韜晦小僧のブログ 無線報国

真空管式ラジオ、軍用無線機やアマチュア無線機の修復の記録
手製本と製本教室の活動の記録
田舎暮らしの日常生活の記録

健康管理のためのウォーキング(令和2年5月24日)

2020年05月25日 21時04分12秒 | 99日常生活(田舎暮らし)

健康管理のためのウォーキング(令和2年5月24日)
最近、別荘を手放し、軍用無線機の断捨離を行ってきました。
この結果、なんと糖尿、高血圧、高脂血症と3大疾病との付き合いが本格的に始まりました。
このため「かかりつけ医」からウォーキングをすすめられ、1年前から本格的に毎日ウォーキングを実践しております。
毎日同じコースでは面白くないので、4コース程度設定し、気分次第でコースを選びウォーキングしております。
今回はこの一つの2団地間横断散策コースです。
このコースではある農家の屋敷の壁越しに昭和20年代から昭和30年代の農機具を展示されています。
農機具も懐かしいものですが、更に世情を憂うコメントが張り紙されています。

 

 

 


海軍艦船搭載用「2号無線電話機」について

2020年05月16日 04時16分36秒 | 02海軍無線機器

海軍艦船搭載用「2号無線電話機」について
真空管式ラジオの収集や修復を趣味でやっていると、どんどん歴史をさかのぼり過去のラジオにのめり込んで行きます。
そうすると、当然真空管もMT管からGT管、メタル管、ST管、ナス管となり最後は鉱石検波器の収集とさかのぼることとなり歯止めが利かなくなります。
このような真空管の収集の過程で、初期の真空管であるナス管の201Aも結果として多数収集することとなりました。
この201Aの真空管の中に、海軍の錨マークのついたものが1本みつかりました。
しかも、この1本は昭和の初期のものではなく、今次大戦で使用されたもののようです。
何故こんな初期の真空管(昭和初期)が逆に今次大戦の無線機に使用されたいのか、長年興味をもっておりましたが、今回手持ち資料とネットの力で整理してみました。

趣味の時代の「国産古典ラジオ昭和初期5球ブローニングドレーキ式受信機」の紹介

 
 

今回、雑誌「船の科学」のシリーズ・日本の艦船・商船の電気技術史の中に真空管201Aを受話機に使用した2号無線電話機の記述を発見しました。
少し2号無線電話機の内容を紹介します。
2号無線電話機
上記の無線電話機で、送話用空中線および受話用空中線を各単独でも使用出切るに改造したものが制式に2号無線電話機と呼称された。
昭和2年大沢、大野によって開発された。
その後発振真空管を換えて翼板電圧(海軍呼称で陽極電圧と同じ)を1,000V、出力を25Wとし(改1)、電鍵操作を空中線の接地側を接・断して行っていた。
(改2)改3では電鍵操作を格子回路の接・断とした。
なお改1、改2は後にはほとんど全数を改3に改造した。
また、受話機改1は高周波増幅1段、再生検波、低周波増幅2段とし、同改2は周波数範囲を増大した。
票7・14は送信機改3、一型および受話機改1、改2の要目を、図7・27は改1の内部結線を、7.28は外観を示す。

追加資料 2号無線電話機 「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会からの抜粋
中波無線電話機で、出力30W、送話機改1は翼板電圧を500Vより1000Vに増大したもの、送話機改2は自励式で電信は空中線電鍵操作のもの、同改3は格子電鍵操作に改良したもの、受話機改1は高周波増幅1段、再生式検波、低周波増幅2段のもの、同改2は周波数範囲を拡大したもの、送話機改3に原振器を附けたものを送話機1型と呼ぶ。

 

2号無線電話機は昭和2年に開発され継続的に改良が図られ、参考資料1の艦戦無線兵装標準(昭和18年6月の改訂版)にも記載されています。
また、戦艦から海防艦まで幅ひろく本機が搭載され、艦隊内での通信に使用されていたこともわかります。
艦隊行動に伴う無線封止においても、連絡のため本機は利用されていことでしょう。
ただし、参考資料3の艦船並びに一般通信(海軍通信作戦史抜粋)に「90式超短波及び2号電話機の如き電波の漂変甚しき電話は隊内電話として取扱困難であった」との記載もあり本機の運用には問題があったことは事実のようです。
本機の受話機(受信機)は古典ラジオである真空管201Aを採用し続けられ、根本的に改善されることはありませんでした。
これでは戦時に国民が使用した放送局型123号受信機のほうがよほど高感度のラジオです。
放送局型123号受信機の事例紹介


このような古典ラジオ如き2号無線電話機の現役採用は海軍でも稀有なことですが、終戦後に記録された海軍通信作戦史に問題を認識しただけで記録する前に用兵側の軍令部の部員は何の対処もしていないところに問題の本質がありそうです。
受話機の4号検波菅(UX-201A)×4

 

送話機
発振または増幅 21号発振3型(UN-151B)
型番、仕様 :UN-151B(UN151B)
メーカー名 :東京電氣(現、東芝)
品名 :電力増幅3極送信管

 

参考資料1 艦船無線兵装標準 「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会からの抜粋
艦戦無線兵装標準(昭和18年6月の改訂版)による船種別二号電話機の設置台数
戦艦(艦隊旗艦)・・・・・・・・・・・・二号電話機×2台
戦艦(戦隊旗艦)・・・・・・・・・・・・二号電話機×2台
戦艦・・・・・・・・・・・・・・・・・・二号電話機×2台
巡洋艦甲(艦隊旗艦)・・・・・・・・・・二号電話機×2台
巡洋艦甲・・・・・・・・・・・・・・・・二号電話機×2台
航空母艦甲(艦隊旗艦)・・・・・・・・・二号電話機×2台
航空母艦甲(戦隊旗艦)・・・・・・・・・二号電話機×2台
航空母艦甲・・・・・・・・・・・・・・・二号電話機×2台
航空母艦乙(戦隊旗艦)・・・・・・・・・二号電話機×2台
航空母艦乙・・・・・・・・・・・・・・・二号電話機×2台
駆逐艦・・・・・・・・・・・・・・・・・二号電話機×1台
海防艦甲・・・・・・・・・・・・・・・・二号電話機×1台

参考資料2 海防艦(新型)の無線兵装「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会からの抜粋
海防艦は従来一般に老杆艦を以て当てられていたが、対潜警戒、海上警備の重要性あり、新艦の建造が計画せられ、昭和15年まず4隻の完成を見た。
無線兵装は送信機は短3号、長波4号各1台と2号電話及び超短波電話機各1台、受信機は4台程度で、小型艦の割合に大勢力送信機を搭載し、前後楼間の距離又極めて短いため、自艦送信妨害の問題と、能率良き空中線展張の問題で、装備上色々苦心が払われた。
太平洋戦争中期以後は護衛艦としての整備に重点が置かれるようになり、対飛行機協同用電話機及び応急用小型電信機の増補が積極的に行われた。
又任務の変化に伴い、艦型は縮小の一途を辿り、短波送信機も特5号送信機に換装せられた。
その結果自艦送信妨害は大いに緩和せられた。

参考資料3 艦船並びに一般通信(海軍通信作戦史抜粋)
護衛艦艇の隊内電話に航空機用隊内電話を採用し水上艦艇、航空機共同一電波使用に統一す。
昭和19年秋迄の護衛艦艇は未だ海防艦、駆逐艦等の編成なく個々の艦艇の寄せ集め式護衛船団にして、且1月の中殆碇泊休養の時間も少ない為、教育訓練の機も尠く思想の統一もなき為、之等船団部隊に於いては90式超短波及び2号電話機の如き電波の漂変甚しき電話は隊内電話として取扱困難であったので、取扱容易なる水晶制御式航空機用隊内電話を使用せしむることとし、極く一部の特設艇を除き之を装備し且護衛部隊の隊内電波を水上艦艇及び航空機共41350kcに統一し航空機との緊密なる連絡に資した。
右電話は之を重要船団にも装備せんとし、電話員の養成を開始したが、時恰も米軍沖縄作戦を開始し、南方よりの還送航路を遮断せるを以て実現に至らずして終わった。


気付き
今日、新型コロナ対応で厚労省は右往左往していますが、平時の感覚で現行の法律と組織体制の中で問題に対処しようとしため、負荷が一機に保健所に向かいパンク状態となって居ます。
国民が如何にPCR検査を望んでも、某大臣は国民側が誤解しているとの一言で何の責任感もありません。
どうして、韓国、ドイツ、英国、アメリカなどの国で1日に何万人のPCR検査ができるのでしょうか。
平時ではない戦時の意識が日本にだけないことに根本問題にありそうですが、戦後長年の平和ボケの政府、国民も少し覚醒する必要がありそうです。


参考文献
雑誌「船の科学」のシリーズ・日本の艦船・商船の電気技術史
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
海軍通信作戦史 昭和24年3月 第二復員局残務処理部史実班
「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
日本のラジオ https://radiomann.sakura.ne.jp/HomePageVT/Radio_tube_1_201A.html
グランパーズ・シャックGrandpa's shack  http://www.grandpas-shack.com/parts/item.php?itemid=4387

 

 

 

 

 

 


