日々発見

日々新しい事に挑戦して・・・

2年ぶりに志賀高原へ  その7

2022-03-27 13:31:35 | 2022年 スキー

3月10日(木)

今日はいよいよ志賀高原とお別れ。

朝から全国高等学校選抜のスキー大会が開かれ、
ジャイアントゲレンデは賑やかだった。

オリンピックのような選手紹介のアナウンスが流れ、
ピッ、ピッ、ピーッという音と共に、
関係者やご家族の方達が見守る中、旗の横を
右に左に体をぶつけるように滑り抜けていく。

すご~~~い、凄い!

次回の冬季オリンピックの卵達がこんなにいっぱい!
みんな頑張れ~~~~っ!

 

Nさんは午前中滑って、お帰りになるという。
私達は11時に立つことにした。

母を残して来たことを心配して、毎朝、毎晩電話で様子を
尋ねていたが、全くの取り越し苦労だった。

友人のみっちゃんが毎日電話で様子を尋ねて下さり、
ある日はご姉妹や友人もご一緒に遊びに来て下さったとのこと。

母がランチを用意して、皆さんで楽しんで下さったらしい。
「また、二人で泊まりがけで遊びに行ってもらってね。」
嬉しい言葉とたくさんのお土産をいただいて、
私達が帰宅したときには、
いつもより若々しく生き生きとしていた。

あれは駄目、これは危ないからしなくていいからね・・・
私の心配は母を老けさせていたかもしれない。

そして今、私も大切な友人に寄り添って、
毎日一緒に頑張りたいと願っているせいか、
一昨年より体も心も強くなっているように感じている。

一昨年より?
そう、一昨年の帰り道は何となく怖くて運転をパス。
夫が全ての行程を運転してくれたのだが、
今回は中央自動車道の信州中野インターチェンジ
から
双葉のサービスエリアまで、
2時間休むことなく運転をしたのだ。

スキーに行きたくない、母が心配だ、体がついていかない
と直前までだだをこねていた私を、
無理矢理連れ出してくれた夫に感謝・感謝。
そして、いろいろお世話になった皆様に
心からお礼を申し上げます。

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2年ぶりに志賀高原へ その6

2022-03-26 16:18:59 | 2022年 スキー

3月9日(水)

夫の至福の時、
お風呂上がりに談話室でガラス越しに雪を見ながら
気の合う友人と志賀高原の地ビールを酌み交わすこと、とか。

毎晩、至福の時を楽しんでいるようだ。


少し疲れ気味の私達は今日はのんびり自由行動。
寺子屋で数本滑った。




Nさんは元気溌剌、自由に好きなだけ滑って
お昼頃にダイヤモンドゲレンデで落ち合ってランチ。

コロナ対策の為のポリエチレンシートが張り巡らされた
テーブルは何だか形だけのようで、弛みきったシートは
アクリル板と違って、拭くことも出来ないのではないだろうか。

せっかくおいしいお料理を用意しても、お客様も少なく、
採算が合わないかもしれない、本当にお気の毒で
一日も早く通常の生活が戻ってほしいと思わずにはいられなかった。

あれこれ写真も撮り忘れ、早めにバスに乗って
例の山の駅からリフトに乗り、あっという間にホテルへ。
今回のだらだらスキーはここまで。

 

今夜は、生まれ落ちてすぐからずっとホテルベルグに通っている
という大学生の3人グループとヒョンなことからご一緒することになった。

Nさんがそのお一人のスキーとご自分のスキーを
間違えて一足早く出掛けたことから始まったのだが、
何と全く同じデザインで、5cmほど長さが違っているだけ。
たまたま、Nさんと夫が話をしていたところを見ていたそうで、
慌てて話しかけてこられたそうだ。

生まれ落ちてすぐからベルグに通っているという方は、
昔、ジャイアントゲレンデの横に診療所があって、
おじいさまがお医者さんをなさっていたそうだ。

現在、彼も医師を目指して医大に通っていると言われた。
もしかしたら、赤ちゃんの時に出会っていたかもしれない・・・

毎回楽しい出会いがあり、楽しい思い出もいっぱいあるが、
いつまで体が続くか、それが問題・・・

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2年ぶりに志賀高原へ その5

2022-03-26 14:53:24 | 2022年 スキー

3月8日(火)

今日はジャイアントからいくつかの山を越えながら各ゲレンゲで滑り
奥志賀にあるホテルフェニックスのレストランで昼食を楽しむ予定の日。

毎年の行事になっているが、
一週間滞在していても、天候、時間、体調が整わなければ
なかなか私には行けないコースだ。
しかし、今まで一度も実行できなかった年はなかった。


今日は風もなく快晴の中、各ゲレンデを快調に滑り
いよいよ焼額山山頂(約2000m)へのゴンドラに。

今回は雪のせいか、今まで怖くてお尻が引け、
スピードをコントロールするのが難しかったスロープも
口で「ギュッ、ギュッ、ギュッ、ギュッ・・・・」と
言いながら滑ると我ながら上手に滑れているように感じた。

12月にピラタススキー場で正さんから受けた特訓を
体が覚えていたのかもしれない。

いつも坂の途中で待っていてくれる二人が褒めてくれたので、
あながち自画自賛だけではないのかもしれない。

それにしても、他の人から見れば何でもない
滑り(名前は分からない)の習得に一体何年掛かったことだろう。
年に1~2回といえども50年・・・

もうこれだけで満足だったので、

いつものステキなホテルフェニックスでのランチの写真も撮り忘れ、
例の新しいリフトに乗って楽ちんにホテルベルグに帰るため、
大急ぎでNさんと別れ、バス停に向かった。

今までは「発哺温泉」のバス停で降り、
そこからさらに滑ってジャイアントに戻っていたが、
山の駅まで乗って行けば、リフトで数分。


わ~~~い、快適、快適!

下車して数分、私は直行でベルグの温泉へ、
少し疲れ気味だったはずの夫はここで又数本滑ったそうだ。

 

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2年ぶりに志賀高原へ その4

2022-03-20 23:51:01 | 2022年 スキー

3月7日(月)

今日は伊那村からNさんがいらっしゃる。

テニス友達でスキー仲間。
ところが同じテニスクラブにもかかわらず、
一度も遊んでいただいたことがなかった。
もちろん、レベルが違いすぎるからだ。

8年前から故郷長野県のご実家に戻られて、
お父様の果樹園や畑を継いでいらっしゃるのだ。

2016年から毎年ベルグでお会いし、
本場仕込みのスキーを見せていただいている。

たくさんのお土産を背負ったり抱えたりして登場されたNさんは
日本百名山を制覇され、
今は花の百名山に登ることを目標にされているそうだ。

お土産にご自分で育てた梨の南水、二十世紀、
ワイン、ジュース、そしてたくさんのリンゴ。
まるで、山で荷物を運ぶ歩荷(ぼっか)さんみたいだった。


今日はお一人ジャイアントゲレンデで欣喜雀躍!

私達夫婦はゆっくり休養。


夕飯

彼は「いつもおいしいね、でも多すぎて食べられない。」とおっしゃったが
私は全て完食。ごちそうさま~~~

昨年12月、ご一緒にピラタススキー場で滑った後、
4回ほど日帰りでお近くのスキー場を巡られたそうだが、
こんなに雄大で奥の深いスキー場はない、とおっしゃっていた。
同感  

明日は重いまあちゃんを背負っていただきます。
よろしくどうぞ・・・

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2年ぶりに志賀高原へ その3

2022-03-19 00:16:24 | 2022年 スキー

3月6日(日)

7時半からの朝食に間に合うように温泉に入り食堂に向かった。

2年間もコロナのせいで、予約が入らなかったり、
キャンセルが続いたり、本当にホテルの経営は大変そうだ。

一昨年までは食事の量が多すぎて、周りの人に頼んで
食べてもらっていたが、今年は一人分で適量になっていた。



早くコロナが収束しなければ、どんな状態になるのか
お気の毒で心配だった。


今日は日曜日、これからスキーヤーが増えるだろう

 

明日からの仕事に備え、今日は滑ることなく
ゆっくり朝風呂に入ってから
お昼過ぎに立つ予定だった人達は
チェックアウト後、私達の部屋でおしゃべりを楽しんだ。

ところで、以前、電車で来た人達は長野駅でバスに乗り換えて、
蓮池で降り、そこまでホテルのスノーモービルが迎えに
来てくれていたが、今回は新しくバスターミナル山の駅から
ジャイアントゲレンデまで立派なリフトが出来ていた。



ホテルベルグから歩いて20~30m、しかも乗車時間数分。
お部屋でバスの時間ギリギリまでのんびり出来て最高の新設備、
もっともっと早く作ってほしかった。

お忙しい中、参加して下さった皆様、ありがとうございました。

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2年ぶりに志賀高原へ  その2

2022-03-17 23:02:56 | 2022年 スキー

3月5日(土)

昨夜の夕飯は、いつもと変わらず美しくおいしかった。



昨夜、原田泰治さんが亡くなられたというニュースが流れ、
二人でビックリ!


今日は夫の教え子達が集まってくることになっている。
オミクロンのため何回も延期が続いたので、
参加者が少なくなったが、

それでも数人が万難を排していらっしゃるらしい。


午後集合の後、滑りに出掛けた。

海抜2000m、東館山のてっぺんで。
いつもなら後にある標識がよく見えるのに、
今年は雪が多すぎてほとんど見えなかった。

初めて撮られてしまった私の勇姿?
最後の記念になるかも・・・

皆さんが2年ぶりのスキーで しかも仕事に追われ
ほとんど運動も出来ていないとのことだが、
さすが雪国育ちのリョウ君の滑りは
まるで下駄でも履いているように滑らかだった。

美しい寺子屋のゲレンデは北傾斜で
暖かい時でも比較的雪質がいいらしい。
毎回、必ず立ち寄るゲレンデだ。


ここからダイヤモンドゲレンデに移動する時、
右の足がしっかり踏み込めず、途中で転んでしまった。

一緒に滑っていたシュン君が見て下さったのだが、
スキー靴の一番上のバックルが、一カ所伸びてしまっていて
しっかり締まらず怖いので、ここでリタイア。
ヒカル君に付き添ってもらってバスで宿に向かった。

志賀高原のスキー券には、スキーエリアの中なら
どこまで乗っても、何回乗っても無料の特典が付いている。

もうお別れのこの靴は、多分5年ほどお世話になったと思うが、
買ったときから扱いにくく、いつも履くとき、脱ぐとき
周りの人に迷惑を掛けていたような気がする。

夕方にはヤス君とまっつんさんも着いて
夕飯後はいつもの懇親会。

29才から38才までの5人、
シュン君の婚約発表に始まり、仲間の消息や
それぞれの仕事の話で盛り上がった。
最近の世相に疎い私には興味深く、

今や社会の中心で働いている彼らの顔がまぶしかった。

 11時半頃、宿の方が
「すみません、こういうご時勢ですから そろそろ・・・・」と
伝えに来て、お開きに。

ああ、楽しかったぁ、やはり来て良かったぁ!

まっつんさんとラインの交換。
お料理のレシピを教えていただいた。
早速、作ってみなくちゃ!

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2年ぶりに志賀高原へ

2022-03-07 09:26:10 | 2022年 スキー

3月4日(金)

昨年はコロナ騒動が始まり、未確認物体の恐れから
世界中が大騒ぎ、我が家でも2~3回延期をしながらも
結局、いつものスキー旅行は中止に決定した。


今年は、私にはよく分からないが、いろいろ変異して
オミクロン株と言われるようになり、感染力は強いが
重症化率は低いとか、いろいろなニュースがあったが、
夫の「3目目のワクチン接種も済んでいるし、
もう年も年だから、来年はスキーはできないかもしれない、
どうしても今年は行く!」という言葉で
1ヶ月遅れのスキー行を決定したが
残していく母のことも心配、夫一人で行かせるのも心配、
出掛ける間際まで迷いに迷っていた。


数年前に母も一緒に行ったとき、
3日目に「スキーなんて見ててもつまらない、
温泉は熱過ぎてゆっくり入れないし退屈で帰りたい。」と言った。

今回も「留守番の方が気楽で自由でのんびり出来るから、
スキーなんて絶対行かない。」と言うので、 
子供達や母の友人に託し、重い腰を上げた。

家から諏訪湖までは夫の運転で

雲一つない快晴の中、諏訪湖を眺めながら一休み。

2009年12月1日、
私達が大好きだったテニス仲間の大槻先生が
体調を崩してテニスを続けられなくなった時、
ご夫妻で信州旅行に誘って下さり、
初めに寄ったのが諏訪湖のほとりにある片倉温泉だった・・・

そして、すぐ近くにある原田泰治の美術館へは
いつか行こうと言いながらまだ行ったことがないね・・・
という話を毎回ここでする。


30分ほど休んでここからは私の運転。

約1時間半後、信州中野のインターチェンジを下りてすぐ
毎回必ず立ち寄る戸隠手打ち蕎麦の「善八」さんへ



むしろ 私はうどんの方が好きなのだが、
ここのお蕎麦は本当においしい。

丁度、同時にお店に入った人は富山のご夫婦だった。
長野からもお客様がよくいらっしゃるそうだ。


今回も又、お互いに生きていたらまたお会いしましょうね、と
お約束をして別れた。

ここから50分、山之内ジャイアント下のホテルベルグに到着。

2年ぶりの志賀高原は寂しい感じだった。

 

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久しぶりに長竹へ

2022-03-06 22:04:58 | 畑のお手伝い

3月3日(木)

2ヶ月半ぶりに長竹にお邪魔した。

昨年12月16日に畑のお手伝いは一段落。

その後、きのぴさんは大忙しの日々で、
ビーガンローフードの研究の他に、さらに工房に喫茶店を作り
1週間に1度、日曜日だけランチも提供をしたいと思い始めて
リモートでパン作りの講習を受けていたとのこと。

一体この人の好奇心は躊躇することや、止まることがないのだろうか。

先ず、ポットに種蒔きを始めた。
結構、手慣れてきているので、作業は手早い。

昼食を挟んでこれだけの種苗ポットが出来上がり。

ぽっぽちゃんと二人で作業をしている内に
きのぴさんからお声が掛かった。

短時間でベーグルを焼き上げ、サラダ、海老の春巻き、
ヒジキ、人参、ロマネスク、カボチャ、ウインナのフリッター、
それにスムージー、ハーブティーまで用意して下さった。

朝だけでなく、昼や夜もたくさんの野菜を食べるためには
スムージーを作り、さらに茹でた大豆や、ナッツなども
加えるとタンパク質やビタミン類も取れる。

しかし、噛む力を失わないためには
根菜類もしっかり取らなければいけないとのこと。

久しぶりに楽しくて、おいしくて、たっぷりの活力をいただき、
本当にうれしい一日だった。

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ウクライナ  頑張って!

2022-03-04 23:27:21 | 悲しい事

毎日、ニュースを見る度、怒りと哀れさに涙が溢れる。
ロシアがウクライナに侵攻して1週間。

誰か、あの狂った男の残虐な所業を止めて!
こんな非人道なことは許されない!

ロシアに対する包囲網が徐々に狭められ
国連を中心に始まったロシア非難が
良識あるロシアの国民も含めて
世界を一つにまとめようとしているが、
核の使用もチラつかせて裸の王様は
一体どこまで上り詰めようとしているのか、

プーチンが諦めれば
誰も望まない戦争が終わるのに・・・・


2011年9月14日、私はその日、スイスのベルンにいた。

近くの広場から賑やかな音楽が聞こえてきて、
近くまで行くと大きな特設の舞台の中で
美しい若い男性や女性が踊り、歌い、寸劇をしていた。

その周りで多分40~50代の女性達が一緒に踊り、歌い、
途中で「ウクライナッ・ウクライナッ」と声を掛ける。

 

私はどういう人達かどういう踊りなのか、全く分からないのに、
見ている内に涙が溢れ落ちて止まらなくなってしまった。

音楽が途絶えると、踊っていた人達が私の側に寄ってきて、
「なぜ泣いているの?どこから来たの?」と私を抱きしめて下さった。

歌の意味も踊りの意味も分からないのに
勝手に「この女性達は祖国を離れてスイスに住んでいて、
昔、若いときに同じように歌い、踊っていたのだろう、
きっと祖国に帰りたい、ウクライナから来た人達の
力になってあげたいと、あんなに懸命に応援をしているのだろう・・・」
と思っている内にこんな状態になってしまったのだ。

「日本から旅行で来た」とは言えたものの、
妄想の部分は説明できず「音楽も踊りもすばらしい
大好きです。」と嘘でごまかした。

そして、別れるときに、小さな国旗までいただいた。


離れて見ていた仲間達に

「テレビカメラが映していたから
きっと今夜のウクライナのニュースで流れるよ。」
と冷やかされた。

ああ、あの方達の国がこんなことに・・・

もし、私が魔法を使えるならば、
プーチンの頭の中に一発!パーン

(あっ、私の考えは間違っていた。今すぐ撤退して、
世界中の人に謝まって、辞任しなければ!)と考える
弾を打ってやりたい。

 

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