大分の土地家屋調査士ブログ

「土地家屋調査士の業務と制度」を中心に、それに広い意味で関連する様々なことについて一人の人間として思うところを書きます。

「筆界特定書の写しの交付」

2016-08-26 11:53:11 | 日記
筆界特定記録の公開に関することについて、恥ずかしながら初めて知ったことがありました。

不動産登記法の149条1項は、次のように規定しています。
「何人も、登記官に対し、手数料を納付して、筆界特定手続記録のうち筆界特定書又は政令で定める図面の全部又は一部(以下この条及び第百五十三条において「筆界特定書等」という。)の写し(筆界特定書等が電磁的記録をもって作成されているときは、当該記録された情報の内容を証明した書面)の交付を請求することができる。」

この「政令で定める図面の全部又は一部については、不動産登記令21条2項で、つぎのようになっています。
「 法第百四十九条第一項 の政令で定める図面は、筆界調査委員が作成した測量図その他の筆界特定の手続において測量又は実地調査に基づいて作成された図面(法第百四十三条第二項 の図面を除く。)とする。」

これを読んで、筆界調査委員が作成した図面については写しの交付の請求ができるのだな、とこれまで私は思っていました。これがごく普通の日本語の読み方なのだと思います。(ちなみに「法第百四十三条第二項 の図面を除く」とされているのは、いわゆる「筆界特定図面」のことなので、この除外規定は特段の意味を持つものではありません。)
そのように思っていたので、ある筆界特定事件について、「政令で定める図面」の写しの交付を請求することにしたところ、「この事件には『政令で定める図面』はない」との回答でした。

えっ?筆界特定手続の中で「筆界調査委員が作成した測量図」が存在しない、ということがあるの?と、びっくりです。

どうやら、その手続の中で筆界調査委員が作成した図面は当然あるわけです(筆界調査委員の意見書に必ず図面が付くわけですから、ないわけがありません)が、それが必ず、「政令の定めるところの『筆界調査委員が作成した測量図』」とみなすとは限らない、という形での運用がなされているようです。法務局の内部で、どのような図面を「政令で定める図面」とするかどうか、の基準みたいなものがあって、それに基づいて分類をすると、筆界調査委員が作成した図面(たとえば重ね図などの検討図)であっても「政令で定める図面」にはならないものが多くある、ということのようです。

どうもおかしい、という感じがします。もしも、「どういう図面を写しの交付をする図面とするのか」ということに関する基準があるのであれば、「政令」には、その基準をきちんと書くべきだと思います。
政令で「筆界調査委員が作成した測量図その他の筆界特定の手続において測量又は実地調査に基づいて作成された図面」と定めているのであれば、それに基づいた運用をするべきであり、法律でわざわざ「写しの交付」というものを設けているのに、現実には「写しの公布をする図面はない」などという運用をするべきではないでしょう。
なぜ「筆界調査委員が作成した測量図その他の筆界特定の手続において測量又は実地調査に基づいて作成された図面」については、「何人も写しの交付の請求ができる」ものとしての規定が設けられたのか(立法趣旨)にかえって、運用のありかたを考えるべきなのだと思います。

また、もしも、筆界特定制度ができて10年を経て、当初設けた規定や制度が現実にそぐわない部分がある、ということなのであれば、見直し・改正を図るべきなのであり、そのような検討を進めるべきなのであり、その問題を抜きにした「運用」で物事が「解決」されてしまう、というのは好ましいことではないように思えます。
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筆界特定後の地図訂正について

2016-08-19 18:19:21 | 日記
筆界特定がなされた後の地図訂正について、「やっぱり問題だ」と思うことがあったので、書くことにます。

この問題については、筆界特定制度の創設の時期から「どのように取り扱うべきなのか」という議論はなされていたものの、なんとなく中途半端なかたちでスタートしてしまったものです。全国では、たぶんいろいろな問題が起きているのではないでしょうか。10年を迎えた筆界特定制度に関する必要な見直しの一つとして、そろそろ改善へ向けて考え直していかなければならない時期なのではないか、と思います。

具体的な事案の説明を含めて書きますので、長くなりますので悪しからず。

筆界特定を受けたのは、次のような国調地籍図が14条1項地図とされていた土地です。


581番3と里道との筆界について、筆界特定申請がされました。それは、国調によって、里道(及び水路)が不当に右(東)側に押してきてしまったからです。道路の下(南)の水路は本来里道の左(西)にある水路とほぼ直線状につながっていたものなのですが、国調の際に対側地(589-1)が東に押し込んできてしまい、誤った位置で国調地籍図が作成されてしまったので、「正しい筆界を特定しそれに基づいて地図訂正を行いたい」(筆界特定申請書の「3.筆界特定を必要とする理由」)、として筆界特定申請に及んだものです。

その結果、下図のように筆界特定されました。

国調で581-3と里道との筆界とされていた線は誤りで、国調では里道と水路との境だとされていた線が581-3と里道との筆界であると特定されたわけです。
このように、地図に記載のある筆界の線が誤ったものであることが筆界特定によって明らかになったわけですから、当然地図の記載についての訂正が行われなければならないことになります。
そして、地図の誤りの原因が里道・水路の対側地である589-1が不当にせり出してきたことにあることも明らかになっているわけですから、地図訂正は、次のような形でなされるべきものと考えられます。(これでもまだ南の水路との関係ではズレがありますが、それはともかくとして・・。)

このような形での地図訂正を行いたい旨、念のため法務局と「相談」をしたところ、驚くような回答がありました。
いわく、「筆界特定だけでは地図訂正はできない」「このような形で地図訂正をするためには、市(里道・水路管理者)及び対側地(589-1)所有者の承諾書が必要」と言うのです。筆界の認定をし、それを地図で公示するのは法務局の役割ではない、と宣言するかのような回答です。
そもそも筆界特定の申請の時点で、筆界特定申請書の「3.筆界特定を必要とする理由」には「筆界を特定しそれに基づいて地図訂正を行いたい」ということが明記されています。筆界特定申請書にこの「理由」が必要的な記載事項になっているのは、筆界特定をするにあたってどのようなことに配慮しなければならないのか、ということを明らかにするためだと思います。そのような配慮が、筆界特定担当者だけでなく、「一つの法務局」としてなされるべきなのだと思うのですが、そのようになっていないのは、大変残念なことです。

「地図訂正はできない」のだとすると、筆界特定がなされて、地図上の筆界の記載が誤ったものだと判明しても、その誤った記載をそのまま放置してしまう、ということになります。それは、あまりにもおかしな話です。
そこで、「次善」とも言えないようなものですが、次のような形ならどうか、とも尋ねてみました。

最低限のこととして、これまでの誤った581-3と里道との筆界線だけは消す、というものです。
これに対しては、「こうすると里道がなくなってしまうのでダメ」ということが言われます。
そんなことは初めからわかっていることで、だからそういう不都合が生じないように、里道・水路を西側に押し戻すような形での地図訂正を行うべきだと思っているのですが(そしてそれは、法務局の筆界認定と公示の役割によってできることだし、やるべきことだと思うのですが)、それを「できない」と言うので、こういうことになってしまうわけです。

何度も同じことを言いますが、「地図訂正をしない」というのは、筆界特定によって誤りの判明したものを放置してしまうことです。これは悪いことです。
他方、本来は存在するものである里道が地図上の表示としてはなくなってしまう、というのも悪いことです。
この二つの「悪いこと」が起きないようにするためにはどうするべきなのか、ということが考えられなければならないわけです。
そういうことがきちんと考えられているのか?果たすべき役割を果たすべく考えられているのか?そのための努力がされているのか?・・・はなはだ疑問に思うところです。

この問題は、けっして個別的で偶然的なことではなく、筆界特定制度が抱える本質的で一般的な問題を示すものであると思えます。
問題は、さしあたり二つのこととしてあります。

一つは、筆界特定が、筆界特定後の登記事務を見据えて行われるようになっている、とは言えないような面もある、ということです。
たしかに「筆界特定がなされた場合における登記事務の取り扱いについて(依命通知)」(2006.1.6)では、筆界特定がなされた後の地積更正・地図訂正について、所有権者等に「申請を促す」ことや、その上で申請のない場合には「職権で登記する」ようにすべき、ということがうたわれてはいるのですが、私自身はそれが発動された、ということを聞いたことはありません。おそらく、その依命通知で示されている要件のあいまいさもあり、実際にはまったく行われていないのではないか、と思います。このことを、10年の事例の蓄積の上で反省的にとらえなおすべきだと思います。

もう一つは、筆界特定における里道・水路の取り扱い方です。里道・水路の場合、申請地(甲地)と里道・水路(乙地)との筆界だけを特定して事足れりとするのでは、十分でない、と言うべきでしょう。
里道・水路の場合は、それを所有・管理しているのは市町村になるわけですが、筆界特定の申請者と市町村との間で筆界位置に関する問題がある、というよりも、対側地所有者との間に問題のある場合の方が多いように思えます。そのため、多くの里道・水路に関する筆界特定手続においては、対側地所有者についても一定の手続への関与ができるような形をとられているわけですが、単にそのような実務上の手当てをする、ということだけにとどめるのではなく、制度的に対側地筆界についても特定できるようなものにしておかないと、まったく問題が解決されずに終わってしまうことにもなりかねません。里道・水路という特性を持つものに関する制度の作り方が十分ではないのだと思います。

このような制度的な問題に対してしっかりとした対応・提案をするのが民間の専門資格者としての責務なのだと思います。そうなると、私たちがそのような責務を果たせているのか?という問題にもなるのですが・・・。
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土地家屋調査士の業務範囲

2016-08-16 18:14:14 | 日記
「土地家屋調査士は、登記に直接かかわらない筆界調査・測量をやってもいいのか?」というようなことを問題にする人がいます(結構)。
私としては、実に当たり前のことで(やっていいに決まっている)、そもそも問題にすること自体がナンセンスな問題だと思うのですが、「十年一日」どころか「三十年一日」のように、この疑問を出す人が結構いるのですね。それなので、あえて問題にしなくてもいいのに、と思いつつ、少しそのことについて書きます。

そのように言う人自身が、「登記に直接かかわらない筆界調査・測量」を業務としてやっていないのか?というとそんなことはなく、現実には結構やっています。実際にやっているのだったら、自分自身のしていることは正しい、という「理由」を明らかにするようにして、自信をもってやるよにすればいい、と思うのですが、そうならないところに「土地家屋調査士の思考法」「土地家屋調査士の法的センス」の限界を感じます。

この疑問を出す人は、「俺自身としてはできるのだと思うよ。でも、法令に明文で書いてないじゃない。これでは新人の調査士は不安だろうし、国民への納得いくような説明もできないよ。」というようなことを言います。そうです、そういう「思考法」「法的センス」こそが問題なのです。

まず、自分自身が思うのであれば、それをきちんと突き詰めるべきです。突き詰めて、「新人の調査士」にきちんと説明するようにするべきです。隣接地の所有者等の「国民」にも説明できるようにするべきです。もしも、そのようなことが今現在できていない、というのであれば、遵法精神・コンプライアンスの観点からすれば、そのような業務を行うべきではありません。

「法令に書いてない」というのが、このような人たちがよく言うことですが、「書いてないことはしていけない」と思うのだったら、まずはしないようにするべきです。
そもそも法令というのは、ありとあらゆることが書いてあるわけではありません。少なくとも近代以降の社会における人権保障の下では、「やってはいけない」とされていること以外は「やっていい」ことになります(もちろん、一定の常識や倫理観が必要である、ということの上での話ですが)。それを、「書いてないからやっていいのか?」という疑問をいつまでも持っている、というのは、してはいけないことをして叱られた小学生が「そんなことは法律に書いてあるんですか?」と「反論」するのと同じレベルの「思考法」「法的センス」です。

このような発想の現実的な根拠として二つのことがあるように思えます。ひとつは、「法律関係専門職」として自らを高めていく姿勢の欠如です。自分たちはこのような法的根拠を以て業務を行いそれによって社会的な貢献をしている、ということを明らかにすること、それを「新人の調査士」を含むすべての調査士に明らかにすること、そのようにして高めていくことへの追求が弱い、というところの問題です。
もうひとつは、「おかみへの依存」です。「法令に書いてある」という形にしか「権威」を感じられない、という依存の姿勢、自らの専門性にもとづく判断ではなく「指示待ち」が体質になってしまっているところの問題です。

このようなものを克服せず、このようなものに組織が引きずられて行ってしまうなら(そして現状は残念ながらそうなのですが)、「未来」はない、と言うべきことになってしまいます。(なぜ、いまこんなこと言うの?という話ですみませんでしたが・・・。)
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「筆界特定を行った事案についての裁判例の動向」(「月刊登記情報」2016.8)

2016-08-04 05:37:32 | 日記
「月刊登記情報」の今月号に「筆界特定を行った事案についての裁判例の動向」という解説記事があります。
筆界特定のなされた事案について、その後に裁判で筆界特定とは異なる線をもって境界が確定された事案がいくつかある、ということは知ってはいたのですが、それが具体的にどのようなものなのかを知ることができなかったので、この報告をとても興味深く読みました。

報告では7つの事案が紹介されています。私の感想としては、その大体において「筆界特定とは異なる裁判所の判断」が正しいように感じました(7つのうち2つについては事案をよくつかみきれない感じですが、他の5つについてはそのように感じました)。

特徴的だと思った点、2点について書きます。

一つは、占有状況に関する考え方です。筆界特定においては、「筆界は当該一筆の土地が登記された時のものなのだから、所有権の範囲や占有状況にとらわれるべきではない」というような考え方をする傾向があるように思えるのですが、それは違うのだと思っています。不登法143条1項で列記されている「筆界の特定要素」についても、単に羅列的にとらえるのではなく、「書面資料」と「現地の状況」の二つに大別してとらえ、その上で「総合的判断」をするべきなのであり、占有状況はその中でとらえるべきものなのだと思っています。この点について、第2事例の判決は次のように言っています。
「そもそも、筆界は、自然の状態では連続している土地を、私権の対象とするために人為的に区画することから発生するものであり、通常は、各区画が創設された際に現地で決定された筆界を前提に各土地に対する実効支配が行われ、当該筆界が各土地の所有者の共通認識によって維持されていくものである。したがって、一定の線を境に平穏に各土地が実効支配されているのであれば、特段の事情のない限り、当該占有境が所有権界であり、筆界であると推認することができるというべきである。」
その通りなのだと思います。もっとも、そのような「平穏な実効支配」がないからこそ紛争になるわけですから、具体的な筆界特定事案においてこれをそのまま適用して判断の基礎とするのは難しいかもしれません。しかし、一般の登記案件の場合において、実務上おこなってきていることは、このような「現実」に基礎を持っている、ということをあらためて考え直す必要があるでしょうし、今日、このような「現実」が失われて行こうとする中で「筆界」の持つ意義や土地家屋調査士の果たすべき役割を考えるべきなのだと思います。

もう一つは、私自身かねてから各地の筆界特定を読む中で感じていたことですが、対象筆界の周辺で行われた「官民境界確認」の「前歴」を無批判に所与の前提にしてしまい、そこに測量図などを重ねて対象筆界の位置を特定してしまうことへの批判です。この事案(これも第二事案です)では、「昭和19年」に画定されたであろう筆界の位置を特定するために、近傍の「昭和62年」の官民境界確認を基礎としている、という時系列的な問題も指摘されているのですが、そうでない場合でも批判的な検討が必要です。それなしに、いわば機械的に当てはめてしまう安易な方向に流れる傾向があるように思えるので、ここも考え直すべきなのだと思います。

その他、もう少し丁寧に読み込むと様々な問題があるのだと思いますので、是非読んで、勉強会などで多面的に検討したいものだと思います。
通常の登記事件における筆界確認も、筆界特定も、筆界確定訴訟も同じ判断基準で、同じような判断材料をもって判断されるべき、ということが基本なのだと思います。そのような観点から、今後もこのような検討を続けていくことが必要であり、勉強になりました。
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読んだ本―「世界史の大転換―常識が通じない時代の読み方」(佐藤優 宮家邦彦:PHP新書)

2016-07-26 17:28:38 | 日記
初めに「余談」。「ポケモンGO」について、わからない・・・。
こんなことが世間の大関心事になる、というのは、「平和」だなぁ、と思います。でも、世界は、本書が示しているようにけっして平和ではなく、むしろ「動乱」「戦争」に近づいているようです。その「危機」と表面的な「平和」のコントラストって何なんだ?と思ってしまいます。「テロの脅威」が喧伝され、インタビューを受ければ「テロが怖いです」と言う人々が、「ポケモンがいる」と言われる所に殺到していく、っていうのは何なんだろう?この程度のもので、いともたやすく大衆が動員されて、一定の方向に向かって進まされる、と言う姿は、やっぱり「平和」ととらえるべきものなのではなく、恐ろしい事なのかと思えます。

さて本題。
まずは、本書は、世界の各地で動いている「現実」を知ることができるもので、勉強になりました。
「1.ポスト冷戦の終わり、甦るナショナリズム」「2.ISを排除しても中東情勢は安定しない」「3.中央アジアは「第4次グレートゲーム」の主戦場」「4.「国境のない欧州」という理想はテロで崩れるか」「5.トランプ減少に襲われたアメリカの光と闇」「6.中国こそが「戦後レジームの挑戦者」だ」「7.「ダークサイド」に墜ちるなかれ、日本」・・・・の各章からなる本書は、最近の世界情勢について、全く知らなかったことを教えてくれるもので、勉強になります。
これらは、とにかく「事実」をめぐることなので、著者たちのような「専門家」から教えてもらえるのはありがたいことです。

ただし、「事実」と言っても、なまの事実のすべてが伝えられるわけではなく、それを伝える人の認識と言うフィルターを通ったものである、というのは当然のことです。そういうところから、時には眉に唾をつけて聞かなければならないこともありますし、その「認識」の上での行動指針的なことにいたっては、さらにそのまま真に受けるわけにはいかないことになります。

著者らの世界情勢への認識は一言で言うと、”世界は危機に直面している”ということになるのだと思います。世界のあらゆるところで自分の利益のことしか考えない悪い奴らが角突き合わせていて、その矛盾はすごい速度で亢進して行っている、ということが、さまざまな「事実」として伝えられます。なるほど日本の「平和」な窓から見ているだけでは、世界は理解できないのか、と思わされるようなことばかりです。こういうことを「知る」というのは、まずは大事なことなのでしょう。

しかし、そのように「世界」を見ている著者たちの、「日本」に関する分析や方針を聞かされると、それまで「なるほど」と思わされたことを含めて「本当かな?」という気分になります。たとえば
「社会の分断を阻止する発想からすれば、奨学金をもらえる人に対するもらえない人の反発が強まる給付奨学金制度はデメリットが大きい。しかも貧困層に限って給付するとなれば、富裕層が反発し、貧困のレッテルを貼られた受給者が差別されかねない。消費金額の多い富裕層なども恩恵にあずかる軽減税率の方が、全階層の反発が少ないと私は思います。」(佐藤優)
などと言うわけですが、すでに「社会の分断」すなわち富裕層はますます富み、貧困層はますます窮迫していくことが現実に大きな問題だと認識され、それへの対策が根本的に求められている、という今日に、こんなのどかな処方箋しか書かない、というのは、それ自身として国民を欺くもののように思えてしまいます。

・・・ということで、あまり納得のいかない部分もおおくあるものですが、ひとつの知識として考えれば、それを得ることは有意義なことでしょう。
たとえば、、次のような指摘は私たちの業務とのかかわりで捉えることのできるものです。
「国境を線で規定すること自体、近代欧州で生まれたここ百五十年程度の思想です。事実、日ロ通好条約(1855年)では千島列島の択捉島と得撫島のあいだ、つまり会場に国境線がひかれる一方、陸地の樺太ではこれまでどおり、両国民が自由に行き来可能な雑居地として、明確な国境線は定められなかった。緩衝地帯(バッファー)として機能する『面』の国境です。」(佐藤優)
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