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独逸ウルツブルク式系統の国産化レーダーの譜系について(令和3年11月17日)

2021年11月17日 15時40分11秒 | 03陸海軍電探開発史

独逸ウルツブルク式系統の国産化レーダーの譜系について(令和3年11月17日)

独逸ウルツブルク式系統の国産化レーダーの譜系について

独逸ウルツブルク・レーダーの国産化については、「幻のレーダーウルツブルグ」昭和56年12月 津田清一著により大変詳細に紹介されています。
今回は、独逸ウルツブルク・レーダーの国産化の過程により派生した陸海軍の国産レーダー開発の譜系を考察することとしました。
まずは、独逸ウルツブルク・レーダーの国産化であるタチ24について紹介します。
ウルツブルグFuMG 62A-D  http://lucafusari.altervista.org/page1/page26/WurzburgRadar.html

この中で、ウルツブルク・レーダーの最大の特徴である精密測距技術に着目するこことします。

 
 基本事項(以降は忘備禄用として記録しておきます)
レーダーの原理
数学的根拠については以下のとおりである。 
L =( S * C )/2     f  = C /( L*2 )
※  L:距離、S:時間、C:光の速度(30万キロメートル/秒)、 2で割/掛けするのは往復時間の補正のため、fは周波数。
ウルツブルグで使用する重要指標は以下のとおりである。
L1=40Kmの距離は、S=0.266666秒かかることがわかる。これを周波数換算すれば、f1=3.750Khzとなる。 
また、L2=5Kmの距離は、S=0.033333秒かかることがわかる。これを周波数換算すれば、f2=30Khzとなる。 
なお、f1とf2の周波数比は、8倍である。
レーダーによる距離測定は、使用するパルス繰返周波数の波長の距離となる。
パルス繰返周波数が3.750Khzであれば、1波長は40Kmとなる。
送信パルスを発射し、パルスの反射波を指示器に表示する。

送信パルスの作成事例

 
Aスコープの指示器の事例では、ここに反射波がでるので目盛較正からおおよその距離が測定できるが、測定精度は悪く、見張用の電波警戒機としか利用できない。


 電波標定機は射撃管制レーダーとして使用するためには精密測距技術が必要となる。
まず、基本として距離を測定するためには、移相制御が重要となる。
具体的には、ウルツブルグではパルス繰返し回数を3.750Khzを採用することにより、1波長80Kmの半分である40Kmの測定が可能となる。
この範囲に反射波として出現する受信パルスとは別に、指示器内で同じ繰返周波数で生成した正弦波を移相して受信パルスを一致させれば、精密な距離が測定できることになる。

正弦波の移相について
移相の手段については、ツーロン回路(Toulon circuit)とゴニオメーターの2つの手段があるが、どちらの方法も、戦時でも既に一般化した知識であった。
ツーロン回路(Toulon circuit)の事例


 
ツーロン回路の実験用モデル試験

 

ゴニオメーターの移相について
本来のゴニオメーターは、下記の資料のとおり直交したコイルからベクトルデータを求めるもので、一般的には方向探知機として利用されている。
今回は、単に移相を目的としているため、単純モデルとした。

 
ゴニオメーターもどきの回路の実験用モデル試験

 

移相調整の事例
ツーロン回路(Toulon circuit)、ゴニオメーターとも可変で移相することを確認したが、ゴニオメーターもどきではコイルの巻き数不足のためか出力が弱く、ツーロン回路の結果をのみ掲載する。

 

ウルツブルグの測距機の解説について
タチ24 http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022270.html
ウルツブルグに関する国内資料では、唯一「幻のレーダーウルツブルグ」昭和56年12月 津田清一著があるが、ブロックダイヤグラムなどの詳細な内容を検証すると不明瞭な箇所も多く、システムを理解することで困難こと場合が多々ある。
信頼できる1次資料としては、敗戦直後にGHQへ提出した「Japanese Wartime Military Electronics and Communications, Section 6, Japanese Army Radar, 1 April 1946」と「Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946」資料をもとに、資料不足や理解できない箇所については、筆者が製作したらとの仮定の上で、真に勝手ながら推論を含めて分析・解説を進めることにしたい。

ウルツブルグの測距機の操作面


 
精密測距方法について
ウルツブルグの精密測距方法については、大変特異な測距方式が採用されている。
移相方式は、ゴニオメータ―を採用しているが、入力周波数が3.75Khzと30Khzで、1回転で360度の移相を変化できるゴニオメーターを各1個づつ用意し、しかも歯車機構でこの2個のゴニオメーターを1:8の倍率のもので連結し、どちらのゴニオメーターを回転させていても、連結しているので1:8倍の比率で回転する。
更に、ゴニオメーターを作動させる発振部は、一方は3.75Khzの粗調整用ゴニオに注入し、他方は1:8倍のバーニア機構付きで30Khzの密調整用ゴニアに注入する。
この条件下で、2つのゴニオメーターの動作は、一方の3.75Khzの粗調整用ゴニオのもの角度が、0から40Kmの範囲で比例する。
連結された他方の30Khzの密調整用ゴニオのもの角度は、0から40Km(5Km×8倍)の範囲で比例させるため1/8倍の角度変化で回転することとなる。
逆に、30Khzの密調整用ゴニオを回転させれば、この時連結された3.75Khzの粗調整用ゴニアの角度変化は8倍されて回転する。
また、30Khzを注入した密調整用ゴニオメーターの調節により、測距で標定された黒点パルスを表示機の索敵(粗距離)、方向、高低の各ブラウン管に送られ黒点表示することでどの位置の受信パルスが標定されたか認識することができる。
移相調整については、正弦波が条件となるが、一方指示器に表示される受信パルスに対する標定のため、ゴニオメーターの出力として移相された正弦波を矩形波に変形し、微分回路を通してパルス化したものを更に極性反転し、負パルス(黒点パルスと称している)としたものを表示機のブラウン管の第1グリッドに輝度変調として注入する。
これによって、ブラウン管の表示で黒点として交点が非表示状態(カットオフされる)となり、受信パルスに標定した位置(移相)が正確な測距距離となる。
測距機の測定結果については、通常はデジタル表示されるが、ウルツブルグでは複雑な歯車機構のため、測定結果については目盛スケールによる読取りが必要となる。

測距機の指示器について
精密に距離を決定するためには、1台はJ形表示をしたブラウン管を使用し全距離範囲を指示し、もう1台はその範囲内のせまい部分を拡大して表示する必要がある。

粗調整用の極座標用ブラウン管(Jスコープ)について
ウルツブルク・レーダーでは、索敵用にJ形表示の120mmのブラウン管が採用されている。
索敵のためには、下記のようなJ形表示を行えば敵味方の航空機を一方向ではあるが、0から40Kmの範囲で即座に距離を把握することができる。

J形表示用ブラウン管の構造について(レーダー工学(上巻)より抜粋)
J形表示には特別に設計された静電型ブラウン管を使用する。ピン状の電極をスクリーンの中心を貫通させる。
掃引電圧を水平及び垂直偏向板に加え、輝点に円運動をおこさせる。
中心のピンに負電圧(接地電位の第二陽極に対して)を加えると、ピンから遠ざかるような電子ビームの偏向電界を生じるが、エコーの指示はこれを利用して行うのである。

 

日本でも、昭和17年2月発行の「ブラウン管及び陰極線オシログラフ」の中に同様な説明がされているが、東芝でライセンス製造されていたのかは不明である。

R03.11.18 追加資料
移相に関連し、方位角(方向)、仰角(高低)の75mmの観測ブラウン管については、3.75Khz用のゴニオメーターの出力を利用した鋸歯波をもとに掃引を行う。
これは、120mmの索敵用J型表示ブラウン管で0から40Kmの全体の受信状況を確認し、精密測距の担当者は、測距機のゴニオを使用して調定している情況を、黒点を通し方位角(方向)、仰角(高低)の操作者にも把握できることにある。
 


ウルツブルグ式系統の国産化レーダーの具体的な検証について
幻のレーダー・ウルツブルグ 津田清一著 抜粋
昭和19年4月 タチ24の生産計画
1. 現在、日本電気で生産されている「タ号3型電波標定機」の生産を打ち切り、ウルツブルク・レーダー(タチ24)に生産を切り替える方針である。
2. 試作機の完成しは、昭和19年末を目標とし、調整、検査改修完了は、昭和20年2月末、電波兵器実験の完了は、5月末とする。
3.標定機用架台は高射砲架台を官給する。
4.反射鏡は広島県下の東洋工業(株)に日本無線が発注し、多摩研が連絡する。
5.ブラウン管は東芝研究部が担当する。
6.ドイツ電子管は、日本無線が担当する。
7.その他の生産と取り纏めは日本無線、三鷹工場(皇国第294工場)とし、生産責任者は、中島進治社長とする。
8.多摩研究所の責任者は新妻精一中佐、仕事の担当者は山口直文大尉とする。
9.生産遂行上の障害は、多摩研が責任をもって処理をするから佐々木工場長は、陸軍工場の小杉繁造部長にウルツブルグの試作機を、今年末までに是非とも完成せよ、と命じた。

タチ24の開発主体は日本無線であるが、「ブラウン管は東芝研究部が担当する」とある。
戦時中では、ブラウン管の製造は、東芝、住友(日本電気)、川西機械の3社しかなく、最大手の東芝に任すしか手立てがなかった。
特に、測距用の極座標用ブラウン管(Jスコープ)の製造ノウハウは東芝しかなかった。
なお、東芝研究部とあるが、東芝電子工業研究所のことのようである。
文書にはないが、精密測距機構についても、東芝に依頼したことがうかがえる。

タチ24は、ウルツブルグ・レーダーの完全コピー版のため差異はないものと思われる。

タチ31 http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022269.html

 
本機の特徴
開発主体は東芝である。
タチ4の改良版であることから、使用周波数は200Mhzの超短波帯のままである。
測距機については、ウルツブルグ型のゴニオメーターを採用している。
しかし、ブロックダイヤグラムを追ってみると、30Khzの密調整用ゴニオは、黒点の表示のみに使用しており、本来必要な測距については、3.75Khzの掃引で行っており、厳密には正確の測定は期待できない。
索敵用の120mmの観測ブラウン管もJ形スコープではなく、A形スコープと思われる。

参考資料 タチ31構成真空管一式


 

海軍二号電波探信儀三型 http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022316.html
海軍二号電波探信儀三型 S8

 
本機の特徴
開発主体は東芝である。
本機は、S8は海軍の艦船用水上射撃管制レーダーである。
パラボラアンテナは送信用と受信用と別個に設けられている。
使用周波数は、ウルツブルグよりも少し低い517Mhzの極超短波帯を使用している。
本機は艦船の水上射撃管制レーダーのため、仰角(高低)の表示装置は組み込まれていない。
測距機についてはウルツブルグ型を踏襲し、測距については、30Khzの密調整用ゴニオを使用している。
しかしながら、索敵用のブラウン管は75mmと小口径のブラウン管のためJ形スコープではなく、A形スコープと思われるため観測精度には問題がある。
なお、索敵用のブラウン管の掃引については、射撃管制用に3.75khz(最大40Km)と水上見張用に500Hz(最大300Km)の鋸歯波の切換機能が追加されている。

海軍二号電波探信儀三型 S8A


 
本機の特徴
開発主体は東芝である。
本機は、S8Aは海軍の艦艇用対空射撃レーダーを意図して企画されたものである。
パラボラアンテナは送受共用である。
使用周波数は、ウルツブルグよりも少し低い500Mhzの極超短波帯を使用している。
測距機についてはウルツブルグ型を踏襲し、測距については、30Khzの密調整用ゴニオを使用している。
しかしながら、索敵用のブラウン管は75mmと小口径のブラウン管のためJ形スコープではなく、A形スコープと思われるため観測精度には問題がある。
なお、索敵用のブラウン管の掃引については、射撃管制用に3.75khz(最大40Km)と対空見張用に500Hz(最大300Km)の鋸歯波の切換機能が追加されている。

昭和20年5月に初めて陸軍ではウルツブルグのコピー版であるタチ24の1台が完成、直ちに陸軍の実線部隊に導入されたが、昭和19年7月には、東芝によって海軍の海軍二号電波探信儀三型S8Aが、ほぼ完全版の和製ウルツブルグとして完成したこととなった。
ただし、この時期では艤装タイミングもなく、やがて搭載すべき艦船も消滅したのは大変な歴史の皮肉というほかない。



特1号練習艇に搭載され実用試験を実施


参考資料
レーダーの指示器の表示形式

 

戦時中のレーダー用ブラウン管について
ウルツブルク・レーダーでは、索敵用にJ形表示の120mmのブラウン管をよく見ると、前面の表示部がフラットになっていることがわかる。
戦後の普及した家庭用テレビも長い間はブラウン管の前面パネルが丸みを帯びていたもの使用されていた。
ところが、1996年11月、ソニーは世界初の平面ブラウン管テレビ「べガ」を発表した。
「べガ」は、瞬く間にヒット商品となり、松下電器産業の牙城の一角を切り崩した。
このようにブラウン管へ平面化対応は困難をともなうが、戦時にウルツブルグ・レーダーの完全コピー版であるタチ24もこの平面ブラウン管の製造に成功したのだろうか。
戦時中のブラウン管と昭和39年製の国内メーカーによる平面ブラウン管を参考に掲示する。
戦時中のオシロスコープの事例 120mmと75mm


 昭和39年製の国内メーカーによる平面ブラウン管


 


気付き
昨今テレビで東芝の3社分割の報道がされているが、戦時の苦労から比べればどんな問題も乗り越えられるはずだ。
ただ、その遺伝子が未だ残っていればの話だが・・・・
財務中心の企業ばかりでは、社会からはその存在の価値を認めることはできないぞ!。


参考文献
「幻のレーダーウルツブルグ」昭和56年12月 津田清一著
Japanese Wartime Military Electronics and Communications, Section 6, Japanese Army Radar, 1 April 1946
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
レーダー工学(上巻)
ブラウン管及び陰極線オシログラフ 昭和17年2月発行
無線工学ポケットブック
位相の測定方法 http://cc.ce.nihon-u.ac.jp/~ee-kiso/manual/2015/No103-2015.pdf#search=%27%E7%AC%AC3%E7%AB%A0+%E3%82%AA%E3%82%B7%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%97%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E4%BD%8D%E7%9B%B8%E3%81%AE%E6%B8%AC%E5%AE%9A%27

 

 

 

 


東芝社史に掲載されたレーダー写真の機種同定に関する考察について(令和3年11月08日)

2021年11月08日 19時28分08秒 | 03陸海軍電探開発史

東芝社史に掲載されたレーダー写真の機種同定に関する考察について(令和3年11月08日)

東京芝浦電気株式会社八十五年史の第15章 防衛機器の電波探知機(レーダ)の項に下記の陸軍用戦時開発のレーダー写真が掲載されています。

 

右端の写真は「た-4号電波標定機」の型式が記載されていますが、軍令的には、「タチ4」、「た号4型」であり、軍政的には「超短波標定機四型」、「電波標定機4型」と呼称されています。

 
「幻のレーダーウルツブルグ 津田清一著」では「た号4型」、防衛庁技術本部記述調査部発行の表題「対空電波標定機た号2型、4型」の表記があります。
ここでは、「た-4号電波標定機」のことを「タチ4」であると標記するこことします。

それでは、その他の左端と真中の写真である「ち-1号標定機」、「ち-3号標定機」は、名称的には「タチ-1」と「タチ-3」と考えられますが、どう考えても一致する機種ではありません。
また、「た号1型」、「た号3型」は実在しますが、「ち-1号標定機」、「ち-3号標定機」の表記はありません。
根本的に異なる点は、「タチ1」と「タチ3」とも大戦の初期開発のもので使用電波は超短波帯(メートル波)であることから、アンテナはパラボラ型ではなく、八木型アンテナが採用される必要があります。
日本でパラボラアンテナが採用されるのは、大戦末期でしかも極超短波帯(センチ波)を採用したレーダーに限定されます。
「ち-1号標定機」、「ち-3号標定機」の写真で見るかぎり、あきらかに極超短波帯(センチ波)のレーダーです。
機種を同定するにあたり、3機種の写真を分析すると、先ず全てレーダーが移動式であり、その車体は車輪や車体を固定する仕組みが同じものであることから、タチ4の車体を「ち-1号標定機」、「ち-3号標定機」は流用していることが判ります。
したがって、大戦末期の新型のレーダーであり、かつ、製造メーカーも同じ東芝であることが推定できます。
また、このような簡易な流用を考慮すると単なる試作品である可能性もあります。

左端の写真の「ち-1号標定機」の機種同定の検討に入ります。

 
外観写真から分かることは、パラボラアンテナが1つであるここと搭載機器は非常にコンパクであることが分かります。
搭載機器は、大型の送信機器がなく、指示器であるブラウン管もありません。
これらから、本機は極超短波帯専用の電波探知機(逆探ともいいます)である可能性が高かそうです。
なお、海軍の電波探知機(48号受信機)の事例を紹介します。


 
ここで日本無線史第九巻から下記の資料を紹介します。

地上用極超短波探索機 タチ30
第二次兵器として周波数帯の相当広いものを研究中であった。
別に昭和19年(1944年)下期B29装備電波暗視機の電波探索のため地上用極超短波探索機(タチ30)を研究試作し直ちに実用に供した。
本機は当時入手した独逸の対「ロッテルダム」装置(英軍機上電波暗視機)電波探索機に比して性能遥かに勝れたものであった。

 日本無線史第九巻では実機の写真はありませんが、このタチ30が「ち-1号標定機」に該当するものと推定できます。
ただし、タセ2のパラポラアンテナの試験装置の可能性もありそうです。
「タチ30」か「タセ2」なのか、どちらが正しい分かりません。


最後に、真中の写真の「ち-3号標定機」の機種同定の検討に入ります。


外観写真から分かることは、パラボラアンテナが2つであるここと搭載機器は布で覆われていますがかなりの大型の機器が搭載されているようです。
明らかに、移動式の極超短波帯を使用した電波標定機であることが分かります。
なお、参考に英軍WWⅡ中期の射撃管制レーダー(GL Mk.Ⅲ)の事例を示します。


 

ここで日本無線史第九巻から下記の資料が情報量は僅少ですがあります。
地上用電波標定機 タチ25
移動式、ドップラー方式
部分研究終了、第二次兵器として設計中のところ爾他緊急研究事項の関係上昭和19年度(1944年)下期中止

タチ25は、移動式、ドップラー方式ということは、極超短波帯が使用されていることであるので、「ち-3号標定機」と此の点では内容が一致しています。
しかし、部分研究終了、第二次兵器として設計中のところ爾他緊急研究事項の関係上昭和19年度(1944年)下期中止とあるのに、「ち-3号標定機」は試作品としても既に完成しているように見えます。
なお、日本でドップラー方式を採用したレーダーの開発を企画した例は殆どないので、まずはドップラーに関する資料をあたります。

