まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

過剰なパターナリズム? 歪んだパターナリズム?

2014-07-01 17:01:13 | グローバル・エシックス
先週の 「倫理学概説」 では、功利主義の問題点としてパターナリズムの危険性の話をしました。
パターナリズムに関しては、教育を例にとって説明したことがあるのでそちらをご覧ください。
「教育におけるパターナリズム」「教職につきものの危険性その3」
パターナリズムというのは現代社会において身近に存在する倫理学的問題ですので、
学生たちにもいろいろと思うところがあったようです。
ワークシートからみんなの感想を拾ってみましょう。

●パターナリズムが社会において様々な形で生活に関わっていることがわかった。その上で問題点や限界についても知ることができ、何事においても一方的になってはいけないなと思った。それは親子関係や教育関係、時に命にも関わることであり、とても大きな問題であると思った。

●パターナリズムの劣化、腐敗が進んでいることについてよく理解できた。4つの問題点からパターナリズムの限界について学んだが、大学の先生と自分の関係や、受験の時の教師と自分の関係について振り返ってみると、自由の阻害や積極的干渉について思いあたる部分があった。

●「専門家の腐敗」 について考えが深まった。なぜなら、私はよくニュースなどで政治の腐敗、汚職についての記事を見て、特に興味をもっていたが、それを学問として学んだことがなかったからだ。政治家の腐敗の裏にはパターナリズムなどという考え方があることなど知らなかった。そして、今日の講義の内容でこれが一番分かりやすい話だった。

●権威ある専門家の話というのは、ついつい鵜呑みにしがちですが、御用学者などといった自分の利益を追求するために素人を利用するような専門家もまた、よい専門家と同時に存在するということで、自分で情報を集めることが大切だと考えました。

『犠牲のシステム』 読みました!! 功利主義と合わせて考えると、犠牲を認めるか認めないか、とても重要な事だと考えました。自分が犠牲になるのは嫌なはずなのに、他人ならば犠牲を認めるというのは身勝手で、パターナリズムの腐敗に通じる部分があると考えました。専門家の知識を全員が持つというのは、大変な事だと思うので、知識を持っている専門家は、間違っている情報があれば間違っていると声をあげて欲しいと思いました。

さて、本日はとうとう集団的自衛権の行使を容認する閣議決定がなされそうです。

<集団的自衛権>自公合意 今夕閣議決定、武力行使拡大懸念

私は日本国憲法第9条の下では個別的自衛権の行使すら許しがたいと思っているのに、
閣議決定で集団的自衛権の行使を認めるなんて言語道断の暴挙です。
これを決めようとしている自民党と公明党は、
これが本当に日本国民のためであると信じているのでしょうか。
おそらくそうなのでしょうが、素人目に見ても戦争に巻き込まれる可能性が増えるだけで、
アメリカのためにはなっても日本のためになるようにはまったく思えません。
パターナリズムの劣化なのか、過剰なのか、腐敗なのかわかりませんが、
こんなパターナリズムを押しつけられる国民はたまったものではありません。
つまらない国になっていくなあ、日本は。
こんな横暴な国家を愛せるわけがない。
世界から愛される本当の意味での 「美しい国」 になってもらいたいものです。

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