なぜ言葉では伝わらないのか。
それは、Aさんが使う言葉とその人が使う言葉の中身が違ってしまっているからです。
生きてきた背景が、その人の言葉の定義を作ります。
また、普段言葉を何気なく無造作に使う中で、言葉の定義を失わせたまま進んでしまうことは珍しくありません。
ここまで話すとAさんは深く納得しました。
言葉の意味を取り違えられるのが日常茶飯であることが身にしみているからです。
言葉の本来の定義を正確に捉えていくことが望ましいのですが、今は他人にそれを説得している場合ではありません。
それに対し、「仮想」の中で伝えられてきたイメージがわたしにはよく理解できたのでした。
より具体的に、映像的に、動画的に、意味を失わせないままにそれを相手に転送するのです。
情報量がより多く伝わることになります。
この転送を万事において行えるように訓練するのは、Aさんにとって非常にいい訓練になります。
『Aさんの世界をこれから作れる。
これから先がAさんにとっての、見えない世界、精神面での探検になる。
過去のやり方をある意味忘れ、新しい方向に入っていかないと。』
『主観的でなく、自分を置き去りにして見る見方ができるようになる。
自分じゃないものの見方。』
違う視点が自分に入ってきます。
高次元からのメッセージと言ってもいいかもしれません。
Aさんは、
「今の自分の器の中では限界と思う。
いっぱいいっぱいです。
次に進まないと、という気はしています。」
と語りました。
わたしも自分の体験を話します。
「一人の人間が一人の病気の人間に対し、できることは限られています。
わたしの力で人の病気や精神的なものを治してあげるなんてことは無理。
自分でないものに委ねないと。」
話しながら自分でも整理がつきました。
それが、
『自分を置き去りにして、自分ではないものの見方をする』
という意味なのです。
それをAさんは持ちえます。
やはりわたしがしていることに近くなりそうです。
一言付け加えておくと、これは「自分のものではないものの見方」を転送するからこそ有効なのです。
自らの一方的な価値観を見えない世界を通じて離れた相手に植え付けようとすることは、その人自身も影響を受け、危険なことになります。
自分の「限定された力」を使って相手を癒そうとするのが危険なのと同じことです。