昨年、いわゆる「士業」関係の法改正がいくつかありました。
行政書士における「行政不服審査法代理権」、社会保険労務士における「ADR単独受任限度額引き上げ、労働裁判出廷陳述権、一人法人」などです。
今あげたものを含めて、果たしてその必要性や必然性をどのように理解すべきか、という点においては、私にもよく理解できないところがあります。
そもそも「法改正」というのは、既成の法律(による規定)では十分に対応しきれない社会的事実がある(これを「立法事実」と言います)場合になされるべきものです。他の士業において、この社会的事実がどのようなものとしてあったのか?・・・事情をよく知らない者としては、わからないところもあるのですが、考えてみました。
一つ確かなこととして言えるのは、これらの法改正事項というのが、「規制改革」の脈絡で論議され、一定の方向を示された内容に沿うものである、ということです。
最近の規制改革関係のテーマとしては「多様な働き方」「農協」といったテーマが中心のようで、「士業」(資格制度)関係のものは取り上げられていないように思えるのですが、だいぶ昔(2009.3.31)になされた「規制改革推進のための3か年計画(再改定)」という閣議決定を見ると、検討すべき事項として「一人法人制度の創設」「社会保険労務士への簡裁代理権付与」「行政書士への行政不服審査の代理権の付与」などといった項目が挙げられています。
これらの問題についてのその後を見ると、あげられた課題そのものについては「継続して検討」といった形ではっきりした方向が示されているわけではないのですが、実際問題としてはこの間の法改正でそれぞれの個別の問題において原形のままではなく少しずつ変更を加えながらテーマとしてあげられていたものが実現している、ということを見ることができます。
このことからすると、全体としての「規制改革」の方向性そのものが「立法事実」としての役割をはたしているのであり、後は個別の領域におけるそれなりの現実感覚があればいい、ということになるのではないか、という感じを受けます。これは、逆に言うと、その方向に添わないと「立法事実」を確認することは容易ではない、ということでもあります。
このような「客観情勢」が考えておかなければならないこととしてあります。それなしに「こうした方が自分たちに都合がいい」というような「主観的事情」からの考える、ということでは、なかなかうまく進まないのでしょう。反対に、「規制改革」が一つの「錦の御旗」になっていながら、必ずしも全般的に一気に進んでいるわけでは決してない、という現実をも見据えておく必要もありますが。
行政書士における「行政不服審査法代理権」、社会保険労務士における「ADR単独受任限度額引き上げ、労働裁判出廷陳述権、一人法人」などです。
今あげたものを含めて、果たしてその必要性や必然性をどのように理解すべきか、という点においては、私にもよく理解できないところがあります。
そもそも「法改正」というのは、既成の法律(による規定)では十分に対応しきれない社会的事実がある(これを「立法事実」と言います)場合になされるべきものです。他の士業において、この社会的事実がどのようなものとしてあったのか?・・・事情をよく知らない者としては、わからないところもあるのですが、考えてみました。
一つ確かなこととして言えるのは、これらの法改正事項というのが、「規制改革」の脈絡で論議され、一定の方向を示された内容に沿うものである、ということです。
最近の規制改革関係のテーマとしては「多様な働き方」「農協」といったテーマが中心のようで、「士業」(資格制度)関係のものは取り上げられていないように思えるのですが、だいぶ昔(2009.3.31)になされた「規制改革推進のための3か年計画(再改定)」という閣議決定を見ると、検討すべき事項として「一人法人制度の創設」「社会保険労務士への簡裁代理権付与」「行政書士への行政不服審査の代理権の付与」などといった項目が挙げられています。
これらの問題についてのその後を見ると、あげられた課題そのものについては「継続して検討」といった形ではっきりした方向が示されているわけではないのですが、実際問題としてはこの間の法改正でそれぞれの個別の問題において原形のままではなく少しずつ変更を加えながらテーマとしてあげられていたものが実現している、ということを見ることができます。
このことからすると、全体としての「規制改革」の方向性そのものが「立法事実」としての役割をはたしているのであり、後は個別の領域におけるそれなりの現実感覚があればいい、ということになるのではないか、という感じを受けます。これは、逆に言うと、その方向に添わないと「立法事実」を確認することは容易ではない、ということでもあります。
このような「客観情勢」が考えておかなければならないこととしてあります。それなしに「こうした方が自分たちに都合がいい」というような「主観的事情」からの考える、ということでは、なかなかうまく進まないのでしょう。反対に、「規制改革」が一つの「錦の御旗」になっていながら、必ずしも全般的に一気に進んでいるわけでは決してない、という現実をも見据えておく必要もありますが。