我、再び駆ける。

ADV150・MT-03・4D9マジェスティなどを購入したことから、これらのバイクについて紹介していくブログです。

今年も多忙なので、ちょこっとお花見。そして「ご苦労さん」ランチです。

2019年03月31日 | お出かけ
今年も超多忙な年度末・年度始まりとなりました。今日を持って定年退職となる私ですが、定年後はデスクの位置が1mほど動いただけとなりました。(詳しくは後述)
それでも、やっぱり忙しいのは変わらず、今日は通勤経路である人丸山でちょこっとお花見です。

まだまだ3分咲きぐらいですが、それでも撮影には十分に咲いていました。



とりあえず、パチパチと撮影。






あえて逆光で、



こんな蕾が一杯あり、満開となるのは今週末でしょう。



帰宅後、家内と定年退職の「ご苦労さん」ランチです。お店は我家の近くの「小さな厨房」。



マスターが一人で、本当に小さな厨房で忙しく調理されています。このお店は、基本、夜の洋風居酒屋です。



店内は可愛らしい、グッズで飾られています。11時半からの開店ですが、12時頃にはほぼ満席となりました。






私が食したのは、エビフライ&ハンバーグ。こんな感じで、次々と出てきました。









家内はエビフライ。大きなエビフライが3匹です。こんな感じでの「ご苦労さん」ランチでしたが、明日からも忙しいので、私は十分でした。



明日から新年度となりますが、私は同じ職場で肩書は「〇〇課長」から「〇〇係長」になり、「課」の漢字が「係」に変わっただけになりました(^^)。この〇〇係長の意味がよく分からず、人事部局まで聞きに行くと「アドバイザーの係長です」とのこと。
つまり業務の主ラインから外れ、直接的な部下もいない係長です(笑)。こりゃアドバイスだけで楽ちん!と思いきや、「人員削減となっていますので、実務もお願いします」とのこと。(はぁ~)

要するに「全ての仕事をしてね」ということでした。そんなところで、結局のところ超多忙!これからは、土日も仕事の可能性が高くなりました。ちなみに給料は、毎月、新車で原付50スクーターが買えるほど減額です(激涙)。それでも、いろんな肩の荷がすっかり下りました。^^
コメント (8)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今春初のツーリングは、飛行機~岸壁~野球観戦です。

2019年03月24日 | MT-03・ツーリング
今日は、ブロ友のグッチさんとツーリング。山陽電車・須磨浦公園駅に8時集合です。

集合後、R2~浜手BP~神戸大橋を渡って到着したのは、こんな駐車場。



ここは神戸空港です。グッチさんが長らく来ていないので(バイクでは来ていないので)、私が案内しました。^^



ちょうど、スカイマークの仙台便が出発しそうです。そんなところで慌てて、4階の展望デッキへ。



地上整備員さんのお見送りを受けて、出発です。



滑走路にはANAが・・・新千歳に向かう577便です。離陸の模様を動画でどうぞ。



続いて、前述のスカイマーク仙台便(152便)が離陸しました。






神戸空港の後は、グッチさん先導の下、港島トンネルを経て灘浜岸壁です。グッチさんが、よく来られる場所なので、案内していただきました。



遠くに見える高架は、ハーバーハイウェイ。PCの壁紙用に記念撮影。(^^)



再び私が先頭となり、R43を東進して到着したのは、こんな駐輪場。ここはコロワ甲子園(イオン甲子園)です。



地下2階の食料品売場で、お昼ご飯を買い求めます。お寿司が私で、サンドウィッチはグッチさんが買ったもの。






なぜ、お昼ご飯を買い求めたのか?ですが、甲子園球場で選抜高校野球を観戦するためです。^^



本日の組み合わせ。目指すは、第二試合の明豊高校×横浜高校です。



阪神タイガースの試合で座り慣れたライト外野席(選抜高校野球は、外野無料が嬉しい)に陣取ると、明豊高校・横浜高校の試合前の練習でした。



やや肌寒い天気で、しかも地元近畿勢が登場しないにもかかわらず、ほぼ満席の状況でした。(熱心な高校野球ファンが多い)



