お気楽ボランティア日記

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2016年06月12日 | 古文書

 木曜日。二回目の古文書の学び会も、おもしろかったです!

 今回は次のような文章を読み解きました。 ちょっとした事件があったのです。 (本文は勿論毛筆のくずし字で、縦書きです)

「今般 和田倉御門内辺にて 重き御役人え対し乱妨および逃去候もの有之 精々探索召捕方可致旨其筋より 只今御達有之候間 得其意組合村々え 無洩落早々可被致相達候 尤旅籠屋茶屋等有之候 村方へ回状にては手間取候間 銘々え急速通達有之候様 可被致候 以上

    戌正月十五日                                 品川宿 関東御取締臨時出役 木村誠一郎   」

 だいたいの意味は、「和田倉門の辺りで偉いお役人さんが乱暴された、その乱暴者を探索しているので、大至急伝えなさい」ということです。さらに、この文書に続いて「乱暴者は百姓や町人に姿を変えてるかもしれないので、村の出口などでは特に気をつけるように」というものまで追って出され、各村々へ伝わっていきます。 恐かったでしょうねえ・・・

 伝わった村は、碑文谷村、衾村、等々力村、小杉村、川和村、王禅寺村、石川村、坂戸村、宿河原村、上北沢村です。

 更に続いて、

「去る十五日の朝、桔梗御門辺にて重き御役人様へ乱妨人有之  凡拾人程」とあるので、あれ?もうつかまったんだなとわかります。

 そして、豊原国之助ほか三名の名前が書かれ、その後に「名前不知弐人」とあり、名前がわかっていない者二人を足すと六名がつかまり、そして斬り殺されたことも記されていました。

 読み解いた後、先生が資料を下さいました。それを読んで、この事件が1862年文久2年1月15日に起きた「坂下門外の変」だったんだ!とわかりました。「乱妨人」などと書いてあったのでやくざみたいな人かと最初思いましたよ。

 事件の起きた場所が、和田倉御門、桔梗御門と違った名前で出ているので全くわかりませんでした。地図で見ると、和田倉門、坂下門、桔梗門は皆近い距離にありましたから、伝えた人によって呼び方が変わったのですね。

 重き役人というのは老中 安藤信正(公武合体推進者)のことでした!

 彼の暗殺を企てたのは水戸浪士たちでしたが、僅か六人だった上、桜田門外の変以来警固を厳重にしていたので信正は負傷しただけで、志士は全員闘死しました。

 今なら、テレビやネットですぐさま全国、世界中に発信される出来事も、江戸時代にはいちいち飛脚が走って伝え、名主が其れを書き取って、また次の村へと伝えていったんですね~コピーも出来ない時代、間違えないように書き写すのは大変だったでしょうね!

 いやはや、古文書は知れば知るほど面白い世界です!私も、その時代にタイムスリップした感じでハラハラドキドキしながら読みました

 余談  しかし、その当時は「乱妨人」と伝われば、皆字句通り受け取っていたのでしょうね。今の私達は情報量は格段に多いけれど、正しく判断できているのかどうか・・・


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