常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

望郷

2017年09月07日 | 日記


北海道へ行く日が近づいてきた。生き残った3人の兄弟と会い、元気な同級生たちが一度に揃うのは最後の機会のような気がする。「人間至るところ青山あり」と詩に残したのは、幕末の僧月性であるが、やはり先祖の墓のある地を、最後に脳裏に焼き付けておきたいと思うのは人間の性であろう。私が生れたのは、神居古潭のかなり下流の平野部、蛇行する石狩川に抱かれるような地であった。川の上流に目をこらすと、晴れた日には、小さな三角に見える大雪山を仰いだ。子ども心に、あの山が北海道で一番高い山であることを知り、その小さな三角の山に見入った。

大雪山は大きな火山である。約3万年前、この山地に大噴火が起こり、火砕流が石狩川をせき止めた。そして出来たのが火砕流台地である。この台地が、川の浸食によって深い渓谷を形成する。層雲峡が出来たのは、石狩川の活動によっている。火砕流が生みだした岩石は、熔結凝灰岩と呼ばれ、川の浸食によって200mに及ぶ柱状節理を発達させた。あの見事な景観は、こうした大地の運動の結果である。同じ頃、北海道は氷河時代であった。サハリンと宗谷は、大陸氷河が海を埋めつくし、礼文や利尻を含めて陸続きになっていた。ここにはツンドラが形成され、ツンドラ植物群やハイマツが広く分布していた。千島半島に生育していたウルップソウが、大雪山に分布しているのもこのためである。

大雪山は針葉樹林帯が、1500m位が上限になっている。そのため高山帯の領域は極めて広い。日本海から吹く強風で、吹きさらしと吹きだまりが混在し、多様な植物群落が生じ、チョウノスケソウなど珍しい高山植物や雪田植物群落による見事なお花畑。こんな知識を、本で得ながら、故郷の山に登る夢を膨らませてきた。もちろん、利尻島や礼文島の花にも、行きあうことを夢見てきた。しかし、この年になってその実現性はどんどん小さなものになっている。私の生れたところは、石狩川に流域の平坦部で、川が押し流して来た土砂の集積地である。周りは低山が囲む盆地のなかを、石狩川が蛇行しながら貫流している。

朝な、夕な里山はやさしく盆地の集落に住む人々に語りかけてくる。数十年ぶりで帰っても、山は「よく帰ったな」という、しぐさで迎えてくれる。その山の麓で永眠したい、という空しい思いに駆られることもある。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする