しつこいようですが・・・・、日調連会報「土地家屋調査士」誌9月号について、続いて書きます。
昨日少し書いた「民事月報」5月号との違いの部分です。「土地家屋調査士の役割」について言われている部分です。(アンダーライン部分が「民事月報」5月号との相違部分。( )内は「民事月報」5月号。)
(登記官が)「すべての表示に関する登記の申請等について完璧な調査及び測量を行うことは不可能です(である)。そこで、表示に関する登記の申請等を代理する専門家としての土地家屋調査士等(5月号では「等」はなし)が関わることによって、表示に関する登記の円滑な実施を実現させているわけです(している)。」
おそらくは、「である」調を「ですます」調に変えたことによって、表現が少し変わった、ということにすぎないのでしょうが、「している」をですます調にするのなら「しているわけです」となるはずのところを「させているわけです」という表現にしている、というところからは、「上から目線」的な感じを受けてしまいます。
土地家屋調査士の役割に関するこのような考え方は、土地家屋調査士という資格を「官業補助」の資格としてとらえる、というとらえ方で、確かにわが国の資格制度においては、このような考え方が根強くあります。それは、実際に、資格制度がつくられた社会背景・歴史的経緯にも根拠を持つものなのでしょう。
司法制度改革にあたって、「隣接法律専門職」の活用がうたわれたことに対する日弁連の「消極」の理由として「行政事務の補完」の役割を担ってきた他資格業に、国民の権利保護を担う司法への参画は適当でない、というようなことがあげられていました。
この日弁連の考え方を裏返して考えてみると、司法制度改革が進み、調査士についてもADR代理等の法改正が行われた今日における調査士の役割は「官業補助」「行政事務の補完」ということにのみ限られるものではなく、直接国民の権利保護を課題とするものとしてとらえられなければならない、ということになります。
それは、調査士法1条が、「①不動産の表示に関する登記手続の円滑な実施に資し、②もって国民の権利の明確化に寄与する」(番号は宮嶋)事を目的とする、と規定していることについて、これまでの①の部分に主眼をおいてとらえるとらえ方から、②を目的として明確に意識して行かなければならない、ということであると私は思っています。別の言い方で言えば、②こそが「目的」なのであり、①はそのための「小目的」としてとらえるべき、というようにも言えると思います。
調査士の役割をそのようにとらえると、調査士は「官」を補完する、というスタンスではなく、「官」と共に同じ目的へ向かって進んでいく、という姿勢を取る必要がある、と考えるべきでしょう。「新しい公共」「民による公益」ということを自分自身の課題としてとらえるべきなのであり、そのようなものとして「官と民の関係」を考えなければならないのだと思います。
・・・あと「筆界認定」の問題についても書きたかったのですが、これはまた後日、にします。