常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

夏藤

2020年09月11日 | 登山

散歩道に見た覚えのある花。蔓の先に花を上向かせて咲いていた。夕暮れの光りのなかで、ほんのりとピンクが白い花のなかに交じっている。グーグルレンズで検索してみると、夏藤と出てきた。実がしだいに多くなっていくなかで、この季節に咲く花は貴重だ。散歩の時間を豊かに、楽しくしてくれる。昨夜雨。日照りが続いた畑には恵みの雨だ。ようやく生り始めた秋ナスと最後のモロヘイヤを収穫して、千葉の娘に送る。娘たちが喜ぶ姿を力にして続けてきた野菜づくりだが、もう最後に近づいてくると、寂しい気がしてくる。

秋茄子をうましと噛みぬ老いたりや 中山一庭人

朝夕の気温が下がった。開けたベランダから入ってくる風は冷たい。昨日まで暑くて、身の置き所もない日々は、過ぎるともう記憶の底に沈んでいく。朝、味噌汁に落とした3粒の銀杏、食後に食べる完熟したキューイフルーツ。その滋養が身体の中に静かに広がっていく。秋茄子の句も、食のこんな境地をさしているのであろうか。

「夕映えが美しいように、老人に境地から見た世界は美しいのです。」(伊藤整『変容』)この言葉につけ加えるとすれば、苦しみぬいて登りつめた頂上から見える全ての眺めこそ、老境にある身に見える最高の美しさだ。
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