海防艦「占守」の無線兵装について

2020年05月12日 15時33分29秒 | 02海軍無線機器

海防艦「占守」の無線兵装について
海防艦「占守」電探室異状なし(北村栄作 1990年6月 光人社)を読んで以前から気になって居たところを、今回手持ち資料とネットの力で整理してみました。
まずは海防艦「占守」のことを今まで恥ずかしながら“せんしゅ”との読みと思い込んでいました。
海防艦の艦名の付与は、本邦の島からとっており、占守島から命名されています。
今回の調査で占守は、“せんしゅ”ではなく、“しむしゅ”と呼ぶことが判明しましたが、戦後生まれの方ではこれを読むことが出来る方は大変歴史通の方ではないでしょうか。
それでは、本邦内の占守島はいったいどこにあるのでしょうか。
正解は千島列島北東端の島で、敗戦後ロシアの実効支配下にあります。

海防艦「占守」の艦型概観

占守竣工時(レーダーなし)

戦後の占守(引揚船用に改造、22号レーダーあり)


「占守」はその後も引揚船として、武器は全部とりはずされ、甲板上に木製のデッキを急造して、五、六百人くらい乗艦できるように改造した。
そして、南方の島々に残留の旧陸軍部隊の復員艦として涙の汗を流し活躍したが、昭和22年7月に賠償艦としてソ連に引き渡された。


海防艦(新型)の無線兵装(日本無線史抜粋)
海防艦は従来一般に老杆艦を以て当てられていたが、対潜警戒、海上警備の重要性あり、新艦の建造が計画せられ、昭和15年まず4隻の完成を見た。
無線兵装は送信機は短3号、長波4号各1台と2号電話及び超短波電話機各1台、受信機は4台程度で、小型艦の割合に大勢力送信機を搭載し、前後楼間の距離又極めて短いため、自艦送信妨害の問題と、能率良き空中線展張の問題で、装備上色々苦心が払われた。
太平洋戦争中期以後は護衛艦としての整備に重点が置かれるようになり、対飛行機協同用電話機及び応急用小型電信機の増補が積極的に行われた。
又任務の変化に伴い、艦型は縮小の一途を辿り、短波送信機も特5号送信機に換装せられた。
その結果自艦送信妨害は大いに緩和せられた。

搭載無線機の概要
YT式短3号
出力1KWの自励式短波送信機であるが、明昭電機株式会社の製作にかかるものである。
使用周波数 4,000 ~ 15,000Kc
構成は、原振、増幅方式の電信専用である。
使用真空管は、発振器UX-202A、増幅菅UV-814、12号発振(UX-860)、電力増幅UV-812、整流菅HV-972、KN-158、HX-966である。
※ 東洋無線電信電話株式会社と明昭電機株式会社は姉妹会社であるが、両会社は昭和13年11月に合併して、資本金400万円なる東洋通信機株式会社となった。
同社製一連の無線機は“YT式”と呼称された。

長波4号
概要
自励連結式の所謂簡単式長波送信機(3号は出力1KW、4号は出力0.5KW)で優秀品とは云えないが、十年以上も使い慣れたもので艦船及び陸上に装備されて実用されている。
92式4号送信機  出力500Kw 自励

特5号送信機
長波、短波兼用送信機の特徴を生かして、電波特に短波の安定性を向上した兵器の要望があったので、これに応えて完成したものが本機である。
本機は長波は91式特送信機と同じく、単なる自励発振型送信機であるが、短波は原振器附になっており、駆潜艇その他小型水上艦艇に装備された。
97式特5号送信機  出力150w

2号無線電話機
中波無線電話機で、出力30W、送話機改1は翼板電圧を500Vより1000Vに増大したもの、送話機改2は自励式で電信は空中線電鍵操作のもの、同改3は格子電鍵操作に改良したもの、受話機改1は高周波増幅1段、再生式検波、低周波増幅2段のもの、同改2は周波数範囲を拡大したもの、送話機改3に原振器を附けたものを送話機1型と呼ぶ。


追加工事
2号2型電波探信儀

艦戦無線兵装標準(昭和18年6月の改訂版)
甲海防艦
送信機   短波4号(1/2kw)1台
短波7号     1台
中波5号(1/4kw)1台
2号電話機 1台・・・・・・・・・・・・・・・・・・実用品ではなく運用に難あり
隊内電話機(機上用)1台・・・・・・・・・・・・・・実際は配備されていない
受信機   長短兼用受信機(92式特受信機)  3台
同上 水晶制御式(3式特受信機) 1台 ・・・・・ ・未配備可能性あり
電波探信儀 対飛行機用(1号3型)2台・・・・・・・末期の海防艦にのみ設置
      対水上艦用(2号2型)1台
電波探知機 米波用 1台・・・・・・・・・・・・・・米国側で使用していない波長
      糎波用 1台


92式特受信機の概観
 


隊内電話機(機上用)の捕捉説明
.艦船並びに一般通信(海軍通信作戦史抜粋)
(ロ)護衛艦艇の隊内電話に航空機用隊内電話を採用し水上艦艇、航空機共同一電波使用に統一す。
昭和19年秋迄の護衛艦艇は未だ海防艦、駆逐艦等の編成なく個々の艦艇の寄せ集め式護衛船団にして、且1月の中殆碇泊休養の時間も少ない為、教育訓練の機も尠く思想の統一もなき為、之等船団部隊に於いては90式超短波及び2号電話機の如き電波の漂変甚しき電話は隊内電話として取扱困難であったので、取扱容易なる水晶制御式航空機用隊内電話を使用せしむることとし、極く一部の特設艇を除き之を装備し且護衛部隊の隊内電波を水上艦艇及び航空機共41350kcに統一し航空機との緊密なる連絡に資した。
右電話は之を重要船団にも装備せんとし、電話員の養成を開始したが、時恰も米軍沖縄作戦を開始し、南方よりの還送航路を遮断せるを以て実現に至らずして終わった。
※ 98式空4号隊内無線電話機
 

2号2型電波探信儀の概観
 

1号3型電波探信儀の概観
 

1号3型電波探信儀の搭載参考事例
海防艦(丙型)第225号は昭和20年5月に竣工した。後楼13号レーダーを装備するためマストの高さも増し、三脚楼の形状も異なっている。
 

電波探知機 糎波用
 


“海防艦「占守(しむしゅ)」電探室異状なし”から関連項目を抜粋し紹介します。
「占守」は排水量1020トン、全長78m、最大幅9.1m、喫水3.05mの小型艦ながら、艤装、構造ともにこったものであり、建造時には軍艦ということで船首には菊の御紋章がかがやき、外観も風格を備え、艦長室の造作も、他の艦とかけはなれた立派なものだった。
艦橋塔は3層になっており、1層目に通信室、2層目に海図室、電探室、3層目が艦橋となっており、その後部が旗甲板で、上部には3mの測距儀が装備されていた。
上甲板全部には艦長室と士官室があり、兵員室は下甲板前・後部が当てられ、荒天通路に接して烹炊所、医務室、浴室などがあり、中部最下甲板は機関室で、デーゼル機関2基、発電機があった。
6m内火艇1隻、カッター2隻、通船1隻がそれぞれ両舷に搭載され、前檣に電探のラッパ管、その後部に探照灯などが設けてあった。
・・・・・・・・・
22号電探は、電気的振動を発振・増幅されて、それを電波にかえて檣楼(しょうろう)にあるラッパ管内の送信アンテナより発信する。
波長8cm(誤記で実際は10cm)といわれる極超短波は光のように直進して、物体に当たると、山ビコと同じ原理で、ハネ帰ってくる特性を利用し、受信用のラッパ管内のアンテナで受けて、ブラウン管に映し出す。
その波型で距離、ラッパ管の方向で物体の方位を知るものである。
このため、発振器・増幅器・整流器・送信器・受信器・受像器など、20もの機械があり、電探室は足の踏み場もない。
それらの器械には、今日のようなICも半導体もない。
すべて真空管・抵抗体で、その種類も何十種類、数も百ちかく、機内は電線が縦横に走っている。
機械を作動すると真空管に火がともり、それから発する熱気で、頭が痛くなってくるしまつ。
そして無理な作動を繰り返すと、真空管や抵抗体が「ボー」と燃え切ってしまうといった具合で、まったくむりがきかない。
・・・・・・・・・・
「占守」は僚艦とともに商船を護衛し、占守島の片岡湾をめざして大湊を出港した。
水中探信儀、電波探知機の性能を発揮し、見えない島嶼あるいは海底の起伏を精測して艦位の測定に大きい役割を果たした。
艦長はとっさの敵潜にそなえ、防寒服をまとって、つねに艦橋の椅子に待機していた。
目的地に着くという前夜、電波探知機のブラウン管に味方艦艇以外に、1隻の映像を右30度、距離5000mに発見、直ちに艦橋に報告する。
・・・・・・・・・・・
「占守」はその後も引揚船として、武器は全部とりはずされ、甲板上に木製のデッキを急造して、五、六百人くらい乗艦できるように改造した。
そして、南方の島々に残留の旧陸軍部隊の復員艦として涙の汗を流し活躍したが、昭和22年7月に賠償艦としてソ連に引き渡された。


結言
占守は海防艦(甲型)の一番艦として、昭和15年6月に三井玉野造船所で竣工しました。
昭和16年12月にマレー上陸の陸軍輸送船の護衛をはじめ、その後ビルマ方面等の船団護衛に従事してまいりました。
昭和19年11月にマニラ湾南方で雷撃を受け損傷するも昭和20年8月北海道方面で終戦を迎えるこことなりました。
昭和20年10月除籍後、復員輸送艦となり、昭和22年7月賠償艦としてソ連に引き渡されました。
海防艦の一番艦として従軍し負傷しながらも終戦を迎え、戦後も外地からの復員輸送に従事しつつ、その後は責任を取って戦勝国へ賠償として引き渡れ、その外地で必死に働きかつ当地にて最後に死すといったところでしょうか。
海上自衛隊でも海上保安庁でもいいですが、小型艦で結構ですが、是非、新造艦に「占守」の命名をしてもらえれば、海防艦「占守」のことを後世に伝えることができるでしょう。
決してソ連の行為を含め過去の歴史を忘れてはいけません。

 


参考文献
海防艦「占守(しむしゅ)」電探室異状なし 北村栄作 1990年6月 光人社
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
海軍通信作戦史 昭和24年3月 第二復員局残務処理部史実班
「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
丸スペシャル 海防艦 1979年6月 潮書房
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』占守島、占守型海防艦
Yahooオークション出品情報

 

 

 


オークションウォッチ 日本海軍[擇捉型(310号 艦型)海防艦 艦型図]青図

2020年05月05日 14時28分52秒 | 03陸海軍電探開発史

オークションウォッチ 日本海軍[擇捉型(310号 艦型)海防艦 艦型図]青図
断捨離中につき入札ご法度の身でありますので、入札に参戦できず下記Yahooオークションの推移を見守り、記録するだけとしました。
戦前/日本海軍[擇捉型(310号 艦型)海防艦 艦型図]青図/検)択捉型海防艦/マル急計画/大阪鉄工所桜島工場
商品情報
個数:1
開始日時:2020.04.29(水)19:51
終了日時:2020.05.02(土)21:50
自動延長:あり
早期終了:あり
返品:返品不可
入札者評価制限:なし
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落札者:z*l*y*** / 評価 1514
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出品マスターsankaku1955さん フォロー 
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戦前、日本海軍『擇捉型(310号 艦型)海防艦艦型図』青図です。  
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参考資料 択捉型海防艦
択捉

 
同型艦 福江

 

同型艦 笠戸

出品の写真をよく見ると、青図というか青焼きに「擇捉型(310号 艦型)海防艦 艦型図 レーダー装備のものを示す」と明記されており、艦図をよく見ると、確かに前檣(ぜんしょう;ほばしら)に22号レーダーの絵が描かれています。
戦時において日本海軍が自ら「レーダー」という用語を使用しないので不信に思い、詳細に観察すると製作年月として26.9.1956と記載されていることから、昭和31年9月26日に何かの目的で再作成されたものと思われます。
作成者はY.Higuchi(判別不明確?)、縮尺は1/200のようです。
興味を引いたのは、択捉型海防艦の設計図であり、前檣(ぜんしょう;ほばしら)に22号電波探信儀の空中線である電磁ラッパが描かれている点です。
日本の艦船のレーダーについては、ほぼ艦上のアンテナ(空中線)のみで艦内のレーダー装置の実体・配置を示した資料はほとんどありません。

今回は手元の資料を整理し、22号電波探信儀レーダーの実体を示す事とします。
戦記では、海防艦「占守(しむしゅ)」電探室異状なしと誇り高きオンボロ駆逐艦「神風」電探戦記などがあります。
少し、“海防艦「占守(しむしゅ)」電探室異状なし”から重要項目を抜粋します。
「占守」は排水量1020トン、全長78m、最大幅9.1m、喫水3.05mの小型艦ながら、艤装、構造ともにこったものであり、建造時には軍艦ということで船首には菊の御紋章がかがやき、外観も風格を備え、艦長室の造作も、他の艦とかけはなれた立派なものだった。
艦橋塔は3層になっており、1層目に通信室、2層目に海図室、電探室、3層目が艦橋となっており、その後部が旗甲板で、上部には3mの測距儀が装備されていた。
上甲板全部には艦長室と士官室があり、兵員室は下甲板前・後部が当てられ、荒天通路に接して烹炊所、医務室、浴室などがあり、中部最下甲板は機関室で、デーゼル機関2基、発電機があった。
6m内火艇1隻、カッター2隻、通船1隻がそれぞれ両舷に搭載され、前檣に電探のラッパ管、その後部に探照灯などが設けてあった。
・・・・・・・・・
22号電探は、電気的振動を発振・増幅されて、それを電波にかえて檣楼(しょうろう)にあるラッパ管内の送信アンテナより発信する。
波長8cm(誤記で実際は10cm)といわれる極超短波は光のように直進して、物体に当たると、山ビコと同じ原理で、ハネ帰ってくる特性を利用し、受信用のラッパ管内のアンテナで受けて、ブラウン管に映し出す。
その波型で距離、ラッパ管の奉公で物体の方位を知るものである。
このため、発振器・増幅器・整流器・送信器・受信器・受像器など、20もの機械があり、電探室は足の踏み場もない。
それらの器械には、今日のようなICも半導体もない。
すべて真空管・抵抗体で、その種類も何十種類、数も百ちかく、機内は電線が縦横に走っている。
機械を作動すると真空管に火がともり、それから発する熱気で、頭が痛くなってくるしまつ。
そして無理な作動を繰り返すと、真空管や抵抗体が「ボー」と燃え切ってしまうといった具合で、まったくむりがきかない。
※参考資料 866A 水銀整流管の電源投入時の管面変化   https://www.youtube.com/watch?v=V_DZO6d0B-I
・・・・・・・・・・
「占守」は僚艦とともに商船を護衛し、占守島の片岡湾をめざして大湊を出港した。
水中探信儀、電波探知機の性能を発揮し、見えない島嶼あるいは海底の起伏を精測して艦位の測定に大きい役割を果たした。
艦長はとっさの敵潜にそなえ、防寒服をまとって、つねに艦橋の椅子に待機していた。
目的地に着くという前夜、電波探知機のブラウン管に味方艦艇以外に、1隻の映像を右30度、距離5000mに発見、直ちに艦橋に報告する。

※参考資料 海軍航空機搭載 3式空6号無線電信機4型(H-6) レーダー
使用周波数150MHzであるが、航空機から島嶼の距離、方向を当時のレーダーで確認することができる。
さらにこの空中線を回転できれば、平面図いわゆるPPIレーダーとなります。
ただし、150 MHzなどのVHFでは解像度が荒く、22号レーダーで使用しているセンチ波の極超短波が必要となります。

 
・・・・・・・・・・・
「占守」はその後も引揚船として、武器は全部とりはずされ、甲板上に木製のデッキを急造して、五、六百人くらい乗艦できるように改造した。
そして、南方の島々に残留の旧陸軍部隊の復員艦として涙の汗を流し活躍したが、昭和22年7月に賠償艦としてソ連に引き渡された。

占守竣工時(レーダーなし)


 
戦後の占守(引揚船用に改造、22号レーダーあり)


 


2号2型(Mark 2 Model 2 )電波探信儀(レーダー)
戦時中におけるマイクロ波レーダーの実用化の最大の問題点は、マイクロ波の搬送波からベースバンドの信号をいかに取り出すかという課題を克服することだった。
初期の二号電探二型では、昭和18年初旬に問題はあるが超再生検波方式のもので実用された。しかし、受信機方式の本質的な欠陥に対してはさしたる対策のないままだった。
同年春には、ドイツから英軍が九センチ波のレーダーを使用し始め、その受信方式にマグネトロンを局部発振に、鉱石を検波に使ったスーパーヘテロダイン方式が用いられているという情報が入っていたが、わが方の研究開発陣に特別な動きはもたらさなかった。
次に、昭和19年3月頃に検波方式を改良し再生式検波方式とした二号電探二型受信機改一が実用化されたが、依然運用面では不安定であることの課題は残っていた。
このため、菊池教授門下の霜田氏は、さらに同教授の指導で二号二型電探の受信機の第一検波にも鉱石検波器を使用する研究に着手し、昭和19年9月に二号電探二型受信機改二としてスーパーヘテロダイン方式が実用化され、やっと安定運用することが可能となった。
なお、鉱石検波器は混合部である空胴共振器内でマイクロ波から中間周波数を取り出すために使用された。
一方、米国では、レイセオン社がSGレーダーを開発した。波長10センチメートル(周波数3ギガヘルツ)帯のPPIスコープ方式の2次元レーダーである。
1942年(昭和17年)10月11日のサボ島沖海戦では、SGレーダーの情報に基づく夜間射撃により、日本海軍が苦杯をなめることとなった。
また11月の第三次ソロモン海戦およびルンガ沖夜戦では、駆逐艦「フレッチャー」において、本機によって得られた高精度の情報が艦長の戦闘指揮を大いに助けた。
昭和18年春のドイツの情報をレーダー開発に即座に反映しなかったことがこの技術差を更にひらく結果となったことは残念でならない。

駆逐艦花月における2号2型改4Sレーダー配置を以下に示す。



セルシンによる方位角の測定




参考文献
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
仮称2号電波探信儀2型昭和17.11.26 海軍技術研究所電気研究部 防衛省戦史資料室
「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
海防艦「占守(しむしゅ)」電探室異状なし 北村栄作 1990年6月 光人社
丸スペシャル 海防艦 1979年6月 潮書房
3式空6号無線電信機4型取扱説明書 昭和18.9.1 海軍航空技術廠支廠 防衛省戦史資料室
ラジオライフ 1984年6月号
Yahooオークション出品情報

 

 

 

 


我が家も「ビデオ通信」導入へ!!

2020年05月03日 21時08分39秒 | 96無線コラム

我が家も「ビデオ通信」導入へ!!
新型コロナ蔓延の中、厚生省の無策のためコロナ感染したらどこの病院にいけばいいのか、はたまたPCR検査もできない事態となって居ます。
自衛策として、オンライン診療や子供のオンライン帰省などの利用を考慮し、我が家もビデオ通信の設備を導入することとしました。
本日は導入にあたり、これまでの顛末を記録することしました。
2020年4月16日時点で国内の大型家電量販店にはWebカメラは全て姿がありません。
これまでに、学生かサラリーマンがビデオ通信のため購入されたのが原因のようです。
それではネット購入ということで調査すると、アマゾンに在庫があることが判り、このサイトでWebカメラを購入したら、今までの経験ではない可笑しなことばかり発生しました。
販売先;GOTCALL
Homemax ウェブカメラ 1080p Full HD 30fps 高画質 500万画素 オートフォーカス USBカメラ 内蔵マイク 会議用 PCカメラ -Microsoft Teams, Dingtalk 
販売価格;¥ 4,599

お客様は、2020/4/16にこの商品を注文しました。
注文日 2020年4月16日 注文番号 249-8873342-0023806 
4月16日に注文し、到着予定が4月21日から4月30日までとのこと
この時まで当然国内の販売会社で特定商取引法に基づく標記は以下のとおりです。
販売業者:GOTCALL
お問い合わせ先電話番号:+86 13307108412
住所:南蒲田1丁目13-2 大田区 东京都
658-0063 JP
運営責任者名:Yanyi Zheng
店舗名:GOTCALL
アマゾンの配送状況は、以下のとおりで遅れること3日目の5月2日に商品が到着しても、今でこの状態のままです。
配送業者 佐川急便 
トラッキングID: 517759201470 
4月17日金曜日 
商品を発送しました。配送拠点を通過するまで配送業者による荷物の追跡はできません。 

購入者もかなり不安となったようで下記の評価コメントがありましたので、少し参考のために掲載します。
フィードバック
1(星5つ中)
“5月2日到着予定の荷物が 未だに佐川の追跡に該当なしと出ている 間違いなく遅延は決定 しかし 遅延するとの連絡は 今のところナシ 5月4日までに届かなければ キャンセルします”
評価者:桝本 也、日付:2020/04/30  

1(星5つ中)
“指定日までに商品が届きませんでした。また、佐川急便の問い合わせ番号の記載がありましたが、該当なしとなり配送している感じではない状況です。出品者にメールするが届かない。キャンセルできず、商品の返品手続きするも住所が中途半端。発送されていないのであればキャンセルお願いします。”
評価者:濱中 .、日付:2020/04/30  

1(星5つ中)
 “  4月15日に購入しその時点で在庫あり、4月20日から27日の間に到着との連絡でしたが、届かず。問い合わせをしたところ、26日に中国の空港を出発したと連絡をいただきました。コロナの件で配送が遅れていることは重々理解しておりますが、せめて国外からの発送である旨を明記していただきたかったなと思います。30日現在届いておりません。追跡番号も「お荷物データが登録されておりません」で意味なし。ちょっと諦めてます。 ”
 もっと少なく読む    
評価者:mao、日付:2020/04/30  
“客様,本当にごめんなさいが,商品が日本に到着しました ! しかし、海関にはたくさんの商品が積まれています,商品を清关するには時間が必要です,売り手も非常に無力です. コロナの影響を本当に受けている,売り手は最善を尽くします,客様が商品をできるだけ早く受け取ることができるようにする. ご不便をおかけして申し訳ありません!”
評価者:GOTCALL、日付:2020/04/30  

1(星5つ中)
“キャンセルリクエストしたものの受け入れられず、出荷連絡がきたものの1週間以上経過した今日も届いていません。”
評価者:Kamepon、日付:2020/04/30  

5(星5つ中)
“迅速に対応いただきありがとうございました.またの機会にはよろしくお願いします.”
評価者:Amazon カスタマー、日付:2020/04/30  

1(星5つ中)
 “  27日に届くとありましたが、29日の夜になっても届いていません。 どうなっているのでしょう? ”
 評価者:亀山、日付:2020/04/29  
“  トラッキングコード:517759202962 佐川急便今COVID-19のため、配達が遅れて本当にすみません. メール添付をご確認ください ,今商品が日本に到着し、通関手続き中です! ”
評価者:GOTCALL、日付:2020/04/30  

1(星5つ中)
“  荷物は届きませんでした。発送されたと通知が来て以来、到着予定日を過ぎても追跡番号は登録されておらず、キャンセルの手続きをしました。 ”
評価者:Amazon Customer、日付:2020/04/29  
“  客様,トラッキングコード:517759088626 佐川急便, 日本に到着後、通関後、物流情報を更新します. 今COVID-19のため、配達が遅れて本当にすみません. メール添付添付をご確認ください ,今商品が日本に到着し、通関手続き中です! ”
評価者:GOTCALL、日付:2020/04/29  

1(星5つ中)
“  まだ品物が届きません。 まだ商品は届きません。 あと何日待てばよろしいでしょうか? これからでも返金の対応はしていただけるのでしょうか? ”
評価者:磯 弘、日付:2020/04/29  
“  客様,トラッキングコード:518442066240 佐川急便, 日本に到着後、通関後、物流情報を更新します. 今COVID-19のため、配達が遅れて本当にすみません. メール添付添付をご確認ください ,今商品が日本に到着し、通関手続き中です! ”
評価者:GOTCALL、日付:2020/04/29  

2(星5つ中)
“  まだ届いていません、コロナウイルス騒ぎで遅配かな? ”
評価者:aki、日付:2020/04/29  

遅延自体は今回の新型コロナによる輸送の大幅な遅延であることはよく理解できます。
少し今回の伝票から輸送ルートを調査します。
4月23日 中国深圳発
依頼主;Barnou Goose International Logistics Co
集荷営業所;佐川急便りんくう営業所
伝票番号517759201470


受取伝票 4月28日
伝票番号517759201470
依頼主;千葉県千葉市・・・株式会社JCL
貨物問合せ;佐川急便 西広島店


お問い合せ送り状サービス
詳細 お問い合せ送り状NO 最新荷物状況
詳細1 517759201470     配達完了
お荷物のお届けが完了致しました。
ご利用頂きありがとうございました。
配達完了日 : 05月02日 19時24分 
お問い合せ送り状 NO517759201470
出荷日 2020年04月28日 
集荷営業所 りんくう営業所 TEL:072-458-1500 FAX:072-458-7103 
配達営業所 西広島営業所 TEL:082-849-2828 FAX:082-848-9961 
お荷物個数 1個 
荷物状況 日時 担当営業所
↓集荷  04/29 12:02  りんくう営業所 
↓輸送中  04/30 02:45  関西中継センター 
↓配達中  05/02 18:55  西広島営業所 
⇒配達完了  05/02 19:24  西広島営業所

配送は中国深圳4月23日から日本の関空のりんくう営業所へ
4月28日佐川急便りんくう営業所から関西中継センターへ
5月2日佐川急便西広島店へ

ここでは、2020年04月28日なぜ依頼主;千葉県千葉市・・・株式会社JCLが発送依頼しているのか不明です。
本来の受注業者のGOTCALL(単なるブローカーなのかもしれません)は、発送段階では全く関与していません。
当然遅延トラブルでもGOTCALLは把握もできず、お客様への対応もできません。
しかも、少し日本語も不自然ですし、メールアドレスも不達です。
ただ逆に考えると、中国人のこの手のビジネスモデルでは個人でも組織的レベルにおいても中国・日本各地で有機的(人的パイプや地縁、血縁)に結合・結束し統合的なビジネスを効率的な行っているという事実です。
大変見事というほかありません。
欠点としては、このような組織では、統一的な管理・把握はできませんし、途中でトラブルがあっても把握も対処もできません。
責任感という言葉はないのかもしれませんが、結合・結束型の利益が代替しているようです。
よく中国国内での宅配便の末端の品物の配達シーンをTVで拝見しますが、繁忙期の大混乱のような大量品物が乱雑に置かれていますが、最後は個人の請負業務(個人利益)で無事に配達を完遂するのではないでしょうか。
残念ながら、日本では1社が統一管理(支配)し、国際調達から国内配送までを差配するという昔ながらの発想しかありません。
このことは、新型コロナの厚生省の対応においても立派に証明されています。
保健所のどんづまりを根本的に解決せず、保健所の職員は寝ずに頑張っているのだから国民も辛抱せよという姿勢のようです。
あきれて物もいいたくないのですが、とにかくPCR検査は医者が要望したら実施できなければ、今後も無用な死亡者を出すことになります。

※5月3日Webを見るとこの商品価格が¥ 4,599から¥2,780に変更になっていた。


前置きが少し長すぎましたが、ここからは本来のWebカメラについての所感です。
2台発注しましたが、両機とも機能的には何等問題はありませんでした。
ただし、接続ケーブルのUSBとマイクケーブルが先端から15cmで結束されているため、我が家のノートパソコンでは接続ができず、マイクケーブルにオーディオの延長ケーブルを接続することで解決しています。

現代のビデオ通信よりもはるか前、1970年頃米国のAT&Tのベル研究所で開発したピクチャーフォンというテレビ電話のことを思い出します。
1972年日本でも日本電信電話公社からテレビ電話サービスが開始されましたが、ほとんどの方はご存じないでしょうね。
1970年からさらに40年が経った現在、われわれはSkypeやZoomで簡単にテレビ電話を利用できるようになりました。
それでもテレビ電話は今まで主流にはならなかったのですが、今回の新型コロナによる外出自粛やテレワークによる在宅勤務により、ビデオ通信の役割がやっと再認識されることになりました。

 

文献
ベル研究所の興亡 2013年6月 ジョン・ガートナー
開かれたテレトピアへの道 昭和57年10月 日本電信電話公社