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13号電探指示装置改(令和版)の試作作業記録 その13(令和2年10月31日)指示機復元作業総括

2020年10月31日 20時32分26秒 | 51電探試作計画

13号電探指示装置改(令和版)の試作作業記録 その13(令和2年10月31日)指示機復元作業総括

①13号電探指示装置の実物写真はあるのか。
仮称3式1号電波探信儀3型取扱説明書に外観の説明図があるが、写真はこの1枚しか今のところ記録はない。

②3式1号電波探信儀3型はだれが開発したのか
3式1号電波探信儀3型については、東芝、安立、沼津海軍工廠(電探指示装置は製造なし)で生産されている。
この中で、東京芝浦電気株式会社八十五年史(昭和38年発行)から13号電探を設計したとの記録があることから、東芝が設計・開発したものと思われる。
これらのベース技術には、東芝が昭和15年(1940)の東京でオリンピック大会が開催されることにあたり、テレビ関係者はこれを絶好の機会として、その実況をテレビにより中継放送しようと企て、カメラ、送信機、受像機など一連の計画が立てられたことによる。

無線と実験 昭和15年9月号の表紙

③電探指示装置の目盛管制機構は、日本の独自技術か英米の技術の流用か
シンガポール占領では昭和17年(1942年)2月に英軍からSLC(サーチライト・コントロール)レーダーとこれより高性能のGL(ガン・レイイング、すなわち射撃照準)レーダーを鹵獲した。
この調査では、ニューマン文書として整理されている。
また、フィリピン占領は、昭和17年(1942年)5月、コレヒドール島要塞で発見されたSCR270型ラジオディテクター(電波警戒機)とSCR268型ラジオロケーター(電波標定機)を鹵獲している。
米英のいずれのレーダーでも、電子距離マーカーを搭載していた記録はない。
このことから、13号電探指示装置の目盛管制機構は東芝のオリジナル技術で設計されたものと判断される。
この目盛管制機構の特徴は、受信機による反射波を垂直軸入力してブラウン管に表示するとともに、電子距離マーカーもブラウン管に同時に表示することである。
本来なら2現象オシロの機能であるが、電子スイッチによる2現象の波形を表示する技術は当時ではありません。
ただし、当時でもブラウン管に電子銃を2個もった特殊なブラウン管も開発されており、これを使用すれば2現象表示も可能であったが、高額であり実用的ではなかった。
では、13号電探指示装置ではどのようなブレークスローを行ったかというと、ブラウン管の垂直軸の入力端子(+)に受信機からの反射を印加し、(-)に電子距離マーカーを印加することで2現象表示を実現している。
このため、使用条件としては、+の受信信号の条件でのみ、電子距離マーカーは綺麗に表示できる。
この条件以外の交流信号などは、電子距離マーカーは交流信号波に変調されるため交流波の下端にマーカーが表示されてしまう結果となる。
なお、電探指示装置も精密測距方法のため、2現象表示が必要となるが米国(機械式スイッチ)、独逸(黒点パルス)とも独自技術で対応している。
13号電探指示装置は、Aスコープのレーダーの指示機としては、諸外国と遜色がなく大変優れたオリジナルの工夫ではないだろうか。
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946 米海軍対日技術調査団報告書には、距離読み取り範囲の方法は、機械的目盛から移相調整器および電子距離マーカーまで様々であったとの記述がある。