横浜高校の応援席である、3塁側アルプス席。応援は少なめ。



明豊高校の応援席である、1塁側アルプス席。こちらも応援は少なめ。両校とも甲子園から遠方ですので、止むを得ないところでしょう。



では、早速に昼食をパクパクと・・・唐揚げとフライドポテトのパックは、グッチさんと半分ずつしました。(^^)



試合前の挨拶があり、いよいよ試合開始です。



横浜高校の応援の模様を動画でどうぞ。この横浜高校の応援歌を初めて生で聞いたのは、あの松坂投手が甲子園に出場した時ですが、それ以来、大好きになりました。この応援歌を聞くために、今日は甲子園に来たと言っても過言ではありません。^^



続いて、明豊高校の応援です。1:24あたりで得点し、大盛り上がりとなります。



甲子園のスコアボードは、フル・ディスプレイとなりました。まるでホーム・ボタンが無くなった、新しいiPhoneみたいな感じです。^^



で、試合の経過はこんな感じ。前半は横浜高校バッターの鋭い打球ばかり目に付きましたが、高校野球は分からないものです。明豊高校は一気にたたみかけ、逆転しました。






結局、寒いわ、眠くなるわで、5回裏の横浜高校を観終え、席を立ちました。球場外には、第三試合に登場する米子東高校の多くの応援団が、球場入りを待っていました。



甲子園のグッズ売場には、出場校のペナントがズラリ。もうすぐ平成の時代は終わりますが、昭和の時代から続くペナントは健在です。



この後は、R43~阪神高速・神戸線~第二神明で一気に帰宅・・・なんですが、あわや名神高速に乗り込むところでした(笑)。それでも無事に帰宅。今日、お付き合いいただいたグッチさん、ありがとうございました。
やっぱり甲子園はいいですね。次に行くのは、来月の阪神×巨人戦です。
コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「カップヌードルミュージアム 大阪池田」に行ってきました。

2019年03月17日 | お出かけ
今日は明石駅からJRに乗って、

三宮からは阪急電車に乗り換えましたが、



キップは「阪急阪神1dayパス」ということで、阪急・阪神電車が一日乗り放題です。(^^)



続いて十三駅で乗り換えて、池田駅で降りました。



池田駅前には、既に私の目的地の予感です。^^



さらに目的地への案内看板。



池田駅から5分ぐらい歩いて到着したのは、日清食品の「カップヌードルミュージアム 大阪池田」(安藤百福発明記念館 大阪池田)です。



日清食品の創始者である、安藤百福さんの立派な銅像がありました。



先ほどの案内看板のように9時半からの開館ですが、30分前でもこの行列。



10年ぐらい前に、当時、「インスタントラーメン発明記念館」と呼ばれた頃に来ましたので、二度目の訪問となります。NHK連続テレビ小説「まんぷく」の人気で多いだろうな~と思いましたが、ここまで多いとは思いませんでした。



さらに続々とお客さんが来られたので、開館25分前の9時5分に開館となりました。入館すると「まんぷく」人気にあやかり特別展が開催されて、記念撮影用のボードが置かれていました。



展示室に入ると、今まで発売された日清食品のインスタント(カップ)ラーメンがズラリと展示されています。



このあたりは定番ですが、



これは食べたことがないですね。



これが1958年(昭和33年)に発売された、チキンラーメンです。



しかし、行列が全然動きません。



何かと思えば、オリジナルのカップヌードルを作る体験(300円)行列でした。ここでオリジナルのカップヌードルを作ります。



親父一人で作るのはスタッフの方にとっては迷惑でしょうから(笑)、私は2階に上がり見学を続けます。館内には「まんぷく」のポスターを何度も見かけました。NHKも協力している感じです。



