友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

暖かく大きな手だった

2019年03月25日 18時18分32秒 | Weblog

 見舞いに行って来た。いい男の顔が赤くむくんでいた。幾本もの管が身体と結ばれていて、4つの計器がいくつかの数字を表示していた。何かがうまくいかなくなると、すぐにアラームが鳴り、看護師がやって来て機械を操作し、身体の向きを変えたりしていく。彼はただスースーと息を吐いていたが、それは肺に送り込まれた空気が口から抜ける音のようだ。

 彼のカミさんが彼の手を握っていた。「少しでも長くこうしていたいけど、彼はそれを望んでいるでしょうか」と聞く。私たちは延命治療には反対だが、「彼もまた、あなたと一緒にいられることに幸せを感じているでしょう」と答える。「この人はとても優しい人で、私のことを真っ先に考えてくれる人でした」とカミさんは言いかけて、「それでは過去になってしまいますね」と涙ぐんだ。カミさんに言われて私も彼の手を握ったが、暖かく大きな手だった。

 まだ、意識があった時、「彼は『お前には本当に苦労をかけるね』と言ってくれたんです」とまた涙ぐむ。「最後になって、カミさんに懺悔できて、彼は幸せですよ」と言うと、カミさんは「彼は、自分の弱さもさらけ出して、私にだけはなんでも話してくれたんです」と言う。それを聞いて友だちは、「ウチのカミさんなんかに助けを求めたら、『何言ってるのよ。自業自得でしょう』と突き返されちゃうよ」と言って笑った。

 「肺に送っている空気の管を外すことは出来ないと医者に言われました。まだ治療の余地がある限りは、外せば犯罪になってしまうそうです」とカミさんは、ただ眠っている彼を見つめて言う。この状態がまだ何日続くか分からない。見舞客の私たちは30分も居れば、帰ってしまうが、カミさんは決して良くなることのない彼を見守り、じっと傍にいなくてはならない。今は彼女もそれを望んでいるが、願わくば早く旅立ってやれ、そう思わずにいられなかった。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする