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陸軍夜間戦闘機用射撃管制レーダー「タキ-2」の機能概要について

2022年10月28日 12時30分01秒 | 03陸海軍電探開発史

陸軍夜間戦闘機用射撃管制レーダー「タキ-2」の機能概要について(令和4年10月28日)

タキ2の外観について


本体部(送信機、受信機、指示器A、指示器B)

 

戦後占領軍により取りまとめられたJapanese Wartime Military Electronics and Communications, Section 6, Japanese Armyの資料には、タキ-2のブロックダイヤグラムしかなく、しかもその内容は不完全であり、記載ミスも見受けられます。
このため、ブロックダイヤグラムの内容を訂正/補足しつつ、機能概要について分かる範囲で解説するこことします。

ブロックダイヤグラムは、送信機、受信用空中線切替部、受信機、指示部A(co-seater;同席者)、指示器B(pilot)、電源装置から構成されている。
まずは、指示器A内の同期用の正弦波発生器により3Khzの正弦波を生成する。
送信機では送られてきた正弦波を波形成形して矩形波にし、これを微分することにより、同期パルスを作成する。
この同期パルス信号として、送信機から375Mhz(波長80cm)の搬送波を変調して3Khzの送信パルスを送信用八木アンテナから発射する。

受信系については、まず受信用空中線切替部の構造を明らかにする必要があるが、本ブロックダイヤグラムのアンテナ接続部自体不正確なこともあり、とても理解することはできない。
しかし、構造的には、東芝製の海軍夜間戦闘機用射撃管制レーダーFD-2とほぼ同一な考え方で構築していると推定できる。
空中線については、受信用八木型アンテナが上下、左右4本用意されている。
なお、アンテナから受信機までは同軸ケーブルで接続しているが、受信機の直前の位置である種の共振器で定在波を作り、正弦波でいえば電圧分布の1/4λ(位相でいえば90°の位置)のmax電位の位置でモーターによるSWを設けて、上下及び左右のアンテナを切り替えている。
FD-2の処理シーケンスは下図に示すとおりであるが、タキ-2では、to sending antennaのS2のところも受信アンテナに変更されていると考えればよい。

 
この処理シーケンスでは、S1が左右の受信用アンテナ、S2が上下の受信用アンテナの動作を示す。
S1とS2のAND条件が実際の動作条件となり、具体的には下記の動作となる。
処理シーケンスに従い、受信アンテナは右→上→左→下の動作し、受信機の信号入力となる。
受信アンテナは上→下→右→左の動作するような処理シーケンスを構成して、受信機の信号入力となる。

一連のシーケンスをモーター及びギヤー機構によるシーケンスにより連続的に動作を繰り返すこととなる。
なお、受信用空中線切替器と受信機との間にあるBalancer(平衡器)の機能は上下/左右の利得を調整する機能のようである。
基本的には、上下、左右の信号強度差を利用した等感度方式といえる。

指示器A(後部座席)
ブロックダイヤグラムのIndicator A(co-seater;同席者)のところに記述されている下記の英文がAzimuth Tube  Range Select Tube SSF-75-Gが見られる。
ブラウン管は日電表記のSSF-75-G、一般名称BG-75-Aで口径75mmを2本使用している。


Azimuth Tubeは方位角を意味するが、ここでは照準器用指示管といえる。
指示器Aの回路自体は一般的なものであるが、ブロックダイヤグラムの誤りや不足分を考慮すると、照準用指示管の垂直軸の両端と水平軸の両端には、受信用空中線切替器を電動モーターと歯車機構による4つの処理シーケンスと同期して、受信機の上下、左右の信号出力を注入することにより、4つの信号強度を一度に表示する。
もう一つのRange Select Tubeは距離選択指示管と訳せて、一般的には測距用指示管といえるが、表示方式はAスコープである。
選択指示の仕組みについては、まず、指示器A内の同期用の正弦波発生器により3Khzの正弦波を生成する。
ここから位相調整器(ゴニオメータと思われるが根拠資料なし)を介して、位相を調整できるようにした後、波形成形として矩形波にし、これを微分することにより、正の選択パルスを作成する。
この選択パルスを距離選択指示管のグリッドに輝度変調として印加すれば、ゴニオメーターで変化した位相分の位置に輝点を生じることができる。
このような仕組みにより、距離選択指示管に目標物の反射パルスの精密距離を測定するために、ゴニオメーターを調整して輝点を目標物に一致させれば、ゴニオメーターの位相の変化分を距離換算すれば精密な測距が可能となる。

ブラウン管への表示イメージは下記のとおりである。

 

指示器B(pilot)
指示器Bはパイロットが使用する。
ブラウン管は指示器Aと同様にSSF-75-Gが1本使用されている。
表示内容は、一般的な目標物までの距離を示し、一般的なAスコープが採用されている。
なお、後席の指示器Aで追尾のためにゴニオメーターを操作するが、その操作状況と同期したセルシンモーターにより、パイロット席にも追尾距離をデジタル表示する。

送信機の特徴
機能自体は一般的な構成であるが、UHF帯の375Mhzを使用する関係上、送信管についてはUHF用のSN-7プッシュプルが採用されている。

 

受信機の特徴
機能自体は一般的な構成であるが、UHF帯の375Mhzを使用する関係上、高周波増幅部には特別な対応が必要にもかかわらず、既存のエーコン管を使用している。
本来は規格外の対応手段であり、これで受信性能を満足することはできない。

 

戦史での記録について
写真の本機は、添付の記録カードによると、1945年2月9日にフィリピン諸島で米軍により鹵獲されたタキ-2号1型の本体機器であることが判る。


正確な生産時期は不明であるが、1944年度中期からタキ-2号1型と2型を合わせて200台生産されており、外地で実戦に用いられた公式記録はないが、捷一号作戦(フィリピン方面の防衛作戦)のためにタキ-2号1型も戦線に投入されたのだろう。
しかしながら、本機による戦果は不明であるが、破損状態で残存したことは、搭載した屠龍は地上駐機中に攻撃されて機体は遺棄されたのではないだろうか。
なお、1944年にフィリピン戦線に投入された可能性のある陸軍飛行第5戦隊、飛行第13戦隊の戦闘記録を調べても、タキ-2を使用したとの記録を見つけることはできなかった。
タキ-2の唯一の記録は下記のとおりである。
飛行第53戦隊
昭和19年3月23日所沢で編成され、直ちに関東地区防空を担任する第10飛行師団に編入された2式複戦の夜間防空隊であった。
昭和20年5月25日久々の迎撃では12機を撃墜、23機を撃破したものの、わが方も地上で5機が炎上大破し、以後、夜間迎撃を主とせざるをえなくなった。
そこで操縦者の間には、単発戦闘機あるいはより高性能の迎撃機を要望する声が高まった。
このような情況下、「タキ」2号機上レーダーを装備するため、2機の機首を改造してレドームを作ったが、テスト飛行で十分に作動せず、終戦に至った。
※なお、レドームに収容していることから、本機はタキ2-号2型の新型の機種のようである。る

甲型、乙型、丙型、丁型から戊型 (キ45改戊)によるタキ2-号2型の実装について
甲型 (キ45改甲)
機首にホ103(一式十二・七粍固定機関砲)2門、胴体下面にホ3(試製二十粍固定機関砲)1門、後部座席に九八式旋回機関銃(7.92 mm)1挺の武装している。
戊型 (キ45改戊)
機首の機関砲を廃して、タキ2号2型(レーダー)を搭載した試作機。ホ301(40mm機関砲)1門を胴体に装備している。

 


 参考文献
Japanese Wartime Military Electronics and Communications, Section 6, Japanese Army
海軍の仮称三式二号電波探信儀一型指示装置関係取扱説明書案
ユニパルス真空管展示室 SN-7送信管 https://www.unipulse.tokyo/tuberoom/
Yahooオークション情報
日本陸軍戦闘機隊 改訂増補版 昭和52年3月 航空情報編集部
写真集日本の戦闘機 昭和54年版 「丸」編集部
日本陸海軍夜間戦闘機 モデルアート10月号臨時増刊 NO.595

 


海軍夜間戦闘機用射撃管制レーダー「FD-2」の機能概要について

2022年10月28日 12時18分02秒 | 03陸海軍電探開発史

海軍夜間戦闘機用射撃管制レーダー「FD-2」の機能概要について(令和4年10月28日)

FD-2の機能概要について


世界の傑作機No57 海軍夜間戦闘機「月光」文林堂より抜粋

 
後部座席の上部フロントには、本来ではFD-2の制御器及び指示器が設置されているはずですが、敗戦時までに性能不良のため本体機器については撤去されたものと思われます。

戦後占領軍により取りまとめられたReports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946の資料には、FD-2のブロックダイヤグラム及び各装置の回路図が掲載してありますが、機能の概要などの説明は一切ありません。
このため、ブロックダイヤグラムを中心に機能概要について分かる範囲で解説するこことします。

 
空中線(アンテナ)については、送信用八木型アンテナが上下2本、受信用八木型アンテナが左右2本用意されている。
なお、アンテナから送受信機まではインピーダンス75Ωの同軸ケーブルで接続しているが、送受信機の直前の位置である種の共振器で定在波を作り、正弦波でいえば電圧分布の1/4λ(位相でいえば90°の位置)のmax電位の位置でモーターによるSWを設けて、上下及び左右のアンテナを切り替えている。
その処理シーケンスは下図に示すとおりである。


この処理シーケンスでは、S1が左右の受信用アンテナ、S2が上下の送信用アンテナの動作を示す。
S1とS2のAND条件が実際の動作条件となり、具体的には下記の動作となる。
右側の受信アンテナが動作する時、同時に下側の送信アンテナが動作し、更にシーケンスが遷移し上側の送信アンテナが動作する。
更にシーケンスが遷移し、今度は左側の受信アンテナが動作する時、同時に上側の送信アンテナが動作し、更にシーケンスが遷移し下側の送信アンテナが動作する。
一連のシーケンスをモーター及びギヤー機構によるシーケンスにより連続的に動作を繰り返すこととなる。
この処理シーケンスはS3、S4の処理シーケンスとも連動しており、このS3とS4のスイッチは、次に示す指示器のデータに引き継がれる。


S3、S4には+12Vの直流電源に接続されており、この処理シーケンスに従い、指示器の赤枠の電磁リレーを動作させ、指示器内のSWを動作させている。
このSWは、ブラウン管の双方の垂直入力軸に右側アンテナ信号と左側アンテナ信号に振り分けをする機能を提供している。
実際には、上の送信アンテナ発射で右側アンテナの受信/下の送信アンテナ発射で右側アンテナの受信の信号をブラウン管の一方の垂直入力軸し、その次に電磁リレーのSW転換し、今度は、上の送信アンテナ発射で左側アンテナの受信/下の送信アンテナ発射で左側アンテナの受信の信号をブラウン管の他の垂直入力軸に入力してブラウン管に反射波を表示する。
このようにブラウン管の垂直軸の両偏向板に受信信号を別々に印加すれば、右下/右上と左上/左下の受信信号の表示は上下反対に表示される。
なお、ブラウン管の水平軸のスイープは制御部の音叉で生成された1Khzの正弦波を基準としたものである。
これは索敵モードであり、1Khzの正弦波掃引では実質2Khzの掃引周波数となるので理論的な測距可能距離は75Kmとなる。
これに対して射撃モードに転換すればこの掃引周波数を制御部の音叉による1Khzの正弦波の高調波を利用して掃引周波数を高めることが可能である。
実際の使用周波数は明示されていないが、例えば6Khzとすれば、理論的な測距可能距離は12.5kmとなり精密誘導射撃が可能となる。
表示器には、下図のように、右の上/右の下少し間隔を置いて左の上/左の下の反射を表示する。
この右と左の信号入力の転換目的は、電磁リレーで切替する時間差分が「少し間隔を置いて」の表示間隔を作るための巧妙な仕組みである。

ブロックダイヤグラムから全体の処理の流れを説明すると、まず制御部(Control Box)の音叉で生成される1Khzの正弦波を作る。
この正弦波をもとに指示器の掃引のための時間軸に使用する。
この正弦波をゴニオメーターを加え位相を調整できるようにした後、波形成形として矩形波にし、これを微分することにより、同期パルスを作成する。
この同期パルスは送信機の同期信号として利用して、送信機から500Mhz(波長60cm)の搬送波を変調して1Khzの送信パルスを送信用八木アンテナから発射する。
発射されたパルスは目標物に反射し、反射パルスとして受信機で受信し、処理シーケンスに従って、指示器のブラウン管に表示する。
反射波があれば、ブラウン管には4つの反射波が表示されるが、目標物に接近するためには、全ての反射波のレベルが均等の高さにそろうように機体を制御する必要がある。
なお、目標物の距離測定には、制御部のゴニオメーターを調整し、反射波を直接波のところまで移動させれば、このゴニオの移動量を距離換算したダイヤル表示で距離を読み取ることができる。
この仕組みの特徴は、制御部で作る送信用同期パルスをゴニオメーターで位相を可変にできることである。

FD-2構成真空管の紹介について
#2400を除く使用真空管の一式の事例を示す。

<追加説明>R05.03.14
東芝が開発した新型の極超短波帯の高周波増幅用の2400なる真空管については今まで未確認であった。
最近になってUECコミュニケーションミュージアムにて公開されていることが分かったが、写真を見るかぎり既存のエーコン管UN-954をバージョンアップしただけのもののようである。

 

考察
1)通常は、双発の戦闘機では機首に送信アンテナ1本を中心に配置し、受信用アンテナ4本を上下、左右を周りに配置するのが適正であるが、機首には一般的に機関砲が搭載されるため、このような変則的なアンテナ構成が必要となったと思われる。
ところが、二式陸上偵察機の時には、機首20mm固定機銃1挺(携行弾数60発)であったが、夜間戦闘機の月光となった時には、上向き20mm斜銃2挺、下向き20mm斜銃2挺(携行弾数各100発)に変更になったので、機首には配置スペースに余裕があることとなったため、このような仕組みの必要性は低下したのではないだろうか。
機体設計とレーダー設計間でのインターフェースが取れなかった典型的な例証ではないだろうか。

2)本機FD-2では、方位角、仰角、距離の3要素を本来なら、個別の3つのブラウン管で表示するべきものを、1本のブラウン管に全ての情報を無理やり押し込んだ仕組みとなっている。
また、複座の戦闘機では後部座席の射撃兼電探操作員が操作し、パイロットには伝声管もしくは機内通話機により飛行情報をパイロットに指示し接敵する手順である。
射撃管制レーダーといっても、斜め銃を使用することから直接照準ではなく、接敵すること自体が目的とならざるを得なかった。


 3)受信機の局部発振部(OSC)UN-955を使用しているが、その横にセルシン(selsyn)を使用した周波数制御部を設け遠隔操作している。
本機は500MhzというUHF帯を使用しているが当時の技術では未踏領域の周波数帯のため困難も多く、本機のために高周波増幅段には#2400なる未知の新型真空管が導入されている。
本来なら、局部発振部(OSC)にも新型の真空管の開発が必要なのであるが、既存のUN-955を使用したため500Mhz近辺の発振が安定しなかったのだろう。

4)UHF帯の利用については解像度を高める必要性とアンテナ形状の小型化の両方のメリットがあるために採用されたが、当時のエレクトロニクス技術ではUHF帯の送受信機の性能を満足することはできなかったようだ。
特に、UHF帯の受信管の性能が満足できるものができなかった。

5)指示器を1つのブラウン管に集約したことで、精密な目標追尾や測距などの操作性が悪化してしまったのではないか。

6)UHF帯の500Mhzを使用したことにより、遠距離からの目標物の把握ができにくく、遠距離からの索敵モードのレーダーとして使用することができなかった。
基本的には、従来安定運用をしているVHF帯の150から200Mhzを使用して、遠距離からの索敵を主目的し、射撃管制機能は厳密な機能を求めない程度の機能と仕様ダウンすべきであったのではないか。
ただし、単純に使用周波数を低下させれば、空中線は逆に大型化せざるを得なくなり、大型化すれば機体の空気抵抗は増大し日本の非力なエンジンでは速度低下を招くことになる。
月光と同型機に搭載された索敵用の3式空6号無線電信機4型(H-6)レーダー(周波数150Mhz)のアンテナの事例を示すが、これを射撃用レーダーとするためには、このような大きな受信用アンテナだけでも4本必要となる。
これでは、用兵側からの賛意は得られない。

 

同規模のドイツの事例でみると、左のLichtenstein BC FuG202(周波数 490 MHz)のアンテナと右のLichtenstein SN2 FuG220(周波数90MHz(37.5MHz-118MHz可変)のアンテナの形状を比較すればあきらかである。


ここから視点を変えて考察し直すとすると以下の通りの推論もできる。
7)戦闘機の射撃管制レーダー以前に、電波誘導システム自体に欠陥があり、適切な誘導管理ができていなかった。
特に、海軍では目標物に対する高度測定に関するレーダーがないに等しい状態であった。
戦略爆撃調査団「ジャパニーズ・エアー・パワー」からの抜粋を示す。
b.日本のレーダーは非常に貧弱なものだったし、戦闘機管制は初歩的段階から抜けきれなかった。
早期警戒レーダーはかなりの有効距離があったが、攻撃編隊を組む飛行機のタイプや高度を判定するために使われることはなかった。
機上搭載レーダーは実験的なものが大部分で、ごく少数の機体に装備されたにすぎない。
日本空軍はレーダーによる敵味方識別装置(IFF)を、常備の装置として使用したことはなかった。
友軍戦闘機の航跡を追尾するための組織的な試みはなかった。したがって、戦闘機を適切な位置に無線で誘導することは不可能で、地上管制将校が通常できるのは、戦闘機に対し、予測したB29の飛行経路上の一点に集合せよと命令することぐらいであった。

以上のように、目標物の適切な位置がわかって上での射撃管制レーダーの使用が可能であるが、索敵/接敵ができないのに射撃管制レーダーが機能するわけはない。
唯一の実戦の報告書である「戦闘詳報 第2号(夜間邀撃戦)自昭和20年4月1日昭和20年4月30日」によると、
本戦闘詳報での重要ポイントを下記に抽出すると以下のとおりである。
4月2日 晴 0225 第一小隊(月光2機)発進
「ミスト」アリ 雲量二 0234 0255 第二小隊(彗星1機)発進
第一小隊二番機八王子附近ニテ電探ニ感度アリタルモ捕捉スルニ至タズ
第二小隊ハ東京上空ニ照射中ノ敵ヲ見ルヲ捕捉スルニ至ラズ
七.記事並ニ参考
茅ケ崎派遣隊電探誘導法
113 号電探ニテ的ヲ測定シ味方誘導機(たち 13 号及びたき 15 号)ニテ味方ヲ測定シ、空域
誘導盤ニテ飛行機ヲ誘導ス(敵高度ハ情況判断シ主トシ一部 61 号電探ヲ使用セリ)
八.功績
(イ)悪天候ヲ克服シ困難ナル情況ノ許迎撃戦ヲ実施シ多大ノ戦果ヲ収メ下旬ニ於ケル敵
空襲ニ対シタル搭乗員ノ功績ハ抜群ナリト認ム
(ロ)実験研究ト併ツツ常時夜間邀撃戦ニ備ヘタル飛行隊員並ニ茅ケ崎派遣隊ノ功績顕著ナルモノアリト認ム
九.戦訓並ニ所見
(イ)電探誘導戦闘ハ未タ戦果ヲ収ムルニ至ラズ 敵ニ脅威ヲ興ラル点有効ナルモノト認メラルモ、更ニ各種兵器ノ改善ニ依リ此ノ種戦闘法確立ノ要アリ
参考 左記兵器ハ早急ニ戦力化ノ要アリ
19 試空 2 号電波探信儀
試製 6 号 1 型電波探信儀
味方誘導機
(ロ)今回ノ如キ照射戦闘ニ於テハ月光ノ甚キ相当ノ成果ヲ収メ得ルヲ以テ大多数ノ夜間
戦闘機ヲ以テ照射戦闘ヲ実施セバソノ成果大ナルモノト認ム
(ハ)夜間戦闘機ノ全能力充分発揚セシメント為セバ地上防空砲ヲ統制ノ要アリ

「第一小隊二番機八王子附近ニテ電探ニ感度アリタルモ捕捉スルニ至タズ」との記載があり、唯一ではあるがFD-2による探知には至っている。
ここで問題なのは、地上の誘導部隊による高度判定については「敵高度ハ情況判断シ主トシ一部 61 号電探ヲ使用セリ」とあり本来高度判定すべき61 号電探が機能せず、状況判断による誘導を行っている事実である。
これでは、敵航空機との会敵をするのは困難ではないのだろうか。
FD-2の最大探知範囲は諸元では3Kmとある。
同機能のドイツのFuG 202 リヒテンシュタインBCでも、探知距離 3.500 - 200 mとある。
問題は地上部隊の誘導の精度の問題であり、会敵を適正な3Km範囲での誘導ができていなかったことの問題点への対応が見られない。
研究所もメーカーでも、FD-2の実用化試験では、探知距離3Kmからの試験を実施し、十分実用性があることを確認したからこそ試製であろうとも100台の生産したはずであろう。
問題はパイロットがこのような事実を全く認識しておらず、問題をFD-2に押し付けなのではないだろうか。
旧軍でも今日の自衛隊であろうと、パイロットの意見具申が兵器の採用の可否を決定するのは日本の宿命なのだろうか。
もう一つの課題は陸海軍の壁であるが、陸軍では独自に電探誘導システムの開発を行っており、早期警戒レーダーにも高度判定をできるシステムの開発をおこなっている。
今回の陸海軍共同迎撃システムの誘導実験でも、高度判定に実績のない海軍の試製61 号電探ではなく、陸軍のタチ20やタチ35を使用していれば、異なった結果になったかもしれない。