参考資料
東京芝浦電気株式会社八十五年史(昭和38年発行)からの抜粋
電波探知機(レーダ)
太平洋戦争における最大の技術的進歩はレーダ(当時は電波探知機略して電探と呼び、またさらに一般的名称として電波兵器と称した)の開発である。
当社は昭和14年電波高度計の実験に成功すると同時に、これを逆用して地上から航空機を探知しようとすることが考えられ、また当時のマツダ研究所では磁電管(マグネトロン)により極超短波を発生させ、指向性空中線を用いて航空機を探知する実験が極秘のうちに行われていた。
しかし開戦の半年ほど前に外国から情報として伝えられた。ものがあったため、にわかにパルス式レーダが重要視されるに至った。
当時陸海軍ともこの研究を極秘裏に行いつつあったようで、当社が制式にこの関係の仕事に参加することを要請されたのは開戦2週間くらい前のことである。
これは極秘に進めてきた研究が所期の結果を得なかったためということである。
当社はこの要請に応じて全力をあげて電探用送信機の試作に従事し、新規の真空管を製作することも含め昼夜兼行、ついに1か月後に所期の成果をおさめた。
これにより当社の技術的能力はきわめて高く評価され、またこの電探用送信機はその後も電探の一つの基本形となり、多数生産された。
その後製作された電探は、陸海軍ともに陸上用、船舶用、航空機用などそれぞれ数十種におよんだ。
その中には陸軍の対空用標定機のように全装置を当社で製作納入したものもあったが、海軍用として送信機及び指示機がおもであった。
戦争中、特に設計されたものの中に13号電探がある。
回路構成は極力簡素小形とし、材料もあらゆる方法を講じて程度の低いものを使用したもので、数千台を製作した。
このような一見粗雑とも思えるものであったにもかかわらず、その性能動作はきわめて優秀でかつ安定しており、非常に広範囲にわたり各種の目的に使用された。
これについては戦後復員した軍人の話によっても予想以上の場所で予想外の目的にも使用され、しかも効果をあげている例も多かったという。
以上のごとく電探用送信機としては多くの種類を製作したが、これらの大半は三極管方式によったものである。
これは機器内に使用する真空管は極力同一規格の三極管を用いるもので、操作保守を能率的かつ簡便にするには極めて有効な方式である。
もちろん三極管で超短波を発振することには、構造的にも周波数の限界があるが、当社では極力この方針を推進して、戦争末期に当局から磁電管の製作を要請されるまでこの方針を貫き各種の特色ある兵器を完成した。

テレビジョン
ここは主としてテレビ放送設備について述べる(受像機については第4章参照)。
当社は昭和3年まずニポーの円板による機械的走査方式テレビジョンの研究をはじめた。
送像側には普通の光電管を、受像側にはネオン菅を使用し、走査線48本で実験を行った。
間もなく(昭和5年)、アメリカでファーンズワース(R.T.Farnsworth)のテレビ方式か発表されたので、当社でも全電子式走査方式に転換することになり、8年には走査線120本、毎秒像数20枚でフィルム送像の実験に成功した。
当社がファーンズワース式の実験を進めている間にアメリカではツウォリキン(V.K.Zworykin)によって最初のアイコノスコープが作られ、当社でも昭和9年からアイコノスコープの研究に着手し、11年にはこの種の撮像管を完成し、これを用いたカメラは走査線240本、毎秒像数25枚で、直接外景を撮影することができるようになった。
このカメラはその後走査線数を315本に上げ、はじめて飛越走査を行う方式に改められた。
昭和12年には、国内のテレビ研究もかなり充実し、実験放送の開始が要望されるようになったので、13年9月にテレビジョン調査委員会から暫定標準方式として発表されたのが、走査線数441ほん、毎秒像数25枚、飛越走査、電源同期であった。
当社ではこれに先立って、昭和11年に、高精度のフィルム送像を行っていた。
送像装置や受像機を試験するためのモノスコープもこのころはじめて製作された。
昭和15年(1940)には東京でオリンピック大会が開催されることになっていたので、テレビ関係者はこれを絶好の機会として、その実況をテレビにより中継放送しようと企て、カメラ、送信機、受像機など一連の計画が立てられた。
その後オリンピック大会は険悪になった。国際情勢により中止となって、この計画は実現しなかったが、この準備期間中の努力でテレビの総合技術は各段に工場し、戦前においてすでに実用の域に達していたのである。
14年にはそれまでの成果を、東京の高島屋をはじめ全国各地で公開実験し、大きな反響を呼んだ。
走査線数も、はじめの100本から441本にまで改良され、発表のときは世界的にも最高の性能を誇るとともに、テレビ知識の普及に大いに貢献した。
オリンピック大会の中止によって、巨額の研究費を投じて準備された各装置は、ついに日の目をみることなく、あまつさえ戦災によってその大半を失った。

仮称3式1号電波探信儀3型取扱説明書  https://drive.google.com/file/d/1F2Dz1-FBhtMl6tSRAvVtdSy9KuU2AXAo/view


