悪感を覚えた。せめて、近年撮影された暴行・殺人の映像をいくつか続けざまに見ることを自分に課してみた。

 “SILENCE KILLS”

 まさにそれだ。私は沖縄の基地問題について、漠然と日米安保を肯定し、SOSを発する沖縄の声を黙殺する「物言わぬ人々」こそ沖縄を苦しめる力そのものである等と指摘しつつも、この問題については黙して過ごしてきただけではないのか。じゃあ何ができたのか? これから何ができるのか? 次々に自分に突きつけてみるが、すぐに答えは出ない。出てこないが、まずは自分が傍観者の類いだったという事実を認めよう、と思った。

 人間は群れの生き物である。したがって、自分の群れがよその群れより優位でないと安心できないというやっかいな性がある。グループ分けは人種・宗教の違い、文化の違い、歴史上のもつれなどあらゆる要素が絡まって出来上がり、差別と偏見が殺し合いにまで発展する。その問題は有史以来の普遍的なテーマである。

 だが、今回の暴行死事件について指摘しておきたいのはそこではない。「暴力社会」から脱却できないアメリカ社会の闇についてだ。

 アメリカはインディアンと呼ばれたネイティブの人々を駆逐して建国するときから復讐を恐れて武装をした。奴隷が解放されれば黒人からの復讐を恐れて武装を強めた。アメリカの正義をふりかざして外国に武力介入しては、そこでの報復を恐れ、「世界の警察」のポジションを獲得して暴力の頂点に立つことを正当化した。虐げて、恐れて、を繰り返すうちに、世界一強い国になるしかなくなった。世界一の国が、世界一強い軍隊を持つことで、世界一の安心を手に入れられるのだという理屈を通すために、国内外にたくさんの犠牲を強いてきたアメリカという国。

 地球というクラスの中で、アメリカくんの横暴を許してしまったクラスメイトの中には、このままではクラスにとって良くないともがいている者もいるだろう。単純にアメリカくんに媚びへつらうことでいじめられないポジションを獲得する、情けない国もあるだろう。

 しかし腕力を頼りにして家来になった者はやくざの子分と同じで、「鉄砲玉になれ」と言われれば従うしかない。この武器を持って戦えと言われれば買うし、お前の家をアジトに使わせろ、と言われれば使っていただくしかない。でも、ほかのやつらよりボスに近い俺は、舐められずに済む、と満足している。価値観はすっかり「暴力社会」の肯定であり、暴力社会の底辺に落ちないことが最優先の自衛になって行く。

 弱者を作り、それをみんなでいじめ倒して安心するという病んだ社会。それは最初から暴力装置に依存して不安を解消してきた大国・アメリカの歴史に根差す闇だと私は思っている。それを批判するどころか、コバンザメのようにすり寄ったズルい国のトップはさらにひどい。親分の不当な命令を、国内の弱いものに押し付けて、何とかコバンザメの地位を死守する以外にもはや思いつかなくなってしまった。つまり何が言いたいかというと、アメリカの暴力社会をどの国よりも肯定し、支えても来た日本と日本人は、あの白人警官を生み出す側の一員でしかなかった私たちの立ち位置について、私たちはそれを自覚する必要があるということだ。

 そういう日本人だからこそ、政府の上に異国のボスがいること、そのボスの命令があれば国民の一部を犠牲にすることにも疑問を持てなくなっている。黒人差別を見過ごすことと、沖縄問題を黙殺することは、アメリカの暴力社会に唯々諾々と組み込まれてしまった愚民にとっては必然なのだ。間違えないで欲しいのは、単純に黒人差別と沖縄差別が同じだなどと言っているのではない。暴力社会に身を預けてしまった者には、この二つの問題の解決は難しいという意味で、両者は通底しているということだ。

 とりあえず腕力のある人と一緒にいたい、強いグループに入っておけば安心だという動物的本能が思想や哲学より勝っている、そういう社会を変えなければ、特定の人々を痛めつける行為は止むことはない。今回の事件にはもちろん、人種や文化、宗教の違いなどの多様性を認める、認めないという寛容不寛容の問題も含まれてはいる。しかし私はそれよりも、肥大化した暴力社会がもたらす構造的な問題であるという面にもっと意識を向け、アメリカ的暴力依存社会からの脱却を真剣に目指すチャンスにするべきではないかと思うのだ。

 

三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。大学卒業後の1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移り住む。夕方のローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年には、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。現在も全国での自主上映会が続く。15年には辺野古新基地建設に反対する人々の闘いを追った映画『戦場ぬ止み』を公開。ジャーナリスト、映画監督として活動するほか、沖縄国際大学で非常勤講師として沖縄民俗学を講じる。『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)を上梓。 (プロフィール写真/吉崎貴幸)


 昨日の私設降雨量70mm。ようやく一息付けた感じだ。作物も一段と生長を早めることだろう。雑草はそれ以上だけど。


資本主義が「社会のためになっている」と考えるアメリカ人はわずか25% —— 最新調査

2020年06月15日 | 社会・経済

BUSINESS INSIDER JAPAN

 Marguerite Ward 2020/06/15 

    ハリス・ポールと、ビリオネアの投資家ポール・チューダー・ジョーンズ氏が創設した独立調査会社ジャスト・キャピタルは5月、アメリカ人1000人を対象に、新型コロナウイルスの流行が続く中、資本主義についてどう考えているか調査した。その結果、今の形の資本主義が社会のためになっていると答えたのはわずか25%だった。

    多くの人にとって、これは"驚き"ではないだろう。ハーバード大学の経済学者からビリオネアのヘッジファンド・マネジャーであるレイ・ダリオ氏まで、専門家は新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)で深刻な格差が顕在化した今、資本主義はすぐに危機に直面するだろうと警鐘を鳴らしてきた。

    一時的な危険手当の支給は、食料品店の従業員やフードデリバリー業で働く人、その他"エッセンシャルワーカー"と呼ばれる人々がいかに少ない賃金で働いてきたか(そして、彼らの多くは健康保険にも加入できずにいる)をわたしたちに気付かせた。また、各地で保育所が閉鎖されたことで、女性が家庭で担ってきた無償労働の状況もあらわになった。フェイスブック(Facebook)のCOOシェリル・サンドバーグ氏の率いる非営利組織リーン・イン(Lean In)の調査によると、新型コロナウイルスのパンデミックで最も解雇や一時帰休のリスクが高く、仕事がないと生活が成り立たない(食料品を買ったり、家賃が払えなくなる)可能性が高いのは黒人、中でも黒人女性だという。

    ビジネス界のリーダーが警告してきた危機は、すぐそこまで来ている。そして今、アメリカ人の多くが有給の病気休暇や最前線で働く人々の賃金アップを含め"変化"を求めていることが、今回の調査で分かった。

    回答者の70%は、企業は時間給労働者や契約社員を含め全ての従業員に少なくとも14日の有給の病気休暇を提供すべきだと答えている。そして67%は、企業は"エッセンシャルワーカー"(例えば、食料品店やコンビニで働く人たちなど)の時給をもっと上げるべきだと答えている。

    「アメリカ人は、有給の病気休暇や有給の育児・介護休暇、賃金アップ、健康保険、在宅ワークの柔軟性アップといった重要な政策課題で、企業に先頭に立ってほしいと考えている」と調査レポートは指摘している。

    また、この困難な時期に企業が従業員をどのように扱ったか、人々が忘れることもなさそうだ。回答者の84%は、従業員の健康や安全を守ったり、レイオフを回避するために手を尽くしたなど、従業員のために正しいことをした企業を忘れないと答えている。

    ビリオネアのマーク・キューバン氏も同様の考えを示していた。キューバン氏は3月下旬、もしパンデミックの最中に企業が従業員をレイオフすれば、ミレニアル世代やZ世代の若者たちは企業のブランドを「まっすぐトイレ送り」にするだろうと語っていた。

    「圧倒的多数のアメリカ人は、わたしたちが社会としてこの危機を、壊れたものを直し、より良い生き方を見つけるチャンスにしなければならないと考えている」と調査レポートは述べている。

[原文:Only 25% of Americans think capitalism is good for society]

(翻訳、編集:山口佳美)


猿田佐世「新しい外交を切り拓く」

サンダースの選挙陣営を覗いてわかったアメリカの変化~サンダース旋風は起きるのか

2020/02/21より一部抜粋

 アメリカでも、サンダース氏が2016年の大統領選挙で唱えていた主要政策のいくつもが、かつては急進的と見なされていたものの、サンダース氏が提唱した結果拡がり、今では民主党の中では主流となって多くの民主党の候補者が主張しているという状況にある。

 例えば「最低賃金を時給15ドルに」というサンダース氏の主要政策は、昨年、民主党が多数党を占める米議会下院が同様の法案を可決している(現在は時給7.25ドル)。現時点では共和党が多数の上院を通過する可能性はないが、同政策が民主党では強い支持を得ていることが分かるだろう。メディケア・フォー・オールも、内容に違いはあれ、何人もの候補者が方向性は共にしている。

 仮に、サンダース氏が本選まで残らなかったとしても、これらの政策に広がる共感と、この厚い若者層による支持は、今後のアメリカ社会を動かす大きな原動力となるだろう。

  今、まさにその時が来た感じだ。「差別社会」を通り越し、「差別殺人」を幾度と繰り返すアメリカで、若い層が先頭に立って戦っている。英国・フランス・ドイツなどEU諸国においても同じような現象が起きている。
 ただ、日本では、まだ残念な状況にある。「自民党」を支持する若者が多い。


お天気ニュース いくつ知っていますか? 趣深い雨の言葉

2020年06月14日 | 自然・農業・環境問題

    2020/06/14  ウェザーニュース

    日本語には、雨を表す言葉がたくさんあります。国土のほとんどが温帯湿潤気候区に属し、雨の多い土地であるために、先人たちは雨の特徴を感じ取り、それを言葉で表していったのでしょう。

    梅雨の時季は、うっとうしく感じることが多いかもしれませんが、雨を表す豊かな表現に触れて、梅雨ならではの風情をしばし感じてみませんか。

「五月雨」は5月に降る雨?

五月雨

「さみだれ」と読むことが多いですが、「さつきあめ」とも読みます。「五月の雨」と書くため、文字どおり、(現在の)5月に降る雨と思う人もいるでしょう。しかし、この「五月」は旧暦の5月のことです。旧暦の5月は、現代では6~7月上旬にあたるので、「五月雨」は梅雨のころに降る長雨のことです。また、梅雨のことを表すこともあります。

長雨

長く降り続く雨のことで、「ながあめ」と読みます。昔は「ながめ」とも読んで、和歌などでは、物思いにふける意の「眺め」にかけて使われたこともあります。「長雨(ながめ)」として、『万葉集』でも詠まれています。

群雨/叢雨/村雨

「群がって降る雨」の意で、「むらさめ」と読みます。激しく降ったかと思うと、すぐにやんだり弱くなったりする雨です。「村」は当て字ですが、雨に濡れた村々の状況が浮かぶようでもあります。

「にわか雨」「驟雨(しゅうう)」は「むらさめ」と同義語です。小説家の吉行淳之介は『驟雨』で芥川賞を受賞していて、同じく小説家の藤沢周平には『驟り雨(はしりあめ)』という作品があります。雨は作家の創作意欲をかき立てるのでしょう。

「ばいう」「つゆ」は、なぜ「梅雨」「黴雨」と書くのか?

梅雨/黴雨

「ばいう」、または「つゆ」と読みます。6月から7月にかけて降る長雨やその時節のことです。「梅雨」と書くのは、梅の実が熟すころに降る雨だから、「黴雨」と書くのは、黴(かび)が生じやすいころに降る雨だから、などといわれます。

梅雨寒

「つゆざむ」、または「つゆさむ」と読みます。梅雨の時季は夏ですが、寒くなる日もあります。こうした、梅雨時の季節はずれの寒さを「梅雨寒」といいます。

同じく「つゆさむ」あるいは「つゆざむ」と読む「露寒」という語もありますが、こちらは、露が霜に変わるころの寒さをいいます。

空梅雨

読み方は「そらつゆ」ではなく、「からつゆ」です。梅雨に雨がほとんど降らないことで、「照り梅雨(てりつゆ)」ともいいます。

雨の日が続くと、心がふさぎがちですが、空梅雨は水不足を招いたり農作物に悪影響を与えたりするので、空梅雨がよいとは限りません。

雨は天からの恵みでもある
雨は人生に変化や恵みをもたらしてくれるものでもあります。

遣(や)らずの雨

帰ろうとする人を引き止めるかのように降る雨のことです。川中美幸さんが歌った『遣らずの雨』(作詞/山上路夫、作曲/三木たかし)というヒット曲もあります。

慈雨

「じう」と読み、万物を潤し育てる雨、あるいは、日照りが続いているときに降る雨のことです。

「干天(かんてん)の慈雨」は、日照りのときに降る恵みの雨です。そこから転じて、待ち望んでいたことや、ありがたい救いの手のたとえにも使われます。

天つ水

「あまつみず」と読み、「天の水」の意味です。空の上には神聖な水がたたえられていたと、古代の人たちは信じていたようです。

雨水を天から注がれる恵みの水と考えると、梅雨の時季もまた違った気持ちで過ごせそうです。


    今朝の予報では今夜から明日ほぼ1日中☂。恵みの雨と胸をなでおろしたのだが、先程確認すると逃げられてしまったようだ。それでも明日夕方からの☂マークがついているので、「もう逃げないでおくれ」と、すがる思いなのだ。

亜麻