参考情報
陸海軍共同迎撃システムの誘導実験の考察の再検証
(戦闘詳報 第2号(夜間邀撃戦)自昭和20年4月1日昭和20年4月30日)

https://minouta17.hatenablog.com/entry/2020/06/05/193841

 



参考文献
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
世界の傑作機No57 海軍夜間戦闘機「月光」文林堂
日本陸海軍夜間戦闘機 モデルアート10月号臨時増刊 NO.595
ケンさんのホームページ 今月の写真集 令和5年4月分
http://kawoyama.la.coocan.jp/thismonthphoto.html
戦略爆撃調査団「ジャパニーズ・エアー・パワー」
UECコミュニケーションミュージアム https://www.museum.uec.ac.jp/
https://www.museum.uec.ac.jp/database/valve/vf50/v84.html


 

 


第百三十号海防艦に搭載された最新の電波兵器について(令和4年10月07日)

2022年10月07日 08時12分25秒 | 03陸海軍電探開発史

第百三十号海防艦に搭載された最新の電波兵器について(令和4年10月07日)

月刊誌「丸 2022年11月号」に、米軍フォトリポート 日本海軍海防艦の死闘(写真提供;原勝洋、解説;小高正稔)の日本海軍の海防艦の写真が掲載されています。
解説には「第百三十号海防艦の可能性が高く、電磁ラッパの大きい22号電探は改良を加えた22号電探改四ないし改五だろう」とのコメントがあります。
この写真で驚いたのは、海防艦の前檣に22号電探の電磁ラッパが1つしかない点です。
いままでの資料では、電磁ラッパが1つしかない22号電探は、敗戦末期の潜水艦用にしか搭載されなかったはずなのに、本写真で水上艦艇である海防艦にも搭載されていたことが明らかにされました。

ここでセンチ波レーダーである2号電波探信儀2型(22号電探)の電磁ラッパの1本化が実現したことは、レーダーの指向性の精度が格段に向上すること意味します。
この状態でアンテナを回転させれば、反射波を360度ブラウン管に表示させると、パノラマ画像(PPI)として全景を一度にみることができる現代のレーダーと同等の機能となりますが、22号電探ではPPI機能(Plan Position Indicator scope、Pスコープとも)については実現することはできませんでした。

それでは、22号電探の開発過程について各種文献をもとに簡単に説明します。
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会の抜粋版
二号電波探信儀二型
この兵器は、波長10糎を使用し、艦船用対水上見張として計画されたもので、最初はダイポール空中線を奥行の長い放物面反射鏡(仮称鮪)を附し、送受信機が空中線と一体となって居り、部屋と共に回転する方式のものである。一〇三号と仮称せられた。
昭和十七年五月日向に装備して、実験を行い、その僅キスカ進攻作戦に進撃し、実験員もこれに参加して一応の成績を収めたのであるが、不安定なるため取扱に熟練を要し、且つ檣上装備としては重量容積が過大であった。


参考資料
仮称二号電波探信儀二型の取扱説明書 昭和17年11月26日 海軍技術研究所電気研究部
http://minouta17.livedoor.blog/archives/20559548.html

(二号電探二型改二)
その後本機は、対潜見張用として小型艦艇に装備する要求が出た。依って全体に構成を変更し、電磁ラッパ及び導波管を使用することに改めた。
即ちラッパを載せた旋回装置を使用し、これを艦の高所に置き、本体を下方の電波探信儀室に装備し、電磁ラッパのみを旋回する方式が取られたのである。
これは昭和十七年十月に完成し、二号二型改二と呼ばれ、駆逐艦、海防艦、駆潜艇及び掃海艇に対し、月産四、五台程度で整備されるようになった。
第3.27図は二号電波探信儀二型改二の電磁ラッパの部分の写真である。
しかしこれも依然として安定性に乏しく(超再生検波方式が原因)、使用者はその取扱に苦労し、装備調整も調整を専門とする技手の手を煩わさねば物にならぬと謂う状況であった。
なお、電磁ラッパは、円形断面開口直径75cmのものを採用した。

(二号電探二型改三)
その後潜水艦用として電源に50c/sの交流を使用し小型化した二号二型改三が生まれ、昭和十八年十二月頃から逐次潜水艦に装備され始めたが、作動不安定なため評判悪く第六艦隊から邪魔になるばかりだから速やかに撤去していただきたい等と電報が来るような状態であった。

二号電探二型改三の初期型の特徴
受信機と送信機から別々の円形導波管が室外へ配置されていることから、電磁ラッパは2つのものと思われる。
水上艦の二号電探二型の電磁ラッパの回転には手動のハンドルが用いられるが、本機には床に旋回管制器があり足元で操作する。
表示器は、水上艦のものは縦型のものであるが、改三では横型となっている。
なお、昭和二十年に入ってからは単一導波管方式が実用化され、伊二〇一潜水艦に装備された。しかしながら導波管関係になお問題が残されていた。

Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946からの抜粋
2号2型改3(Mark 2 Model 2 Modification 3)レーダー
この装置は、特に潜水艦用に設計されたもので、その上にのみ設置されている。電気的には改4の装置に似ているが、機械的な構造ははるかにコンパクトである。送信機、RFシステム、アンテナ、およびパルス数にはいくつかの電気的な違いがあるが、これは毎秒600である。完全な特性は表IIに含まれ、完全な配線図は別添(H)に含まれている。
この装置は、送信と受信の両方に単一のホーンアンテナを使用している。導波管のウォーターシールについては、このレポートの設置セクションに記載されている。この装置で使用された異例の二重化とRFシステムは、円偏波を生成した。

二号電探二型改三の最終型の特徴
送信機と受信機からの円形導波管がジョイント部で接続して1本の円形導波管として外部へ導かれ、1本の電磁ラッパに接続されている。
表示器も横型のものが採用されている。
米軍のReports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan,にもあるように、本二号電探二型改三は、水上艦で使用されている二号電探二型とは構成する仕様が大幅に異なっており、別機種といってもいいだろう。
特に、レーダーの基本仕様を決定するパルス繰り返し周波数は、水上艦が2500Khz(探索距離60km)に対して、改3は600Khz(探索距離250km)を採用している。
水上艦二号電探二型が、パルス繰り返し周波数に2500Khz(探索距離60km)を採用する目的は、水上見張と射撃管制の両機能を実現するためであるが、改3は600Khz(探索距離250km)を採用し、潜水艦としての必要機能である水上見張に徹した機能のようであるが、水上以外にも対空見張を意識した仕様のものかもしれない。(なお、当時のセンチ波の対空探知能力はないとの当初判定であったはずなのだが?)
ただし、対空見張は1号電探3型(13号電探)の専用のレーダーほか電波探知機などが用意されている。

(二号電探二型改四)
しかし昭和十九年一月にオートダイン式受信機(二号電探二型受信機改一)が完成して稍小康を得たが、水上艦艇用のものに対しては、更に送信機関係の故障対策として変圧器類に改良を加え、量産に適するように設計を変更し、これを二号二型改四と名付けた。
昭和十九年三月には緊急生産が下命され、続いて七月緊急整備が行われ、戦艦、巡洋艦を初めとして多数の艦艇に対して整備が行われた。
更に同年七月には鉱石検波器を使用したスーパーヘテロダイン式受信機(二号電探二型受信機改二)が完成し、その上に自己鑑査装置を附属せしめることに依り、著しく作動安定化し、且つ洋上に於いて調整用の目標の無い場合にも最良調整を保持することが出来るようになった。
玆(げん)に於いて引き続きこの受信機の整備工事が実施され、研究試作に当たった人員を南西方面に送り、水上艦艇に対して、受信機の換装工事と共に、電探射撃に必要な関連工事を行い、比島作戦準備として最後的修理再調整を行った。同年八月には、全速に実施された。

残存艦は全て2本の電磁ラッパの22号電探が装備されている。

Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
2号2型改4(Mark 2 Model 2 Modification 4)レーダー
この10センチメートル波装置は、すべての戦闘艦に対水上見張装置(改4M)または対水上見張および射撃管制装置(改4S)の組み合わせとして設置された。後者のタイプの設置では、より大きな電磁ホーン、セルシンアンテナ制御システム、および追加の電圧安定化装置が使用された。
アンテナは、2つの電磁ホーンが上下に取り付けられて構成されている。(標準的な取り付けについては、図5を参照にすること。)上側のホーンは受信用、下側のホーンは送信用である。 改4S(Modification 4S)アンテナの利得は13デシベルと言われていた。

二号電探二型改四の特徴
改4の特徴は、基本的には受信機の改良に重点が於かれており、超再生検波方式からオートダイン式受信機(二号電探二型受信機改一)、更にスーパーヘテロダイン式受信機(二号電探二型受信機改二)と改良することにより性能がやっと安定化し、その上に自己鑑査装置を追加し最良調整を保持することが可能となった。
電磁ラッパの回転は、手前にあるハンドルを手動でまわす必要がある。
そのほか、電磁ラッパは、円形断面開口直径80cmに拡大し、空中線利得を増加させている。

考察
ここで、表題の「第百三十号海防艦に搭載された最新の電波兵器について」の水上艦に搭載された単一電磁ラッパの件を検討する。
まず、「大日本帝國海軍 特設艦船 DATA BASE」で第百三十号海防艦について調査すると、本艦は昭和19年02月22日に起工し、昭和19年08月12日に竣工している。22号電探の新設工事日の記録がないので、同型艦の第百三十二号海防艦を調べると昭和20年3月16日から21日にかけて「二十二号測距儀新設」とあるので、第百三十号海防艦にも同時期に22号電探の新設工事があったものと思われる。
なお、水上艦には最終型の二号電探二型改四の新設工事となるが、このレーダーには単一電磁ラッパは採用されていない。
唯一、採用されているのは、潜水艦用の最終型の二号電探二型改三しかない。
このことから、昭和20年から装備された水上艦である海防艦などの艦種には水上見張の機能しか必要ないことから、最新型の二号電探二型改三を採用したものと思われる。
何故潜水艦用の二号電探二型改三を水上艦用のレーダーに採用したのかという理由は今となってはわかりません。


参考文献
丸 2022年11月号 潮書房光人新社
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
真実の艦艇史無 2005年5月 学習研究社
大日本帝國海軍 特設艦船 DATA BASE
http://www.tokusetsukansen.jpn.org/J/index.html
Anatoly Koshkarov提供資料

 

 


英国GLMKⅡレーダー系統の国産化の譜系について

2022年10月02日 15時47分16秒 | 03陸海軍電探開発史

英国GLMKⅡレーダー系統の国産化の譜系について

GLMKⅡシステムの概要
昭南にて押収せる英軍・超短波標定機の原理と構造のPDF版
https://drive.google.com/file/d/1J7hVir5FsyicRD-rDc3zDQNREU32mPk2/view

陸軍の電波標定機の開発の経緯
本機「タチ3」について、戦後のことですが陸軍の技術本部の光学測器班(千葉陸軍高射学校の審査部門かもしれない)からと思われる所見を参考に示します。なお、三号機と記述されているもがタチ3のことですが、運用的にはかなり厳しい指摘がされています。
陸戦兵器総覧 1977年3月 日本兵器工業会編からの抜粋です。
電波標定機
試作は第一号から第四号まで、整備されたのは三号と四号であった。
三号機は波長三メートルで地形の影響を受けやすく調整がかなり困難であったが、目標発見距離は一〇〇キロ以上に達した。整備台数は一〇〇台程度で実際陣地についたのは二、三〇台で、故障多く十分な戦果を収めるにいたらなかった。
四号機は一.五メートルの波長で軽快に構造されたが、測定距離は二〇から三〇キロ程度であった。整備台数は一五〇台以上におよび陣地にもかなりの台数を入れたが、戦果は思わしくなかった。
この技術本部の光学測器班(千葉陸軍高射学校の審査部門かもしれない)の所見がすべてを表していますが、海軍と比較して陸軍の射撃管制レーダーの兵器化を阻害した原因がここにありま。
そもそも電波標定機は、射撃管制レーダーですので、弾が飛ぶ射撃可能範囲の20から30Kmから使用できればよく、それ以上の遠距離は早期警戒レーダーの役割です。
これを高射砲部隊では2つの機能を同時に求めものですが、早期警戒については別部隊の範疇であり、これら空襲警報情報がまず円滑に高射砲部隊にまで届かなかったことのほうが問題なので。
ここで、電波標定機に関する重要な問題点を指摘している資料を陸戦兵器総覧から抜粋します。
昭和 16 年 12 月 8 日、ハワイの真珠湾攻撃に端緒を開き、フィリピンにマレイ半島に戦線は逐次拡大していき、迅速なる攻撃とその戦果は世界を震撼させた。
その戦果の一つとして、アメリカ、イギリスの電波兵器が押収された。コレヒドールでアメリカの警戒機、シンガポールでイギリスの標定機がえられた。
現地派遣員として、陸軍技術本部の元陸軍少将小林軍二氏、東京電気の浜田技師、日本電気の小林技師が選定され、その実体が明らかになった。この敵の兵器進歩の様相は、我が国に大きな刺激をあたえた。由来刺激の大きなところには常に混乱が起こるものである。
標定機もその例にもれず、電波に対する経験を無視してただちに技術本部の光学測器班で審査研究するという大きな過ちを犯してしまった。完成を急いだためであろう。そして「鹿を追うもの山をみず」の古言をそのまま、標定機を手のつけられないものにしてしまった。
あらゆる苦心も、ついに完全な戦力とならず終わってしまったのはこのためであった。
これがわずかの期間でも登戸研究所の手で整理されて移管されて行ったならば、面目はまったく一新されていたであろう。経験は一朝にしてはできない。一つの組織には、想像のできない根強い力を持っていることを忘れてはならない。
既述のように、警戒機はこれによって体制を整えた。標定機が遅れたのはやはり主務の移管が早過ぎたためであろう。
本資料で分かることは、電波標定機の陸軍での主管を門外漢の技術本部の光学測器班としたことにあるとのことだが、正式には第二陸軍技術研究所の前身である陸軍技術本部第 2研究所(担当:観測・指揮連絡兵器)の光学測器班という一部門に担当させたことが原因であるとの指摘でる。この光学測器班は、高射砲の管制制御の専門家といったところだろう。
本来は、登戸研究所が主管すべきであったとのことだが、これは陸軍技術本部第 5 研究所(担当:通信兵器)のことのようである。
結局終戦まで、陸軍技術本部第 2 研究所の光学測器班が権限を離さなかったというこのようである。