陸戦兵器総覧 1977年3月 日本兵器工業会編からの抜粋 P589
ドイツのウルツブルグレーダーについて P587
昭和17年2月、ドイツ空軍から説明を聞いた時には部隊はすべて第四次製品ウルツブルグDを使用していた。観測装置に特殊な工夫が加えられ、方向高低精度は0.5度以下、距離精度は15メートル以下という驚異的なものに向上されていた。
なお、この装置は自動車牽引式に装備され、移動する高射砲とまったく同一の運動速度と、陣地進入速度を持っていた。しかも教範によって行動すれば足りたのである。故障も予備ブロックの差換えで1分と要しない程度に兵器化されていた。さすがと思われたのである。
このころから敵は金属片を空中に撒布し、その所在を欺瞞させる手段をとるにいたった。しかし、これはただちに目標速度の変化から、目標を選別できるように改造して対抗した。これがウルツブルグEである。改装から部隊普及までに数ヶ月で事足りている。
戦争が進むにつれて、航空機性能はいちじるしく進歩し、高射砲のみをもってしては対空防禦は不可能になってしまった。そのため、戦闘機には目標発見用電波兵器が装備され、また、この戦闘機は地上から誘導されて最短時間で敵機に近づく手段が講じられた。そして高度と地域の立体的戦闘地域が区別され、高射砲と戦闘機の協力防禦戦闘が行われた。地上の司令部においては、彼我の態勢は刻々とその指揮盤上に標示されて行き、一指揮官のもとによく戦闘が規整され指導されていった。
かくまで戦争の推移に追随してきたドイツの電波技術も、ついに数において英米に屈してしまわねばならなかった。
当時、電気技術者の数はアメリカにおいてドイツの10倍といわれていた。そのうえに爆撃の脅威を受けていないアメリカの生産能力は、果たして何倍であったか推定の限りではなかろう。これから考えて米英の電波兵器の進歩は、はるかにわれわれの想像をこえていたと思われる。

これは、日本の陸軍が大戦中ドイツからの情報で、英国のチャフ(電波欺瞞)対応でドップラー効果が利用できることを示唆し文章です。

更に、Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946 E-1 分冊E-13に以下の文面があります。
Ⅲ. 当社が実施したマグネトロン研究の課題(H.今井)
(d) 電波標定機でインパルス方式を用いた場合、山のような固定物体の有害なイメージを指示器から排除することはできない。 しかし、ドップラー効果を適用すれば、高速で移動する物体だけを検出でき、さらにその物体の絶対速度を測定することができる。 後者のデメリットは、ノイズのない安定した高出力の連続デシメータ波を得て、直読で距離を測定することが難しいことにある。 この報告書の筆者である今井氏のもとで苦労して開発された電波標定機(ロケータ)の概要は次の通りである。
波長・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・20cm
送信機・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12分割マグネトロン(空冷式)
アンテナ出力・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・150W(連続)
検波器・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・水晶
放物面の直径・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.5 メートル 
測距システム・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・F.M.
有効距離・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中型爆撃機では25km 、B-29では40キロ
なお、本電波標定機(ロケータ)が実際に使われるようになったわけではない。

上記の当社が実施したマグネトロン研究の課題(H.今井)の資料では、メーカー名も機種名もありませんが、ドップラーレーダーの試作品であることは確かです。
少し資料に矛盾はありますが、今回はこれを「タチ25」ということしました。

<資料追加>R03.11.11
東京芝浦電気株式会社八十五年史に下記の記述があります。
第2編東京芝浦電気改部式会社の発足と戦時下の歩み 第3章民需から軍需へ
電子工業
第4節 電子工業研究所の生産
前に述べたように、昭和18年後期になると航空機優先となり、したかって、その耳目となる電波兵器・無線機・真空管の生産が急務とされた。
当社ではこれに対処して、東京電気(無線)のちの通信工業支社が主としてこれにあたり、川崎支社では、真空管工業主管のもとで受信管のみを生産していた。
そしてこれらの高度の技術研究は、総合研究所のなかの電子工業研究所(以下電子研と称す)があたっていた。
多摩技研研究室の開設
しかし、電子研では軍、特に陸軍からの要請がますます強くなってきたので、研究のみならず生産にも乗り出すことになった。
すなわち、18年9月、多摩陸軍技術研究所川崎研究室が川崎本工場内に設けられ、軍・民共同で電子工業(電波兵器)の研究および量産にあたるこことなった。
電子研の独立
18年12月1日、電子工業研究所を総合研究所から独立させ、川崎支社の「真空管工業」を電子研に包含させた。
そして、その活動の徹底と強化・敏速を期するため社長直属の機関とし、理事 浜田成徳が所長に任命された。
なお、通信工業支社と密接な連絡をたもつため、電子研・通信工業支社および川崎支社からそれぞれ委員を選出させ、真空管生産会を組織して、生産分野その他を協議決定するこことした。
また、その活動を徹底強化するため、関係重役及び理事をもって理事会を設けた。
電子研の製品
電子研の製品別売上高は、第Ⅱ-14表に見るとおりで、これらのうち、通信機製造所とは別に、電子研で製作電波兵器および特殊真空管であるソラ真空管について簡単に述べる。
電波兵器-電子研が、試作または内示をうけて生産したものは、つぎのとおりである。
                                       多摩技研  第一造
タセ3号         10台   20台
タチ23号(G2)                5台    -
タチ31号(G4)      10台   25台
タチ25号(ち8号)     1台
ソラ真空管-電子研の製品のなかでも特筆すべきものは「ソラ」真空管である。
これはRH-2形を改良した万能の受信管であったが、生産がようやく軌道にのりだしたとき、空襲がはげしくなり、生産も意のようにならず、そのうち終戦を迎えるに至った。
戦後は、12G-R6という名で生産された。

少し引用が長くなりましたが、ここでタチ25号(ち8号)を1台生産したとの記録がありますが、この(ち8号)のことを「ち3号」と読み誤ったもののようです。
これが事実であれば、当資料の「ち3号標定機」は、タチ25号で間違いないということなります。
なお、タセ3号との記述は、明らかにタセ2号の記述ミスです。
また、タチ23号(G2)との記述は、タチ4号の記述ミスと思われます。
このように、一般的に言えば、社史では正確な記録を保証するものではありません。

<追加検討>R03.11.12
タチ25については、東芝社史と日本無線史において完全に資料が一致しましたが、今回は東芝の製造元である電子工業研究所なる会社に着目して更に検討します。
この会社は基本的には東芝の研究所が母体となっていたことから、既存のレーダー生産と供に新型のレーダー研究開発にも力をいれたものと思われます。
従って、新型機能であるドップラーレーダーのキーワードで合致したReports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946 E-1 分冊E-13の「当社が実施したマグネトロン研究の課題(H.今井)」のレーダーがタチ25である可能性は高いこととなります。
ようは3点の資料で内容が一致するこことなります。
また、製造が1台ということは、試作品で完結した点でも一致します。
このようなことから、この写真の「ち-3号標定機」は、タチ25で間違いないということになります。
もう一つの観点は、東芝の製造元である電子工業研究所の関係者が、3点の写真「ち-1号標定機」、「ち-3号標定機」と「た-4号電波標定機」を社史資料として提供したのであれば、3点とも電子工業が生産したレーダーである可能性が高そうです。

更に、未だ推論の域を出ない状況なので、当時の軍が把握している下記の生産データから分析します。
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14011031700、重点兵器生産状況調査表昭と和19年度(防衛省防衛研究所)」
※東芝に関係する製造品目のみでデータを抽出しています。
この製造所の項の東芝とは、昭和14年7月に東京電気株式会社と株式会社芝浦製作所が合併していますが、旧東京電気株式会社(後に通信工業支社と称す)のことで、電子工業は東芝と陸軍の合弁会社を示します。
ようは、東芝は実質2社体制で研究・開発・生産を行っています。
※ 製造所別の中で「第二」は東京第1陸軍造兵廠 第2製造所(通信)、「第二電子工業」、「電子工業」とは陸軍多摩陸軍技術研究所川崎研究室と東芝の総合研究所のなかの電子工業研究所が合弁で研究および量産する組織し「電子工業研究所」と称した。

今までの推論の結論は以下のとおりです。
「た-4号電波標定機」は「タチ4」のこと。
「ち-1号標定機」は「タチ30」か「タセ2」どちらか。
「ち-3号標定機」は「タチ25」のこと。
更に、東芝の社史にある電子研(電子工業研究所のこと)の製品を再掲します。
                               多摩技研  第一造
タセ3号         10台   20台
タチ23号(G2)                5台    -
タチ31号(G4)      10台   25台
タチ25号(ち8号)     1台
上記生産数量と陸軍省の昭和19年度重点兵器生産状況調査表を比較します。
タセ3号は実際には存在しませんが、生産が実質行われていることを考えるタセ2と考えるのが妥当です。
タチ23号(G2)の型式は不明ですが、実質5台の生産が行われております。
このタチ23号(G2)が当初タチ4と思われましたが、重点兵器生産状況調査表から電子工業研究所では生産がおこなわれていません。
したがって、タチ23号(G2)はタチ4ではなく、新種のレーダーと判断されます。
一方、「ち-1号標定機」については、「タチ30」か「タセ2」どちらかと判断していましたが、日本無線史では「タチ30」は「B29装備電波暗視機の電波探索のため地上用極超短波探索機(タチ30)を研究試作し直ちに実用に供した」とあり、東芝社史では、タチ23号(G2)は5台生産との記録から実用品であることからタチ30の可能性が高そうです。
また、電子工業では、重点兵器生産状況調査表から大量にタセ2を生産しております。
「ち-1号標定機」のアンテナはタセ2号のパラボラアンテナに酷似していますが、ようはタセ2のパラボラアンテナと極超短波受信部を流用して、急遽タチ30を5台ほど急速生産したのが実態ではなかったのかとの結論に至りました。

最終的な結論は以下のとおりです。
「た-4号電波標定機」は「タチ4」のこと。
「ち-1号標定機」は「タチ30」のこと。
「ち-3号標定機」は「タチ25」のこと。

 

 

なお、本資料の考え方については、単なる推論であり、事実を保証するものでありません。
そうゆう意味では、大きな妄想なのかもしれません。


参考文献
東京芝浦電気株式会社八十五年史 昭和38年12月 総合企画部社史編纂室
陸戦兵器総覧 1977年3月 日本兵器工業会編
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946 E-1 分冊E-13
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14011031700、重点兵器生産状況調査表 昭和19年度(防衛省防衛研究所)」

 


広島戦時通信技術資料館及は下記のアドレスです。
http://minouta17.web.fc2.com/

 


特設監視艇の無線兵装について(令和3年11月02日)

2021年11月02日 14時26分12秒 | 02海軍無線機器

特設監視艇の無線兵装について(令和3年11月02日)

ネット検索していると、九六式空二号無線電信機新設工事開始や九六式空三号無線電信機新設工事(09.07まで)の項目でヒットする特異なHPがありました。
このHPは「大日本帝國海軍 特設艦船」のことで、戦時徴傭船の特設艦船に関する膨大なデータベースを構築されております。
この徴傭船の中で「九六式空二号無線電信機」や「九六式空三号無線電信機」の搭載されたものは特設監視艇のみです。
「九六式空二号無線電信機」や「九六式空三号無線電信機」などの無線機は、本来は海軍の多座用航空機に搭載されるもので、何故このような徴傭船の特設監視艇に搭載されたかということについての歴史の一幕を紐解くことにしました。

まずは、HPの大日本帝國海軍 特設艦船の中から、特設監視艇に関する特徴を整理すると、以下のとおりです。
鰹・鮪漁船、延縄漁船、底引き網漁船、トロール漁船などの遠洋漁業に従事していた漁船を徴傭した特設監視艇については、船体構造は鋼船や木造船からなり、総屯数は概ね50屯から200屯、長さ23mから30m、公称馬力は30から200馬力で、呼出符号を持っていることから旧式でも長・中波帯の通信設備と通信士が常駐しているようです。
参考に当時の漁業用受信機の事例を示します。