海軍関係電探機器別製造会社一覧
2号2型改4             日本無線、日立 
2号電波探信儀3型 (S8)       東芝
3式空6号無線電信機4型(H-6)    日本無線、川西機械製作所
4式空6号無線電信機3型(FM-1)    東芝
19試空1号無線電信機12型(FK-3)  川西
19試空1号電波探信儀11型(N-6)   日本無線
18試空6号無線電信機2型(FD-1)   東芝
18試空6号無線電信機(FD-2)    東芝
19試空2号電波探信儀11型(Tama-3)  日本無線
5号電波探信儀1型(51号)      日本無線
2試空7号無線電信機2型(Prototype 2, Air Mark 7, Model 2 Radio)(FT-B)  富士通信
2試空7号無線電信機3型(Prototype 2, Air Mark 7, Model 3 Radio)(FT-C)  三菱電機
1号電波探信儀4型           東芝
3式1号電波探信儀1型改1        東芝、住友、日本音響(日本ビクター)
3式1号電波探信儀3型              東芝、安立、沼津海軍工廠
2式1号電波探信儀1型改1、2、3     東芝、住友、日本音響(日本ビクター)
2式1号電波探信儀2型改0,2,3       東芝、日本音響(日本ビクター)
6号電波探信儀3型 (Mark 6, Model 3)       東芝、住友、日本音響(日本ビクター)
3号電波探信儀1型 Mark 3, Model 1  (220)   日本無線、日立
3号電波探信儀2型 Mark 3, Model 2  (32 or 105S2))   日本無線、日立
4号電波探信儀3型改 0、1、2      住友
4号電波探信儀1型 (Mark 4,Model 1) (S3)  住友
4号電波探信儀2型                 住友、日畜(日本コロムビア)、日本音響(日本ビクター)、日立
6号電波探信儀1型 S8b         東芝
6号電波探信儀2型          東芝、日畜(日本コロムビア)

陸軍関係電探機器別製造会社一覧
タチ6            日本無線、松下通信、住友通信(日本電気)
タチ7            岩崎通信
タチ18            岩崎通信、東京芝浦電気 
タチ20            住友通信(日本電気)、安立電気
タチ35            住友通信(日本電気)
タチ22            住友通信(日本電気)
タチ13とタキ15    東京芝浦電気
タチ28とタキ30    三菱電機、国際電気、富士電機
タチ200とタキ200   東京芝浦電気、三菱電機
タチ17- タキ15モデルⅡ:  岩崎通信、三菱電機、富士通信機器製造会社
タチ1            住友通信(日本電気)
タチ2            東京芝浦電気
タチ3            住友通信
タチ4            東京芝浦電気
タチ31           東京芝浦電気
タチ24           日本無線
タキ1            日本無線
タキ2            住友通信
タキ3            三菱
タキ14            東芝通信
タキ24            住友通信
タキ34            住友通信機
タキ18とタキ21    東京芝浦電気
タキ22            不明
タキ37            三菱電機株式会社
タセ 1            東京芝浦電気
タセ2            日本無線、東京芝浦電気
タセ5            住友
タセ6            不明
タセ10           東京芝浦電気
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13号電探指示装置改(令和版)の試作作業記録 その12(令和2年10月29日)同期パルス発生部完成

2020年10月29日 13時31分30秒 | 51電探試作計画

13号電探指示装置改(令和版)の試作作業記録 その12(令和2年10月29日)同期パルス発生部完成

13号電探指示装置の本来のパルス発生の仕様は仮称3式1号電波探信儀3型取扱説明書から、幅約30μS、尖頭出力約20Vの衝撃波とありますので、これを製作目標とします。
原型回路図から、現代風にトランス発振はマルチバイブレーターに、真空管はST管(UZ-6C6-UZ-6C6)からMT管(12AU7-6AU6)に換装し、極力回路図設計思想は踏襲することとします。

原型回路図とブロクダイヤグラム

現代版回路図



発振部出力

カソードフォロワー出力

評価
パルスがマイナスとなってしまいました。
完全な失敗ですが、この原因は原型機には初段で移相調整部があることから、初段で位相反転できることにあるようです。
今回は初段にマルチバイブレーターを採用していますので、原型機とは異なり、次段に位相反転を行い最後にカソードフォロワーを通すこととします。
このため、6AU6から12AX7に真空管を変更します。

発振部出力

位相反転出力

カソードフォロワー出力

なお、パルス生成用の微分回路は原型機の100PFと50KΩのものをそのまま採用しています。

評価
パルス出力は、デジタルオシロの測定値をそのまま信じると、パルス幅40.0μs、尖頭出力約10.9Vの衝撃波となりました。
一応、これで指示機としての全機能を再現することができました。


参考資料
仮称3式1号電波探信儀3型取扱説明書  https://drive.google.com/file/d/1F2Dz1-FBhtMl6tSRAvVtdSy9KuU2AXAo/view

 


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13号電探指示装置改(令和版)の試作作業記録 その11(令和2年10月20日)目盛管制部完成