タチ3の概要
http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022267.html
タチ3 追加検討資料
このような背景がある中、製造メーカーである日本電気(当時は住友通信)の苦悩がはじまりますが、電波標定機として最初に開発したタチ1(日本電気)とタチ2(東芝)はシンガポールで鹵獲した英国のレーダー情報(ニューマン文書に記載されたSLC探照灯管制レーダーで実物は入手していない)をもとに開発をおこないました。
このSLC探照灯管制レーダーの特徴は、位相環(Phase ring)による等感度方式を採用しています。
勿論、射撃管制レーダーの最初の試作であることから当初から問題点を含んでいたことは理解できますが、陸軍から駄目だしされたことから、新たにタチ3(日本電気)とタチ4(東芝)の開発を進めます。
ここで、日本電気はタチ1の失敗の原因を考えると以下のとおりです。
・可搬型としたため送信機や受信機を小型のものを採用したことにより性能に制限がかかったこと。
・空中線は送信用アンテナと受信用アンテナと分離しているが、同一箇所に設置していることから相互の電波が影響し妨害を除去できなかった。
・アンテナの性能自体問題があり、地形の影響を除去できなかった。
このため、初期に計画したタチ1の機能を全面にあらため、シンガポールで鹵獲した射撃管制レーダーであるGLMKⅡシステムをベースに企画したのがタチ3です。
特徴は以下のとおりです。
・GLは可搬型ですが、今回は要地用として固定式の設備に変更する。
・GL同様に送信機と受信機は30m以上離して相互の妨害電波の影響を極力排除する。
・GL同様に、方位角測定には従来の等感度方式ではなく位相調整器によるベクトル合成方式とし、仰角測定には、ゴニオメーターによるベクトル合成方式を採用する。
GLMKⅡシステムの概要
送信車

受信車

送信機と受信機の正面操作盤

受信空中線


GLMKⅡシステムのパルス繰り返し周波数は、1500Hzを採用していますが、タチ3のパルス繰り返し周波数は、1875Hzを採用しており、理論値では80Kmまでの索敵範囲となります。
「陸戦兵器総覧 日本兵器工業会編」ではタチ3は100Kmまでの索敵ができるとの記述がありますが所詮用兵側のコメントには矛盾というか明らかな誤謬がありそうです。
なお、同様に使用周波数も異なるなど、基本的にはGLMKⅡシステムの上記特徴の概念を採用しましたが、基本的な詳細仕様や電子回路などは日本独自の考え方によるシステム構築となっています。

 

まずは、タチ3のシステム全体の構造から説明します。
山の上に残る戦争遺跡-電波標定機基礎-福岡県北九州市若松区大字小石から陣地構築事例

送信用と受信用に100m程度離れた位置に2つの構築物があります。
送信機の構築物の写真を示します。

送信機は左写真に示すとおり構築物から回転するように真ん中のハンドルを手動で回転させると送信機と送信アンテナが同時に回転します。
基本的には、敵の侵入経路に向けて設置しますが、経路が異なればそちらの方向に全体を回転させてパルス波を発射し続けます。
受信機を収容した構築物は送信機から100m程度離し設置します。


基本的には、送信機から発射されたパルス波は敵航空機に反射し、受信機でこのパルスを受信します。
このパルスの時間差を測定して距離測定し、受信の強度により方位角や仰角を測定します。
仰角、方位角、測距用に3人が一組で操作し、真ん中の方位角を測定する要員が手動で回転ハンドルを回すと装置とアンテナが同時に回転し測定方向を変えることができます。

※仰角と方位角用のブラウン管の前には、左の写真のようなカラー円板があり、仰角と方位角用空中線を電動モーターによる切替と同期して、カラー円板が回転し仰角と方位角用のブラウン管の表示を見やすく制御しているようです。

 

<訂正・追加資料>(令和4年12月08日)
タチ3のブロックダイヤグラムによる動作概念の解説について

技術的な資料については、米側のJapanese Wartime Military Electronics and Communications, Section 6, Japanese Army Radar, 1 April 1946しかなく、このブロックダイヤグラムをもとに機能概要を解説する。
陸軍関係者が戦後、米軍に提出した本ブロックダイヤグラムは不正確な内容を含んでいると思われることから、こちらで勝手に訂正している。

 

ブロックダイヤグラムでは、次の8つのブロックの機能で構成されている。
Transmitter Receiver Standard_Oscillator Wave_Form_Changer Automatic_Gain_Control  Detection  Elevation  Azimuth 


空中線(Antenna Unit)
アンテナに関する情報としては、下記の資料から抜粋する。
Japanese Wartime Military Electronics and Communications, Section 6 Japanese Army Radar, 1 April 1946
Xm antenna-----------------sterba, 4x2 with reflectors 
Rcvr antenna---------------5 dipoles in horizontal diamond formation (sometimes 4 or 6, see text)
Xm horiz. beam width ---25°


Japanese Army Radar, 1 April 1946の米軍のコメント
送信アレイは、地下の避難所の屋根に取り付けられた。小屋全体が方位角方向に回転した。受信アンテナは5または6個の水平ダイポールで構成され(写真とブロック図を参照)、全体が水平配列で取り付けられていた。 4つのダイポールは菱形に取り付けられ、方位角と仰角の決定に使用された。
受信アンテナのこの水平配置は、高い仰角でより高い仰角精度を与えた。

 

昭南にて押収せる英軍・超短波標定機の原理と構造 無線と実験 昭和18年7月号 陸軍兵技中尉 友納典人からの抜粋
※ 昭南にて押収せる英軍・超短波標定機の原理と構造のPDF版

https://drive.google.com/file/d/1J7hVir5FsyicRD-rDc3zDQNREU32mPk2/view

方向測定
方向測定用空中線は2個のダイポールより成り立っており、左右に数メートルの間隔をあけて車体に取付けられている。
両空中線が離れているので、目標飛行機が両空中線を連ねる線に直角な方向に在るときは両空中線から目標に対する距離は等しく、従って左右両空中線に誘発される起電力の位相は相等しい。しかし目標が他の方向に在るときには、目標から両空中線に至る距離に差があり、従って両空中線に誘発される起電力には、それに応じた位相の差を生ずる。(第12図)
それ故に、この位相差の零なる点を求めて、方向測定を行い得るわけである。実際の方法は次の如くである。今、両空中線の出力電圧を移相調整器を利用して差動的になるように加える。即ち合成電圧が両空中線出力電圧の差となる如くすると目標がAなる直角方向に在るときには反射波信号電圧の合成は零となる。

高度の測定
本装置の高度測定はゴニオメーターを利用するもので、米軍ラジオロケーターの如く空中線自身を傾けることをせず、ゴニオメーターの回転により測定を行うものである。

送信機(Transmitter Unit)

 
受信機の設備の中にある標準発振器(Standard_Oscillator)で1875Khzの正弦波を発生させ、通信ケーブルを介して送信機のある設備まで引き込み、送信側ではUZ-42(Buffer.Amp)→UZ-42(Sat.Amp)→UY-807A(PulseAmp)→UY-807A(PulseAmp)→TB508-Cプッシュプル(GridModulation)→TR-1501プッシュプル(自励発振)でアンテナからパルスを送信する仕組みである。
UZ-42(Sat.Amp)のところで飽和増幅して正弦波を矩形波に変換するとともに出力側で微分回路を介して送信用同期パルスを生成する。
使用周波数はタチ1の200Mhzからタチ3では英軍のGLレーダーが使用している78Mhzに変更することにより、安定的な運用が可能となった。
※参考資料 送信機と受信機の実機