兵器の装備に関しては、鳥海丸(鋼船、136屯)の事例では、19.10.末で 山内式六糎砲1門、九六式二十五粍単装機1基、九三式十三粍単装機銃1基、 九二式七粍七単装機銃1基、三八式小銃5挺、拳銃2丁、九五式爆雷改二4個、電波探信儀1基。
無線兵装については、記述はありませんがすべての特設監視艇に昭和十七年十月ごろから「九六式空二号無線電信機」もしくは「九六式空三号無線電信機」が、昭和十九年九月以降には電波探信儀(制式名称は対空警戒用の三式一号電波探信儀三型)が設置されているようです。
なお、船の大小に関係すると思われますが、武器については型式・台数も異なっています。
また、仮称電波探知機や簡易式水中聴音機二型の装備も少数だが設置されている船もあるようです。
漁船時代の第二十三日東丸

監視艇の配置イメージ


「九六式空二号無線電信機」

「九六式空三号無線電信機」

「三式一号電波探信儀三型」

 

「日本無線史」10巻を調べると艦船無線兵装標準(昭和十八年六月起案)の記載があり、ここに特設監視艇の無線兵装は、(機上用)空二号又は三号とあり、この基準に基づいて設置されたことが裏付けできました。
なお、監視艇は海軍の全艦種の中では最下位のレベルの兵装標準に位置づけられています。

 

また、この背景については、元軍令通信課長の回想からの抜粋分が参考になりそうなので掲載しておきます。
艦艇別整備状況
特設艦艇
戦時船舶徴用により整備すべき特設艦艇に装備する無線兵器は、毎年改定さける出師準備計画要領に基づいて、艤装の時必要なものを軍需品整備品その他の予算で調達し、年々在庫品に加えられていた。
支那事変勃発後、国際情勢が険悪となるに伴って徴用される船舶も逐次増加し、昭和十五年から十六年にかけて特設艦艇の数はおびただしい数に上がった。
これらの特設艦艇の無線兵装整備に際しては主な問題点としておおむね次のようなことがあった。
特設艦艇の無線整備は、船固有の無線兵器は成るべくそのまま使用し、不足しているものだけを増備する方針で準備していたが、実際には固有無線電信機には満足なものが少なく、新兵器と換装する必要なものが多く、ために所要兵器数と整備工事量は著しく予定を超過した。
このように固有の送受信機には旧式で使用に堪えないものが多かったばかりではなく、ほとんど全部の船で送信機は改造して波長範囲を拡げる必要があった。
また役務予定の変更に伴って水師準備計画要領記載以外の無線兵器を増備した艦艇も少なくなかった。
これは小艦艇において特に甚だしかった。
しかし別に準備してあった九五式特五号送信機および九二式特受信機が相当数あったので兵器準備の上からはほとんど支障を感じなかった。
大部分の徴用船は短波送受信機を持っていなかったので艤装の際これを増備したのであるが、小艦艇においては電信室を拡張することが困難なものが多く、艦橋や乗員居住室などの一隅に応急的に装備したものも少なくなかった。
特設掃海艇、特設駆潜艇、特設監視艇などの小艇において最も困難を感じたのは電源の問題であった。
これらの船の一次電源は多くの場合電圧が特種なもので、しかもその容量にはほとんど余裕がなかった。
したがって無線兵器の増備又は換装と同時に電源も増設しなければならなかったが、重量容積の関係上一・五から六キロワットの発電機と二次電源を主として使用した。
太平洋戦争がはじまってからも引き続いて船舶の徴用は盛んに行われ、特設艦艇として作戦に使用された。
戦争中期以後は戦局の推移と船の消耗のため、これらの特設艦艇の任務の変更に応ずる無線兵器の移装が多くなり、そのつど関係者は送信機周波数帯の拡大改装工事に忙殺され、また戦争末期には船の固有兵器の老朽による換装および消耗品、特に真空管の補給難による兵器の換装を余儀なくされる事態を生じた。
電波兵器の整備は軍艦優先であったので、昭和十八年春に二号一型を赤城丸(特巡)に装備したのが最初であった。
その後特別任務艦には全般的に普及の方針であったが、行動が不足、在泊期間が短いなどのためこれを装備したのは特設監視艇のほか十数隻に止まった。
昭和十九年秋以来洋上見張としての特設監視艇を増強することが必要となり、二十年一月から一号三型の試験装備を始めて六四隻に装備した。
しかし耐波性、凌波性に乏しく、動揺のため安定性を欠いたばかりでなく、取扱調整がきわめて困難で有効な働きは望めなかった。

追加資料として、特設監視艇仮称三式一號電波探信儀三型空中線旋回式装備報国の無線資料を掲載しておきます。


 

気付き
特設監視艇については、B-24、B-25や米潜水艦の攻撃による損傷や沈没し、この結果により除籍となりますが、最後に海軍の事務手続きにより「解傭」とあります。
勝手に国は船舶を徴傭しておきながら、沈没すれば「解傭」です。
なんと情けない言葉ではないでしょうか。
これでは、徴傭された人員や船はたまりません。


参考に、HPの大日本帝國海軍 特設艦船の中から、特設監視艇の無線兵装(電波兵器を含む)に関する事項で代表的なものを抽出すると以下のとおりです。

特設艦艇 → 特設特務艇 → 特設監視艇 
特設監視艇(その1)
特設監視艇は昭和9年に設定された船種で洋上哨戒にあたるのを任務としました。
特設監視艇となったものは延べ431隻(実数408隻)ありますが、そのうち>第十一號琵琶丸は大東亜戦争前に役務を解かれました。
また、第一笹山丸、第貮天侑丸、潤德丸は昭和15年の海軍大演習の際、2~3週間の期間限定で特設監視艇として指定されたものです。

海和丸の船歴  一号電波探信儀三型1基装備

榮吉丸の船歴  (19.09.30) 一号電波探信儀三型1基装備

第三松盛丸の船歴   18.09.04:九六式空三号無線電信機新設工事(09.07まで)  
                   19.09.22:一号電波探信儀三型新設工事(09.30まで)

第貮海南丸の船歴  17.03.01:九六式空二号航空機用無線電信機搭載工事(03.02まで)  
                  17.12.27:横須賀~      
~12.28 無電洋電池故障、送信不能~ ~12.31横須賀  
                  19.02.21:戦時編制:聯合艦隊北東方面艦隊第二十二戦隊第一監視艇隊  
                  19.08.01:軍隊区分:第七基地航空部隊第一哨戒部隊第一直哨戒隊

第二海鳳丸の船歴  17.10.24:九六式空三号無線電信機新設工事開始  
                  17.10.27:九六式空三号無線電信機新設工事完了
                  (19.09.30) 一号電波探信儀三型1基装備。

勝榮丸の船歴    電波探信儀1基。

鳥海丸の船歴  (19.10.末) 山内式六糎砲1門、九六式二十五粍単装機1基、九三式十三粍単装機銃1基、 九二式七粍七単装機銃1基、三八式小銃5挺、拳銃2丁、九五式爆雷改二4個、電波探信儀1基。

第二幸昌丸の船歴   16.08.12:徴傭  
                   16.09.20:入籍:内令第1093号:特設監視艇、呉鎮守府所管    
                   20.04.13:沈没
                   20.07.10:除籍:内令第624号
                   20.07.10:解傭
                   喪失場所:N38.27-E142.13 宮城県金華山北東49km付近 
                   喪失原因:米潜水艦Parche(SS-384)の砲撃 

第五笹山丸の船歴   17.08.26:無線兵装換装工事(08.29まで)
(20.04現在) 山内式短六糎砲1門、九六式二十五粍単装機銃3基、十三粍単装機銃1基、 九二式七粍七単装機銃1基、小銃1挺、拳銃1丁、電波探信儀、爆雷投下台、九五式爆雷改二4個

第二旭丸の船歴  17.04.04:釧路~「ヲ」哨戒線哨戒~
           ~04.18 1055(N36.30-E152.50)対空戦闘:留式七粍七単装機銃1基、無線受信機対空戦闘により破壊、後檣半折損、弾痕150、爆弾破孔、機銃48発、小銃30発発射~
                17.10.24:九六式空三号無線電信機新設工事開始
                17.10.27:九六式空三号無線電信機新設工事完了

第二千代丸の船歴   17.10.21:九六式空三号無線電信機新設工事開始 
                   17.10.24:九六式空三号無線電信機新設工事完了

第三千代丸の船歴   18.01.12:九六式空三號無線電信機新設工事開始 ?
                   18.01.05:九六式空三號無線電信機新設工事完了 

第一龍重丸の船歴   17.10.24:九六式空三号無線電信機新設工事開始 
                   17.10.27:九六式空三号無線電信機新設工事完了

目斗丸の船歴  (20.04.12) 山内一号六糎砲1門、九六式二十五粍単装機銃1基、十三粍単装機銃1基、九二式七粍七単装機銃1基、爆雷24個、投射機1組、爆雷投下台2基、 簡易式水中聴音機1基、軽便探信儀1基。

瓊山丸の船歴   19.08.21:浦賀船渠にて上架
         仮称軽便探信儀一型改一、簡易式水中聴音機二型取付、
         九三式十三粍単装機銃増備、船体一部改造工事(09.09まで)

第二昭和丸の船歴   (19.10.現在) 仮称軽便探信儀三型、二式爆雷改一12個。
                   (最終時) 短八糎砲1門、九三式十三粍単装機銃1基、九二式七粍七単装機銃1基、九四式投射機1基、二式爆雷改二18個、爆雷手動投下台一型2基、仮称簡易式聴音機二型1基、仮称軽便探信儀三型1基。

陽光丸の船歴      (最終時) 短八糎砲1門、九三式十三粍単装機銃1基、九二式七粍七単装機銃1基、 九四式投射機2基、二式爆雷改二20個、仮称簡易式聴音機二型1基、仮称軽便探信儀三型1基。

第十六長運丸の船歴   (18.10)十三粍単装機銃1基、九二式七粍七単装機銃1基、小銃、仮称軽便探信儀1基、仮称簡易式水中聴音機1基
                     (20.04.20)九六式二十五粍単装機銃1基、十三粍単装機銃1基、九二式七粍七単装機銃1基、小銃、仮称軽便探信儀1基、仮称簡易式水中聴音機1基

第十拓南丸の船歴    19.10.10:九七式特五號送信機新設工事(10.19まで) 
                    19.11.08:軽便探信儀三型送波器発受振装置修理(11.13まで)
                    20.01.29:2200 対空戦闘:B-25 3機に対し全機銃にて射撃開始              缶室後部兵員室入口爆雷砲台、右舷後部水線付近に被弾、舵取機械破壊、気噴出、航行及び無線通信不能
                    20.01.30:0200 第五十二號驅潜艇が曳航を試みるが錨鎖切断、曳航不能
                         0320 負傷者6名を第五十二號驅潜艇に移乗、機密図書処分、排水作業
                         0420 後部沈下により上甲板から浸水、船体傾斜
                              0445 軍艦旗降下、総員退去下令、乗員の3/4を第五十二號驅潜艇に移乗
                         0500 沈没 
                  (19.12)短八糎砲1門、九六式二十五粍単装機銃2基、九三式十三粍単装機銃2基、七粍七単装機銃1基、二式爆雷改二、軽便探信儀。

第八昭南丸の船歴    20.02.22:浦賀船渠にて入渠
              船体機関各部修理(03.20まで)
              三式探信儀三型に換装、船艙内の改造工事(03.20まで)
              簡易式水中聴音機修理(03.20まで)
              仮称電波探知機修理
                  (20.03)二十五粍機銃、九三式十三粍単装機銃、 簡易式水中聴音機1基、三式探信儀三型1基、仮称電波探知機、二式爆雷。

旺洋丸の船歴        19.11.30:呂宗海峡部隊電令作第54号:
                        1.タマ三三船団30日2200高雄発1日0900ワイアミ島以後南下
                        2.今明日I及M(東側)哨区第二哨戒配備となせ
                        3.第四十一號掃海艇、高知丸、旺洋丸は前路哨戒に引続きバタン島附近まで側方警戒に任ずべし
                        4.電探機哨戒中に付、夜間上空灯点出すると共に味方識別に注意すべし
                            ~12.02 0300(N21.13-E121.06)ワイアミ島の276度48浬にて荒天の為漂泊するが燃料不足のため「第四十一號掃海艇」が先行~
                 ~12.02 1200 台東沖にて反転~
                 ~12.02 2330 枋寮沖仮泊~
                 ~12.03高雄
            20.05.10:沈没
           21.04.30:除籍:内令第59号
           21.04.30:解傭
           喪失場所:台湾沖
           喪失原因:要調査

王田丸の船歴     19.08.--:大湊工作部占守分工場にて修理(七粍七機銃、九二式四号送信機改一修理不能)
          
