常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

山桜

2020年04月16日 | 
里で咲くソメイヨシノは満開を迎えた。一日、強風が吹けば、花吹雪になりそうである。千歳山にちらほらと山桜が咲いていた。いかにも清楚な感じである。里の桜は、ほとんどがソメイヨシノで、その満開の様子は、いかにも豪華な印象を与える。桜といえば、ほとんどの人が、里のソメイヨシノをイメージするが、古来日本人が愛でてきたのは山桜の方である。里の桜を見なれた目には、少し寂しいような気もするが、山の空気のなかで、くっきりとした輪郭をみせる花は、ある種高貴さを感じさせる。

敷島の大和心を人問わば
 朝日に匂ふ山ざくら花 本居宣長

家に一枚の色紙がある。宣長の真蹟をコピーしたもので、伊勢に旅行に行ったとき、松坂の宣長記念館で買ってきたものだ。たしか、千円ほどであったかと思うが、家の壁に置いて10年以上が経ち、やや変色して,重厚感を増している。この歌は、国学者として円熟の期を迎えていた、寛政2年、宣長61歳の時に詠んだ歌である。

国学者であった本居宣長が解明しようとしたのは、古代の日本人の心である。宣長はそれを大和心という言葉で表現した。その心のなかに、理知的なものよりも、素直で純真な感情が勝っている、と考えた。万葉集や源氏物語などの解読によりたどり着いた境地であった。自然界に例えていえば、朝日のなかできらきらと輝いているようきよらかさである。その意味が、この歌に込められている。

千歳山で山さくらの花には、懐かしいやさしい風情がある。そのような清らかな心はこの時代に至るまで持ち続けられているのであろうか。世界中の国境がどこまでも近くなり、飛行機で一飛びで超えれれるボーダレスの時代。このカオスを心のなかで消化し、この時代の日本らしさを作り出すには、長い時間が必要であるだろう。
コメント
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