ここが安藤百福さんの奥様である、仁子さんの特別展示です。



「まんぷく」はあくまでドラマですが、ドラマに登場する人物と実際の人物との関係図です。



ここにも発売当初のチキンラーメンが展示されていました。



1階はオリジナル・カップヌードルを作る体験でしたが、2階ではチキンラーメンを作る体験(500円・要予約)ができます。



1階に降りると、人の背丈ほどある巨大なカップヌードルが置かれていました。^^



最後にチキンラーメンから始まる、日清食品の社史が展示されていました。






日本ではカップヌードルで、初めてフリーズドライという真空凍結乾燥法の「具材」が用いられました。



今昔の写真も、



この中では、10個の玉子を紙(私が知っているのは新聞紙)で包むことや、豆腐売りの方が懐かしいです。私が中学生ぐらいまで、ラッパを吹く豆腐売りのおじさんを見かけました。






こんな、チキンラーメンを紹介するビデオも流れていました。



この小屋はチキンラーメンを開発するため、安藤百福さんが自宅に建てた研究所を再現したものです。「まんぷく」でも紹介されていました。



「麺をどうやって乾燥すれば、お湯にかけると戻るか?」で試行錯誤した時の麺です。






内部を見ると、とても研究所とも思えないハンドメイドの世界。しかし、この研究所からチキンラーメンは生まれたのです。









1時間ぐらいで見学を終えました。見学を終えると、さらにお客さんは増えていました。



前述のカップヌードルやチキンラーメンの体験を行えば、半日ぐらいは楽しめるでしょう。また外国人の見学者の方が多いのには驚きました。

最後にチキンラーメンの自販機で缶コーヒーを飲み、



グッズ売場でお買物して完了です。^^



見学も終わり、続々と「カップヌードルミュージアム 大阪池田」に向かう人達とすれ違い池田駅に到着しましたが、さて次に向かうは・・・です。当初は甲子園球場の予定ですが(今日は西武とのオープン戦)、雨雲レーダーを見ると、どうも雨雲が来そうです。

そんなところで甲子園は諦め(次の日曜日に、MT-03で選抜高校野球に行く予定もあるし)、とりあえず阪急梅田まで出て、梅田の地下街を歩いて到着したのは阪神百貨店。



目的は、8階のタイガース・ショップです。(^^)



こんな扇子を買い求め、



今度は阪神電車で三宮まで帰り、吉野家の牛すき鍋膳を食しての帰宅となりました。^^



チキンラーメンが登場したのは1958年(昭和33年)ということで、まんま私の誕生年。そんなところで子供の頃から現在まで、日清食品のインスタント・ラーメンで育った世代と言っても過言ではありません。(^^)

「出前一丁」や「日清焼きそば」も定番ですが、私的には、何といってもカップヌードルの登場は、衝撃的に憶えています。当時、「ヤングおー!おー!」なんて毎日放送のTV番組で、司会の斎藤努さんがインタビューに答えた方に「カープヌードルをどうぞ」というのを観ていましたが、「はて?カップヌードルって何?」なんて思ったものです。

発売されると爆発的な人気となったことから品薄で、カップ〇リックや〇△ヌードルなんて似た商品が大量に出回りました。「まんぷく」を観ていると、そんなことも思い出したものです。


PS.
先日、MT-03の車検を受けました。行き付けのバイク屋さんにお願いしましたが、費用はバッテリー・エアクリーナー・プラグ交換込みで76,000円なり。
費用的に高いか安いかは別にして、とりあえず後2年はMT-03に乗ることになりました。(^^)


コメント (8)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神戸の旧居留地巡りです。

2019年03月09日 | お出かけ
昨日は、有給休暇を取ってお休み。JRに乗って到着したのは、大丸・神戸店です。

目的は大丸ではなく、大丸東側一体の旧居留地に残る古い建物を撮影するためです。ここで「旧居留地とは?」ですが、ウィキには以下のように紹介されています。
神戸外国人居留地は、安政五カ国条約に基づき、1868年1月1日から1899年7月16日までの間、兵庫津の約3.5 km東に位置する神戸村(後の兵庫県神戸市中央区)に設けられた外国人居留地である。神戸居留地ともいう。