第十七明玄丸の船歴    18.09.07:呉防備戦隊電令作第321号:
                1.隼鷹、谷風、左に依り沖ノ島北上の予定(中略)
                2.雲鷹、曙、漣、10日0930北緯31度48分東経134度40分1600沖ノ島北上の予定
                3.10日1300迄に第二哨戒配備Aとなせ
                4.第四特別掃蕩隊(鷺、由利島〉第一特別掃蕩隊(大衆丸、第十六明玄丸、第十七明玄丸、麻豆丸)は別令所定に依り艦隊航路上の掃蕩を実施すべし
                5.第三十四掃海隊の二隻は10日午前中に七番浮標以南の東水道を掃海したる後、艦隊沖ノ島北上までE2北半の哨戒に任ずべし
                6.伯空司令は9日、10日は主として艦隊航路附近を哨戒すべし

第三日之出丸・第三號日之出丸の船歴   18.12.21:呉防備戦隊電令作第415号:深島の145度17浬に於てオ一〇六船団雷撃を受く
                   1.伯空司令は直に全力を挙げて敵潜を撃滅すべし
                   2.佐伯防備隊司令は第三號日之出丸、麻豆丸、恒春丸を以て掃蕩隊を編成、敵潜を撃滅すべし
                   3.第三十一掃海隊司令は由利島、第八拓南丸、第七玉丸を指揮し準備出来次第出撃、敵潜を撃滅すべし
                   4.佐伯防備隊司令は山水丸、大衆丸をして人員の救助に努べし
                   5.第三十一掃海隊司令は対潜攻撃に関し佐伯防備隊掃蕩隊を区処すべし


早鞆丸の船歴             19.09.01:海防機密第010657番電:1100出港、甲哨区にて「第二百五十一號」驅潜特務艇を目標として探信儀試験を実施
             19.09.01:由良内~探信儀公試~
             19.09.01:海防機密第011215番電:試験を実施しつつ由良内回航~09.01由良内
              (19.11.30現在)
             短八糎砲1門、九二式七粍七単装機銃1基、九五式投射機1基、簡易式水中聴音機1基、軽便探信儀1基。

第二十二南進丸の船歴     17.03.01:九六式空二号航空機用無線電信機搭載工事(03.02まで)

第二十七南進丸の船歴   17.03.02:九六式空二号航空機用無線電信機搭載工事(03.03まで)

第一日東丸の船歴      17.10.21:九六式空三号無線電信機装備
             20.03.26:横浜~
              ~03.26 1220 (N31.10-E137.00)B-24 1機発見、対空戦闘~
              ~03.26 1231 打方始め~二十五粍機銃45、十三粍機銃95、七粍七機銃80発発射~
              ~03.26 1245 打方止め~
              ~03.27 南哨区着~
              ~04.01 1115 (N29.55-E136.30)B-24 1機発見、対空戦闘~
              ~04.01 1200 打方始め~二十五粍機銃105、十三粍機銃150、七粍七機銃145発発射~
               九六空三号送信機及び受信機被弾故障、檣中間索切断その他被弾10数箇所
              ~04.01 1208 打方止め~
              ~横浜

富士丸・い號富士丸の船歴   17.10.21:九六式空三号無線電信機装備

高貴丸の船歴    17.09.30:九六式空二号無線電信機装備 18.06.01:軍隊区分:機密北方部隊哨戒部隊命令作第14号:泊地哨戒隊南口哨戒隊
                18.08.05:軍隊区分:第二基地航空部隊電令作第24号:第二基地航空部隊哨戒部隊第一哨戒隊
                19.08.01:軍隊区分:第七基地航空部隊第一哨戒部隊第一直哨戒隊
                19.08.03:九六式空二号電信機修理(08.12まで)
                20.01.01:軍隊区分:哨戒部隊第一直哨戒隊
         20.01.07:横浜~
           ~01.24横浜
                20.02.11:横浜~
          ~02.25 1855 敵潜水艦と交戦中~
               20.02.25:沈没

第一黄海丸の船歴    19.04.29:航続力18日、空四真空管なく無線使用不可能なまま片岡湾に回航

第二澎生丸の船歴   17.03.04:九六式空二号航空機用無線電信機搭載工事(03.05まで)
                   18.08.05:軍隊区分:第二基地航空部隊電令作第24号:第二基地航空部隊哨戒部隊第一哨戒隊

第十二號八龍丸の船歴    19.11.15:0840(N34.05-E137.28)敵浮上潜水艦発見
                             0910 敵潜見失う
                             1145(N30.03-E137.32)敵浮上潜水艦発見
                             1202 敵潜と交戦
                             1225 更に1隻発見
                             1228 敵潜と交戦
                             1230 中部電信室に被弾、電波探知機破壊
                             1257(N30.10-E137.25)敵潜2隻と交戦
                             1311 敵潜見失う
                             1409(N31.11-E137.25)敵浮上潜水艦3隻発見
                             1425 攻撃を受ける
                             1430 南の敵に射撃開始 
                              1515 一番機銃西、二番機銃南の敵に射撃開始
                             1535 前甲板一番機銃附近に被弾、断片による破孔21から浸水を生じ人力排水
                             1542 左舷前部舷側に至近弾、艇首水線に破孔1 
                             1600 艦橋右舷側に至近弾、前部檣右舷水線に破孔1
                             1620 右舷後部舷側に至近弾     
                             1730 艇長及び見張2名を除き全員排水作業(浸水1時間4噸)
                             1830 敵潜見失う
                              (二十五粍機銃1,620発、十三粍機銃2,110発発射)
                          ~11.19横浜
                        19.12.27:横浜重工業にて上架
                        20.08.10:特設監視艇隊編制:内令第729号:特設監視艇隊編制を廃止
                        20.08.10:除籍:内令第730号
                        20.08.10:解傭
                        20.08.15:残存


最後に、アニメーションの巨匠、宮崎 駿さんが約30年前に描いた「最貧前線」という、太平洋戦争の末期、「特設監視艇」という任務に当てられた漁船がモデルしたわずか5ページの漫画の数シーンを参考のため掲載します。
この中にも、無線機を運用しているシーンがあります。


 

参考資料
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030217200、特設監視艇新勢丸奮戦録

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C08030217200

 


参考文献
大日本帝國海軍 特設艦船 DATA BASE http://www.tokusetsukansen.jpn.org/J/index.html
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
New England Wireless & Steam Museum
特設監視艇仮称3式1号電波探信儀3型空中線旋回式装備報 防衛省戦史資料室
わしら「人間レーダー」だった舞台は訴える https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_49.html
戦う日本漁船 2011年10月 大内健二


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