大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

読んだ本―「憲法の無意識」(柄谷行人著:岩波新書)

2016-07-05 17:08:16 | 日記
「憲法の無意識」というタイトルは、読んだだけではすぐには意味がわからないですね。これについて、著者本人が次のように解説しています(2016.6.14朝日新聞)。
「9条は日本人の意識の問題ではなく、無意識の問題だからです。無意識というと通常は潜在意識のようなものと混同されます。潜在意識はたんに意識されないものであり、宣伝その他の操作によって変えることができます」 「それに対して、私がいう無意識はフロイトが『超自我』と呼ぶものですが、それは状況の変化によって変わることはないし、宣伝や教育その他の意識的な操作によって変えることもできません。フロイトは超自我について、外に向けられた攻撃性が内に向けられたときに生じるといっています」 「超自我は、内にある死の欲動が、外に向けられて攻撃欲動に転じたあと、さらに内に向けられたときに生じる。つまり、外から来たように見えるけれども、内から来るのです。その意味で、日本人の超自我は、戦争の後、憲法9条として形成されたといえます」
「9条は確かに、占領軍によって押しつけられたものです。しかし、その後すぐ米国が再軍備を迫ったとき、日本人はそれを退けた。そのときすでに、9条は自発的なものとなっていたのです」 「おそらく占領軍の強制がなければ、9条のようなものはできなかったでしょう。しかし、この9条がその後も保持されたのは、日本人の反省からではなく、それが内部に根ざすものであったからです。」
本書(の前半)で説かれているこのような内容は、戦後の日本において、絶対的な政権与党である自民党が一貫して「改憲」を党是として掲げながらそれを実現できずに来ていること、特に最近安倍政権が「自分の政権のうちの改憲実現」を目指しながら、実際の選挙になると「改憲の争点化」を回避して逃げまくることになることの理由を明らかにするものとして説得的です。
でも、理由がわかったからと言って、それだけではあまり意味がないのでしょう。本当の改憲ができないのなら「解釈改憲」が無制限に行われていって、「本当の改憲」並みの「効果」をもたらす、ということもあるわけで、たとえその後にもう一度「憲法9条」に戻るのだとしても、その代償はあまりにも大きいというべきでしょうから。
問題は、このような「無意識」を成立させる日本社会の特質と、それが世界システムの中でどのような意味を持つのか、ということを明らかにすることにこそあるのだと思います。このことがはっきりすれば、今実際にどうしていくべきなのか、ということを考えることができます。本書は、その課題に答えてくれているものです。
特に世界システムについての把握の仕方を面白く読み、勉強になりました。次のように言われています。
「『資本主義の歴史的段階』とは、国家の経済政策、しかも、・・ヘゲモニー国家の経済政策である」(経済学者宇野弘蔵から)
「自由主義とはヘゲモニー国家がとる経済政策です。そして、帝国主義とは、ヘゲモニー国家が衰退して、多数の国が次のヘゲモニーの座をめぐって争う状態です」(歴史学者ウォーラーステインから)
「私は、歴史的段階の意向を60年の単位で見ています。つまり、ひとつのヘゲモニー国家が存続するのは、60年だということです。そのあと、ヘゲモニー国家が不在の時期が60年続く。したがって120年で、循環することになります」

それでは、「今」は、どのような時代としてとらえられるのでしょうか?
「アメリカがヘゲモニー国家となったのは、第一次大戦後です」ということで、第二次大戦から戦後を含めてアメリカというヘゲモニー国家を戴く世界システムがあり、それが1980年代以降に衰退していった、ととらえられます。「新自由主義」はその中で出てきたものとされるわけです。
そして、東アジアについては、「現在の東アジアの地政学的構造が形成されたのは、日清戦争(1894年)のころ」だとされ、「東アジアの状況に関しては、いつも第二次世界大戦前、つまり1930年代と比較され」るけれど、それよりも「120年前、すなわち1890年代のこと」に注目して、歴史の教訓に学び、現在の諸問題に立ち向かうべき、とされます。
本書の後半は、世界史的な把握の上での現在の課題、ということを考えさせてくれるものでした。

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