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中国新聞社への投稿記事「今も耳に残る特攻隊の叫び」に関する30年後の考察について(令和4年05月19日)

2022年05月19日 08時08分26秒 | 96無線コラム

中国新聞社への投稿記事「今も耳に残る特攻隊の叫び」に関する30年後の考察について(令和4年05月19日)

平成3年(1991年)12月15日の中国新聞社の読者投稿欄に投稿された「今も耳に残る特攻隊の叫び」を掲載する。

中国新聞社に投稿された栗林登氏は、投稿当時68歳とのことなので、昭和19年当時であれば21歳で応召されたことになります。
ご存命されているのであれば、99歳となられると思いますが、日本は超高齢化社会なのでお元気で居られることをお祈り申し上げます。
今回は、本投稿記事を基に、あくまで軍用無線に関する事項を主眼として敗戦末期の陸軍小月飛行場に関連する当時の状況を出来る限り明らかにしたいと思います。

投稿記事の重要なキーワードを以下の3点として整理した。
1.昭和19年4月、下関小月旧陸軍航空隊に応召し、終戦まで通信兵として従事
2.昭和19年7月、旧八幡製鉄所の初空襲
3.小月から飛び立った1パイロットがB-29に初体当たりをし、これを機に特攻隊が編成され終戦までの約1年間に、多くのパイロットが北九州上空で散華した。
無線電話を通して、突入寸前に発する最後の肉声が、今でも耳に残る。

1. 昭和19年4月、下関小月旧陸軍航空隊に応召し、終戦まで通信兵として従事
小月航空基地の沿革
戦前
1937年(昭和12年)6月 - 逓信省の下関飛行場として着工
1940年(昭和15年)
3月 - 逓信省所管「下関飛行場」竣工
4月 - 帝国陸軍に移管され下関陸軍飛行場に改称。大刀洗陸軍飛行場より飛行第4戦隊が移駐
1941年(昭和16年) - 小月飛行場と呼称されるようになる
1942年(昭和17年)
4月 - 第4戦隊は二式複座戦闘機「屠龍」に機種改編
10月 - 第19飛行団司令部を配置
1944年(昭和19年)7月 - 第19飛行団司令部が第12飛行団司令部に昇格
※ 第4戦隊は本土防空飛行部隊として夜戦を含む練成にあたり、B-29による日本初爆撃である八幡空襲(1944年6月)に始まる本土防空戦に敗戦まで小月において従軍。

※コメント
下関小月旧陸軍航空隊とは、在内地航空部隊復員状況一覧表によると第6航空軍の第12飛行師団のことで終戦時約4,000名の人員を要する飛行師団であった。

終戦時の小月飛行場兵器集積現況表

※文字起こし版
戦闘機    
97戦           5機
1式単戦        6機 
2式単戦        1機
2式複戦         47機
3式戦         1機 
4式戦          18機 
5式戦         1機
練習機    
直協高練       8機
双練         7機
偵察機
軍偵         1機
百偵         4機
爆撃機    
99双軽             1機
機種不明   
B6N2                           1機 (※海軍艦上攻撃機 天山一二型のこと)
海軍中練          8機
合計         109機

※コメント
戦後、米軍への武器引渡しのために取りまとめた「小月飛行場兵器集積現況表」には、航空部隊の一般的な組織表にもTMとして対空無線の組織があるはずなのだが、無線通信機器に関する引渡し資料が何故かないこともあり、通信組織の実態が残念ながら本資料ではわからない。
しかし、引渡しには、表外との断わりがあるが「電波探知機3台」が含まれているが、陸軍では、通常は電波警戒機と電波標定機の2種類に区分されるが、その総称として電波探知機なる名称を使用している。
ここでは、基地周辺の対空警戒用の電波警戒機が配備されていたものと思われる。
ファザーさんのHPによれば、下関周辺では和久に電波警戒機乙要地用2台と電波警戒機甲1台の計3台配置されていたとのことから、このことを指しているのかも知れない。
なお、電波警戒機については第35航空情報隊が所管している。
参考情報 電波探知機の用語の使用例

更に、通信組織を調査するためアジア歴史資料センターのデータベースで検索すると第12飛行師団の組織表がヒットし、対空無線の組織は、第14対空無線隊(西部第109部隊)であることが判明した。
したがって、投稿者の方もこの第14対空無線隊に所属したものと思われます。
写真は熊本陸軍飛行場(熊本健軍飛行場)の通信室の運用状況

 ※文字起こし版
第12飛行師団
第12飛行師団司令部
独立飛行第19中隊
飛行第4戦隊
飛行第59戦隊
第41航空地区司令部
第4飛行場大隊
第64飛行場大隊
第65飛行場大隊
飛行第71戦隊
第142飛行場大隊
第148飛行場大隊
第162飛行場大隊
第172飛行場大隊
第173飛行場大隊
第174飛行場大隊
第248飛行場大隊
第57飛行場中隊
第19航空通信連隊(削除)
第6対空無線隊(削除)
第7対空無線隊(削除)
第14対空無線隊
第2航測連隊第2中隊(削除)
第193飛行場大隊
第194飛行場大隊

飛行第4戦隊の概要
飛行分科:偵察、戦闘
編成時期:1938年(昭和13年)8月31日(飛行第4連隊(4FR)を改編)
編成地:芦屋町
使用機種:九四式偵察機、九五式戦闘機、九七式戦闘機、九七式司令部偵察機、二式複座戦闘機「屠龍」
終戦時の所在地:小月(山口県)

当記事との関連を調べるため、戦闘機隊史を見ると「飛行第104戦隊が昭和19年7月26日小月の4戦隊内で編成に着手し、8月上旬第一次編制が完結し防空戦闘隊で、戦隊長に滝山和少佐が発令された。この間、中村和雄少尉は、8月20日のB-29来襲に際し、戦隊唯一の1式戦で八幡上空の迎撃に出動した。」とある。
その後104戦隊は満州防空を内示され、9月8日現在で、戦隊は奉天に進駐している。

独立飛行第19中隊/司偵防空戦闘機隊(靖第21204)
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)、百式司令部偵察機改(百改)
◆部隊史
西部軍管区内の防空作戦に参加
◆編成/昭和19年7月30日小月
◆復帰/昭和19年9月15日、小月
◆歴代中隊長
自在丸庫一少佐

飛行第59戦隊
昭和19年7月18日付けで戦隊は第12飛行師団隷下に編入されて制式に防空任務を付与され、8月20日の昼間来襲時には稼働戦力21機で迎撃して、B-29の迎撃の戦果をあげた。北九州地区の防空にあたり、昭和20年7月10日現在の戦隊戦力は5式戦48機(うち可動機22機)、7月25日付けで、戦隊は第12飛行師団から第30戦闘飛行集団に転入。

飛行第71戦隊
昭和20年4月1日比島から帰還し、第12飛行師団の隷下にあって北九州地区の防空任務についたが、4月ごろの4式戦可動機は4から9機にすぎなかった。
5月中旬、戦隊は義烈空挺隊の出発援護のため熊本県の隈之庄に前進後、5月24日防府へ復帰した。8月13日戦隊は南九州防空のため、15日夕方から知覧に前進して迎撃戦闘に当たるべし、との命令を受領したが、準備完了後、終戦により中止命令を受けた。
5式戦への機種改変する計画であったが、結局実現を見ないままに終わった。

一式戦闘機
一式戦闘機は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。キ番号(試作名称)はキ43。愛称は隼(はやぶさ)。呼称・略称は一式戦、一戦、ヨンサンなど。連合軍のコードネームはOscar(オスカー)。開発は中島飛行機、製造は中島および立川飛行機。

二式複座戦闘機
二式複戦は日本本土の防空部隊にも配備され、1942年(昭和17年)4月のドーリットル空襲の際には出撃したものの、会敵できずに終わった。B-29による本土空襲が1944年(昭和19年)6月に開始されると(八幡空襲)、二式複戦を装備する飛行第4戦隊や飛行第5戦隊、飛行第53戦隊といった部隊が戦果を挙げた。特に山口県下関市小月飛行場に駐屯する第12飛行師団隷下の第4戦隊は、日本の鉄鋼生産業の心臓部でもある北九州の八幡製鉄所を防空地区としていたこともあり、西部軍管区司令部直轄の来襲機情報の早期伝達、完全に整備された無線電話の積極的な活用、地上の戦隊長による戦隊指揮所から無線電話を利用しての部隊指揮、地上部隊(高射砲・照空灯)との緊密な協同戦、特に錬度の高い操縦者で構成されるなど、対B-29の本土防空部隊としては日本一の精鋭部隊とも称された。それらの準備は実戦においても生かされ、B-29の日本本土初爆撃となった1944年6月15日から迎撃戦に参加し、最多B-29撃墜王となった樫出勇大尉(B-29の26機撃墜を報告)を筆頭に多くのエース・パイロットを輩出し、以降終戦に至るまで連日出撃した。
しかし、高性能のB-29を撃墜するには速度・上昇力・高高度性能すべてが不足しており、有効な攻撃をかけることは難しかった。そのため、体当たり攻撃専門の空対空特攻隊(震天隊・回天隊)が一時編成された。通常攻撃の機でも体当たり攻撃は頻繁に行われた。

動画 日本軍] 二式複座戦闘機"屠龍" WW2 Japanese Kawasaki Ki-45"Nick"
https://www.youtube.com/watch?v=1aNk-qYSiKE


2.昭和19年7月、旧八幡製鉄所の初空襲
八幡空襲
八幡空襲は、第二次世界大戦中の1944年6月16日未明、アメリカ陸軍航空軍第58爆撃団の戦略爆撃機B-29が行った初めての日本本土空襲。九州北部の官営八幡製鐵所を第一目標とし計75機のB-29が出撃、うち47機が八幡市などを爆撃した。製鐵所の被害は極僅かだったが、爆撃は北九州5都市(八幡、小倉、戸畑、門司、若松)におよび、270名以上が犠牲となった。米軍側報告では作戦中の事故で5機のB-29が損失、2機が日本軍機により撃墜とされた。これに対し、日本側報告では撃墜6機(内不確実2機)、撃破7機、日本側被弾機1機と報じられた。
目標の八幡製鐵所コークス炉への命中弾はなく、空襲自体は不首尾だったが、同日サイパン島に米海軍の上陸を許したこともあり(サイパン島の戦い)、大本営は八幡空襲の報に衝撃を受けた。一方でアメリカや中国ではこの空襲の成果が大々的に報道された[4][5]。作戦中B-29の収集した情報によって日本本土の防空体制の脆弱さが明らかとなり、その後の大規模な本土空襲の発端ともなった。
八幡市は、1944年8月20日に中国から飛来したB-29によって2度目の空襲を受け、さらに翌1945年8月8日の3度目の空襲(八幡大空襲)ではマリアナ諸島基地発のB-29が焼夷弾爆撃を行い、罹災者数5万2562人、罹災戸数1万4000戸 死傷者は約2,500人の壊滅的な被害を被った。


3.小月から飛び立った1パイロットがB-29に初体当たりをし、これを機に特攻隊が編成され終戦までの約1年間に、多くのパイロットが北九州上空で散華した。
無線電話を通して、突入寸前に発する最後の肉声が、今でも耳に残る。

※コメント
投稿者は19年7月に初空襲で、小月から飛び立った1パイロットがB-29に初体当たりしたとありますが、実際は「飛行第104戦隊が昭和19年7月26日小月の4戦隊内で編成に着手し、8月上旬第一次編制が完結し防空戦闘隊で、戦隊長に滝山和少佐が発令された。この間、中村和雄少尉は、8月20日のB-29来襲に際し、戦隊唯一の1式戦で八幡上空の迎撃に出動した。」という記録がある。
一方、矛盾はあるのですが、飛行第59戦隊も、同日の8月20日の昼間来襲時には稼働戦力21機で迎撃して、B-29の迎撃の戦果をあげたとの記録もある。
77年前の戦争ですから、多少の誤謬があるのは当然の事で真相はわかりません。
なお、8月20日の体当たり特攻の記録については、確認できませんでした。

※コメント
投稿者の方も、「無線電話を通して」として強調されていますが、通常陸軍でも海軍でも無線通信はモールス信号による電信が主要な通信手段である。
しかしながら、陸軍航空隊の戦闘機と基地間及び友軍機間では無線電話が使用されている。
以下、99式飛行機用無線機について紹介する。
戦史叢書 陸軍航空兵器の開発・生産・補給からの抜粋
99式飛行機用無線機
99式飛行機用無線機は、昭和13年の研究方針に基づいて、航空が初めて審査を行った器材で、飛1号(遠距離用)、飛2号(中距離用)、飛3号(近距離用)、飛4号(編隊用)及び飛5号(指揮用)の5種があり、いずれも制式制定は昭和16年であった。
飛3号は雑音が大きく、周波数変動がはなはだしかったため、編隊通信を除いてほとんど戦闘機の要求を満足させ得なかった。飛4号は超短波を使用していたため、編隊構成時に他機の機影内に隠れた機とは通信が困難で、また、飛5号は出力が飛2号に及ばなかった。このため、飛4号及び飛5号に対する部隊の評価は芳しくなく、不必要という意見が出て、整備は途中から中止された。
ただ、99式の器材は部品の統一を図り、真空管も807A(送信用)、6F7(受信用)の各1種としたことで、補給は極めて容易となった。
機上用無線機に対応する対空用無線機として、地1号、地2号及び地3号が制定された。これらは従来のものより小型軽量となり、運搬が容易であった。
このほか、操縦訓練に使用する超短波無線機(操縦訓練無線送信機、同無線受信機、同無線車から成る)も制定された。

※コメント
陸軍の場合、航空機により飛1号(遠距離用)、飛2号(中距離用)、飛3号(近距離用)、飛4号(編隊用)及び飛5号(指揮用)の5種があるが、どの機種がどの無線機を搭載するような公式資料が全くない。
ただし、一式戦闘機「隼」については、飛3号(近距離用)が搭載されていることがわかっているが、二式複座戦闘機「屠龍」の搭載無線機については、永年不明であったが、今回の調査で下記の取扱法に飛3号を搭載するとの記録があった。

99式飛3号無線機の諸元については、下記のURLを参照願います。
99式飛3号無線機 https://minouta17.hatenablog.com/entry/2019/07/02/095059

※コメント
第6航空軍の第12飛行師団における飛行機搭載用の無線機及び対空通信用の地上部隊である対空無線隊の無線機の保守管理はどの部隊がおこなっていたのだろうか。
基本的には、飛行場大隊は飛行機の管理、航空部隊への支援、飛行場の整備などの保守管理を行う部門である。
第12飛行師団には、飛行場大隊として下記の大隊及び中隊がある。
第4飛行場大隊、第64飛行場大隊、第65飛行場大隊、第142飛行場大隊、第148飛行場大隊、第162飛行場大隊、第172飛行場大隊、第173飛行場大隊、第174飛行場大隊、第248飛行場大隊、第57飛行場中隊、第193飛行場大隊、第194飛行場大隊
この中のどこかの大隊が無線機の保守管理を行っていたと思われるが、第12飛行師団でのこれ以上の情報を探すことができなかった。
仕方ないので第5航空軍司令部での飛行場大隊の具体的な事例を調査することとした。
本資料は終戦後に飛行場大隊単位に中華民国への兵器引續目録表/兵器引續数量表(航空兵器)の中の通信兵器のみを抽出した資料である。
第5航空軍司令部
昭和19年(1944年)2月15日編成、在支航空戦力の増強を図るため、司令部を京城に置き、次の航空部隊を指揮した。(支那派遣軍戦闘序列内の第3飛行師団から格上げ)
第5航空軍直轄 第202飛行場大隊
地一号方向探知機(二型) 1組、地二号無線機(二型)1組、地二号無線機受信機乙1組、地二号無線機整流器、地二号無線機発動機属品箱
第5航空軍直轄 第221飛行場大隊
九九式飛二号無線機1組、 九六式飛二号無線機2組
第5航空軍直轄 第160飛行場大隊
地一号無線機受信機1組、地二号線機受信機4組、地二号線機送信機1組、地三号無線機7組、特殊受信機1組
第5航空軍直轄 第161飛行場大隊
地三号無線機1組
上記事例のように各飛行場大隊により、航空機搭載用無線機、対空通信用の地上無線機及び航測隊用の方向探知用無線機の保守管理を行っていることが分かる。

参考情報
陸軍戦闘機の無線兵装の実装の実態について
https://minouta17.hatenablog.com/entry/2022/05/07/090806


その他気付き
二式複座戦闘機「屠龍」のコックピットの右サイドの配電盤の上部にはオリジナル機体には何もないが、米国でのテスト機には、米軍の送受信機用の遠隔操作部を新たに設置している。
送受信機本体については、後部座席の背面に設置されているものと思われる。
二式複座戦闘機「屠龍」は飛3号無線機を後部座席に設置している関係上、米軍のテスト飛行ではパイロット一人で操縦するため、日本のオリジナル無線機が使用できないことから、新たに米軍の無線機を設置したのだろう。
米軍も日本陸軍の航空機にも直流電源の24Vが使用されていることから、容易に無線機の追加工事が可能だったものと思われる。
なお、日本の海軍機は直流電源が12Vのためこのような互換性は確保できない。

二式複座戦闘機「屠龍」に搭載された米軍の無線機について
SCR 274-N
BC-450-4 送受信機用遠隔操作部

BC-453-B  BC-454-B  BC-455-B 受信機

BC-457-A  BC-458-A 送信機

BC-456-B 変調機

 


参考文献
戦史叢書 陸軍航空兵器の開発・生産・補給 防衛庁防衛研修所
日本陸軍戦闘機部隊 航空情報編集部 昭和52年3月
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C15011097900、小月飛行場兵器集積現況表(航空兵器) 昭和20年10月5日現在(防衛省防衛研究所)」
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C15011154700、12.昭和20年10月15日 在内地航空部隊復員状況一覧表(防衛省防衛研究所)」
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C12121028700、第12飛行師団(防衛省防衛研究所)」
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C15120130400、西部の部隊(防衛省防衛研究所)」
ファザーさんのHP http://www17.big.or.jp/~father/aab/FN/35FN/35FN.html
飛行第4戦隊 (日本軍) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E7%AC%AC4%E6%88%A6%E9%9A%8A_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D)
二式複座戦闘機 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%BC%8F%E8%A4%87%E5%BA%A7%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F
一式戦闘機 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%BC%8F%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F
八幡空襲 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A9%BA%E8%A5%B2
小月航空基地 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9C%88%E8%88%AA%E7%A9%BA%E5%9F%BA%E5%9C%B0
独立飛行中隊一覧データベース
http://soranokakera.lekumo.biz/tesr/2018/01/post-f304.html
Yahooオークション

 

 


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