風の吹くまま

気の向くままに

曇っている

2017-06-06 05:14:36 | Weblog
05:14起床
曇っていて今にも雨が降り出しそうな空模様だ。

昨日は午前中は本を読んだりしていた。早めの昼食を食べ12時半に家を出て歩いて中国語の勉強会の会場に向かった。欠席するひとも少なく和やかな雰囲気で過ごすことができて良かった。帰りは遠回りをしてスーパーにより買い物をして家に戻ったのは5時半を過ぎていた。
アレチハナガサ(荒れ地花笠)名前がわからず色々調べたが荒れ地と名前にいれられているだけあって放って置かれた土地にひょろっと背丈も人間よりも高く伸びている。花は小さいが綺麗だ。
カシワバアジサイ(柏葉紫陽花)緑色の長い花が毎年同じところに咲いている。名前を調べたら紫陽花の文字も入っている。

それにしてもにんげんが何かを考える時に自分ではないひとの考えている気持ちに寄り添うということは「忖度」などと流行っている言葉で片付けられない重苦しさがある。簡単に相手の身になってなどとなりようもない「相手の身」にすり変わってその先々を読んで相手にとって居心地のいい環境を作りあげることは至難の技だ。技と言うよりそこでやってあげたら喜ぶことがはっきりわかっているような場合でも相手の身にはなっても自分の身にとっては清水の舞台から飛び降りるような心持ちにならないと実行できない事もあるのだ。日常の暮らしの細々とした出費にまで気を使い生活を維持するためには時間がかかっても出費を抑えてやりくりしている身(??)にとって相手に忖度してあげる太っ腹な行動を躊躇して仕舞う情けない気持ちがわいてくるのは、自分を責める材料になるのか。自分の胸に手を当てて良く考えてみる。普段言っていることと相手の気持ちになって考えられない自分とを表舞台に引きずり出してゆっくり眺めてみるしかない。「同情するなら金おくれ」などとどこかで聞いた事のあるようなセリフがそら耳のように聞こえてくる。普段平気で忖度されて貢物(??)をもらってしまっているにんげんなのでちっぽけな自分が情けない。えいやあとやって仕舞えばいいのか。全ての判断は自分の中にある。甘いお菓子を少しくらい渡しても自分の気持ちが収まるだけか。

ああ意味不明。
コメント (3)
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