大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

先週~今週の会務

2012-04-26 06:15:44 | 調査士会

先週は、「支部総会シーズン」スタート、ということで、19日杵築支部、20日豊肥支部の総会に伺わせていただきました。

大分会では、これまで会の執行部として各支部の総会に出席する、ということがなかったのですが、今年の総会で明確にしようとしている「支部は調査士会の一機関」という原則からすれば、本会執行部の出席と、そこで本会の動向を説明したり、直接各支部の会員の方々の意見を伺ったりすることが望ましいのだと思います。今年は、「支部改革」の話もあって、私ができるだけ多くの支部に伺うようにしています。

杵築、豊肥の二つの支部に伺いましたが、ある程度大きな大分支部と違って、「地域密着型」の支部には、そのようなものとしての役割もあるのだ、ということを直接肌で感じることができました。これまでの「支部」の果たしてきた積極的な役割を生かしつつ、必要な改革を行っていくようにしたいと思います。

この後は、27日に大分支部(これは支部所属会員としての出席)、別府支部、5月9日に鶴崎支部、10日に日田支部に伺わせていただきます。

杵築、豊肥では、総会後の懇親会にも出席させていただいたのですが、あまり普段は話をする機会のない支部の会員の方との話の楽しさに、ついつい調子に乗って飲みすぎてしまい、体重もだいぶ増加したような気がしています。今後は自制しつつ、と今は思っているのですが・・・。

22-23日は、先に報告したように、九州ブロックの会長会議でした。今年度の事業をしっかりと進める中で、さらに次に進めるようにしなければ、と思っています。


九州ブロック協議会会長会議

2012-04-23 17:59:47 | インポート
昨日、今日、九州ブロック協議会の会長会議で沖縄にきています。私は、何故かこれまで沖縄にくる機会がなく、はじめての沖縄なので、会議終了後もう一泊することにしました。もっとも、昨日の飲み過ぎで、もうこれ以上なにかを観たり、というのは無理な感じなのですが、沖縄料理を少し食べて、後はゆっくり休みたいと思っています。

会長会議では、7月28ー29日の総会へ向けて、事業計画の協議を中心に諸議題の検討を行いました。

総会と同時に行われる「担当者会同」は、「総務」「業務」「研修」「社会事業(ADR)」の4部門で行うことになりました。会場は、ANAクラウンプラザホテル長崎グラバーヒル、だそうです。

8月18-19日の「ADR研修会」は、「認定調査士研修」をも兼ねるような形で行う計画としました。

私の担当の「境界鑑定講座」は、11月16ー17日(金、土)に行うこととなりました。詳細の内容は、これから詰めますが、大阪会の西田寛先生に来ていただくことにしています。是非、皆様参加してください。

会議終了後、沖縄会宮城会長らのご厚意により、普天間飛行場の「見学」などをさせていただきました。住宅地に近接した実に広大な土地に米軍基地がどかっと存在する風景は、一種異様な迫力を持つもので、近くにあった沖縄戦の戦跡とともに、沖縄にさまざまな犠牲が集中してきてしまっている現実を、肌で感じることができました。このようなことに対することを含めて、考えていかなければならない、と思わされています。


最近読んだ本・・「原発社会からの離脱―自然エネルギーと共同体自治に向けて」(宮台真司×飯田哲也、講談

2012-04-22 06:23:31 | インポート

表紙に「緊急出版」とありますが、発行年月日を見たら「2011年6月20日」でした。3月11日の震災・原発事故の直後に、まさに「緊急出版」だったものです。

すでに1年ほど前の本、ということになるのですが、内容は全然古くありません。むしろ、1年を経て、「たしかにそのとおりになってるな」と納得させられるところが多くあります。このような内容のものを「3.11」の衝撃を受けた直後にあらわせるというのは、やはりそれまでの蓄積があるからであり、「有事」の際に実力が試される、ということなのだと感じました。

本書の内容は、大きく二つの方向でとらえられます。一つは、「原発問題」そのもの、あるいは「エネルギー問題」に関わることです。そしてもう一つは、そこにあらわれた「政治」の質、官僚機構の問題点と今後求めるべき「共同体自治」の方向性です。

「原発問題」については、ここではおくとして、ひとつだけ、「全国民が読んだ方がいいもの」として紹介されていた、福島県のエネルギー政策検討委員会が2002年にだした「中間とりまとめ」(http://wwwcms.pref.fukushima.jp/download/1/energy_021200torimatome_book.pdf

を紹介しておきます。10年前に、福島第一原発の立地県において、このような検討がなされていた、ということを、全く知りませんでした。そのような中で、原発事故にまで至ってしまった、ということを反省的に考え直さなければならないでしょう。

後者の問題

わたしたちにとっての「3.11」を受けての課題は、原発の事故の問題を含めて、3.11の被害のうち「人災」としての部分を徹底的に見つめて、これを克服していく、ということにあるのだと私は思っています。それは、直接的に表れて出た問題だけでなく、それを必然としてしまったシステムの問題としても考え、直していかなければならないものだと思います。

まず、次のような問題があります。

「使命感を持って、『これは自分のミッションだ』と腹に落として実行する。そういうレスポンシビリティ(責任感)が欠けていて、与えられた仕事しか持っていない」 「一人一人の個人が自分の仕事に対して『活きた責任感を持っていない』」

今の日本というのは、全国民的に見れば、きわめて高い教育水準にある社会であると言えるのだと思います。本来、一人一人の人間が、責任を持って判断をする、ということがなされてしかるべきなのにそれがなされていない(責任から逃げることばかりが考えられている)、ということが問題だ、というのは、私が常日頃から感じていることでもあります。

と言って、「一人一人が責任感を持て!」とだけ言ってみてもしかたありません。社会的なシステムとしての問題を考えなければならないわけです。そこで、「行政官僚制」の問題が指摘されています。

「行政官僚制には『無謬原則』がある。官僚機構のなかでは、人事と予算の力学が働くので、『それは間違っていた』とはだれも言い出せない」  

「日本の場合の行政官僚制は、いわゆるマックス・ウェーバーの言うような行政官僚制の弊害とはちょっと違った要素、つまり〈悪い共同体〉としての要素があるのです。だから、行政官僚制の弊害が、私企業においても、アカデミズムにおいてでさえも支配してしまいます。その支配の仕方は、原子力ムラを含めて、内容無関連な手続合理性の追求と言うよりも、『空気に抗えない』という『ムラ的共同体原理』であり、行政官僚たちが自らの利害を守ろうとして合理的な行動をとっているというよりも、『自明性を揺るがしてはならない』『一人だけ違ったことを言ってはならない』などと・・・まったくわからない非常に奇妙な規制の原理が働く。」  

「日本〈悪い共同体〉においては、議論のための二項対立ではなく、所属や陣営を問うわけです。・・・合理性や妥当性についての議論を深めるのではなく、『オレの所属するグループ』と敵グループとの戦いになる。」

このような「行政官僚制」の支配の問題として「官僚支配」がなされていて、「政治主導」が実現しない、ということになります。それは、形式的な問題ではなく「政策知の底が浅い」という内容の問題として深刻なのだ、とされます。

そのような「政治の質」が問われる問題として、「原発問題」を含む「エネルギー問題」があり、それと密接な関連を持つ「環境問題」がある、という構造で問題を見ることが必要、とのことです。

それは、原子力政策についてであれば、「国の原子力委員会が決定した『国策』、つまり『原子力長期計画』の内容を、一時たりとも逸脱してはいけない。そこに『再処理』と書いてあったら、それ以外の政策をにおわせる言葉は一切書けない。」という縛りの中で具体的な方針やルールづくりがなされていくので、現実に即した転換ができなくなった現実の姿として示されます。

それに対して「エネルギーの共同体自治」ということが提唱されています。それは、「大多数の国民が原発に関して『もっとちゃんとやれ』と言っているので、電力会社が『もっとうまくやります』と約束する。これで手打ちになってしまう」という姿ではなく、「社会的な市場技術」を使った「市場メカニズム」により、社会的な仕組みとして問題の解決を図る方向です。電力会社の独占の下で、その供給を受動的に受ける存在としてあり続けるのではなく、「自分でコントロールしなければ幸せの度合いが上がらない」という意識を持って社会的に関与する仕組みをつくり、そのなかで解決の方向を見出して行こう、というものです。

原発問題、エネルギー問題に関するものとして興味深く読んだとともに、私たちの業務分野に関する問題についても考えるヒントをもらったような感を受けました。

・・・今日明日、沖縄で九州ブロックの会長会議で、これから出発します。強い風雨の中、飛行機飛ぶんだろうか・・・・。


「土地家屋調査士」4月号

2012-04-20 16:46:15 | 調査士会
日調連の会報「土地家屋調査士」の4月号が届きました。

今月号での注目は、小中学生全国自由研究コンクールの生活科部門で最高賞をとった本吉凛菜ちゃんの「地面のボタンのナゾーいちばんえらいボタンをさがせ」です(報告をしている富山県土地家屋調査士会の広報担当理事さんが「高倉健」さんだっていうのもすごい)。

小学2年の女の子が、地面にいっぱいある「ボタン」は何なんだろう?という疑問を持って、調べて「自由研究」としてまとめたものです。とっても立派なもので、全国の最高賞になるのも納得、というものです。小さな疑問から出発して、それを解決しては次のステップに進む、ということをきっちりと、とても可愛らしく表現できているのは、本当にすごい! おじいちゃんとしても、とっても勉強になりました。

凛菜ちゃんが、「ボタン」のことを調べ進むことができたのは、凛菜ちゃんの見た金属プレートに、「富山県土地家屋調査士会」と書いてあったことから、「調査士会」に行けばもっとわかるかもしれない、と思ったからだそうです。すばらしい行動力、探究心ですね。それにしっかりと対応した富山の調査士さんたちもえらい! これを見て思いましたが、私たちが仕事で地面にたくさん残して行く「ボタン」こそ、最高の広報ツールなんじゃないでしょうか。やみくもに調査士の「知名度」をあげようとするより、それこそ「地に足のついた」広報というものを考えるのがいいのではないか、と思わされました。

なお、凛菜ちゃんの作品が写真で紹介されていますが、白黒で小さいのが残念です。私の手元にもう少し大きい(1ページに2枚ずつ)カラーのもののpdf がありますので、ご希望の方はメールでお申し付けください。


その他の記事では、「クレイマーへの対応法」も面白く読みました。直接的に役に立ちそうです。


「東京都が尖閣諸島を購入」という話を聞いて

2012-04-19 06:24:00 | インポート

東京都の石原知事が、「東京都が尖閣諸島を購入する」という方針を打ち出しました。

このこと自体は、東京都という地方自治体として領土問題に関わる、ということが筋の通らない出来の悪いパフォーマンスに過ぎないように思えるので、問題にするべきものだとも思えませんが、「尖閣問題」をあらためてクローズアップする、という意味はあったようです。

私は以前このブログで、「境界問題の専門家」として調査士は「国と国との境界問題」である「領土問題」に関心を持ち、なんらかの方針を提起できるようになりたいものだ、という趣旨のことを書きました。

こう言うと、「領土問題」に関する日本としての主張を押し通す方向の先頭に立つべき、という意見のように受け取られる向きもあるようなのですが、私の趣旨としてはそういうことではありません。

「境界問題の解決」について、「筆界」を基礎としながら、必ずしもそれにとらわれない解決をも問題にする、というのが、境界ADRをはじめとするこの間の調査士の世界における志向性であった、と私は思っています。これまでの法的枠組みを踏まえつつ、新しい枠組みをも視野に入れて解決の方向性を探っていく、という姿勢が必要なのだと思います。

そのような「私人間における解決」の方向が、「国家間の問題」についても、何らかの意味を持つ、ということを考えるべきなのだと思います。逆に言えば、仕事で「境界問題」に関わる、という「身の回りの問題」のところから、「国家の問題」や「政治」を考える、ということが必要なのではないか、ということでもあります。そのような思考回路がないと、「個別利害」にとらわれた今のどうしようもない「政治」が続いて行ってしまうことになる、という危機感をもって、考える必要がある・・・・ということです。