A.哲学と恋愛は関係あります。哲学のなかには愛があるのです。
今日は珍しく結論を先に書いてしまいました。
質問してくれた人がどういう意味でこの質問をしてくれたのかわかりませんが、
そもそも哲学は、言葉の定義上、恋愛を含んでいるのです。
「哲学」 という日本語の訳語はまったく意味不明なので私はキライなのですが、
哲学の元の原語はギリシア語の 「フィロソフィア」 です。
「フィロソフィア」 のなかの後半部分 「ソフィア」 は、
「知」、「知恵」、「知識」、「知ること」 という意味の言葉です。
そして、その前についている 「フィロ」 は 「フィロス」 という語から来ており、
それが 「愛」 を意味するギリシア語なのです。
つまり、「フィロソフィア」 とはもともと、「知への愛」 という意味の言葉なのです。
「知への愛」 って 「哲学」 なんていう味気ない言葉よりもよっぽど素敵ですよね。
というわけで、そもそも哲学のなかには愛が含まれていたのです。
ギリシア語には 「愛」 を意味する単語が3種類もあって、
「エロス」、「フィロス」、「アガペー」 とあり、
日本語の 「恋愛」 に一番近いのはフィロスよりもエロスなんですが、
しかし、プラトンなどは、
真・善・美のイデアの世界に到達しようとする高次の愛をエロスと呼びましたので、
けっきょく 「哲学=エロス」 という図式が成り立ち、
哲学と恋愛はイコールになってしまうわけです。
恋愛というのは自分にないものを請い (=恋) 求める作用である、
ということは同意していただけるでしょうか。
「フィロソフィア」 という語を大々的に使い始めたのはソクラテスなのですが、
ソクラテスは 「無知の知」 を唱えたということを聞いたことがある人もいるかもしれません。
ソクラテスの当時は、
自分のことを 「智者=知恵をもつ者 (ソフィスト)」 と自称する人たちが横行していたのですが、
ソクラテスは、自分のことを 「知恵をもっていない者」 であると自覚し、
自分には知恵が欠けているからこそ、
自分は 「知恵を恋し求める者 (フィロゾーフ) =哲学者」 なのである、と言ったのです。
哲学とは自分にはないものを恋し求める営みですので、
恋愛と同じ構造をもつことになるわけです。
しかしながら、いくら同じ構造であるとはいえ、
性的対象 (多くの場合は異性) を恋し求める恋愛と、
知恵を恋し求める哲学とが同じものであると言われても、
皆さんはハァ?と思われることでしょう。
まあしかし、皆さんにも追い追いわかっていただけるかもしれません。
すでにブログで 「教えることはエロい」 ということを書いたことがあるのですが、
だんだんに 「哲学もエロい」 ということに気づいていただけたらと思っています。
そんなことよりも恋愛についてもっと直接的に知りたいという場合には、
私のブログのなかの 「性愛の倫理学」 のカテゴリーに書いてある記事をお読みください。
看護学校の皆さんに一番読んでいただきたいのは、
この 「哲学・倫理学ファック」 のカテゴリーと 「生と死の倫理学」 のカテゴリーなんですが、
まあ、それを押しつけるよりは、自分の興味あるところから読んでいただければと思います。
哲学者は恋愛やその他いろんなことについて考えているんだよ、
というところをわかってもらえればありがたいです。
今日は珍しく結論を先に書いてしまいました。
質問してくれた人がどういう意味でこの質問をしてくれたのかわかりませんが、
そもそも哲学は、言葉の定義上、恋愛を含んでいるのです。
「哲学」 という日本語の訳語はまったく意味不明なので私はキライなのですが、
哲学の元の原語はギリシア語の 「フィロソフィア」 です。
「フィロソフィア」 のなかの後半部分 「ソフィア」 は、
「知」、「知恵」、「知識」、「知ること」 という意味の言葉です。
そして、その前についている 「フィロ」 は 「フィロス」 という語から来ており、
それが 「愛」 を意味するギリシア語なのです。
つまり、「フィロソフィア」 とはもともと、「知への愛」 という意味の言葉なのです。
「知への愛」 って 「哲学」 なんていう味気ない言葉よりもよっぽど素敵ですよね。
というわけで、そもそも哲学のなかには愛が含まれていたのです。
ギリシア語には 「愛」 を意味する単語が3種類もあって、
「エロス」、「フィロス」、「アガペー」 とあり、
日本語の 「恋愛」 に一番近いのはフィロスよりもエロスなんですが、
しかし、プラトンなどは、
真・善・美のイデアの世界に到達しようとする高次の愛をエロスと呼びましたので、
けっきょく 「哲学=エロス」 という図式が成り立ち、
哲学と恋愛はイコールになってしまうわけです。
恋愛というのは自分にないものを請い (=恋) 求める作用である、
ということは同意していただけるでしょうか。
「フィロソフィア」 という語を大々的に使い始めたのはソクラテスなのですが、
ソクラテスは 「無知の知」 を唱えたということを聞いたことがある人もいるかもしれません。
ソクラテスの当時は、
自分のことを 「智者=知恵をもつ者 (ソフィスト)」 と自称する人たちが横行していたのですが、
ソクラテスは、自分のことを 「知恵をもっていない者」 であると自覚し、
自分には知恵が欠けているからこそ、
自分は 「知恵を恋し求める者 (フィロゾーフ) =哲学者」 なのである、と言ったのです。
哲学とは自分にはないものを恋し求める営みですので、
恋愛と同じ構造をもつことになるわけです。
しかしながら、いくら同じ構造であるとはいえ、
性的対象 (多くの場合は異性) を恋し求める恋愛と、
知恵を恋し求める哲学とが同じものであると言われても、
皆さんはハァ?と思われることでしょう。
まあしかし、皆さんにも追い追いわかっていただけるかもしれません。
すでにブログで 「教えることはエロい」 ということを書いたことがあるのですが、
だんだんに 「哲学もエロい」 ということに気づいていただけたらと思っています。
そんなことよりも恋愛についてもっと直接的に知りたいという場合には、
私のブログのなかの 「性愛の倫理学」 のカテゴリーに書いてある記事をお読みください。
看護学校の皆さんに一番読んでいただきたいのは、
この 「哲学・倫理学ファック」 のカテゴリーと 「生と死の倫理学」 のカテゴリーなんですが、
まあ、それを押しつけるよりは、自分の興味あるところから読んでいただければと思います。
哲学者は恋愛やその他いろんなことについて考えているんだよ、
というところをわかってもらえればありがたいです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます