大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

読んだ本―「精神論抜きの電力入門」(澤昭裕著 新潮新書)

2012-09-29 06:51:00 | 本と雑誌

福島原発事故を受けて「電力問題」が大きな関心を集めています。

「電力問題」は、そもそもとても重要な問題だったのに、問題そのものが覆い隠されてきたこともあって、私たちがあまりにも無知だった、ということがあるように思えます。そこで、この問題に本当に「入門」させてくれる本が出たのであれば、ありがたいことだと思って読みました。

読後、たしかに蒙を啓かれた部分もあります。しかし、全体としては、全ての問題が見渡せるような「入門」が果たせたとは思えません。

それは、タイトルに示される著者の基本姿勢に原因があるのだと思えます。「精神論抜き」と言う部分です。たとえば、

「倫理的・文化的議論を否定するわけではありませんが、経済社会のインフラとして電力は絶対に必要なのです。」 

というように言われます。

「電力は絶対に必要」と言っても、どの程度必要なのか?というのは別問題でしょう。著者を含む「電力重視論」者の一つの共通点は「節電」への消極的な姿勢です。著者は別のところでは、「こうした節電を半永久的に継続させるのは相当に難しいことです。震災後は高かった節電意識も、わずか一年でずいぶん薄れてしまったように思います。」とも言っています(この夏の節電実績が出る前のものです)。今までと同じようなレベルで「電力は絶対に必要」だと考え、それを「安定供給」するためにどう考えるのか、というのが不動の前提であるわけです。「倫理的・文化的議論」を、単に「否定するわけではない」だけではなく、自ら考えてみることが必要であり、それが欠けているところでの議論では、全体を見渡せなくなってしまう、ということなのでしょう。著者は、次のようにも言います。

「そもそも、エネルギー源に倫理的な『正邪』があるのでしょうか。原子力であろうと、太陽であろうと、エネルギーを電力に転換して、日常生活や経済活動に利用していることには変わりありません。それを『悪魔の火』と捉えるか『神からの思し召し』と捉えるかは、個々人の価値観や倫理観にすぎないのです。」

著者にとって「価値観」「倫理観」というものは、「個人的」なものでしかなく社会的に一つの時代において形成されていくもの、とは考えられないようです。そういうところから「ゼニに色がついているわけではないでぇ」とうそぶく振り込み詐欺の犯人みたいに「エネルギー源に『正邪』はない」とまで言い切ってしまうわけです。同じように「日常生活や経済活動」に使われる電力だとしても、もしもそれが多くの人々の生活を破壊しながら生み出されるものなのだとしたら、それは「邪」なエネルギー源だ、と言うべきでしょう。この本の帯には、「なぜ議論がすれ違うのか?」と大書されていますが、エネルギー源の「正邪」の区別があったうえで、どれを選択していくのか、ということが問題になっているときに、「正邪がない」ということを前提にしているのでは、議論がすれ違ってしまうのも当然だな、と思えてしまいます。

著者は、資源エネルギー庁の資源燃料部政策課長などを務められた方、ということですが、こういう「価値観・倫理観」に基づいて政策立案されていたのだとすると、福島原発事故に至る原子力政策の破綻というのは、必然だったのだろうな、と思えてきます。

その他、「電力問題」のごく基本的なことについて勉強になった部分も多くありました。現実を踏まえながら現実を変えていく必要がある、というのは、どんな社会的問題についても同じだと思いますので、それはそれとして学び、考えておかなければならないことなのだと思います。


10.18-20全国会長会議

2012-09-28 05:27:24 | 調査士会

日調連の全国会長会議が、10月18-20日に札幌で開催されます。

開催期間が長いのは、真ん中の19日は国際地籍シンポジウムへの出席に当てるためで、実質は18日の午後と20日の午前11時までですので、普段より短いくらいです。

今回の会長会議は、「分科会形式」で行われる、とのことです。

私としては、「会長会議」というのは、総会において協議すべきような全体にかかる問題を全体で協議するものとして位置付けられるものだと思っていますので、この「分科会形式」には、あまり賛成はできません。しかし、これまでの会議の中で、全国の単会の意見を汲み取りながら運営して行く、ということがうまく機能してこなかったことから、これを打開するための方法の試行としてこのような形がとられたのでしょうから、何はともあれ、いい結果を残すような会議になれば、と思いますし、そのために努めるようにしたいと思います。

「分科会」の課題としてあげられているのは、次のものです。 

① 第1分科会   ア 特定認証局の運営等について   イ 連合会館のあり方について   ウ 登録事務における退会と業務廃止の取扱いについて 

② 第2分科会   ア 広報事業の各会連携について   イ 土地家屋調査士試験の受験者数減少に係る対策について   ウ WEB会議及びWEB研修の活用等について  

③ 第3分科会   ア 報酬の低廉化と全国展開する土地家屋調査士法人及び公嘱協会の入札について   イ 使用人土地家屋調査士について   ウ 公嘱業務の原則処理の考え方について  

④ 第4分科会   ア ADR認定土地家屋調査士の活用について   イ 特別研修の運営等について   ウ 土地家屋調査士業務の拡大について

ずいぶんとたくさんの課題があるものです。私自身がどの分科会に出席することになるのか、まだわからないのですが、どこに出るにしても「全体の課題」として日調連役員、全国の会長さんたちとの意見交換をしてくるようにしたいと思います。

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「親の就活」というニュースを見て

2012-09-26 06:29:00 | インポート

先日、テレビのニュースで「親たちの就活」が伝えられていました。

厳しい就職状況が続く中、「就活」は本人たちだけでなく、「親」も積極的に行っている、というものです。私は、「大学の入学式に親が出席」というだけでも驚いてしまうのですが、考えてみれば「親のコネで就職」というような話は昔からあるわけで、それに比べれば「親も就活に参戦」というのは公明正大でまだマシなのかもしれません。

親を対象にした就活セミナーの場面が紹介された映像の中で、賢そうなお母さんが質問をしていました。

「企業ではタフな人材が求められているということですが、タフな人間を育てるために家庭で心がけることは何でしょうか?」

というような内容です。私なら、「そういうことを考えること自体をやめなさい!」と答えたいところです。

親というのは有難いもので子供を無条件に保護しようとします。しかし、その「保護」の下にいる限りは、なかなか「タフ」にはなれません。そんなことは、「獅子はわが子を千尋の谷に突き落とす」というように昔から言われてきたことで、ちょっと考えれば、あたりまえにわかることなのだと思います。

しかし、「就活」という渦中に入ってしまうと、そういうことさえわからないようになってしまうのでしょうか。

同じようなことは、私たちの業界でも言えるような気がします。自分たちの置かれた客観的な状況というものを冷静に見ておかないと、傍から見ると、「自己矛盾したいくつもの要求を繰り返す無茶な人たち」に見えてしまうのかもしれません。特に、この「保護とタフ」というようなテーマは(「保護」されていたほうが楽に決まっているわけですから)、そういう矛盾がでてきやすいものなのかもしれません。


今週の予定―常任理事会(9.26)

2012-09-24 05:45:15 | 調査士会

今週の予定。

9.26(水曜) 第6回常任理事会です。

会議へ向けてレジュメを準備していたら、随分多くの課題があります。効率的に会議を進めなければとんでもないことになるな、と思っているところです。

課題が多くなるのは、問題にしなければならないことがいっぱいあるから、であるわけですが、それは、「これまでに課題を解決せずに来ていたから」ということでもあります。積年の課題が一気になくなるわけでもないのでしょうが、その道筋をつけていかないととんでもないことになります。

そのための一つの方法は、問題解決への組織的な枠組みの確立です。調査士会では、基本的にあらゆる課題を各部に分掌しています。この分掌の上で、各部が自立的に事業を進めて行くことを基本にしています。しかし、そこだけではなく、「会全体の問題として」取り上げるべき課題もどうしてもでてきます。これはこれで仕方のないこと、と言うか、そうでなければならないことなのですが、問題はその質と量です。毎回毎回新しい課題みたいに一から問題にしていたのでは時間がいくらあっても足りません。一定の共通認識をつくり、次はその上で始めて行く、ということが必要です。

すでに一年半近く過ぎてしまったところでこういうことを言っているのは、「今まで何をしてきたのか?」と言われても仕方のないことですが、残りの追い込みの時期に特に意識しておきたいと思います。

それは、そろそろ「次年度」「次期」ということをも意識しながら会務を進めていかなければならない時期になってきたからでもあります。年度が替わり、役員が替わっても、継続的な運営ができるよう、残りの時期を意識して行きたいと思います。

調査士会の執行、ということでは、私は、「今後20年以上調査士として生きていく」人たちが中心になって会を動かしていくのでなければならない、と思っています。「今」やっていることは、おそらく業界全体としては5年後、10年後に結果がでてくることなのだと思います。その「結果」の中には、「存亡」ということさえ含むのではないか、と思うので、「自分の運命は自分で決めていく」ということを今から考えていかないと、取り返しのつかない公開をすることになってしまいかねません。

そのような執行体制につないでいく、というのが今後の課題だと思うので、水曜日の会議では次年度・次期を見据えた話も始めて行ければ、と思っています。


スポーツの秋

2012-09-23 14:19:59 | インポート

昨日、「釈然としない圧勝」のことを書いたのですが、今日はまず「納得の行く圧勝」の話です。

大相撲の日馬富士が、鶴竜に圧勝して14勝目をあげ、横綱昇進を決定的にしました。小さい体ですが、激しい闘志と運動能力で、角界の最高位にまで到達したわけで、たいしたものだと思います。私自身からすると、あまり好きな力士であるわけではないのですが、実に立派なものであると感心するとともに、祝福したいという気持ちが「好き嫌い」に関わらず湧き上ってきます。本当におめでとうございます。

・・・と、他人のことはともかくとして、急に涼しくなって「スポーツの秋」気分になってきました。「筑後川マラソン」まであと2週間です。

夏の間、思うように走れませんでした。特にタイムはどんどん遅くなっていきます。この年になると、トレーニングによって「伸びる」面と、加齢によって「衰える」面とがせめぎ合っているような気がします。夏の暑さもあって、このところ「衰え」ばかりが目立っていたのですが、秋の涼しさとともに、多分ひっそりと姿を隠していた「伸び」が、これから顕在化してくるのだろう・・・・、と根拠なく思っています。こういう楽観的な考え方だから、やっていけてるんでしょうね。マラソンについても、ほかのことについても・・・。

しかし、いつまでもただ無根拠の期待だけに身を任せているわけにはいきません。2週間前の今日が、長い距離を走れる最後のチャンスなので、これから(今14:20)走りに出かけます。最低20㌔、できれば30㌔走りたいな、と思っているんですが、どうなるか?・・・