2020年10月20日 19時33分51秒 | 51電探試作計画

13号電探指示装置改(令和版)の試作作業記録 その11(令和2年10月20日)目盛管制部完成

試作作業記録 その8(令和2年10月14日)目盛管制部(#1)から作業着手しましたが、なかなか所定の性能に達さない状況が続きました。
そもそも電探試作計画は、電探指示装置の試作記録(その1)(2017年08月16日)のときに企画した回路図を基としています。
あまりに永い中断期間もあり、今回の作業再開にあたり当時の設計のマルチバイブレーターは総て12AU7で計画していたにもかかわらず、何故か12AX7と勘違いして居ました。
これでは、想定した性能は出るハズもありません。
今回は正規の12AU7に取替えて再試験したら、やっと計画どおりの性能をだすことができました。
最後に内部同期を取り完成としました。
ポイントは、正規の鋸波ではなく、わざと歪んた面長の波形を作り、次段でトップを切り取り管制用の目盛パルスを作ることに在ります。
最後の画面に受信機からのレーダー波を重ねて表示できれば、当時の一号電波探信儀三型の完成です。
まだまだ先は永そうですが、13号電探指示装置の最後の工程として、同期パルス発生部の製作を行います。

 

 


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13号電探指示装置改(令和版)の試作作業記録 その10(令和2年10月18日)水平掃引部完成

2020年10月18日 16時14分42秒 | 51電探試作計画

13号電探指示装置改(令和版)の試作作業記録 その10(令和2年10月18日)水平掃引部完成

水平掃引部の出力不足で、掃引を画面一杯に広げることができないので、時間軸のみシングルエンドからプッシュプルへ変更します。
基本的には、13号電探指示装置の設計思想から少し外れますが、時間軸のみプッシュプルとして12AU7を採用しました。
12AX7の基本発振部(カソード結合マルチバイブレーター)から直接12AU7のプッシュプルでブラウン管のX軸をドライブします。
12AU7のプッシュプルの単管で約100V以上であり、合計電圧は200V以上となることから、時間軸の偏向率14Vであれば、14cm程度の水平線を掃引が可能です。
なお、想定外の波形が生じる場合があることから、適当なる箇所にパスコンを入れることが肝要です。
最後に内部同期を取り、オシロスコープとしては完成とします。


参考情報
当時の真空管は汎用目的で大量生産されていました。
大企業では特定品種を大量発注する場合も多く、NHK、電電公社や日本無線の特定機種用の御用達用の真空管には特定のマークがついています。
例えば、日本無線の特定機種用の「波シリーズ」では、専用の真空管を調達していたようです。


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13号電探指示装置改(令和版)の試作作業記録 その9(令和2年10月15日)目盛管制部(#2)

2020年10月16日 21時30分45秒 | 51電探試作計画

13号電探指示装置改(令和版)の試作作業記録 その9(令和2年10月15日)目盛管制部(#2)

水平掃引部の出力不足の原因調査のため、ブラウン管(3KP1)を中古の東芝製から新品のNEC製に交換しましたが、特に変化がありません。
基本的には、ブラウン管自体には問題がないということです。
目盛管制部の改善としては、目盛発振部(カソード結合マルチバイブレーター)の安定化と出力増加を行い、次段のプレート検波部ではバイアスを少し浅くして出力増加をはかっています。
ここで目盛管制パルスの出力不足の対策としてた、垂直入力(レーダーの受信機の検波出力)と一緒すればよいのではないかと安易に考えましたが、よくよく考えると受信機の信号増幅調整すると目盛パルスも同期して大小することになります。
やはり、13号電探指示装置の仕様どおり、ブラウン管のY軸(-)に目盛パルスを印加します。
これが13号電探指示装置によるシングルエンド方式を採用しながら、目盛表示と受信機パルスの双方を表示することを可能とした最大の特徴であります。
とりあえず、目盛パルスを表示することは可能となりましたが、依然電圧不足でパルス長が短いのが不満です。

水平掃引部について
13号電探指示装置はあくまでオシロスコープの変形であることから、正弦波を注入すれば、当然正弦波のきれいな波形がでるものと信じていました。
ところが、正弦波を表示すると、上部波形はきれいですが、下部波形は丸みがなく少し歪があります。
然し、これが13号電探指示装置の仕様であり、下半分の表示は、目盛管制部のパルス表示以外使用しません。
ようは、オシロスコープの機能は必要ないということです。
今回はオシロスコープの機能も付与するように回路改造しています。
また、水平掃引部の出力不足で、掃引を画面一杯に広げることができないので、時間軸のみシングルエンドからプッシュプルへ変更を検討します。


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