まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

『図書館戦争』 における正義の味方

2016-08-23 17:10:02 | 哲学・倫理学ファック
先日の第38回てつがくカフェ@ふくしまでは 「図書館とは何か?」 をテーマに話し合いました。
36名もの参加者が集い、定例のてつカフェとしては最大規模だったのではないでしょうか。
こう言ってはなんですが、図書館をテーマにしてこれほどの人が集まるとは思っていませんでした。
こんなにたくさんお集まりいただきましたので、
ファシリテーターが自分の意見を述べるチャンスはほとんどありませんでした。
この日のためにと思って宣言通り『図書館戦争』 を復習していったのですが…。



『図書館戦争』 という荒唐無稽な設定をざっと説明すると、
公序良俗を乱すような表現を規制するためのメディア良化法が国民の無関心の隙をついて成立し、
それに基づいてメディア良化委員会が結成され、強引な検閲が実施されている日本が舞台です。
これに対抗するために、図書館は図書館の自由法を制定し、図書隊を組織して、
武力でもって良化特務機関による検閲に抗い続けている、という構図になっています。
図書隊と良化特務機関は、図書館の敷地内にかぎりという限定付きですが、
ピストルやライフル、マシンガン等を用いた本の攻防戦を繰り広げており、
警察もこの両組織の武力抗争に対して手が出せない、ということになっています。
とんでもない世界でしょ。
だけどこれまったく突飛な絵空事でもなんでもなくて、
今読むと、日本はいつこんな状態になってもおかしくないよなあと思えてくるほど、
リアリティをもって描かれているのです。
以前読んだときは自衛隊のメタファーなんだよなあと思って読んでいましたが、
今は本当にこれって近々未来小説なのかもしれないと思えてきてしまいます。

さて、この小説、いろんな意味で味わうことができるのですが、
今日は以前に論じた、「正義の味方」 という観点から見てみたいと思います。
主人公の笠原郁は正義感に燃えて図書隊に入隊した熱血バカです。
彼女の使う 「正義の味方」 概念はひじょうに単純でスッキリしています。
しかしながら、図書隊の隊長の玄田や、郁と同期の柴崎麻子は、
「正義」 概念がそんなに単純ではないことをわきまえています。
特に、最初に説明したようなひじょうに歪んだ背景のなかで、
良化特務機関も図書隊も生まれてきていますから、両者における 「正義」 も一筋縄ではいきません。
そうしたことが描かれているシーンを引用してみましょう。
まずは、まだ高校生の頃の笠原郁が、たまたまある書店で良化特務機関の検閲に出くわし、
図書隊の隊員に救われたときのシーン。


「これより良化第3075号の書面にて通告した通り、メディア良化委員会・小野寺滋委員長の代理として、良化法第三条に定める検閲行為を執行するものである! これより一切の書物を店内から移動させることを禁ずる!」
 直に見るのは初めての――良化特務機関だった。
 どうしよう、よりにもよって今日なんて! 郁はとっさに持っていた本を制服のブレザーの下に隠した。検閲図書を買うこと自体は罪に問われない、何とか買ってしまいさえすれば――まだレジは通していないけれどももちろん後でお金は払うつもりだし、きっと本を隠した理由は分かってもらえる。
 だってあたしこの本読みたい。このお話に十年かけてどんな決着がついたか知りたい。
 良化委員会の隊員たちは店内を駆け回り、持ち込んだコンテナに 「問題図書」 を次から次へ投げ込んでいく。その手つきには本に対する敬意は微塵も感じられず、コンテナの中で本たちは表紙が折れたり曲がったり破れたり。
 ひどい、あんなに手荒に。
 いたたまれなくて郁はコンテナから目を逸らした。ごめんね、あんたたちを隠してあげられなくて。ごめんね、あたしはこの本しか助けられない。
 検閲の様子を見つめる店員たちの顔も一様に痛ましい。その痛ましい顔は狩られる本を悼む顔だ。没収された本の損失は出版社と取次にかかるので、書店は販売機会とその売上見込は失うものの、直接の金銭的損失はない。それでも本が狩られることが悲しいのだ。
 その悲しさを一顧だにせず、良化隊員たちは書棚を蹂躙していく。
「何を隠してる!」
 自分が詰問されたのだということは、腕を掴み上げられてから分かった。
「いやっ……!」
 抗ったがブレザーの前は強引にはだけられた。隠していた本が床に落ちる。
 怪訝な顔をして本を拾い上げる隊員。他の隊員が見て声をかけた。
「ああ、それも回収しとけ」
「いや、返してッ!」
 コンテナに本を放ろうとした隊員の腕に、郁はとっさにしがみついた。
「離せ! それとも万引きの現行犯で警察に行きたいか
 投げつけられた恫喝に一瞬ぎくりと心が冷える。違う。万引きなんかじゃ、
 とっさに周囲の目を気にして見回すと、近くにいた初老の店長が痛ましい顔のままで首を横に振った。逆らうな。そういっているのがわかった。
 分かってくれてる。そう思った瞬間、腹が括れた。
「いいわよ行くわよ! 店長さん警察呼んで! あたし万引きしたから! 盗った本と一緒に警察行くから!」
 盗った物がなければ万引きは立証できないはずだ。
 隊員が忌々しそうに舌打ちした。
「うるさい、離せ!」
 思い切り突き飛ばされて、――派手に尻餅をつく直前で支えが入った。振り向くとスーツ姿の青年が郁を片手で支えていた。
 そのまま床にへたり込んだ郁が見上げている前で青年は隊員に歩み寄り、有無を言わさず本を取り上げた。
「何をするキサマ!」
 いきり立った隊員の前で、青年は内懐から出した手帳のようなものを掲げた。
「こちらは関東図書隊だ! それらの書籍は図書館法第三十条に基づく資料収集権と三等図書正の執行権限を以て、図書館法執行令に定めるところの見計らい図書とすることを宣言する!」
 高らかに宣言するその人の背中を見上げ、胸に湧き上がった言葉は一つだけだった。
 ―――正義の味方だ。
 どういう力関係になっているかは分からないが、とにかく状況は引っくり返ったらしい。
 良化隊員たちは一様に歯噛みして、しかし本はすべて店内に置いたまま撤収した。
    (有川浩 『図書館戦争』 角川文庫、35ページ以下)


このシチュエーションで彼女が彼のことを 「正義の味方」 と受け止めたのは当然のことでしょう。
続いては、郁が図書隊に入隊して間もない頃、
良化特務機関が町の書店に検閲をかけようとしているのに出くわしてしまったときのシーン。


「本日の襲撃確率が低いというのは何故ですか」
「ん? ああ」
 無線をベルトに戻しながら玄田が答える。「停車位置が図書館に近すぎるだろ」 確かに哨戒は開始したばかりで図書館はまだそこに見え、図書基地に至っては真横に敷地が続いている。
「奴らの手口は騙し討ちだ。不意を打たねば意味がない以上、図書館の哨戒は当然想定済みで警戒してる。それをこんな近くに無造作に駐車してあるってことは、今日の目的は図書館じゃないってことだ」
 なるほど、道理である。
「じゃあアレの目的は……」
「市政センターの近くにでかい書店ができたろう。多分そこだな。最近売り上げを伸ばしてるらしいから目をつけられたんだろう」
「えっ、なら早く行かないと!」
「どこへだ」
 玄田が怪訝な顔をする。郁も怪訝な顔を返した。
「どこって、その書店ですよ」
「何を言っとる、民間書店は非武装緩衝地帯だ。かち合ったならともかくわざわざ乗り込んで検閲を妨害することはできん」
「そんな!」
 検閲がかかると分かっているのに――何もしないなんて。
「見過ごすんですか」
 知らず詰る口調になった郁に、玄田も厳しい顔になった。
「履き違えるな、笠原。俺たちは正義の味方じゃない」
 言葉がガツンと脳に入った。
「図書隊の権限は図書館を守るためのものだ。適用範囲を考えなしに拡大していたら、三十年かけて成立した暗黙の交戦規定が崩壊しかねん。抗争範囲を市街にまで拡大する気か」
 玄田の言うのは確かに道理だ。だがそれを飲み込めない自分がいる。
 俺たちは正義の味方じゃない。図書隊員は正義の味方じゃない。――じゃあ、あの人は。
 顔も覚えていない名前も知らない、五年前にたった一度関わっただけの図書正。汚名を着てまで君が守った、そう言って郁に本を取り戻してくれた。
 あの人が正義の味方じゃなかったとでもいうの。いつかあの人に会ったとき、狩られる本を見過ごしましたなんて、
 そんなこと言えるわけないじゃないよ!
    (有川浩 『図書館戦争』 角川文庫、62ページ以下)


法と正義の関係について考えさせられるシーンでした。
次は、ひじょうに頭の切れる同期で寮も同室の柴崎麻子と2人の上司の経歴について語るシーン。


 でもあんまり焦らないことね、と柴崎が付け加える。
「堂上教官と小牧教官には後の世代の人間がなかなか追いつけるもんじゃないから」
「何それ」
「あの二人、図書大学校の最後の代の卒業生なのよ」
 もっと 「何それ」 だ。
「図書隊が発足した十五年前、戦闘を前提にした組織化を憂えて辞めた司書が大勢出て、社会問題になったのよ。そのとき、優秀な隊員を早期育成するために図書隊が運営を開始した教育機関が図書大学校。在学中からOJTで技能ガシガシ叩き込んで、後期の二年間なんか準隊員の扱いで実務にも携わってたって言うわ。卒業と同時に成績によって士長か三正に任命されるシステムで、あの二人は三正から始まったはずよ。」
「うわ何それあたしが行きたかった! 何で今ないのよ!?」
「目標の人員数が確保できたから終了したっていう建前だけどね。噂は色々とあるわよ、メディア良化委員会の横槍で潰されたとか、最初から十年で閉校することを条件に大学校としての開校を認めさせる政治的な取引があったとか」
 表情が硬くなったのは噂の二番目だ。
「図書隊が裏取引なんてするわけないって思う?」
 柴崎はむしろ郁を気遣う表情だ。その気の毒そうな表情で却って何も言えなくなった。
「日野の悪夢からたった五年で図書隊を整備したのよ。綺麗事だけじゃ無理だったでしょうね。あんた少し慣れたほうがいいわよ」
 図書隊は正義の味方じゃないんだから、と柴崎もそれを言うのだろうか。入隊してから郁がもう何度も他の人から聞いたことを。
 だが、柴崎の台詞はもっと辛辣だった。
「お膳立てされたキレイな舞台で戦えるのはお話の中の正義の味方だけよ。現実じゃだれも露払いなんかしてくれないんだから。泥被る覚悟がないなら正義の味方なんか辞めちゃえば?」
 鋭利な刃物のような言葉で――斬られた。甘ったれた自分を。
 とっさに俯くと、コタツの上掛けの上に水が二粒転がり落ちた。三つ、四つ、五つと続く。
「ごめ……」
 ごめんなさいって、誰に。柴崎に言うのはおかしい。そう思って途中で声を飲んだ。代わりにそうだねと言おうとしたら、柴崎が黙らせるように横から抱きついた。
 柔らかくていい匂いがした。
「うそよ、ごめん。あんたはそうだねなんて言わなくていいわ、こんなこと。ちょっと意地悪言ってみたかっただけよ」
   (有川浩 『図書館内乱』 角川文庫、69ページ以下)


図書大学校なんていうものがあったという設定です。
しかもそれが裏取引で設立され、そのため最初から10年という時限付きの組織だった、
という込み入った設定に基づく昔話でした。
単純な熱血バカと大人の柴崎との対比が楽しいです。
最後は最終巻から。
図書館側の人間でありながら図書隊の武闘路線とは一線を画し、
メディア良化法や図書館の自由法そのものを廃止して、
検閲も抗争も一気になくしてしまおうと画策する政治家的思考の持ち主である手塚慧と、
柴崎とが今後の共闘の可能性について探りを入れ合う重要なシーン。


「そんなわけで、組織論になるとお互いの立場もあってこのとおり堂々巡りですから、今日は本質論でお話とかしてみません?」
 柴崎が一体どんなカードを切ってくる気か。無視して電話を切り上げられなかったのは慧も彼女に乗せられていると認めざるを得ない。
 柴崎はまるで今日のランチは何にする? とでも相談しているような軽い口調で訊いてきた。
「検閲についてはどう思われます?」
「根絶されるべき行為だね」
 慧は迷わず答えた。
「この世に 『正しい』 検閲など存在しない。検閲には必ず為政者の恣意が反映される。たとえどんな悪書であろうと、それを実際に見て判断する権利を国民は持っている。もちろんそれで不利益を被る国民がいる場合は、その表現物の扱いに慎重になるべきだが、その救済の判断は司法に委ねられるべき問題だ」
「そこまでは同じ意見になれるんですよね、あたしたち。じゃあ、次。メディア良化委員会に正義はありますか? 今現在、正義のように振る舞っている彼らに」
「あるわけがないだろう?」
 慧の声は失笑に近くなった。正しい検閲が存在しない以上、検閲を義務に掲げる良化委員会がどんな言い繕いをしたところで彼らに正義などあるわけがない。
「だからこそ、良化法は国民の目を盗むように通過した。充分な議論を尽くせば、国民にその議論を開示すれば、本来成立するはずのない法律だった。彼らは国民の目を盗んで正義らしい立ち位置をかすめ取ったに過ぎないよ」
「賛成です。でもあたし、もう一つ思ってることがあるんですよね」
 柴崎は気を持たせるように間を開けた。
「メディア良化委員会がまるで正義のような顔をしていられるのは、彼らの存在が政府の利権でもあるからです。政府だけじゃない、検閲にぶら下がって利権をむさぼる連中が山ほどいるから、彼らは正義のような顔をしていられます。そして、その利権は彼ら自身も享受している。だから彼らは自分たちが否定されることを許さず、図書隊を許さない。違いますか?」
「……それを明言する君の勇気に敬意を表するよ」
 舌を巻いたことは本当だ。なかなか言えることではない。
「彼らは政府や検閲にぶら下がった利権者のために正義の 『ような』 立ち位置を与えられて、その立場を守ることを義務にしている。国家の隠然たる代弁機関として、またあるときは弱者の救済機関のような役割を与えられ、だから彼らはあれほど自信を持って正義を名乗れるんだ。――しかし」
 慧も巻き返しに入った。小娘にしてやられたままというわけにはいかない。
「だからといってメディア良化委員会と敵対する図書隊が正義になれる訳ではないよ。それは分かっているかい?」
「もちろんです。だって図書隊は、検閲と戦うためと称して武器を持ちましたから」
 柴崎麻子は慧が正に衝こうとしていたことを自ら言い放った。
「自分が主導したわけでないにしろ、検閲と戦うために人を傷つけ殺害する手段を選択した図書隊は、その選択をした時点で決して正義の味方になれません。けれどもう武器を捨てることもできない。武器を捨てたら自分たちが殲滅されるから」
「頭のいい子だ、君は。俺が直接話をした人の中で一番頭がいい」
 それは慧にとって最大級の賞賛だったが、柴崎は軽く 「どうも」 と受け答えただけだった。その明晰さを賞賛されることに慣れているのだろう。
「どっちも正義じゃないのに正義の味方に見えるボールを取り合いしている――そんな下らない光景に見えるでしょうね、カミサマには。良化委員会も図書隊も、最初から 『間違っている』 組織にしかなれなかった。それはメディア良化法が通過したときから決まっていたことです。ゲーム盤がもともと歪んでいたんだから、正しい駒なんか存在できるわけがない」
    (有川浩 『図書館革命』 角川文庫、76ページ以下)


ねっ、深いでしょ。
ハチャメチャな設定だけど、その設定のなかでとことん真面目に考えているでしょ。
そして、こういう図書館が戦争をしなきゃならないという設定も、
検閲は正しいのか、それに対する武力による対抗は正しいのかといった正義をめぐる重たい問いも、
この小説にとってはたんなるオマケにすぎません。
あくまでもこの小説の核は 「月9連ドラ風で一発GO」 という甘々な恋愛ドラマなのです。
もうわけわかんないですよね。
そんな純愛小説であるにもかかわらず、
正義とか正義の味方という言葉についてはとことん真面目に考えられています。
「ウルトラマン」 や映画 「フィッシュストーリー」 の脚本家の方々には、
今一度、言葉の意味についてきちんと問い直してもらいたいもんだと思います。
そして、図書館が戦争なんかしなきゃいけなくなるような世の中にならないことを、心底祈っています。


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