受信機(Receiver Unit)


高周波段は日本独自のエーコン管のME-664Aを使用し、中間周波増幅段以降は戦前のテレビ開発で使用されていたUZ-6302をメタルした化した映像増幅管US-6505の相当管で住友通信製のMB-850を使用している。
受信機の構成は、高周波増幅1段、混合部から中間周波波5段、検波、ビデオ増幅及び低周波増幅2段といった一般的構成となっており、AVC機能を付属している。

 

標準発振器(Standard_Oscillator)


送信機側への対応として、UZ-6C6(1875kcOSC)→UZ-6C6(Amp)→UZ-6C6(Amp)→UZ6302(カソードフォロー)
通信ケーブルを介して1875Hzの正弦波を送信機の送信同期信号として利用する。
一方、各種指示器の制御のための同期信号を以下のように制御・加工する。
UZ-6C6(1875kcOSC)→UY-76(BufferAmp)→Goniometer(Range)→UY-76(Sat.Amp)→UZ-42プッシュプル(Sweeper)→UZ-6C6(Amp)→UZ-6302(カソードフォロー)→Blanking
基本的には、マスターの標準の1875Hzの正弦波に対して、ゴニオメーターを介することにより、マスターの正弦波の移相を変化させる。
更に、UY-76(Sat.Amp)→UZ-42プッシュプル(Sweeper)のより、正弦波から「のこぎり波」に変換される。
1875Hzの「のこぎり波」ということは、理論的な最大測距可能距離は80kmとなる。

選択器(Selector)
自動利得調整器(Automatic_Gain_Control)とあるが、選択器(Selector)の機能が主なため、ここでは選択器として取り扱う。 


(PahaseShifter)→UZ-6302(Sat.Amp)→UY-76(differential)→UZ-6C6(PulseAmp)→UZ-6302(PulseAmp)→UZ-6C6(カソードフォロー)
標準発振器(Standard_Oscillator)からゴニオメーターを介して移相が可変となる1875Hzの「のこぎり波」を入力として、更に位相調整器を介して1875Hzの「のこぎり波」から矩形波に成形するとともに微分回路により選択用パルスを生成する。
選択器の実際の処理としては、索敵用指示管(Detectionとあるので索敵と訳したが、本来は測距のほうがベター)のブラウン管に複数の反射があるとき、目標物を決定するため 選択器の移相調整器を調節し選択用パルスが輝点として表示しているので、これを目標物に一致させればよい。
したがって、もう一つの機能としては、ケート機能(Mixer)として、この選択パルスと受信信号とが一致した部分の受信信号のみ通過させることで、仰角と方位角の指示管には目標物のみ表示することが可能となる。

索敵用指示管(Detection)

 
Sweeperのコメントがあるだけだが、MC-656-C(Sat.Amp)→Ut-76D(Multi)→MC-656-C(Sat.Amp)→UY-76(Amp)と考えられる。
標準発振器(Standard_Oscillator)から1875Hzの「のこぎり波」を入力から、微分してパルス化とし、このパルスをトリガーとしてUt-76D(双三極管)によるマルチバイブレーターにより3750Hzを発振させて、再度3750Hzの「のこぎり波」を生成している。
したがって、索敵用指示管の水平軸の掃引は3750Hzに変更している。
3750Hzの「のこぎり波」ということは、理論的な最大測距可能距離は40kmとなる。
実際の測距作業については、事前に選択器で目標物に選択信号である輝点が設定していること前提となる。
この状態で、今度は標準発振器(Standard_Oscillator)のゴニオメーターを調節して、目標物の画像を掃引の零点(基線;直接波のパルスを表示しているところ)に像を移動させる。
この時のゴニオメーターの移動角度を距離換算すれば、精密な測距が可能となる。
※住友通信 真空管 CZ-501-D(MC-656-C)とUt-76D

索敵用指示管の表示イメージを下記に示す。

 

仰角指示管(Elevation)及び方位角指示管(Azimuth)


タチ1やタチ2の照準用指示管はアンテナの上下、左右のアンテナの切替と同期して受信機の出力にも同期した分配器で上下、左右の受信信号を分離してブラウン管にベクトルデータ表示していた。
タチ3では、上記の方式の分配器を廃止したため、仰角指示管(Elevation)及び方位角指示管(Azimuth)には、アンテナでの仰角と方位角のアンテナを電動モーターによる切替SWを介して、仰角と方位角の受信信号である情報が分離しないままで、仰角指示管(Elevation)及び方位角指示管(Azimuth)に同じように表示されることになる。
このため、電動モーターに連動したSWに同期した円板(180度交互に穴があいている)をブラウン管の前面に設置し、仰角指示管(Elevation)と方位角指示管(Azimuth)には穴の開いている時間のみ表示ができるような簡単な仕組みで対応している。
テレビジョン創成期のニポー円盤と呼ばれる穴の開いた円盤による機械式の撮影方式の逆バージョンと考えればよいかもしれない。

<追加検討資料>R05.01.13
更に工夫していることは、この円板には赤と緑色のフィルターを用いていたカラーディスクを利用している点にある。
米軍の資料(A short survey of japanese radar)には下記のコメントがある。
「アンテナスイッチに同期して、左(又は上方向)ローブが動作しているときは赤色の輝線が、右(又は下方向)ローブが動作しているときは緑色の輝線が見える。
アンテナの位相調整器を調整して、赤と緑色の輝線が重なったとき、その高さが正確に一致すれば、目に映る結果は白色になるはずである。
このアイデアは、おそらく戦争初期に捕獲されたイギリスのGLマークIIセットから取られたものであろう。」とある。
この上記コメントだけでは、この動作をこのまま理解することは困難である。
何故なら、コメントの動作には前提条件が1つ脱落している。
それは、指示機のブラウン管の蛍光色が青色であることが必須要件となることである。
蛍光色の青色の発色のためには、蛍光体にタングステン酸カルシウムや硫化亜鉛の成分が必要になる。
ブロックダイヤグラムにも方位角指示機(Azimuth)と仰角指示機(Elevation)のブラウン管の仕様としては、SSE-120-Wとあり、測距用の指示機のブラウン管はSSE-120-Gとあり明確に区別されている。
ここまではわかれば、あとは光の三原色の原理でこの動作を理解することは容易である。