つまり日本でありながら、治外法権である外国人専用居留地です。上記のように、1899年以降は日本人も建物を建築できるようになりましたが、それでも当時の日本の建物とは明らかに違う、外国的な建物が数多く残っています。下の画像は、当時の居留地です。



それでは大丸をスタートして、順次、廻って行きましょう。先ずは「旧居留地38番館」です。1929年にシティバンク神戸支店として建設されたものですが、名称にある「38」という数字は、外国人居留地時代の区画番号を意味します(以下、同じ)。 以前は大丸が所有し、隣接する大丸神戸店の倉庫として使われていましたが、現在は超高級ブランドのエルメスが入っています。



続いて「シップ神戸海岸ビル」です。旧三井物産神戸支店として1918年に竣工しました。



「シップ神戸海岸ビル」の開口部分。非常に凝った造りとなっているのがお分かりでしょう



「シップ神戸海岸ビル」の道向かいは、「商船三井ビルディング」です。旧大阪商船神戸支店として、1922年(大正11年)に竣工したものです。



旧居留地5番館になります。



こちらの開口部(窓)も非常に凝った造り。



玄関部分。



玄関入口ですが、右側の看板には「当館に関係ない方の入館は、かたくお断りしています」と書かれています。勝手に入って撮影する方が多いからでしょう。^^



夜はこんな感じ。また撮影に来たいものです。



次は「旧居留地15番館」です。旧アメリカ領事館で、旧居留地に唯一現存する居留地時代の建築物です。国の重要文化財にも指定されており、当時の街区境界の煉瓦塀や石柱などとともに保存されています。現在は飲食店が入っています。






何か、こんなものが、



旧居留地時代に敷設された下水管です。旧居留地時代の日本といえば、やっと都市部の一部に上水道が始まったばかり・・・しかるに、旧居留地では既に下水管が敷設されていたのです。



次に国道2号線まで出て、「チャータードビル」です。チャータード銀行神戸支店として、1938年に竣工しました。



建物全体が撮り辛く、国道2号線を渡って撮りましたが、目の前は勝海舟が開設した海軍操練所の記念碑です。ご存知のように、海軍操練所は坂本龍馬や陸奥宗光が参加しました。



「チャータードビル」が建設される、少し前の1932年の国道2号線です。国道2号線に沿って蒸気機関車が走り、大八車を引く人や馬車が写っています。この蒸気機関車が走る線路ですが、神戸臨港線です。何と2003年まで、神戸港からの貨物線として残っていました。



これが、ほぼ同角度から撮った現在の国道2号線。87年で、これだけ国道2号線の状況も一変しました。



この建物も開口部の意匠が素晴らしいです。






ちなみに「チャータードビル」の隣は、ポルシェのディーラーさんです(^^)。旧居留地は高級スポーツカーのディーラーもありますが(ランボルギーニ)、ヴィトン、プラダ、グッチなど高級ブランド店が勢揃いです。



最後に「神戸市立博物館」です。1935年に横浜正金銀行神戸支店として建設されましたが、戦後は後身の東京銀行神戸支店として使用されたものです。



歩道には、旧居留地のガイドマップがありました。赤丸が、この日廻った建物。他にも5棟ぐらい歴史を感じる建物があるようですが、それは次回に・・・私と同じように、写真を撮っている方を何人も見かけました。歴史を感じ、引き付けられるものがあるからでしょう。



撮影も終え、三宮センター街~さんちかを経て、到着したのは阪神電車・三宮駅。この日の本当の目的地は、ここでした。(^^)



目的は、こいつ!されど、予想どおり完売していました(涙)。Kitaca(北海道)・Suica(東日本)・TOICA(東海)・ICOCA(西日本)・SUGOCA(九州)というJRグループの交通カードに加え、最近はモバイルSuicaまでiPhoneに入れた私ですが、やはりコレクションとして欲しかったのです(阪神ファンだし)。しかし新聞によると、数か月後には増販売されるようです。その時を待ちましょう。



この後は、お隣のそごうの食料品売り場です。家内からのミッション達成のため、ユーハイムです。



このフランクフルタークーヘンは、超お勧め。お値段も安く、5日間くらい日持ちします。^^



ミッションも達成し、恒例の「市場食堂駅前」で海鮮丼を食べて帰宅としました。






こんな感じで、歩き廻っての撮影日となりました。徒歩もまたツーリングです(^^)。ツーリングといえば、本当はMT-03で行きたかったのですが、MT-03はバイク屋さんの軽トラに乗せられてドナドナ・・・ではなく、車検に出したからです。



親切に自宅まで引き取りに来ていただきました。来週半ばには車検も終わって、持って来ていただけます。最近、行き付けのバイク屋さんが何か親切。春に新しいバイクを買わそうと思っているのかな?です。^^
コメント (10)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

送別会ということで、舞子です。

2019年03月02日 | お出かけ
今日は私の定年退職にかかる送別会ということで、先ずは明石駅に到着。MT-03で行く予定でしたが、ちょいと明石駅周辺で用事があったので、素直に電車で行くことにしました。^^

初めてiPhoneのSuicaで自動改札を通りましたが、緊張の割にはあっけなく通過。(笑)



舞子駅に到着です。



海側に出ると、明石海峡大橋と橋の科学館です。



送別会の集合時間まで時間があるので、孫文記念館(移情閣)でも寄ってみましょうか。赤四角が送別会が開催されるホテルで、青四角が孫文記念館(移情閣)です。



孫文記念館(移情閣)の全景です。孫文記念館は1915年建築で、現存する日本最古のコンクリートブロック造建造物です。国の重要文化財にも指定されています。(ウィキによる)



到着しました。



辛亥革命の父といわれる孫文ですが、この移情閣は1913年に孫文一行が神戸を訪れた際の歓迎会場でした。そんなところで、辛亥革命や孫文に関する資料が展示されています。



辛亥革命をきっかけに清朝の時代は終わりましたが、このあたりは映画「ラスト・エンペラー」(私的には1,2を争う名作)の最初に方に描かれていました。

されど私が注目したのは、建物そのものです。例えば壁クロスは「金唐紙」という、現在では考えられない非常に凝ったクロスが貼られています。






さらに、六角形に妻側の2辺を加えた八角形の天井です。



天井中央部には、見事な龍が造作されています。



2階に上がってみましょう。



2階の天井も八角形。



こちらの中央部には、鳳凰と蓮の花(かな?)が造作されています。当時の職人さんの技が感じられる、素晴らしいものでした。



また舞子の歴史を紹介する写真に目が・・・現在の山陽電車の明石までの開業は1917年だったことや、国道2号線は舞子の松林を縦貫し、1928年に拡幅工事が行われたのが分かります。



当時の国道2号線の様子です。






1954年当時の舞子浜の写真ですが、私が舞子に住んでいた頃(1971~1978年)もこんな感じでした。



現在の兵庫県庁のあたりは、以前は神戸高等女学校だとは知りませんでした。



それではボチボチと集合時間が近付いてきましたので、会場のホテルに向かいましょう。以前に訪れた「旧武藤山治邸」にも再訪したいのですが、次回のお楽しみです。



菜の花の植え込みがあり、



運よく、蜂も入れて撮れました。(^^)



送別会の会場である、ホテル「セトレ」に到着です。



ロビーの窓越しに、明石海峡大橋が一望できます。



で、送別会の食事の内容を・・・ダラダラと料理の画像を並べても退屈でしょうから、一枚の画像にまとめました。^^



最後のデザートに幹事さんの心遣いが・・・嬉しいところです。






送別会も終わり、ロビーの前では結婚式を終えられた新郎新婦さんです。



私は送別会で、お二人さんは結婚式という、同じ人生の節目でしたが、お二人にはまだまだ将来という多くの時間があります。それに比して、私は夕陽の時間でしょうか。最近、時間を大切にするようになりました。

こんなところで、送別会も終わりました。まだ送別会は残っていますが、4月以降も同じところで働く可能性もあり、何か気恥ずかしいところです。^^
コメント (11)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする