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海上自衛隊艦船無線機の名称付与基準の考察について(令和元年10月01日)

2019年10月01日 20時23分16秒 | 04戦後の軍用無線機

海上自衛隊艦船無線機の名称付与基準の考察について(令和元年10月01日) 

防衛年鑑1960(昭和35年)発刊の海上自衛隊主要通信電子装備一覧から以下抜粋
艦艇用送信機 ORT-1,2,3
艦艇用受信機 ORR-1,2B,7
艦艇用の無線装置には、名称付与としてORTが送信機、ORRが受信機を示しています。
一桁目のOの意味は不明ですが、2桁目のRはRADIO、3桁目がTRANSMITTERかRECEIVERを示しているようです。
艦艇用の無線装置は、何故か1桁目がOで始まります。
艦艇用のテレタイプはOGC-1,2、方向探知機はORD-1,2、ロラン受信機はOPN-1、レーダーはOPS-2,4,6とすべて1桁目がOで始まります。
一体このOはどんな意味をもっているのでしょうか。
艦艇用以外は、米国仕様のものを直接使用している場合は、AN/ART-13、AN/ARC-27といった米軍の名称をそのまま使用し、ライセンス生産した国産化機器については、JANM/GRC-9、JSCR-193といったように名称の先頭にJを付与しています。
自衛隊装備年鑑1995年(平成7年)版でも無線機はORC-29B-YといったようにOからの名称ですが、レーダーについては、国産品の対空レーダーOPS-14B、輸入品の3次元レーダーAN/SPS-52の2系統の名称が使用されています。
ここまで、Oは国産品を示す無線機器ということが言えそうです。
そこでネットで検索すると、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に下記の情報が示されました。
海上自衛隊の電子機器の型番はアメリカ軍の軍用電子機器の命名規則におおむね基づいているが、一文字目のみは、米軍式では「S」がつけられるべきところを、「お船」(Ofune)ないし「艦載用」(On Board)を捩った「O」とされている。 ※もじる【捩る】
「お船」(Ofune)か「艦載用」(On Board)がOの根拠であるとの指摘ですがどうも判然としません。
海上自衛隊の艦船の用語でOから始まるキーワードが見当たらない中、防衛年鑑1960(昭和35年)にOSP駆逐艦というキーワードを発見しました。
ネットで更に検索すると、1957会計年度のアメリカ海軍艦艇建造予算による域外調達(Off Shore Procurement, OSP)で警備艦2隻を建造する旨、アメリカ合衆国から通達があった。
アメリカ側は、当初、フレッチャー級駆逐艦(ありあけ型として運用中)に若干の改良を加えた艦の建造を日本側に行わせようと計画したが、はるかぜ型以来の日本独自の艦艇建造が進められていた実績を踏まえて、アメリカは資金面での援助のみ行い、計画・設計・建造の全てを日本側に委ねる事となった。
このように、域外調達による装備がアメリカ国外で設計されるのはきわめて異例のことであった。
同年3月29日の閣議決定に基づき、即日、日米政府間で契約が調印された。
なお、完成後は警備艦として日本に供与されています。
1957年といえば、昭和32年ですが、今では考えられませんが当時貧乏な日本に対し、米国の寛大な措置といえます。
このことから、本来はこのOは域外調達の示す「Off Shore Procuremen」のOであるのですが、米国の寛大な措置に対して、日本側としてはこの域外調達艦船のことをオフショア調達船➡「お船」(Ofune)と称したOなのではないでしょうか。
このような経緯から日本の艦船の無線機器についてはOからの名称を付与したのではないでしょうか。
ただし、あくまで個人的な推量であって、本内容の正確性を保証するものではありません。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
OPS-11 https://ja.wikipedia.org/wiki/OPS-11
OPS-11は、三菱電機製の2次元レーダー[1]。 海上自衛隊の護衛艦において、対空捜索レーダーとして搭載されており、この用途としては、日本が第二次世界大戦後初めて独自に開発した機種となる。
なお、本機を含めた海上自衛隊の電子機器の型番はアメリカ軍の軍用電子機器の命名規則におおむね基づいているが、一文字目のみは、米軍式では「S」がつけられるべきところを、「お船」(Ofune)ないし「艦載用」(On Board)を捩った「O」とされている。
本機の場合は、水上船舶搭載のレーダー、探知用/距離方位測定用/捜索用ということになる[4]。

あきづき型護衛艦 (初代) https://www.weblio.jp/content/%E3%81%82%E3%81%8D%E3%81%A5%E3%81%8D%E5%9E%8B%E8%AD%B7%E8%A1%9B%E8%89%A6
当初計画では、昭和30年代初期に建造されるDDはこの2タイプのみになるはずだったが、1957年1月、1957会計年度のアメリカ海軍艦艇建造予算による域外調達(Off Shore Procurement, OSP)で警備艦2隻を建造する旨、アメリカ合衆国から通達があった。
アメリカ側は、当初、フレッチャー級駆逐艦(ありあけ型として運用中)に若干の改良を加えた艦の建造を日本側に行わせようと計画したが、はるかぜ型以来の日本独自の艦艇建造が進められていた実績を踏まえて、アメリカは資金面での援助のみ行い、計画・設計・建造の全てを日本側に委ねる事となった[1]。
このように、域外調達による装備がアメリカ国外で設計されるのはきわめて異例のことであった。
同年3月29日の閣議決定に基づき、即日、日米政府間で契約が調印された。
これは、日本政府が2300トン級駆逐艦2隻を建造して1960年3月までに米政府に引き渡すことを定めており、その総契約価格は1,868万ドル(67億2,480万円)、米政府は出来高に応じて90%を支払い、残額は引渡し時に支払うこととされていた[5]。
最終的に、1隻あたりの船価は約34億円となった。

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