<追加検討資料>R05.01.29
米軍のコメントにある「アンテナスイッチに同期して、左(又は上方向)ローブが動作しているときは赤色の輝線が、右(又は下方向)ローブが動作しているときは緑色の輝線が見える。
アンテナの位相調整器を調整して、赤と緑色の輝線が重なったとき、その高さが正確に一致すれば、目に映る結果は白色になるはずである。」とあるのに対してブラウン管の蛍光色を青色とすればいいとの安易な話をしたが、実際は「、左(又は上方向)ローブが動作しているときは赤紫、右(又は下方向)ローブが動作しているときは空色」となり、正確に赤、緑色にはならない。
さらに、ブラウン管がSSE-120-Gの型番では蛍光色は緑色であるのに対して、仰角指示機(Elevation)及び方位角指示機(Azimuth)のブラウン管はSSE-120-Wの型番である。
仮に型番の最後の記号が蛍光色を示すものであれば、SSE-120-Wの蛍光色は白色となるはずである。
しかし、これではローブの変化に対応して赤色、緑色となるが、一致した場合白色でなく黄色になるので、これもすべての色がコメントとは合わない。
ただし、黄色であれば、実際のブラウン管の白色発光が強ければ、白色に見えるはずであることから、ブラウン管の蛍光色を白色としたほうが正しい指摘と思われる。
また、文献<A short survey of japanese radar>の住友通信(日本電気)の項にも下記の資料があり、タチ3のために本ブラウン管の製造を開始し、タチ3の生産終了に伴い本ブラウン管も生産停止したように見受けられる。
白色蛍光板付き陰極線管(1942年8月~1945年5月)
白色蛍光色は、それぞれ赤と青の蛍光色を発する硫化亜鉛と蛍光体を混合し、赤と青のフィルターを使用することによって得られた。 透過光の視感度が同等になるように蛍光体とフィルターを解析・調整し、この原理を応用したブラウン管を製作中である。

 

仰角指示管(Elevation)及び方位角指示管(Azimuth)の表示イメージを下記に示す。

波形変換器(Wave_Form_Changer) 

 
Japanese Army Radar, 1 April 1946の米軍のコメントは以下のとおりである。
波形変換器(ブロック図参照)はテスト用にのみ使用された。 
テストでは、受信アンテナの数メートル前に設置したパルス信号発生器からr-fパルスを受信機に送出した。 
検出されたパルスは増幅器、マルチバイブレーター、フィルターからなる波形変換器に送られ、試験発振器のPRFに等しい周波数の正弦波が出力される。 
この正弦波をマスター発振器の代わりに使って、試験中のシステムの同期を取るのである。 

最後に
基本的には、事前に敵航空機の侵攻方向へ送信機も受信機のアンテナを向けているので、測定には物理的に仰角や方位角を変更するのではなく、電子的に仰角や方位角の最大感度を測定しているだけである。
したがって、敵航空機の侵攻方向が全く異なった場合には、送信機及び受信機のアンテナの向きを変える必要がある。
文献、戦記などで、タチ3の受信アンテナが電動モーターにより、くるくる廻っているような記載があるが、受信機には3名の操作員が機械に乗って操作しており、くるくる廻ると目が回り測定操作などの精密作業はできないのは明白である。
仰角と方位角の測定を完了すると、最後に測距担当者が精密測距を行い、直角三角形の斜辺に相当する敵航空機との直線距離を測定する。
この結果の測定された距離を仰角担当者に口頭で伝えると、ブロックダイヤグラムのアンテナ付近のゴニオメーターのとなりにDram of Altitudeと記載のある円筒の高度換算計により距離と仰角情報から、高度をドラムから読み取るとり、簡単に高度が判ることになる。
高射砲部隊には、諸元となる方位角と高度をセルシン若しくは電話にて報告して作業は完結する。


なお、照空灯(探照灯、サーチライト)など高射算定具が不要で直接照準できる機器については、セルシン(シンクロ)モーターと連動して自動的に敵機へ方位角、仰角を向けることは可能である。

なお、選択器の詳細については、以下の資料を参照してください。
仮称四號電波探信儀三型・取扱説明書(案)の解説について

http://minouta17.livedoor.blog/archives/23747537.html

 


陸軍の電波標定機における日本電気の役割であるタチ3の開発は、昭和19年10月を以てお役御免となっている。
陸軍のその他の電波標定機であるタチ1、タチ4、タチ31については、東芝が開発を所管しており、開発の流れは東芝へと向かったようだが、陸軍はそれでも気に食わず、最後は独逸のウルツブルグの完全コピー版であるタチ24を日本無線に発注したが、完成を見ず終戦を迎えた。
一方、海軍の電波標定機にあたる電波探信儀41(S3)、42(S24)、43(L1)は全て日本電気が一括受注しておりスムーズな開発が行われている。
ただし、肝心な艦船搭載用の対空射撃レーダーの実現については、未完でのままとなった。
返す返すも残念なのは、ここでも陸軍と海軍の壁が障害となり、この陸軍の電波標定機の開発でも問題が顕著に発生した。
個人的な所感ではあるが、日本電気が海軍のために米軍のSCR-268をベースに開発した4号電波探信儀1型41(S3)を陸軍の本土防衛用に採用すればかなりの成果がでたものと思われる。
逆に海軍では、4号電波探信儀1型「41(S3)」では重量級のため外地での展開が困難なことから大量生産には至らなかった。
また陸軍の高射砲部隊には、電波標定機以外にも簡易な電波警戒機があればよかったが、そのような発想がなく簡易版は開発されていないが、海軍の簡易版の1号電波探信儀3型(13号)などを配備しておき、対空警戒情報を部隊内で早期に把握して、肝心の電波標定機を直前まで運用停止しておけば、標定機の電波情報をB29のRCM機(Radar Counter Measure Aircraft)に把握されないので、電波妨害から逃れることができたのではないだろうか。
戦後の米軍の報告書では、B29のRCM機の電波妨害により日本の電波標定機が全て使用不可能になったとの記録があり、それほど航空機にとって電波標定機は怖い存在であったことは間違いない。
最後に沖縄戦での海軍4号電波探信儀1型の壮烈な姿を示して筆を置くことにする。

 


陸軍の電波警戒機(早期警戒レーダー)では、それまで高度の情報を把握するレーダーを開発していなかった関係上、電波標定機で培った日本電気のGLMKⅡのベースの仰角検出技術に着目して、下記のGLMKⅡ系の電波警戒機のレーダー開発に発展している。

タチ20:
http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022258.html
その他の名称:高度測定用受信機(Radio detector for elevation angle measure)
タチ20は、タチ6の固定設備と組み合わせて使用するように設計された高度測定機であった。
住友通信(日本電気)は、1943~44年の冬にタチ20について独自の研究開発を行った。
安立電気がその後12台を生産した。

タチ35:
http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022259.html
その他の名称:高度測定用電波警戒機(Radio detector for elevation angle measure);  5式警戒装置(Type 5 Warning Device)
タチ35は、GCIおよび早期警戒高度検出のためのタチ6-20の組み合わせに代わるものとして設計された。
試作会社住友通信。実用化済、三機松戸、越谷、御前崎に於いて実用中
住友通信(日本電気)はこれらの装置のうち5つだけを作った。

タチ22:
http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022260.html
その他の名称:なし
タチ22は、以前の高度測定機能の同じ欠陥を克服するために1944年後半に設計された実験的な高度測定機でした。
住友通信(日本電気)が開発した単一の実験モデルは、占領軍が入る前に破壊された。

 

参考文献
Japanese Wartime Military Electronics and Communications, Section 6, Japanese Army Radar, 1 April 1946
陸戦兵器総覧 1977年3月 日本兵器工業会編
見晴台遺跡発掘調査報告書(第49 ・ 50 ・ 51次)2021 名古屋市教育委員会
工藤洋三・鈴木梅治『アメリカが記録した室蘭の防空』2014年 工藤洋三
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山の上に残る戦争遺跡-電波標定機基礎- 福岡県北九州市若松区大字小石
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