表紙に「緊急出版」とありますが、発行年月日を見たら「2011年6月20日」でした。3月11日の震災・原発事故の直後に、まさに「緊急出版」だったものです。
すでに1年ほど前の本、ということになるのですが、内容は全然古くありません。むしろ、1年を経て、「たしかにそのとおりになってるな」と納得させられるところが多くあります。このような内容のものを「3.11」の衝撃を受けた直後にあらわせるというのは、やはりそれまでの蓄積があるからであり、「有事」の際に実力が試される、ということなのだと感じました。
本書の内容は、大きく二つの方向でとらえられます。一つは、「原発問題」そのもの、あるいは「エネルギー問題」に関わることです。そしてもう一つは、そこにあらわれた「政治」の質、官僚機構の問題点と今後求めるべき「共同体自治」の方向性です。
「原発問題」については、ここではおくとして、ひとつだけ、「全国民が読んだ方がいいもの」として紹介されていた、福島県のエネルギー政策検討委員会が2002年にだした「中間とりまとめ」(http://wwwcms.pref.fukushima.jp/download/1/energy_021200torimatome_book.pdf)
を紹介しておきます。10年前に、福島第一原発の立地県において、このような検討がなされていた、ということを、全く知りませんでした。そのような中で、原発事故にまで至ってしまった、ということを反省的に考え直さなければならないでしょう。
後者の問題
わたしたちにとっての「3.11」を受けての課題は、原発の事故の問題を含めて、3.11の被害のうち「人災」としての部分を徹底的に見つめて、これを克服していく、ということにあるのだと私は思っています。それは、直接的に表れて出た問題だけでなく、それを必然としてしまったシステムの問題としても考え、直していかなければならないものだと思います。
まず、次のような問題があります。
「使命感を持って、『これは自分のミッションだ』と腹に落として実行する。そういうレスポンシビリティ(責任感)が欠けていて、与えられた仕事しか持っていない」 「一人一人の個人が自分の仕事に対して『活きた責任感を持っていない』」
今の日本というのは、全国民的に見れば、きわめて高い教育水準にある社会であると言えるのだと思います。本来、一人一人の人間が、責任を持って判断をする、ということがなされてしかるべきなのにそれがなされていない(責任から逃げることばかりが考えられている)、ということが問題だ、というのは、私が常日頃から感じていることでもあります。
と言って、「一人一人が責任感を持て!」とだけ言ってみてもしかたありません。社会的なシステムとしての問題を考えなければならないわけです。そこで、「行政官僚制」の問題が指摘されています。
「行政官僚制には『無謬原則』がある。官僚機構のなかでは、人事と予算の力学が働くので、『それは間違っていた』とはだれも言い出せない」
「日本の場合の行政官僚制は、いわゆるマックス・ウェーバーの言うような行政官僚制の弊害とはちょっと違った要素、つまり〈悪い共同体〉としての要素があるのです。だから、行政官僚制の弊害が、私企業においても、アカデミズムにおいてでさえも支配してしまいます。その支配の仕方は、原子力ムラを含めて、内容無関連な手続合理性の追求と言うよりも、『空気に抗えない』という『ムラ的共同体原理』であり、行政官僚たちが自らの利害を守ろうとして合理的な行動をとっているというよりも、『自明性を揺るがしてはならない』『一人だけ違ったことを言ってはならない』などと・・・まったくわからない非常に奇妙な規制の原理が働く。」
「日本〈悪い共同体〉においては、議論のための二項対立ではなく、所属や陣営を問うわけです。・・・合理性や妥当性についての議論を深めるのではなく、『オレの所属するグループ』と敵グループとの戦いになる。」
このような「行政官僚制」の支配の問題として「官僚支配」がなされていて、「政治主導」が実現しない、ということになります。それは、形式的な問題ではなく「政策知の底が浅い」という内容の問題として深刻なのだ、とされます。
そのような「政治の質」が問われる問題として、「原発問題」を含む「エネルギー問題」があり、それと密接な関連を持つ「環境問題」がある、という構造で問題を見ることが必要、とのことです。
それは、原子力政策についてであれば、「国の原子力委員会が決定した『国策』、つまり『原子力長期計画』の内容を、一時たりとも逸脱してはいけない。そこに『再処理』と書いてあったら、それ以外の政策をにおわせる言葉は一切書けない。」という縛りの中で具体的な方針やルールづくりがなされていくので、現実に即した転換ができなくなった現実の姿として示されます。
それに対して「エネルギーの共同体自治」ということが提唱されています。それは、「大多数の国民が原発に関して『もっとちゃんとやれ』と言っているので、電力会社が『もっとうまくやります』と約束する。これで手打ちになってしまう」という姿ではなく、「社会的な市場技術」を使った「市場メカニズム」により、社会的な仕組みとして問題の解決を図る方向です。電力会社の独占の下で、その供給を受動的に受ける存在としてあり続けるのではなく、「自分でコントロールしなければ幸せの度合いが上がらない」という意識を持って社会的に関与する仕組みをつくり、そのなかで解決の方向を見出して行こう、というものです。
原発問題、エネルギー問題に関するものとして興味深く読んだとともに、私たちの業務分野に関する問題についても考えるヒントをもらったような感を受けました。
・・・今日明日、沖縄で九州ブロックの会長会議で、これから出発します。強い風雨の中、飛行機飛ぶんだろうか・・・・。